プロペラ犬 第8回公演

「僕だけが正常な世界」 

 

[作・演出]水野美紀(プロペラ犬) 

[出演]崎山つばさ 鳥越裕貴 安里勇哉 定本楓馬 浅野千鶴 

    入手杏奈 竹内真里 福澤重文 宮下貴浩 水野美紀 

            ノゾエ征爾 江藤萌生 西野優希 猪俣利成 武藤心平 小口隼也

 

2022年12月16日〜25日 

東京芸術劇場シアターウエスト

 

●配信●

配信① 12月17日収録分 12月28日~1月4日 
配信② 12月23日収録分 1月4日~11日

 

 

■あらすじ■

ミチルはずっと生きづらさを抱えて生きている。周囲の人間はミチルを普通じゃない、と責め立てるが、普通が何なのかミチルには分からない。「僕は別の星から来たのかも知れない」孤独な少年ミチルは自分の居場所を探す旅に出る。裏切られ、傷つき、ミチルは怒りの炎に飲み込まれながら、復讐に最適な、理想の場所を目指す。それがこのシアターウエストで進んでいる世界だ。しかし、たった一人、シアターイーストと間違って舞台に紛れ込んでしまった役者が、世界を狂わせていく。

 

配信② 12月23日収録分 1月4日~11日を視聴しました。

 

◆思いつくまま感想◆

ミチルの母の歌、知ってる昔のいくつかの曲に

似てるような似てないような、モヤモヤする、笑。

歌うまいし、みんなのダンスも、とってもっぽい。

 

モチの精、お餅食べる?いらない。どんまーい。はーい。

何度もさりげなく何度もいろんなシーンで出てくるの、すき。

最後のほう、ちょっと戦いのとき、火の精に墨にされて役に立つ、笑。

 

ミチルのじいさんのガッテン!!、すき。

タバコの煙で、ハトまで出して、笑。

 

黄泉の世界やら、現実の世界もいくつも前後する。

 

言葉の裏の意味を読み取る。

空気を読む。それができなくて。

ジョーダンもわからない。

曖昧な約束も苦手。

追いつめられていくミチル。

 

クリスマス、プレゼント

もらうとしたら何がいい?

【居場所がほしい】というミチル。

 

私も、ちょっと変わってると昔から言われる。

自分の居場所について、たくさん考えたことがあるし。

知り合いと友達と親友の区切りについて悩んだり。

前の日に言われたことをうまく消化できずに

次の日まで答えを考えて、伝えると遅くて。

なかなか、悔しい思いはたくさんあったなと思い出した。

 

でも、どんな人でも、どんなときでも、なんかね、

誰かしら本当は支えてくれてたり寄り添っていて

くれてたりするんじゃないかと思う。追いつめられている気がする時は、ガーってなってるけど、見渡したり、自分の気持ちを伝えたり、できれば、ラクになる。そうゆうことを、この舞台は言ってくれてるんじゃないかって思った。

 

私は社会人になったときはまだ、人見知りが抜けなかったけれど、全く人見知らない自己肯定力強めの明るい先輩に初めて出会い、心をひらくってことを身をもって学び、常に寄り添ってくれる存在のありがたみを知ることが出来たおかげで、今があるって思っています。

 

だから、そのあと出会った人達と、わりと人見知らないで話せているし、話しに耳を傾けたり誰かに寄り添うっていうことが少しずつできてきていて。それはとても生きやすい気がしています。

 

命は生き抜くものだなと、病が同居してからずっと思っているので。ミチルのあきらめない心を信じて、物語の中で生き抜いてほしいと思いました。

 

このセリフも、すき。

死ぬまで生きたら何かわかるのか。

もう一度生まれたいって思うのかな。

諦めないのがキミの才能。

僕もキミをあきらめない。約束する。

 

最後の歌、すき。

意味なんてないんだ だけど 死ぬまで

生き抜いていよう 闇から空見上げ

明日は少しマシかな 儚い光にすがり

泥だらけの世界で僕は夢を見てる

泥だらけで踊ろう僕と一緒に踊ろう

 

最後のほうの、精たちやみんなの声かけ、すき。

いるよいるよ、みんなそばにいるよ。

 

僕だけが正常な世界。

この題名の意味、どうゆうことなんだろうなぁ。

 

みんな、正常だよ。

 

生きてるってことは、

もうそれだけで、正しい。

2021年10/7~10/14 

新国立劇場 小劇場


ライブ配信

10月8日(金)18:30公演

10月12日(金)18:30公演 

 

10月12日(金)18:30公演 

ライブ配信、観了。

 

1幕「パンティーアナキズム」

          脚本・演出  矢島弘一
2幕「テクタイト」

          脚本・演出  水野美紀

 

キャスト+++++++++++++++++

水野美紀/和田雅成/剛力彩芽

富田翔/真凛/椎名鯛造/宮下貴浩
福田ユミ/水原ゆき/南部麻衣

竹内真里/久保田武人/西野優希
中原果南/竹若元博(バッファロー吾郎)

猪俣利成/永松文太

++++++++++++++++++++++++

 

1幕「パンティーアナキズム」

 

支配する側、される側。

生きていてそんな風に

区分したことがなかったので驚いた。

 

「私を支配しないでください」

主役の桜子は連呼する。

イジメをする側される側、

そして取り巻き傍観組。


イジメをされる側の桜子にしていた

「パンツ脱げ攻撃」を先生に強要され、

パンツを脱いだイジメをする側の

アスカがあっけなくこの世を去る。


そのパンツを返しそびれた桜子は

そのパンツを毎日履くことにする。

途端に。桜子の生活が好転する。

好転はパンツのおかげだと思う桜子。

世の中を恨み「くそ○○」を連呼

していたのにイジメられなくなったら、

嫌いだった写真やSNS、仲良しごっこの楽しさを覚えていく。

 

仰げば尊しを現代語に訳して

南こうせつばりな先生、印象的。


手の平返しの取り巻きの

心のないハグに違和感。

 

世の中2つでできている。

支配したい人間と支配されたい人間。

パンツを自分から脱ぐ人間と

パンツを脱がされるまで

待ってる人間と。

 

この物語の世界で、

パンツって何やろ。


弱さ?強さ?防御?固執?

武器?プライド?糧?

よりどころ?お守り?

勲章?盛り塩的な?

いや・・・自信か。

 

小学時代にイジメのようなものを

体験したことがあるのだけれど。

自分でもそうだったのか

そうじゃなかったのか

わからない曖昧な経験。

大人になって同窓会で

言われたのは二通りの答えでした。


ふざけてただけ。って言って

昔と変わらない態度で

友達として会えた子もいれば、


イジメてごめんなさい。

申し訳なくて会えませんって

手紙をもらった子もいる。


なんだろうな、

謝られたほうが哀しかったなと。

あの時の気持ちを、思い出して、

心がぞわぞわした。


そして、いじめっ子の名前が

身内の名前で、心がぞわぞわした。


 

2幕「テクタイト」


テクタイト++++++++++++++++++++++++++

 起源については、地球で形成

されたものかどうかで議論されたが

高速で衝突した巨大な隕石の

エネルギーで蒸発気化した

地表の石や砂などが、上空で

急冷して固まったものだと

考えられている。

Wikipedia++++++++++++++

 

主役:多重人格(タクト、先生、望)

死刑囚の息子/黒豚和牛のおにぎり

人気俳優

 

幕開けが舞台の準備中で、斬新。

福田ユミさんの姿で2幕始まってることに気がつく(1幕で新しい母さんしてた綺麗な人がいたから周りもスタッフさんじゃないんだなとわかった。1幕の脚本家の矢島さんがいたから、おおおお!ってなった)


