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母と弟のことも書いておこうと思う。

母は、オレがこどもの頃から本当に優しいひとだった。オレが父に怒られていると、いつも一緒になって怒られてくれた。そして、オレがひとりで泣いているといつも優しくなぐさめてくれた。父の厳しさを優しさでフォローしてくれる、そんな母だった。

父と母は仲がよかった。父はいつも怒鳴ってばかりで、母はいつも怒鳴られてばかりだったけど、根っこの部分ではふたりはとても仲がよかったと思う。それを物語るかのように、父は母をすごく大切に思っているんだなあと、こどもながらに思うことがあった。

こどもの頃、父はよくこんなことを言っていた。「いいか。もしもお母さんのこと殴ったりしてみろ?ただじゃおかないからな」「オレのことはいくらでも嫌いになっていい。だけど、お母さんのことはずっと好きでいろ」「オレのことはどうでもいい。そんなことより、お母さんをもっと大切にしろ」父はいつも自分のことより母のことを一番に考えていた。でも、その愛情表現がひたすら不器用で下手だった。きっと、それは母もわかっていたことで、だからどんなに理不尽に怒鳴られようが、母は父についていったのだと思う。

母を語るときもうひとつ忘れてはならないことがある。それは、母の耳が少し悪いということだ。こどもの頃、海で溺れ中耳炎になり、以来普通のひとより少しだけ聴覚が落ちてしまったのだ。この母の聞こえない問題で、父と母はコミュニケーション」がうまくとれずよくケンカをしていたのだが、まさかこの先、父は喉頭がんによって自分がしゃべることができなくなる
だなんて、想像さえしていなかっただろう。そして、この「聞こえない」と「しゃべることができない」がのちに夫婦の絆をさらに深めることとなるのだが、その話はまた後ほどするとして、その前に弟の話をしておきたいと思う。


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弟の大介は、歳がオレと5つ離れている。前にも話したが、性格は母によく似ている。こどもの頃から近所ではかわいいと評判がよく、父からの手厳しい教育もオレの10分の1ほどだったからか、とてもおだやかで優しい人間に育っていた。今、オレがこうして好きなことができているのは、弟のサポートがあったからにほかならない。弟がいなかったら、今のオレなどないと言ってもいいくらいだ。それくらいいろいろと助けてもらっている。

そんな弟は、オレとはちがい電機関係の父の仕事に影響を受けて育ってきた。だから、こどもの頃から機械にめっぽう強かった。就職先も、その強みを生かせる会社に、大学卒業後に入社した。父と母もそのことをとても喜んでいた。弟自身も、働くことへの希望に満ち溢れていた。
が、しかしだった。入った会社が悪かった。上司が考えられないほど理不尽だったのだ。はじめ、弟からその話を聞いたとき、オレはこう言った。「社会ってのはそういうとこだ。そんな上司に負けずにがんばれ!」今思えば、就職などしたこともないのに、よくもまあ偉そうに言ったものだ。だが、会社とその上司に対する怒りと、希望の光を失いそうな弟のその姿に、こう言わずにはいられなかった。
そしてその後、弟はその理不尽に負けず、我慢に我慢を重ね働き続けた。その間、オレは弟からすべてを聞いて、思うことはすべて弟に話すようにしていた。だが、その上司の理不尽さはさらにエスカレートしていく。さすがのオレも黙っていられないくらいめちゃくちゃだった。ある日、もうこれは無理だなと思い「その会社、もう辞めていいかもな。よくがんばったよ大介は」と、オレは悔しさをグッとこらえ言ったのを今でも覚えている。こうして、弟はそのクソみたいな会社を辞めた。

ほどなくすると、会社から詫び状がきた。アホかと思った。会社としては分かっていてもどうにもできないみたいなことがそこに書いてあった。これまでも、その上司の理不尽さに何人もの部下が辞めているとさえ書いてあるくらいだった。社会への希望を断ち切るような想いをさせてしまって申し訳ありませんと。「なんだよこの会社!ちょっとオレ連絡していいか?」あまりに腹が立ち、オレは弟にこう言った。でも、弟は首を横に振った。自分にも非がないとは限らないからと。この手紙をくれたひとにはお世話になったからと。すべてをひとのせいにしない。弟らしい、決断だった。

