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今でも父に感謝していることがある。

それはオレが23歳のとき、父に役者の道に進みたいと言ったときのことだ。オレは、それまで10年間やってきたゴルフをやめ、突然役者になると言ったのだった。

話は、再び小学校6年生の時にさかのぼる。

ある日、ゴルフが趣味だった父に連れられ、オレはゴルフ練習場に行くことになる。当時のオレは、絵を描くことが大好きだったので、その日はゴルフ練習場のナイターに照らされた父をスケッチブックに描いていた。夜空に吸い込まれる白いボールがやけに綺麗だったのを今でも覚えている。そんなオレを見たからか、父はオレにこう言った。「やってみるか?」オレは頷き、はじめてホンモノのクラブを振ってみた。
「おー!ナイスショット!」父が驚いて叫んだ。最初からまあまあ打てたからだ。なぜ打てたかといえば、当時の人気マンガ プロゴルファー猿に憧れ、オレは小さい頃から木のクラブでゴルフのマネごとをして遊んでいたからだった。「崇!おまえセンスあるな!よしゴルフやれ!」「うん!」こうして、プロゴルファー猿に憧れていたオレは、ひとつ返事でゴルフをやることになる。

中学に入学すると、オレは男はこうあれ!の影響で柔道部に入る。武道は男の基本だろうと。だが、このときのオレはもちろん柔道よりゴルフに夢中で、柔道の練習が終わると毎日ゴルフの練習をするようになっていた。コーチは父だ。ここでももちろん鬼コーチだ。やがて高校に進学すると、オレは部活には入らず、父とともに大人に混じってひたすらゴルフの練習をした。プロゴルファー猿にではなく、本気でプロゴルファーになりたかったからだ。するとある日、父がこんなことを言ってきた。

「オレは今日で、ゴルフをやめる!」

当時、ゴルフはとても敷居が高く、1ラウンドプレーすると1人3万円くらいかかったものだった。よく人から「子供の頃からゴルフだなんて、さぞかしお金持ちのお坊ちゃんなんだろうね」なんて嫌味なセリフを言われたが、うちはごくごく普通のサラリーマン家庭だった。父は結婚と同時にプロボーラーの夢をあきらめ、電気工事士の資格を取り工場で働いていた。親子ふたりでゴルフをやるほどの余裕なんて我が家にはなかった。でも、父はお金がないという理由で息子の夢を奪いたくなかった。オレのやりたいことはとことんやらせてやりたいと言ってくれた。だから、自らがクラブを握ることをやめたのだった。

そして、オレはひたすら勉強し、ゴルフの名門 専修大学に進学しゴルフ部に入ることとなる。同期には、ツアープロの小田龍一、ひとつ下には同じくツアープロの近藤共弘がいた。このふたりがトッププロになることはすぐにわかった。それくらいズバ抜けていたから。そして、オレはこのふたりに勝てなければ、プロには到底なれないだろうなと悟った。そして、約4年間ひたすらゴルフ場でキャディーをし練習をした。が、ふたりに勝つどころか、まったく思うようにうまくはならなかった。そして、オレは10年間とことんやったゴルフの道をあきらめた。人生ではじめての挫折だったかもしれない。大学4年生、22歳の夏だった。

「プロゴルファーの夢、あきらめるのか?」

父のそのことばに、オレはただうなずくばかりでなにも言えずにいた。自分が好きだったゴルフをやめ、プロゴルファーの夢に全力で協力し応援してくれた父になんと言えばいいか、それがわからずにいた。そして、オレは周りに合わせるかのようになんとなく就職活動をはじめた。が、まったく身が入らず、かといってなにかやりたいことがあるわけでもなく、だからといって、そのままなんとなく就職もしたくもなく、毎日を無駄にただあてもなく生きていた。結局父には、もう一年考えて、来年就職すると言って、オレは大学卒業と同時にジーパン屋でバイトをはじめた。

そしてある日、オレは突然役者に憧れることになる。理由は、単純だ。ドラマに出てお芝居をしている役者さんたちがかっこよく見えたからだ。まったくしょうもない23歳だ。となればだ、なおさらそんなことを父に言えるわけがない。なんてったって、ゴルフの夢を本気で応援してくれてたし、大学の学費も半分出してくれたし、それがゴルフをやめて役者だなんてどの口が言えるんだ。オレは、そんな想いを胸にバイトを続けた。

だが、あっという間に一年が過ぎ、約束の春がやって来ることとなる。オレが23歳の時だった。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


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ある日、オレは父に話があるから聞いてほしいと言った。役者になりたいと言うためにだ。ジーパン屋で働いてる間、役者という夢には一旦蓋をしスチールカメラマンなどもやってみたが、やはり役者の夢がすぐにその蓋をこじ開けた。

役者になりたい。

でも、一年経ってもオレはそんな簡単には言い出せずにいた。すると、見かねた父が口を開いた。

「話してみろ。なんだって聞いてやるから」

オレは意を決しゆっくりと話しはじめた。気づくとオレは号泣していた。

「ごめん!オレ役者になりたい!ゴルフやるって真剣にやってきたけど、たくさん応援してもらったけど、オレ役者やりたい!」

自分の涙で溺れるんじゃないかというほど、オレは泣いていた。「ゴルフをあきらめたやつが、役者なんて無理に決まってんだろ!」と怒鳴られておしまいだろう。そう思っていた。が、ちがった。なんと父は笑ったのだ。笑いながらこう言ったのだ。

「なんだよそうだったのかよ!だったらもっと早く言やあよかったろ!役者かあ!いいじゃねえか役者!よお!お母さん!崇が役者になりたいってよ!」

あのときのことは一生忘れないだろう。あの鬼だった父が、笑いながら、今度は役者になるだなんていう夢みたいな夢を応援してくれると言ってくれたのだから。

「オレはな、崇。おまえがやりたいこと応援したいんだよ。オレもプロボーラーになりたかったけどなれなかったからよ。だから、やりたいようにやれ。自分で決めたんだろ?おまえなら、大丈夫だよ。ていうかよ、役者ってどうやったらなれんだ?」

父はちょっとおどけてみせた。その優しさが、なんだかすごく嬉しくて、オレはまた泣いた。その夜、オレと父は、役者は儲かるのかとか、役者の学校とかあるのかとか、そもそも役者ってドラマに出るあれかとか、なんかそんな話をたくさんした。

それは、父の優しさに他ならなかった。


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こうしてオレは、23歳のとき晴れて芝居の養成所に入り役者をやることになる。毎日がホントに楽しくてしかたなかった。でも、ひとつだけ心残りなことがあった。それは、ゴルフだった。12歳からやってきたゴルフをこのまま終わりにさせるのは、自分に対しても、父に対しても、なんかちがうなと思っていた。だから、オレは父への感謝の気持ちを込め、ツアープロにはなれなかった代わりに、レッスンプロの資格を取った。そして、あの日オレを練習場に誘ってくれた父のように、オレはゴルフをやめていた父を誘い、はじめて父にゴルフを教えた。それまでオレにゴルフを教えてくれていた父に、レッスンプロとなったオレはゴルフを教えたのだ。

「崇!ちょっと厳しくないか教え方?仕返しだろ!」とか「まさか、おまえにゴルフを教わる日がくるとは思わなかったな!」とか、父はなんだか嬉しそうに笑っていた。

気づくと、父はいつもオレの一番の味方だった。

つづく