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声が出せなくなった父は、鬼の角が取れたみたいに丸くなっていた。

あんなに毎晩怒鳴り散らしていた父が、よく笑うようになっていた。そんな父のその頃の楽しみといえば、麻雀だった。麻雀といっても、雀荘で煙モクモクのあれではなく、家族でやるかわいい麻雀だ。オレが実家に帰るときは、よくみんなでゆるーいルールの麻雀をやったものだった。「今日の夜麻雀やろうよ!」こう言うと、父は決まって笑顔になった。そこには、もう鬼の姿はこれっぽっちもないくらい父は穏やかになっていた。そんなふうにして、毎日がゆっくりと過ぎていった。

しかし、平和な日々は長くは続かなかった。

2016年の秋のことだった。経過観察で撮ったレントゲン写真にそれは映っていた。肺に影があるというのだ。先生は、ガンの可能性もあるが、おそらく炎症だろうと言っていた。だが、それはやがてガンだと診断される。喉頭全摘出手術から、たったの1ヶ月。喉頭ガンからの転移だった。
この転移が厄介だった。肺の神経に重なるようにできていたのだ。外科的手術は無理だった。主治医の先生の治療法は、さらに強い抗ガン剤を2クールに分けて投与するというものだった。効果が出るひとには出るものの、それが100%とはもちろん限らない。体力の消耗もかなり考えられるという。
このままなにもせずガンにカラダを蝕まれるのを待つか、それともこの強い抗ガン剤の効果を願って打つか。オレたち家族は、迷うことなく抗ガン剤治療を選択する。だが、この決断が、これまでの生活を一変させることになる。

2016年12月。父は治療のため再入院することになった。

きっと辛い治療になる。でも、この治療を乗り越えれば、新年を我が家で迎えられる。それを目標に父はがんばることを誓った。

しかし、そんな思いとは裏腹に抗がん剤治療前日に父は高熱を出した。原因は、間質性肺炎だった。この肺炎はとても怖いものだった。調べれば調べるほど、恐ろしいことがたくさん書かれていた。抗がん剤治療をすれば、肺炎は悪化し死に至ることもあるとか、肺炎治療をすれば抗がん剤治療ができないからそれは死を意味するとか。実際、主治医から言われたのは、「このままでは抗がん剤治療はできません。しばらく様子をみましょう」という、どこかあきらめにも聞こえることばだった。
オレはほかの治療法がないか調べた。外科的手術をやってくれる病院や、知り合いの先生に指示を仰いでみたりした。でも、結果はおなじだった。間質性肺炎の様子をみて、抗がん剤治療をするという以外、他に方法はなかった。父がガンになって以来、オレははじめて大泣きをした。1日中ずっと。もうなにもできないのかって。どんなに逆境でも前向きなオレも、このときばかりは弱気になったのを、今でもはっきり覚えている。


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そんなオレたち家族の沈む心とは裏腹に、街はクリスマスのイルミネーションでキラキラしていた。でも、病室にイルミネーションなどない。それどころか、クリスマスなんてムードはこれっぽっちもない。
オレにとってクリスマスとは、ずっとハッピーなものだった。こどもの頃は毎年12月24日の夜になると、縁側にサンタさんからプレゼントが届いた。「たかし、今、音がしなかったか?サンタさん来たんじゃないか!?」オレは急いで縁側に飛び出した。すると、そこには綺麗にラッピングされたプレゼントが置いてあった。「ホントだあ!サンタさんだあ!」「きっとまだサンタさん近くにいるぞ!空に向かってお礼だ!」「うん!ありがとー!サンタさーん!」これが我が家のクリスマスだった。もちろん弟もコレ。毎年本当に楽しかった。美味しいチキンを食べたり手巻き寿司を食べたり。それなのにだ。まもなくやってくるクリスマスには、そのハッピーなものはなにひとつなかった。

クリスマスはハッピーだろ?

なんだよこれ?オレは考えた。病室でも、ステキなクリスマスってできないのかなって。そして、オレは思いつく。家族みんなから父にクリスマスカードを贈ろうと。それも写真でアルバムみたいにして、みんなからの手紙も添えてサプライズをしようと。落ち込むのなんて誰にでもできる。でも、落ち込んだってなにも変わらない。だから励ますんだ!励ますことができたら、きっとなにかが変わるはずだ!って。

その日はクリスマス前日だった。オレは蛇腹式になった1メートルくらいあるアルバムを買い、弟夫婦の家に向かい手紙を書いてもらった。オレも父へエールのことばを書き連ねた。そして、大トリの母が書く番だ。母は、書く前から泣いていた。「なに泣いてんだよぉ~!」オレは涙をこらえ母を笑わせようとした。
母は、父とおなじで筆不精だった。これまで手紙など書いたことないような人だった。

「私、書けないわ。なんて書いたらいいかわかんない」

オレは、そんな母に言った。

「今思ってることをそのまま書けばいいんだよ。前に手紙もらったでしょ?その返事だよ、これは」母は筆をとった。

ほんの数行の手紙だ。2時間くらいかかったろうか。それは、母にしか書けない本当にステキな手紙だった。


つづく