劇中・舞台裏・ロビー(小田島さん達:推しの姿)タクトの多重人格の中の四場面、グルグル変わる。


リハーサルをしはじめ、

タクトの舞台がはじまっていく。

富田王様がいう「どの妹もだ!」の

言い方が好き。


舞台で荒々しい歌が聞こえる。

タクトの中のアキラの歌声。

唄い終わらぬ内にタクトにかわる。

和田タクトが外身、中身がアキラに

一瞬に代わり唄い方がかわる和田タクトスゴイ。


真凛田島さん、鯛造保田島ばあさん、

惜しい人達の登場もややこしくて好き。


鯛造保田島婆さんの身体能力、高し。


竹若小田島さんの浜村淳さんバリのまだ観てない舞台の内容を全部言おうとするのを、止める水野小田島さんのセリフ「ダメよ、全部言っちゃっちゃー」の「言っちゃっちゃー」が好き。


コーヒー休憩の時の

ウェイトレスの男性の返事のクセ、

嫌いじゃない(  ̄▽ ̄)

 

小田島の多様性を受けとめる会

 タクト激推しの小田島さん

 ホームレス小田島さん

 子どもを亡くした小田島さん

 占い師の小田島さん

 息子と生き別れた

    高校教師の小田島さん

 面白髪型がやめられない小田島さん

 もうひとり、剛力さんの小田島さん

(剛力さんの小田島さんの存在がよくわからない。多重人格の望の話し相手になる。どこで会ってたんだろう)

 

「下の名前を呼んだらいいやん」

「トイプードルは別に」

小田島さん達に言う

「威嚇せんの、威嚇せんの」

凶暴なあきらに言う

関西弁のタクトの子を身籠るゆうさん、お気に入りです。


++++++++++++++++++++++++++++++

テクタイトは隕石ではありません。

隕石衝突によって作られる天然ガラス。

隕石の高熱で地球の物質が溶け、

冷やされてできたのがテクタイトです。

テクタイトの意味は「心の開放」

詳しくいうと。

「テクタイトの宇宙からの

エネルギーを直に触れることで、

不安から解放される」

不安、心配、動揺、重圧など、押しつぶされそうになるのを支えてくれる意味があります。※ネット調べ+++++++++++++++++++++++++++

 

テクタイトの意味を何度も検索しながら、怒りや哀しみで燃え上がり、爆発した感情からこぼれ落ちて造り出した石を砕いてばら撒いて、周りに受け止めてもらえたら、石のような、壊れやすいガラスのような心は溶けていくはずなんだよ。そんな物語なのかなと思いました。

まだよくわからないところもあるけど、ふんわりとぼんやりと受け止めました。

 

印象に残った言葉

「生きてていいですよ」

「1回ハケて!1回ハケたら

生き返った事になるから!」

 

推しの小田島さん達が途中で帰ることなく、舞台を見続け受け止めていく。というか、舞台上に立ち、物語の中で、重要なポジションを演じたり、殺されてもハケて裏から戻って来れるルールの中で物語の流れを助けていく。

 

望くんと剛力さんのバックハグは、

とても優しい温かいハグでした。

 

2つの「ヒ」キゲキのポスターに「ヒ」の漢字が、火・比・飛・悲の4文字。ここら辺からも反芻したい。

 

役者さん。

剛力さんのまなざしに映る感情に魅せられつづけ。宮下さんのええ声で導かれる流れがとてもわかりやすく。真凛さんの関西弁素敵、悪王も似合っちゃう富田さん冷静沈着なキレキレ鯛造さん、婆さんもでしたね。格好いいタクトも魅せられますが、キュートな望くんに釘付け。奥様に連れ添った小田島さんも素敵、竹若さんの落ち着き、2幕とも重要なやさしさポイント高し。おかしな髪型好きの中原さんの、タクトの爆発の受け止め方見惚れました。などなど、役者さんの魅力満載。もっともっとあるなー反芻します。

 

小田島さん達が舞台に上がってからの

2幕の流れがおもしろくてせつなくて。

 

受け止めるっていいなぁ。

自分だけじゃなく周りの人のことも。

受け止めるっていいなぁ。

 

今回は観に行けないなと落胆してたけど、配信が観れてよかった。今回もしっかりがっつり、みずのさんの頭の中の物語を観れてよかった。小田島さん達が進化して生きつづけていてよかった。まだ配信期間が残ってるから、毎日楽しもうと思います。

 

2つの物語を観たはずなのにいくつもの物語を観た感じでした。セリフのいくつもにハッとしてホッとして。役者さんに魅せられて。何度も見返せる魅力の配信楽しみながら。生舞台の迫力を求めてしまう。そんな時間、すごせました。次は観に行けるといいな、舞台。

 

そうだそうだ。忘れてた。

最後ほうのみんな歌いだすクライマックス。剛力さんとタクトが下の台、動かし方ですれ違うところ、好き。途中、宮下小田島さんが参加してすれ違ってるの、すごい好き。

 

まとまってないけど、めもめも。

聖の青春、観了。
ネフローゼを背負った彼の人生を覗いて観たくなって観てみた。
彼は5歳でネフローゼが見つかり、最期は別の膀胱がんだったというが、人生を終える29歳まで闘ったという。24年間ネフローゼと共に過ごしたことになる。
幼少から闘った彼とは比べることは出来ないけれど、私は25歳から20年今もネフローゼと同居している。彼の不信感、不安感、焦り、すがりつくように将棋に打ち込む姿は、自分のことのように思えた。人の痛みの全てをまるごと知ることは出来ないし、痛みの大きさも深さも知ることはないのだけど、彼が独りぼっちではなかったことに安堵した。
支えてくれる人がいて、人は人でいられる。支えたほうもまた彼の才能に魅了されている。
病を与えたのが神様だとするのならということを彼はずっと心に秘めていたようで、願い事を問うアンケートに、神様除去と書いていたワンシーンは胸に響いた。長く病と付き合っていたら神様をうらみもするだろう。しかし自分の出来ることを貫き生き抜いた彼は神様の思惑を越え、勝ち取った命だったのではないかと思う。
貫くたったひとつのことを私はまだ持たないでいる。だからまだ生かされているのかも知れないと思った。貫くたったひとつを、それを貫く強さを手に入れたい。と思った映画だった。

「ちょっと、まってください」観劇から2日経った。

 

あれこれと頭の中でくりかえし思い出し、

いろいろくっつけながら、わかったフリを試みる。

そんなたのしい時間の最中ですが。

記憶というのは、気を抜いたらうすれていく。

忘れるの、ちょっと、まってください。と、そそくさとメモを取る。

 

結局のところ、「ちょっと、まってください」という題名は、

誰が誰に、何のために発した言葉なのか。そこが気になる。

 

ベケットさんの「ゴドーを待ちながら」は待ってる間のお話で。

そこらへんに絡ませた、声をかけた風のちょっと

進化した感じを表しているのかなとも思うし。

あるいは。物語の場面ごとに観客側が展開の突拍子さ加減に、

おもわず心の中で、つぶやいてしまう言葉だったのかもとも思う。

あるいは、物語の台詞の中で一番多く発せられた言葉のかなとも思う。

(トマッソが言ってたのしか思い出せないので、これは違うかもしれない)

 

中でも、観劇しながら自分自身、心の中で、

ちょっと、まってくださいと思ってしまった場面は、といえば。

・三番目にいいやつの絵葉書の行方についての場面

・ママゴトの続きで、現実が急速に進む場面

・トマッソが、人がいっぱいのところで人知れず撃たれてしまう場面

 (この銃声は、1,2㎝飛び上がるほど、不意を突かれたし大きな音だった)

