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2017年2月。

父は、再び入院した。間質性肺炎も落ち着き、抗がん剤治療ができることとなった。2クールに渡り強い抗がん剤を打ち、ガンの進行を食い止めるのが目的だ。

そして、2月3日。1回目の抗がん剤治療がはじまった。抗がん剤は点滴で少しずつ体に入れていく。仕事を終えたオレは、その足ですぐに病院に向かった。すると、デイルームと呼ばれる休憩室に、父と母、弟夫婦がいた。みんなの様子がおかしかったのは、すぐにわかった。父は副作用に苦しんでいた。病室にいると息苦しいとデイルームに来ていたらしい。父に話しかけても、首を横に振るばかりで会話ができる状態ではなかった。とにかく苦しい。苦しくてたまらないと。その苦しむ姿は、オレたちの想像をはるかに超えたものだった。まさかこんなにも辛いものになるとは思いもしなかった。

そして、この過酷な抗がん剤治療が父の体力を一気に奪うことになる。

その日から父の体調はどんどん悪いほうへいっていた。トイレにもひとりでは行けないほど足腰は衰え、食欲は今までの半分以下となり、気持ちもガクンと弱気になってしまった。そして、この頃から父は自分の余命を気にし始めた。「オレもそんなに長くないかもな」とか、「今までありがとね」とか、そんなことばを口にするようになっていた。

オレたちも、父の状態がよくないことは薄々わかっていた。そんなときだった。今後の治療法のことを話したいと主治医から提案があったのだ。なんとなく嫌な予感がしていたので、ひとまず父と母抜きで、弟とふたりで聞かせてほしいと伝えた。

このとき、オレは2回目の抗がん剤治療は無理だと思っていた。父にもうそんな体力も気力もないと思っていたから。同時に、2回目ができないとなれば、それはもう打つ手がないということになる。きっと余命が宣告される。そんな気がしていた。オレは最悪の事態を想定し、腹をくくって主治医のもとを訪れた。

まず、主治医の先生から2回目の抗がん剤治療は難しいと伝えられた。予想していた通りだった。そして、先生がなにか言いづらそうにゆっくりとこう言った。「このままいくと、長くはないかもしれません」と。弟は声を震わせ先生にこう尋ねた。「4月1日の結婚式には出られますか?」先生の答えはこうだった。

「難しいかもしれません」

弟は泣き崩れた。結婚式に父がいないかもしれない。弟にとってこの結婚式は、オレにとってのロマンチックライブと同じだった。最後にして最大の親孝行だったのだ。それが、できないかもしれないという現実。気持ちが痛いほどわかった。オレは弟の肩に手をおいた。弟の涙は、いつまでも止まることはなかった。


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先生の話を聞いたオレたちは、その後、看護師さんから余命の告知をしたほうがいいと思うとの提案を受けた。奥さんとの時間もそのほうが大切にできるのではと。でも、それにしても時間が短すぎる。だって結婚式まであと2ヶ月もないのだから。

オレは考えた。父のことだ。きっと告知されたら落ち込む。でも、母のために生きてくれる。そんな気がしていた。そのことを、弟にも伝えた。が、弟の考えは違った。言わないほうがいいと。はじめて兄弟の意見が分かれた。どちらが正解なんて、もはやオレたちにはわからなかった。そして、弟からこんな提案が出た。父が信頼を寄せていた緩和医療の先生に、どうすべきか聞いてみようと。

父が唯一心を開き信頼を寄せていた先生だった。その先生の答えはこうだった。「国分さんが本当に知りたいと言うまでは、言わずにおきましょう。お母さんにも、そのときのタイミングで伝えましょう」オレたちは、そのことばに従うことを選んだ。そしてこのとき、オレは自分に誓った。

どんなときも、オレが家族を前向きにすると。

その日以来、父は余命のことをまったく口にしなくなっていた。だから、父と母には2回目の抗がん剤治療ができないということだけが告げられていた。「ホントは、あとどれくらい生きられるか聞きたいんだけどよ、根性ねーから聞けねーや」父はいつもの調子でおどけてみせた。その姿は、どこかで少しずつ覚悟を決めているようにも見えた。

このとき、父には治療法がもうほかになかった。でも、オレは簡単にはあきらめなかった。まだまだできることあるからと、ありとあらゆるものを父の病室に持っていった。抗がん作用のある核酸と言われるドリンクや、ケイ素と呼ばれる免疫力を上げるもの、ガンに打ち勝つための本、ガンに効く食べ物が載った本、古代米、ニンジンリンゴジュース、自律神経を整えるCD、とにかくガンに打ち勝つ免疫力をあげるためにありとあらゆるものを調べて集めた。

「これは、抗がん剤の代わりになるから!まだこれからだからさ!」

そんなオレに、父は呆れ返ったように笑顔でこう言った。

「おまえの前向きにはホント頭が下がるよ」

下を向いたってなにもはじまらない。いつもオレはこうやって生きてきた。どんな逆境でも、絶対に下を向かず前を向いてきた。それは、父の教えでもあった。絶対に逃げるなっていう。今こそだと思った。今こそ、オレが前を向かなきゃいけないって。

オレはバカみたいにひたすら前を向いた。絶対に死なせやしないって。


つづく