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これがオレの家族。

硬派で短気で、でもめちゃくちゃ家族想いの父。忍耐強く一歩も二歩も下がったところから家族を包む母。自分のチカラで自分の人生を切り開いた弟。そして、そんな家族と生きている、オレ。そんな家族の面々で、つい2年くらい前までは、毎日凸凹いろいろあったけどそれなりに幸せにやっていた。

でも、2015年8月。そんな毎日が一変することになる。

父はもともとタバコと酒をやっていた。そのせいか数年前から声がしゃがれはじめていた。最初病院に行ったときは、炎症程度の診断でしかなかった。だが、次第に声は出にくくなっていく。母は父を連れ、大きな病院へ行った。そして検査の結果、父は喉頭がんのステージ2と診断された。一瞬、目の前に緞帳が下りたみたいに視界が真っ暗になった。「ガン!?」でも、先生のことばを聞いて、その闇にすぐに希望の光が照らされた。「完治する可能性が非常に高い病気です。放射線治療からはじめましょう」

喉頭がんというのは、放射線治療だけでステージ2でも85%完治すると言われている。父のガンは、全体のわずか4%ほどのひとしかかからないと言われている下喉頭がんだったが、放射線治療は順調だった。父も日に日に明るくなっていく。喉の調子がいいようだった。母は毎日病院に通い、父との時間を過ごしていた。なによりこれが、父にとって一番の薬のようだった。
そして、放射線治療は約2ヵ月ほどで終了し、父は無事退院した。もちろん声は今までとはまったく別人なくらい綺麗になって帰ってきた。父はその夜、きれいになった美声でご機嫌に鼻歌を歌ってみせた。相変わらずとても音痴だったが、その声はまぎれもなく父の声だった。「これで一安心ね」母は笑顔でそう言った。そんな母に父は笑顔でこう言った。

「栄ちゃん、これからはふたりでたくさん遊ぼうな!」

父64歳。母65歳。これから2人で、第2の人生を楽しんでいく。家族の誰もが当然のようにそう思っていた。だが、おだやかな日は長くは続かなかった。どういうわけか、神様は試練ばかり与えてくる。


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退院から1ヶ月ほどしたある日のことだった。

父の声がまたしゃがれはじめたのだ。まさか?一瞬イヤな予感がした。でも、まだ1ヵ月だ、そんなはずない!風邪かなんかだろ?家族の誰もがそう思いたかった。でも、オレたちの願いに反するかのように、父の顔は浮かなかった。

病院での再検査の結果、父のガンは再発していた。

放射線治療からわずか1ヶ月の再発。これは、ミュージシャンのつんくさんとほぼ同じ経過だった。先生は、この先の治療法をオレたち家族に説明した。「再発の場合、これ以上の放射線治療ができません。声を失うことになってしまいますが、喉頭の全摘出手術をおすすめします」それは、命を取るか、声を取るか、そんな残酷な二択をしろということだった。「まだ1ヵ月ですよね!?放射線治療の効果がなかったってことですか!?」涙を浮かべ、声を少し荒げて母は言った。先生は、効果がなかったわけではないが、喉頭の裏側のガンが生きていたのかもしれない、みたいなことを言っていた。そして、命を優先しましょうとも。
それはもちろんそうだろう。でもだからといって「うん、しょうがないですね全摘しましょう!」なんてなるわけなく、オレは、セカンドオピニオンを受けたいと申し出た。だって、85%は治る病気だって、どこを調べても書いてあるんだから。

そして、その日からオレと弟はひたすら病院を探した。すると、声帯を残す手術をしている大学病院があった。喉頭がんのスペシャルチームだという。オレたちは、父を連れその大学病院に向かった。なんとか声は残してあげたい、その一心だった。そのためにできることは、すべてやりたかった。そして、大学病院でのセカンドオピニオンの結果が出た。検査の結果、全摘出手術をすすめますとのことだった。そのことばを聞いた瞬間、オレたち家族の世界だけが、なんだかモノクロに見えた。

帰りの車は、誰もなにもしゃべらなかった。ホントにお通夜みたいだった。この大学病院がダメなら、それは同時に声を失うという選択肢しか残されていないことを意味する。このときほど、オレは自分の無力に腹を立てたことはなかった。そして、このときほど、父になにもことばをかけらなかったこともない。

なにもできないなにもできないなにもできない…

希望の光が全部消え、目の前が真っ暗になった。ただ車のヘッドライトだけが、虚しく行く先を照らしていた。

つづく