 

時間軸のズレに、ヒントがあるように思う。

 

変化のない毎日を過ごしていた金持ちっぽい家族の時間は最初、

全く動かなくて、そのことが退屈だとみんなが思っていて。

その止まっている感じの象徴が、同じ話ばかりする忘れっぽい父で。

その父を、傷つけないように、寄り添って同じ日々をくり返す。

白塗りの顔は、死んでるように生きているとかいうイメージなのかなとも思った(最初)。

 

そして、時間を動かしていく役目を担っているのが、乞食娘のエミリーなのだと思った。

兄と妹はまるで、恋人のように見え、兄もまた、エミリーに引きずられるように時間を動かす。

 

乞食の家族(途中で亡くなる祖母、勇者父、貧血母)は、

その流れにのってるように見えながら、実はゆるぎなく自分達の時間の中で生き、

汚れた服を着ていても、いい服を着ていても、動じることなく、過ごしてるように感じた。

乞食だった勇者父は、勇者のような鎧を身に付けたことによって、勇者になった気分になる。

とともに、乞食だった貧血母は、世の中の知識を得、市民運動に興味を注ぐ。

得たもので変わりこそすれ、今までを捨てるではなく、それらをプラスしていく。

何とも頼もしい。

 

時間を動かすキッカケをもらった金持ち家族は、それぞれに散っていく。

まともじゃないような気がしていた金持ち妹は、自分はまともだと気づき、

金持ち兄は、すべきことを見つけ、市民運動にチカラを注ぐ。

金持ち母は、退屈な毎日から解放されたがっていたのかもしれない。

 

実は、この金持ち母の時間軸は、私達観客側に近かったかもしれないと思う。

自分が観ていて、ちょっと、まってくださいと思ってしまった場面には、この、

金持ち母の態度にも同じような戸惑いがあったように思ったから。

(金持ち父との思い出の先走りの時やら、ママゴトのところあたりなど)

 

自分がもしも、「ちょっと、まってください」という物語を書くとしたら、どうだろうかとも考えた。

まず「ちょっと、まってください」はどんな意味で使うのだろうかと考えてみる。

語尾が敬語なので、目上の人に使うのだろうか。

ちょっとの後に「、」があることによって、言ってる人が冷静なのかとも思う。

自分が、「ちょっと、まってください」と言ってしまうシュチュエーションを思い浮かべたら、

意に沿わないというか、相手の答えが予想と違っていた場合じゃないかと思う。

たぶん、ちょっと高ぶって、懇願するように言うんじゃないかと思う。

そして、そこに怒りがあるのなら、語尾が強めになるのかもしれないし。

えーちがうのにーって思うときは、きっと少し涙目になって言うのだろうなとも思う。

ヘラヘラと笑って「ちょっとまってくださいよー」っていう場合もあるのかもしれない。

でも、これだと語尾に「よー」が付くし、他の2つも同様に、ちょっとの後に「、」は付かない。

ちょっと、まってくださいっていうのは、ちょっと、むずかしい。

自分が書くとしたら、「ちょっと、まってください」は誰かが何かを

必死に懇願する物語になっただろう、たぶん。

 

そうか。

トマッソが台詞で何度か言っていたのは、この条件に合っている。

目上の人に丁寧に、冷静に、(自分にとっての)間違いを正す。

自分のペテンの筋書き通りじゃなくならないように、

ちょいちょい話の流れを修正してたのだ、きっと。

 

今回のこの物語は、誰も懇願してはいない。

社会風刺とか、難しい話は、よくわからないけれど、

この「ちょっと、まってください」は、

色んな場面に突っ込む、観客の声だと思う。

そして、もしかしたら、観客に、

ちょっと疑問を持つというか、そこおかしいだろうって、

もっと声を出していこうよってことを思い出させるための

物語じゃないかと思ったりしている。

 

市民運動は結局、何に賛成で、何に反対だったのか。

何で、中立派が勝利して、消毒剤を、空から降らしたのか。

トマッソに降り注ぐ、雪のような消毒剤は、どういう意味があるのか。

そこらへんはまだよくわからないけれど。

 

流れにのって、あらぬ方向に動く、出来事も人も。

 

でもそれを、まあいいかと傍観して、

死んでしまうことになってもいいのかなって。

そんなふうに問いかけられたような。

 

そんなわかったフリで、反芻着地です。

どうかな、どうだろう。

 

ちなみに。

出演者さん達の白塗り顔の中でも、選りすぐりの、

完璧な白塗り顔は、金持ち母の犬山イヌコさんだと思いました。

 

12月9日 兵庫芸術文化センター 13時開演  

上演時間:3時間10分(1幕・2幕、休憩)

 

 

別役実さんがどんな戯曲を書いているのか

全く知らないままでいるのが不安になるほど、

観劇事前検索した記事や感想に名前があがっていたので、

なんだか焦って別役実戯曲集を一冊買ってみた次第で。

その本の中で、6本の戯曲のうちの、カンガルー・象、

マッチ売りの少女は途中まで、読んだところで観劇当日となりました。

 

開演と同時に、

男が一人、語りはじめる。

風が吹いている、と。

この出だし、読み覚えがある。「象」だ。ニンマリとした。

 

ずいぶん先でもうひとつ。

エミリーの窓から侵入。

飲み物を入れて温かく迎えてくれる場面。

読み覚えがある。「マッチ売りの少女」だ。と、またニンマリ。

 

別役さんの戯曲をたった2つ半しか読んでないけれど、

その中でも感じたことを、この舞台を観て同じように感じた。

善悪の基準・嘘と真実・現実と妄想。

色んな自分の中の決めつけが、もみほぐされていく感じというか。

色んな決めつけでがんじがらめになってるほうがおかしいというか。

頭が無意識に、登場人物ひとりひとりを善人と悪人に分けようとしたり、

物語の軸はどこなんだろうかと捜したりするのだけれど、

それはさほど重要ではなく、どうでもいいんじゃないかと思いはじめる。

そう思いはじめたのに、二幕に入ると急にドス黒くなってきて悪の匂いが濃くなる。

じゃあ、どっちなんだどうしたいんだどうしたらいいんだって、決めつけたがり頭が混乱する。

 

でも終始、おだやかな空気が流れているから、内部混乱もおだやかに漂う。

おだやかであっても決して単調ではなく、物語には波があり、

時間軸も時折、前後するし、突然歌唱や、音や色でも楽しませてくれる。

雨も激しく降っていたりしたし、めいいっぱいで、目が離せなくて、

3時間なんて、あっという間なのでした。

 

それなのになぜ、おだやかな気分で観ていられるのか考えてみるとわかった。

何度も一緒の舞台を経験し、学ぶ、連帯感というか

チームワークというか、そういうのだと思う。

劇団っていうのは、こういう感じなのかー!と思った。それと、もうひとつ。

とても皆さん、声がいい。声に角がないっていうか、

まるい声って感じなのに、はっきりと聞こえる。耳心地がいい。

それもおだやかの要因のひとつなのかなと思いました。

 

不条理という言葉は、まだ理解しきれてはいない。

不条理劇というのは、わからない、何それ!?って思うけど、

そのわからないところを、おもしろがってもらえたらいい。

っていうのが、つくる側の思いであり、

観る側の受け止め方なのだろうと、

パンフレットを読みながら思ったのだけれど。

わからないことや、答えがないことが

すこし苦手な私は、隙あらば、答えを見つけたくなる。

何かしっくりくるところにはめ込みたい願望が消えない。

パンフレットの、稽古場レポートなんか読めば読むほど、

ひとつひとつの台詞にどんな意図が込められているのか、

あの動きには、あの表情には、どんな思いが込められているのか。

ぐるぐると考えて、答え合わせしたい。高得点でニンマリしたい。

そんな思いで、いっぱい。

 

