「恋のなぞ掛け」


男は、とある電機屋の携帯電話販売コーナーにいた。

男は30代半ばの真打ちになりたての落語家。折り畳み式携帯を、スマートなやつに替えようとしているのだ。

でも、正確にはちょっとちがった。男は、携帯電話を替えるんじゃなく、自分を変えたかったのだ。

そんな落語家な男の恋の小咄(こばなし)。


男に接客している女性店員は、ポニーテールで背のちいちゃな、感じのいい店員だった。

この女性こそ、男の恋のお相手だ。

彼女は、男の初恋の人だった。

高校時代、マドンナ的存在だった彼女。男たちは、みんな彼女に夢中だった。

そんな彼女が、あるときいきなり、男に好きだと言ったのだ。ずっと好きでした、と。

男は、天と地が三回転くらいひっくりかえるほど、ビビった。まさか、自分がこんなにも好きなマドンナから、わざわざご丁寧に好きでした、なんて。

男はどうしていいかわからなかった。こんなかわいい子と付き合う勇気など、これっぽっちも持ち合わせていなかった。

男は言った。

「…あ、ありがとう。で、でも、ごめ、ごめん。オレ、落語家になりたいから付き合うのとかは…ちょっと…」

彼女は泣きながらその場をあとにした。

男は、いっそ消えてなくなりたいと思った。なんてバカなんだと、何度も自分の頭を自分の握りこぶしで殴った。でも、なんど立ち止まって考えてみても、男には、彼女の気持ちを受け入れる勇気がなかった。


あれから20年。

今、男は彼女の話を聞いている。もちろん、彼女はこの丸坊主があのときの男だとは気づいていない。気づくには、容貌が変わりすぎていたのだ。

一通り話を聞くと、男はカラカラになった口をムギュっと開いた。


「その電話、ください」

「はい、ありがとうございます!」

男は続けた。

「あの、ひとついいでしょうか?」

「はい?」

「ボクの、な、なぞ掛けをひとつ聞いてくれませんか?」

「なぞ掛け?」

「…はい」

「あ、はい、いいですけど…」

「えっと、初恋の日の思い出とかけまして、ボクがほしい携帯電話のことを一生懸命説明してくれるキミとときます」

「はい…あ、その心は…?」

「どちらも、きのうのことのようです」

「え?あ、昨日と機能…ですか?」

「あ、はい」

「すごーい」

「あ、いえ」

「落語家さんかなにか、ですか?」

「…はい」

「そうなんですかあ。え、落語家?え、あれ、もしかして?」

「お、お久しぶり」

「北村くん?」

「うん」

「わー!変わったねー!」

「あ、うん」

「あ、ごめん、変な意味じゃなくて」

「うん大丈夫、慣れてるから。あ、元気だった?」

「うん、元気元気。今じゃ2人のママだよー」

「え、ママ?」

「うん」

「あ、結婚したんだ?」

「7年前にね」

「そっか」

「北村くんは?」

「あ、うん…オレはやっと真打ちになれたんだ。18年かかったけど…」

「そっかあ。やっぱすごいなあ北村くんは」

「いや、そんなあれじゃないよ」

「あ、ごめん電話ね」

そういうと彼女は携帯電話の手続きをはじめた。

男はもちろん、凹んでいた。あのときちゃんと好きだと伝えていればよかったと。時の流れは嗚呼無情。そんなことばが頭をよぎった。

「はい、それでは通話テストしますので、お電話鳴りましたら、私とお話いただけますか?」

そう言うと、彼女は男の新しいスマートなやつに電話をした。

「もしもし、今わたしの声が聞こえますか?」

「あ、はい聞こえます」

「じゃあ大丈夫ですね」

「あ、あのちょっと待ってくださいっ」

「はい?」

「すいません。この電話ではじめてのなぞ掛け、聞いてもらってもいいですか?」

彼女はちょっと笑ってうなずいた。

「えっと、あのとき自分に足りなかったものとかけまして、あのー…なんだろ…、あ、おいしい野菜とときます」

「その心は?」

「…ゆうき、です」

「え?あ、勇気と有機野菜の有機?」

「あ、うん。なんか全然うまくできなかった…ごめん」

「ううん。ちゃんと、ちゃんと聞こえたよ」

「あの、オレ、キミが好きでした。だから、ありがとう」

「うん」

彼女は目に溢れてきたなにかを隠すようにうつむいた。そして、小さくうなずき顔をあげ言った。

「ありがとう、北村くん」


そういうと、ふたりはあの頃に戻ったかのような笑顔で電話を切った。


時間は取り返せない。

でも、あの頃には戻れる。たとえあの頃とすべておなじじゃなかったとしても、あの頃の気持ちに戻ることはできる。


男は、真打ちの落語家だった。でも、好きな女の子の前では、やっぱりただの不器用な男だった。そして、あのときとちがったのは、ほんのちょっとだけ、勇気ある男になれたということだ。


男は真新しい電話を片手に、誰かに電話したくなった。


「えっと…あれ?どうやって電話すんだ?」


説明を全然聞いていなかったから電話ができないというオチとともに、男はこれからも、恋のなぞ掛けをといてゆくのだった。

もちろん、好きだとまっすぐ伝える気持ちとともに。


落語家の男の、ちょっと遅い青春のお話。


おしまい。