会社を辞めた弟は、しばらくの間休養を取っていた。すぐに就職活動をする気持ちにもなれずにいた。無理もなかった。それくらい若き日の弟は、社会にキズついていたんだと思う。父と母はそんな弟のことを心配していた。父も何度か弟と話をしていたと思う。そんな日々がしばらく続いていた。

ある夜のことだった。オレは父にこう言った。「あとのことはオレにまかせて。だから、大介にはなにも言わなくて大丈夫だから。オレがなんとかするから」

そして翌日、オレは弟にこう言った。

「大介、レッスンプロになれよ。オレがレッスンプロにしてやるから!」

こうして、オレと弟の怒涛の日々がはじまることとなる。それはまさに、いつかの地獄のノックみたいな日々だった。


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当時のオレは、役者の傍ら、レッスンプロとして地元の練習場でゴルフを教えていた。そこに弟をバイトとして迎え入れてもらい、ほぼ毎日そこでゴルフを教えた。

「一年でプロにしてやる。だから真剣にやれ。ゴルフなら、生きていけるから!」

そこからの日々は、オレも夢中だった。とにかく地獄のノック育ちなもんだから、弟への'アタリ'は当然キツい。それくらいやらなきゃプロになんかなれない。でも、半ば無理矢理やらせたもんだから、弟もめちゃくちゃ反発してくる。ゴルフなんかやりたくねーよ!だの、もういいよ!やめようぜ!だの、次から次へと文句が出てくる。
まあ、考えてみれば無理もない。気持ちはオレも分かる。だが、そんな悠長なことを言ってる暇もない。そのたびにオレたちはケンカをした。でも、オレは絶対にゴルフをやめさせなかった。自分の力で、もう一度立ち向かってほしかったからだ。だから心を鬼にして、弟を一年間練習場に通わせた。その間、父と弟とオレの3人でプロテストの会場に練習ラウンドに行ったりもした。そこでも、オレがラウンド中あまりに厳しいものだから、見かねた父が「大介もがんばってるんだから、もうちょっと優しく言ってやれよ」と、昼飯のときオレに注意をしてきた。どの口が言ってんだ!?と一瞬思ったが、それくらい熱が入りすぎていたのは事実だろう。
母は母で、弟を草葉の陰でいつも心配していた。「大介はどう?プロになれそう?」そのたび、オレは大丈夫なんて保証はなにひとつなかったけれど「大丈夫!」そう答えていた。

やがて、プロテストの日がやってくる。そのときの弟は、もう以前の"希望を失った"弟ではなかった。やってやる!そんな気持ちが顔に現れていた。それは、一年間ひたすらやってきたんだという自信であり、かつて社会に抱いていたあの希望に満ちた表情だった。そして、再起をかけ、弟はたたかった。

結果は、見事合格。こうして、レッスンプロ 国分大介が誕生した。

父と母はこのとき本当に喜んでいた。ホッとしたと思う。父にいたっては、まさか弟までもがゴルフをやるとは夢にも思ってなかったらしく、これで親子でゴルフができるな!と、本当に嬉しそうにしていた。

そんな弟は、今ではたくさんのゴルファーを教える立派なレッスンプロになっている。弟には、他のレッスンプロにはない強みがある。それは、己で証明した《一年で誰もがうまくなれる》という事実だ。自分で人生を180度ひっくり返せるんだという事実。なかなか思い通りにいかなかないゴルファーの気持ちに、誰よりも寄り添える、そんなレッスンプロに弟はなったのだ。

こうして、父の地獄のノックは、兄の地獄のノックとなり、弟の人生にも多大なる影響を与えることとなった。たぶんだけど。

つづく