わからないってことを、

わかることみたいに、

おもしろがるには、もっと

わからない未知なものを

覗きつづけるのをやめずにいると

いづれ、こういうことか~って

わからないことのよさが

わかるんじゃないかと思う。

 

 

*印象に残ったアレコレ*

・ママゴトの見物

・じゃんけんの先物取引

・結婚決めてから知り合うスタイル

・8年前の耳の検査

・猿のゴンタと人間のエミリー

・じゃんけんで決めた家族の役柄

・物忘れのひどい父の好奇心

・みんなを守るための勇者を守る決意

・狂犬病の発作

・逃げるほうが目隠し

・空から消毒剤

・全員白塗り

 

海外ドラマは、BONESからはじまって、ERやキャッスル、ナンバーズにメンタリスト。色々観たけれど、歴代1位にしてもいいくらい、観るのがたのしかった。

 

スパイに国家機密に、オタク軍団。キーワードだけ並べると、なんか突拍子もない感じだけど、内容はとても真面目なスパイSarah(サラ)と、優秀なのにくすぶってた心優しいオタク青年chuck(チャック)の恋愛話を軸に、周りも巻き込まれて、段々チャック色に染まって優しいスパイでいっぱいになる話(ちょっと違うか)。

 

スパイには感情は弱点になるのに、重要なところで感情が役に立っていたりして人間味あふれる感じだった。アクションも素晴らしく、スカッとする。5シーズンの間で。チャックと親友のモーガンは自信がついて逞しくなり。スパイのサラとケーシーは、感情を持つようになって、人間らしくなって。なんだか面白い配合を見せてもらった。チャックとサラの惹かれあっていくサマは、2人の役者さんの表情で感じ取れ、とても上手な方達だなと思った。

 

脳に国家機密やカンフーや世の中すべての情報を入れたり出したりしてるうちに、記憶をなくしたりしてしまう。主人公の2人の最後は、哀しいような嬉しいような、ハッピーエンドのようなそうじゃないような、そんな曖昧さがあって、せつない。でも希望も持てたりして、観る側にゆだねたラストだった。記憶を失っても、忘れていても、そこからの物語をまたはじめていけばいいんだと教えてもらった気がした。ステキなドラマでした。

 

 

追記

ずいぶん前に作られた(2007-2012)このドラマを、たまたま1シーズンを観はじめて以来、なんだか無性に、どうしても最後まで観てみたいという気持ちが抑えきれずに、イッキに5シーズン観終えてしまった。日本で放送され始めた頃じゃなく、観るタイミングが「今」だったのは、やはり、必然だったように思う。

最後の最後に、サラが記憶を失ってしまう。5年間かけて作られたこのドラマの中で、5年の歳月が流れていて、その5年分の記憶をサラは失ってしまう。戸惑い。サラはチャックのもとから去ろうとする。それでもチャックは、放っておかない。あきらめずそっと寄り添う。チャックという人は、家族にも友達にも、関わった人すべてを、放っておかない。寄り添って救い出してくれる。それはもう、誰よりも特別なサラを、見捨てたりはしないのだ。本当に格好いい。

 

ちょうど今、私の身近な人が、ゆっくりと、でも確実に、記憶が失われつつある。いずれ、私のことも忘れてしまうのだろう。そんな今だからこそ、このドラマを本能が観ろといったのだろうとか思う。こじつけだと言われれば、それまでだけど、こじつけでもいいの。

チャックのように寄り添うべきだよと、そういわれているような気がしたのだもの。

あきらめそうになる毎日の中で、弱気になってしまう日もあるけど、

チャックのようで在りたいと思う。

 

観るべきときに、観るべきものを、観ることが出来て本当によかった。そう思えたドラマでした。

 

 

 

プロペラ犬第7回公演【珍渦虫】

作:連行おい/えのもとぐりむ 演出:水野美紀

2016.10.27(木)〜11.8(火) 下北沢 ザ・スズナリ 

11.5(土)13:00開演の回を観劇。

 

<出演> 
ノゾエ征爾(はえぎわ) /伊藤修子(拙者ムニエル) /猪塚健太(劇団プレステージ) 
福永マリカ /井内ミワク (はえぎわ) /水野美紀 /福澤重文(かくたすのいるところ) 
宮下貴浩 /米村拓彰 /平竜/ 坊屋たいと 

 

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人間は、自分の認識機能のうち、5パーセントしか気づいていないそうです。

残りの95パーセントは意識の向こう側で進められている。無意識下で。(中略)

人間ひとりひとりが、まるで深い海のように広がる「無意識」を持っていて、

生きていくために不必要(と脳が判断した)な情報を日々投げ込み沈めてる。

(中略)「珍渦虫」はあるトラウマを知らず知らず無意識下で増大させている男の話です。

まるで深海で誰にもその存在を知られずに巨大化していく深海魚みたいに。

 ~プロペラ犬『珍渦虫』特設WEBサイト:水野美紀さんのメッセージより抜粋~

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開場して、左手のBの4番の席に座る。

椅子の上には冊子くらい厚みのあるチラシが置いてある。

それぞれ1枚1枚、紙の分厚さ・写真や絵と文字の配置など、

すべてにおいて違いがあって。ひとつひとつの公演が、

大切に考えられているのが伝わってくる感じが、

このチラシの重みに現れていると思った。

舞台を確かめると、とてもいびつな形の舞台だと思った。

私の座ってる側は舞台が狭くなっていて(後でそれは文字を映すスクリーンであったことに気づく。途中で空間が広くなる)、前のほうには穴が空いている。

右のほうは少し奥ばっていて、この座り位置からは全部は見えない。

見えない場所があるのは少し残念とか思って座っていた。

右前に置いてある金魚鉢が気になってくる。何匹居るのか、メガネをかけても、

目を細めても見えないなって思いながら、BGMの童謡に耳を傾ける。

童謡は「おばけなんてないさ」と「山口さんちのツトムくん」にテンションあがる。

そうしていると、開演前のアナウンスがはじまる。たどたどしいボケまくりのみずのさんだ。

すべての言葉に反応し、優しく突っ込む福澤さんの声。ほんわかした。

 

舞台の最初のシーン。

文字をキーボードで打ち込むと同時に

物語の中の人物がその通りに動いて話し出す。

物を書く人の頭の中で繰り広げられているあろう

妄想の世界を観客が疑似体験できる、スタートのシーン。

人の頭の中を覗くってことを見事に表現してると思った。

まさに書いてる人の書いてるその瞬間の頭の中を観れているのだから。

そのシーンをまた、想像しながら書いた人がいる驚き。

鏡の中で鏡を見ているみたいな感覚にしびれた。

 

物語を書いている現実の世界

物語の中の世界

物語を書いている主人公のトラウマの世界

物語は、3つの世界の中をユラユラと漂いながら進む。

 

書いている文字を追いかけながら、金魚鉢の近くで魚が女の子になるのをみる。

たのしそうに笑い、うんここうんこのしりとりで、うんこなのに、ほんわかする。

このシーン、もっとこの2人を見ていたいくらい好き。この物語がどう進んだのか気になる。

 

シャキシャキとした編集者の沼袋さん。

引きこもりだけどデビューしそうな作家先生、桐生たくみ。

立場の強さの矢印は、沼袋さん>桐生たくみ。

 

JK2人組。男性がJKに見えてくるのは不思議。

姪っ子が実際に現在高3JK。文化祭で、今ブームの刀の話のマンガをパロったものを寸劇でやっていた(合唱部の余興)時に確か「ござる」とか言ってたけれど。

実際の姪っ子JK達よりも女の子女の子してた男性JK。

個人的に、福澤JKのスカートからのチラチラパンチラが気になって。

次に出てくる福澤JKのパンチラをむしろ期待してしまった。

 

物語の中のイケメン&可愛系女子が出てくるたびに色が違った。

とても華やかで眩しい感じ。キラキラしてた。

イケメンは極端にやりすぎるとたのしいということもわかった。

毎回のキメの時の足の振り、ターン、首の動き・キメ顔。

相当な体力の消耗だろうとオバサン的には心配になりながら見惚れた。

お尻が痛い動作さえも格好いい。すばらしいふりきったイケメン。

可愛系女子は、喜怒哀楽、動きのしなやかさ、すべてが元からこの人の自然な動きがそうさせてるんですというくらいの毎回の舞台で繰り返されているとは思えない自然な動きや表情で感動した。

 

グリンピース隊は、かわいいけれど、少し怖かった。

はじき飛ばされて忘れられた存在として出てくるのだから、

可愛く踊っても、全身タイツだったとしても、

可愛く愉快なだけじゃない感が漂ってた。

そんな風に見えてしまうのは、たぶん私が、

グリンピース苦手だからだと思う。

観劇から3日たった今も、気づけば、

グリンピースを食べよ~って歌が頭の中に流れてくる。

たぶん、苦手は苦手なんだけど、気に入ってるんだと思う。

全身タイツで左右に揺れるあの踊りが、目の前に現れて

今もエンドレスに踊っているのだから。

 

それにしても、グリンピース隊の3人の方は。

幼い頃の作家先生の太郎くんも。

礼儀正しいストーカーさんも。

最後の最後で出てくる沼袋さんの息子さんも。

出番は少なめだけど、とても印象に残る。

沼袋さんの息子さんは、最後に出てきて、

沼袋さんにバイト代で買った、事故に遭った父と同じ時計のプレゼントを持って、

はにかみながら立っているシーンは、台詞がないけど、すごく印象に残った。

礼儀正しいストーカーさんは、会ってみたい親切な人だったな。

 

執事のスギモトさんは、一体何者だったろうか。

漁師のようないでたちで海のすべてを知る男風な立ち位置で。

彼は一体何者だったんだろうか。

確か物語の世界の住人のはずだけど、どうゆう存在で捉えたらいいのかわからない感じで登場する。彼が出てくると、安心した。観ていてホッとした。なんなんだろうか。じっくり考えたい。

 

宮下さんの声は、やっぱりいい声。

グリーンピース隊とセットで出てくるDJさんは、あっというまに居なくなってしまうけど、声の余韻が空気中に漂っていたような気がして、不思議。

 

昔、物語を書いていた男の子、太郎(今の作家先生)。

それを読んで気に入ってた女の子、吉川さん。

物語を褒めてくれたという想い出が、

無意識の中で物語のひとかけらになっている。

他のかけらもひとつひとつ捜すと、

昔の想い出につながっている。

グリーンピース・母親・魚・愛してるという言葉。

 

人に対して「よかれと思って」することは、

押しつけになっていたり、伝わっていなかったり、

伝えようとしなかったり、根本的に違っていたり。

 

それでも。

どんな関係でも誰かを慕ったり気にかけたり、

大切に想うということが、愛なのではないかと思った。

親子のカタチ、愛情表現の仕方、善悪の判断。

いろんな関わり合いが見えてきた。

 

母への愛。家族への愛。亡くすことへの恐怖。

 

闇を認め、自分を受け入れる

生きてくには、そんなキモチが大切。

 

そうするために、背中をポンと押してくれる

おせっかいを焼いてくれる、よかれと思ってをかってでてくれる

吉川さんみたいな人がいてくれるといいなと思った。

 

闇やトラウマ、思い出したくない出来事なんかを

乗り切らないと、認めないと前には進めない。

それを力を貸して手伝ってくれるってことが愛情なのかな。

 

泡ブク、沈んでく音。地面をうごめく物体。

実体化してはうごめく物体に飲み込まれていく。

ブクブクと沈んでいくような気持ちになるのは

プロジェクションマッピングというものみたいで。

そこにないのにあるような、幻想的な。

そんな空間がそこにあった。

水の粒が舞台全体に広がっているサマは、本当にキレイ。

自分自身、カナヅチで泳げないので、深海なんて聞いただけで

足がすくんでしまう感じだけど、この海ならそこのほうまで沈んで、

下から上の水面を見上げてみてみたい。

 

対の見つからないくつした。荒ぶる感情吸収粘土。

今度、動揺してしまったら、あんなふうに粘土使おう。

 

キレッキレの全員ダンスは本当に格好よかった。

前のほうの席だったので、迫力が伝わってきて圧倒されたけど、

出来れば、このダンスだけは、もうすこし後ろの席で見てみたかった。

踊ってる舞台全体を見てみたいって思った。

でも前の席でオトクだったのは、イキイキと踊ってるひとりひとりの役者さんのたのしそうな顔が見れたこと。

 

ノゾエさんと伊藤さんの存在感は格別で。

海でいう凪の状態のような空気を保ちつつ、感情の変動が見て取れるというか、伝わってくる不思議なノゾエさん。下唇を突き出したりする表情がなんとも愛らしい。いやらしい感じが全然しなくて、終始、やさしい。あらぶってても、やさしい。

伊藤さんの吉川さんは、人間が弱いからだんだん強くなっていく変化を、あの2時間弱で見せてくれた気がした。主人公が隠して逃げてた部分に向き合う勇気をくれた大切な存在。「よかれと思って」をやりきる強さはすばらしい。

2人の物語を変わりばんこに打ち込んでいくシーンは可愛くて好き。

 

愛がテーマというけれど。舞台全体のイメージは青色のような気がして。

人の組み合わせごと、場面ごとに、ガラリと色も速度も違ってみえました。

ノゾエさんと伊藤さんは速度がゆっくりになり。

福永さんと猪塚さんはキビキビした感じ。

グリンピース隊はガチャガチャと賑やかで。

沼袋さんは生き急いでる感じの早さでした。

JKコンビはキャッキャしてきらめいて。

井内さんの場面だけピキッと氷のイメージでした。

 

みずのさんに魅せられていつも拝見しているのだけど。

強い人・可愛い人・孤独な人・憎めない人・弱い人・面白い人。

いろんな役をみせてもらっていますが。

「マクベス」を読んで以来、マクベスの妻のような。

【強いんだけどタガが外れて壊れかけて弱さが露見する】ような役を、

みずのさんが演じたらどんな感じだろうかと思っていました。

今回のみずのさんの役が3役。その中の2役の母親。

夫を事故で亡くし、子どもまで亡くしたくないから、子どもを

家から出ないようにして引きこもらせる母親、沼袋さん。

主人公の叔父を毒を盛って殺し、実母も死に追いやった、

保険金目当ての金がすべての凶暴な養母。

養母は迫力満点で、もう救いようのない悪役でしたが。

沼袋さんは、マクベスの妻のような、強くて弱くて愛のある人でした。

 

救い出したい助けたい。そんな気持ちも愛であって。

守りたい守り抜きたい。そんな気持ちも愛であって。

 

いろんな愛のカタチ、観せてもらいました。

母の愛は海より深く、どこまでもつづく。命尽きても。

ありがたい。

愛は自分も、ちゃんと持ってる。って、この舞台を観て、わかってホッとした。

人に対して「よかれと思って」することが、ちゃんとよかったことになってよかった。

 

観終わったばかりの時には、最後の「愛してる」言葉が心に響いていて、

感動がそこにあったのだけれど。時間が経つにつれ、じわじわと自分の中の想い出や過去の感情が渦を巻いて動き出し、1日のうちに、やたらと何度も涙目になっていて自分でも驚く。自分の気持ちに向き合って、見ないようにしていた部分を観ざるをえない。そんな感じにされてしまった舞台だった。

虫を飲み込んでダイエットするみたいなのが何となく浮かぶ。

珍渦虫は、観終わったら想い出や過去の感情をかき混ぜながら浄化してくれる舞台だったのかもしれない。観れてよかった。

本当は、観はじめる前は、男女のソレの愛についての物語なのかと思っていたけれど。

ソレよりも母や家族、そっちの絶対的な愛のほうの比率の高い物語だった。

男女のソレは、よくわかってないから苦手分野だけど。こっちの愛はいつだって、ありがたいと全身で絶えず感じられています。この愛はちゃんと持ってる。

 

ちなみにうちの母は。

抱きしめたり手をつないだりしない。

当然、愛してると言うこともない。

階段上りの背後からのカンチョーと。

あくび途中の口の中へ指3本くらい入れてくるという、

隙を許さない、変わったスキンシップをする人だ。

でも、どんな時でもそばにいてくれて、心に寄り添ってくれるのだ。

言葉には出さないけれど、さりげない態度がやさしい。

そんな愛を、ありがたいことに私はちゃんと持ってる。

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かくたすのいるところ
第2回公演『アンダードッグ』
~ロマン主義スケッチ集~
2016.3.16~3.20 
上演時間:1時間45分くらい

脚本 連行おい/えのもとぐりむ
演出 水野美紀

出演
かくたすのいるところ 水野美紀 えのもとぐりむ 福澤重文 宮下貴裕
GUEST      富田翔  皆戸麻衣 粕谷佳五 水原ゆき オザワミツグ

2016年3月19日 下北沢小劇場B1(下北沢)昼公演 観劇。
去年に引き続き、(姪っ子誘ってみたけどフラレたので)ひとり日帰り東京観劇。
劇場が地下で。舞台を囲むようにしてのL字型の客席で今までにない造りでした。

水野さん欠席の回の観劇。他の日は、ほぼ参戦とのことで、そう聞くと残念というのが本音。
前公演も欠席の回だったので、かくたすでの水野さんの姿を拝見するのは、もしかしたら
これからも無理なのかなと、何かとタイミングの悪い私は思っていたりしています。
(唯一の雨降りの日でもあったからね。そして夜の回は雨じゃなかったし)

ぴったんこに予定があって出席回を拝見出来たとき、喜び倍増なはずなので。
そのときが来るまで、何公演も観続けられたらいいと思います。

この公演で。
出来る限り、大切な仲間と共に出演参加したいのだという
水野さんの熱い想いというか、心意気を感じ。
その行動こそがロマンなのかなとも思う。
やりたいことをやりきる姿勢、とてもいい。

でも、観劇は満足。
あの小さな空間と1枚の赤い布で色んな物語に連れてってくれました。
舞台上で、動揺の余韻の波が、押し寄せてきても、
魅せられる、考えさせられる、笑える。熱量の高い2時間弱でした。

隠しきれぬ動揺は、物語の中で、自分の名前が連呼されるという経験、笑。
いや。全然自分のことじゃないのはわかってます、でも名前よばれちゃー動揺する。
ありきたりな名前なんで、そんな物語があっても全然不思議じゃないんですがね。
ドキドキしました。いやはや。それはなんでかっていうと。

この舞台を観ることになって。
【アンダードッグ】【ロマン主義】【愛】
この3つのキーワードを頼りに、毎度観劇をする前のタノシミとして、
いろんな妄想や予想やイメージを膨らますのだけど。

アンダードッグは負け犬。
ロマン主義は調べたけれど、ぼやっとしかわからなくて。
3分でわかるロマン主義:http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1034338347.html
ロマンだと「夢・冒険」ロマンス・ロマンチックだと「愛」のような気がして。
(ネットで調べたらロマンは「空想的、理想的、感情的な考え方」みたいです)
テーマは「愛」というつぶやきを見つけて、自分イチ苦手な分野だーと困ったりして。


結局、愛を知るために。
とりあえずラブソングを聴こうと選んだのが、SMAPの「好きよ」。
その曲の中で歌い出しの香取慎吾さんの声が好きだなーと思って、
リピートに次ぐリピートで聴きまくって、なんか相当な
アイラブユー的な気持ち、つくってからの観劇で。

《ジュンコがシンゴと恋仲になって結ばれず死んでいく》
というロミオとジュリエット風の悲恋が軸になって物語がすすむ。

参りました・・・ジュンコなので私。びっくりっぽんです。
動揺したので、今回、詳細な物語の流れが飛んでしまいました。
でも、うれしいもんです。すっごいべっぴんさんが自分と同じ名前で。
しかもイケメンシンゴに愛のこもった「ジュンコジュンコ」と連呼されるのは。
いい記念になりました。5年は寿命伸びました。確実に。

なので、所々飛んでますが、観劇記念の覚書。


死にそうなくらい働きつづけてくったくたな若者たち登場から物語がはじまる。
男4人+女1人(だったかな?)1人が誕生日らしく仕事の合間に集まった様子。
どうやらみんな、〇き家の各店舗の店長らしい。
1人がマサヒロ。1人がゴロー。1人がシンゴ。タクヤもいたっけな(ココ曖昧)
ツヨシがどうやら辞めたらしい。ん?ん?〇MAPじゃーね(◎。◎)?
ジュエリーさんという雇い主のおじいさんにこき使われてる。みたいで、笑。

えらい旬な題材で物語がすすみ。

ジュエリーさんの孫娘がジュンコ。
婚約者がいるのに、シンゴと会った時から惹かれあう。
ジュエリーさんの反対。
そしてジュエリーさんの手下の勘違いで。(社会的に抹殺を殺してもいいと勘違い)
最後はみんな死んでしまう。ジュエリーさんは心臓発作かなんか。
(ちなみにジュエリーさんの姓は、小田島だと思う。小田島たちに看取られたから)

ジュエリーさんの店で働いていた人達は、実は劇団員で。
先に辞めていたツヨシは脚本家で。
そこに15分だけタイムスリップしてきたシェイクスピアが現れる。
ニコニコっとしてお茶目なシェイクスピアは自分の時代では食べられない
牛肉の入った牛丼をもらった代わりにツヨシの戯曲にアドバイスする。

悲恋もみんな死んじゃうのも、劇だったという最後(だったように思う)
ツヨシが言う「最後はみんな死ぬ、それがロマンだ」と。

あと。小田島さんの物語も旗上げ公演のつづきが観れました。
小田島さんが甘酸っぱい恋をして、小田島の会が、
「働かせる会」から「看取る会」になったこと。
小田島さんが実は末期ガンなんかじゃなくて残り寿命は40年ってこと。
小田島の会の発足のきっかけは「ペットロス」だったこと。
いろいろなことがわかってきました。

個人的には、おにぎりの話、好き。あったかい気持ちになりました。
でっかい雪のおにぎりも、ぎゅっと握りに握った小さなおにぎりも、いい。
私は三角おにぎり派なので、それも嬉しかったりした。

【牢獄の遠吠え】
【バンドワゴンにクィーンは乗らない】
この2つは、えのもとぐりむ脚本でした。

【牢獄の遠吠え】は独特な物語でした。

不倫&横暴な態度の夫がベッドで酔いつぶれている。
昔、足蹴にされたことのある、夫の部下らしき男が、
妻に寝ている夫をナイフで殺せと迫っている。

不満の渦の中にいるであろう妻は、殺そうとはしない。

殺せば。自由になれる。
勝者になれる。と妻をけしかける部下。
それでも殺そうとはしない妻。

夫を殺せば、僕が奥さんを殺して、子どもも殺してあげる。
現世では元には戻らない家族。天国で、しあわせになれ。

妻、ついに承諾。
夫の胸を刺す。妻も部下に刺される。
子どもを刺しに姿を消した部下。

夫、目を覚ます~妻も傷ひとつない。
夫、横暴な態度、妻、おびえる。~終~

妻の願望的空想か。
ネットで調べたロマンの
「空想的、理想的、感情的な考え方」
にあたる物語だったように思う。


【バンドワゴンにクィーンは乗らない】

「バンドワゴンに乗る」とは、
時流に乗る・多勢に与する・勝ち馬に乗る、
といった意味である。*Wikipedia調べ*

元バンド仲間の2人、クィーンとプリンス。
クィーンは場末の舞台で歌を唄う。
プリンスはバンド解散後、CMなどに多数出る爽やか人気タレント。
ある日クィーンの元に変装したプリンスがやってくる。
昔、2人が付き合ってた頃の写真が明日週刊誌に載るという。
ごまかし口ぐらを合わせてくれないかとプリンスは頼む。
クィーンは拒むけど、やがて受け入れようとする。
そこへプリンスに想いを寄せるアイドルの女性がやってくる。
写真をリークしたのは自分だという。プリンスを手に入れたいばっかりに。
クィーン。実は男性。バイセクシャルのプリンス。
イメージを取るかクィーンとの愛を選ぶか。プリンスは悩む。
自分と付き合ってと迫る女性と接して、クィーンは自分が男だから悪いのねと
ナイフを手に取り自分のイチモツを切ろうとする。
そこまでするクィーンをみて、クィーンへの愛が本物だと気づくプリンス。
結論が出るか出ないかのもみあいの最中にナイフがクィーンに刺さってしまう。
息を引き取り、プリンスも自ら命を絶とうとする。
その瞬間、死んだはずのクィーンが起き上がり、2人でダンスする。そんな物語。

バンドワゴンに乗らないクィーンの、
自分をごまかさず生きようとする強さが
とても格好いいと思いました。

いろんな言葉の意味、キーワードつなぎあわせて。
愛のカタチはいろいろ。正解なんてないのだと思った。

欲・執着・エゴ・自己満足。愛もつきつめていけばそんなところにたどり着く。
それが双方意思の疎通が出来てたら、抜け出せるのかもしれないし。
そこで終わるか、その先に行けるかはそこにカギがあるのかもしれない。

終着点があるとしたなら死をもって。
ということになるのだろうか。
命果てるまで誰かを愛することが出来たら、
それこそがロマン。ということなんだろうか。

むずかしいな、愛って。ロマンって。
愛に負けてしまった者達、愛に溺れた者達ってことで、アンダードックなのかな。

【目を引いたもの】

物語の中で目を引いたのは。

赤い布を使った場面転換。物語の区切り目に、
サッと赤い布が広がってカベをつくる。
誰か1人演者さんが仕切られたカベの客席側に取り残される。
それも必ず、恥ずかしそうに、笑。
すぐに布の向こう側に行くのだけれど。
そのちょっとした時間が、目を引いて気づいたら次の物語がはじまる。
真っ暗になってまだかなーと、ちょっとの時間を、
長く感じて待つのもドキドキ感があるけど。
はみ出されて、ちょっと素に戻った風な演者さんの姿を観るのも
なんだか新鮮な感じがして、とてもおもしろかったです。

あと。演者さん達のアレコレ。

宮下貴裕さん
前公演の時も様々な役をされていて全部違う人に見え。
なんというすごい役者さんがいるのだなと感心したのだけれど。
今回もパワーアップして、いろんな役をしていました。
しかも今回はいくつも強く印象に残っていて。
今公演の印象に残ったキャラクターを挙げろと言われたら
ジュエリーじいさん・シェイクスピア・プリンスは入る。
特にシェイクスピアは某CMの鬼ちゃんのように軽くて、
笑顔がチャーミングで、とても魅了されました。
あのひとの物語がスピンオフであってもいいくらい。

富田翔さん
全身どこみても男前の人が世の中にいるんだなと見惚れてしまいました。
けだるい感じに見えるのに、時にしゃがれ声で渡部篤郎チックであったり。
スパイだった苦悩のゴローも。無邪気な子どもっぽい双子弟と権力強い双子兄も。
ゆっくり目ジカラのある神父も男前だけじゃない多彩な部分も魅力的でした。
特にクィーンさんはスカートにカツラ、ストールだけで見事に色気が漂い。
舌っ足らずでも、もう、もの悲しさ漂うクィーンさんにしか見えませんでした。

皆戸麻衣さん
富田さんとは対照的に、こんなにも自然に、
その人そのものに見える役者さんに驚きました。
お付きのおばばもおばばにしか見えず。(朝が来たの梅さんのようでした)
夫の暴力に耐え忍びつづけている主婦もそうとしか見えず。
おばばだった人のはずなのに、小田島が恋する看護師さんはもう、
優しさの滲み出る看護師さんにしか見えませんでした。

えのもとぐりむさん
何となく前公演の狂気的で可愛らしさもあるコックさんのイメージが、
頭に沁みついていたのですが、脚本家のツヨシはなんだかとても爽やかな好青年。
小田島達のリーダーで、はっちゃけつつ。1番印象に残ったのは、
ジェリーじいさんの命令を勘違いして色んな人を刺殺してしまった手下でした。
なんて狂気が似合うんだろうと思ってしまいました。あの人がもし、
自分の目の前にナイフを持って現れたら、抵抗しないで腹を出すって思いました。

粕谷佳五さん
前公演に引きつづき出演され。小田島達の中にはなくてはならない人です。
小さな声でつぶやくセリフや、宮下小田島との掛け合い、オカマさんの動き、完璧です。
牛丼太郎(かな?)の息子役の時は、もう、あの、分け目のチェンジの印象がつよく。
しばらく分け目チェンジの人として頭の中で遊ばせたいと思います、笑。

水原ゆきさん
すいません。こんなキレイカワイイ方が自分の名前の役をやってるってことだけで、
テンションが限りなく上がってしまい、どんな方か把握する前に終わってしまいました。
また、違う役でお目にかかるのをたのしみにしようと思います。って思ってたら、
クジラの歌のDVDでお見かけしたような。じっくり見直したいと思います。

オザワミツグさん
イケメンシンゴという認識では、ドキドキしてたのであまり覚えてないのですが。
「牢獄の遠吠え」では、とても狂気的な怖さを感じる役者さんでした。
もう殺すしかないという気分にさせる緩急をつけた会話に、
華奢な体から想像つかないような、大きな低めの響く声をのせ。
悪魔や死神がいるというのなら、こういう人かもしれないなと思いました。

福澤重文さん
小田島さんに会えた喜びは今回の目玉だと思います。
そして相変わらずの人の好さで、ひと山分の雪のおにぎり作ったりして。
スローモーションと何か懐かしい歌謡曲(たぶん和田アキ子さんの曲)のセットは、
みずのさんのニオイがぷんぷんしているたのしい時間でした。
末期がんじゃなかったので、また逢える日をたのしみにしておけます。
そしてもうひとつ。ビックリして胸がざわついたのは、ワルワル暴力不倫夫役。
完全にいい人と頭の中で商標登録を済ませた感があったので、動揺しました。
そしてオカマちゃんおじさんの笑い方&腹たたきは、永遠に不滅です。

スタッフの方も。
前回公演で訪れたときも思ったのですが。
すごく丁寧で、親切で。とても気持ちよく観劇できました。

いい時間をすごせて満足。ありがとうございました。

えのもとぐりむ作品集ロングラン公演が3ヶ月も行われているというのに、
残念ながら1度も行けそうにないけれど、どうしてもその世界覗いてみたい!
という気持ちを抑えきれず、ネットでDVDをGETしてみました。

かくたすのいるところで拝見して以降、
その役者さん達が、普段はどんな役を演じていたりするのか?
どんな世界を創っているのか?いろいろ気になっていて。

ちなみに。
えのもとぐりむ作品集の中で、題名だけで、もう、
気になって仕方がない作品がいくつかあって。
せっかくだからそれを挙げてみておこう。

・囚われの竜
・クジラの歌
・いぬの骨
・猿の類い
・七面鳥の追憶
・黒い羊の仮設

その中で。
クジラの歌のDVDをネットで見つけた。
長い間眺めてたけど、ようやくGETしました。

kj


東京から沖縄に向かうフェリー乗客の話。
フェリー内でシージャックの人質となる。

実は乗客は、偶然乗り合わせたのではなく、
ネットで誘われた自殺願望のある者ばかりで。

実はシージャック犯のリーダーは、
余命いくばくもない病を抱えた青年で。

うすれゆく命。
捨てようとする命。
救おうとするキモチ。

逃げ道・あきらめ・やり直し・限界。
いろんな理由で生きづらい現実から
逃げ出したくなるけれど。

生きたくても生きられない人がいて。
助けたくても助けられないこともある。

命を懸けて世界を変える。

自己満足に過ぎないかもしれないけれど。
すてきなことをやり遂げた人たちの物語だった。

世界は広くて果てしないけど。
誰かの世界からなら、
変えていけるかもしれない。

ゆったりのんびりクジラのように。
大きな気持ちで生きればいいんだよ。

そう言ってくれた主人公。
その想いを支えた周りの人達の絆。

それを受けて。
あの乗客達はどうなっていくんだろう。

+++++++++++++++++++

生きてていいのかなって、
何度か思ったことがある。

そのたびに思い出すのは、
入院中に知り合ったおばさんの死。
死にたくないと泣きながら死んでいったおばさん。

自ら命は絶つのだけはよそうと
思い出すたびに思う。

この物語を観て。
なんだかおばさんを思い出しました。

++++++++++++++++++++

命にふれて命を感じる。
そんな物語。観れてよかった。


あ。最後に。
瀬美という青年を演じた
本川迅さんの声、すき。
かくたすのいるところ旗上げ公演「オオカミとイヌ」
役者さんについて(えらそうですが)覚えておきたいこと。色々、書きます。

水野さん以外の方は、ほぼ初見だったので。
ネット検索したりなんかして少し知ってた程度でした。



えのもとぐりむさん
えのもとさんの「フクロウガスム」の本を知って手に入れて読んだのが正月でした。
コワイような哀しいような肝の座った感じの世界に引っぱられました。
どんな人が書いてるんだろうと写真をネットで拝見したら、こわもてな感じで。
山田孝之に似ていて、とてもダークなイメージで低い声でボソッと話すのだろうと
勝手なイメージを作り上げてからの、観劇。

しょっぱなのコックさん。小田島たちのセクシーサングラスさん。
とてもとてもイメージが崩れました、笑。
はっきりと聞き取れる柔らかい声で、ゆっくりと甘えた感じの喋り方のコックさん。
表情の切り替わりがすごくて、今まで甘えてたようなのに突然、狂気に変わる。
コロコロ変わる表情に目が離せませんでした。
小田島たちのセクシーサングラス(勝手に命名)さんは、すっかり振り切れてた、笑。
ムキムキな体に胸がある・・・強烈でした。
本当は、もっとクールな役者さんなんだろうかな。水野さん演出で変身したのかな。
劇団ベースボールでの役者さん姿も覗かせてもらいたいと思いました。
ずっと、「クジラの歌」が気になっていて、DVDいつか買う。


宮下貴裕さん
ツイッターで流れてくる練習風景の写真で、背が高くて目が小さくて。
とても特徴のある方だなと思っていました。フタを開けてみてビックリでした。
6つの物語の5つに出演されているのに、全部違う人に見えました。
物語が変わるごとに、次々と別人が現れて、カメレオンみたいな役者さんだなと思いました。
調べてみれば、バンドでボーカルもされているとか。なるほど確かにいい声だった。
Mister howls 「Desperado」https://youtu.be/YIR3_bjBEbE
昔はお笑い芸人だったとも。笑顔がとてもカワイイ。いくつの顔を持ってるんだろう。


福澤重文さん
小田島かずゆきさん。もう小田島さんでインプットされました、笑。
この旗上げ公演のチラシを見たとき、コワそうだと思ってたんですが。
ツイッターで流れてくる練習風景の写真は優しそうでひょうきんな感じ。
オオカミのほうじゃなく、イヌっぽいなと思っていました。
観劇してみると、第一声がとてもいい声で。声にも丸みがあって、
この人のどこを切ってもやさしさが出て来そうだと思いながら観てました。
それが、小田島かずゆきだからなのか、福澤さんだからなのか。
また別の作品を覗かせてもらったらわかるのかもしれないなと思いました。


真凛さん
井上真央さんに似てる可愛らしい人だなーという第一印象。
でも違いました。肝の座りかたがというか、思い切りの良さがというか。
振り切ったときの迫力が、半端なかったです。全力のマッサージに、全力の庭仕事。
なにか落ち込んだ時に、あの全力姿を思い出したら元気出そうです、絶対に。
白い衣装はとてもお嬢様っぽく映り、そこからのギャップが印象的でした。


木乃江祐希さん
妖艶な不倫相手に小田島かずゆきの妻。働く男の反抗的な娘にベトナム人。
観劇された人の感想ツイートに「登場されるたびにぱっとあかりが灯るようだ」
とあったけど、まさにその通りだなと思いました。華やぐ感じ。
本来の自分とは違う役に挑戦したとご本人がツイッターに書かれてたので。
他の作品でも、またお見かけしたいなと思いました。個人的にはベトナム人好き。


中村隆太さん
アゴがね、インプットされてしまって。アゴを強調することで、よりイライラもUP。
ああいう若者にしか見えなかったもの。イケメンのおもいきり。すばらしい。
引きこもりだった青年は、少し自分に通じるものがあって、胸に刺さりました。
老人の淡々と物語を語っていくのと。最後の小田島たちの小田島ちゃんと。
小田島ちゃんの時とアゴ後輩の時に、うなずき合う芝居、好きでした。


粕谷佳五さん
なんといっても、しぐさというか細かい動きに目がいきました。
椅子のあるところのまじめな男、感染のハイテンションな会社員。
小田島たちのたのしそうな小田島さん。どれも動きに目がいきました。
最後の最後、小田島たちの時のオカマちゃんのしぐさが一番、らしくて。
暗転してから、カーテンコールのときの足がオカマちゃんをキープしていて。
目と目を合わせるのひとつ取っても、首の動かし方、手足の筋肉の動き、
なんせ全身の動かせかたが、他の人とは違って見えました。
殺陣とかしたら格好いいんだろうなーと思ったりしていました。


えらそうなこといっぱい書いちゃった。失礼だったらごめんなさい。

で。思ったことは。お芝居が終わってから、待って写真を撮ってもらえばよかったと。
そんなんしていいって知らなかったから、速攻、帰っちゃってた。もったいない(T^T)
でも、面と向かってここに書いたような感想を話せるかと言ったら緊張して無理なので。
あれでよかったのかもしれんと思うことにします。

ああーたのしかった。
またお金ためて観に行こ。

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