かくたすのいるところ旗上げ公演
2015.7.8~7.12 上演時間:1時間40分
脚本 水野美紀 えのもとぐりむ
演出 水野美紀
出演
かくたすのいるところ 水野美紀 えのもとぐりむ 福澤重文 宮下貴裕
GUEST 真凛 粕谷佳五 中村隆太 木乃江祐希
2015年7月9日 シアター711(下北沢)昼公演 観劇。
東京でのみの舞台だと聞いて、無理やり休みを変わってもらって9日を確保。
次の日は仕事が入ってたので、日帰りで往復8時間の旅。
プロペラ犬の舞台を大阪に何度か観に行ったことがあるけれど。
大体200人くらいの観客席だったのだけど、今回は80人くらいの客席で。
より近くで観ることになるんだと、舞台が始まる前からテンションあがる。
水野美紀さんの舞台をいつも観に行ってたのだけれど、ご本人の出演は無しの回。
それも初めての経験なのだけど、脚本・初演出でどんな感じなのか、どうしても気になる。
「オオカミとイヌ」~不条理スケッチ集~
6つの物語からなる、ディスコミニケーションをテーマにした短編集。
1「コックの渇求」 脚本:えのもとぐりむ
2「小田島かずゆきと後輩1」 脚本:水野美紀
3「感染」 脚本:水野美紀
4「小田島かずゆきと後輩2」 脚本:水野美紀
5「椅子のあるところ」 脚本:えのもとぐりむ
6「小田島かずゆきと小田島たち」脚本:水野美紀
以下、感想。
6つの物語に共通してるのは、コミカルなのに、深いテーマが見えてくること。
それについて究極に向き合ってる物語たちじゃないかと思うのです。
私自身、不条理という言葉の意味もうまく噛み砕けなくて、なにがオオカミで
なにがイヌだったのか、答えがあるようでないのかなと思ったりしています。
全体を通して。照明のタイミングや色使いが好みで。
それは、出番じゃない時や暗転明けの切り替わりの行進やダンス際に装着する白マスクと、
みんな少しずつ違う服の白を、とても効果的に利用しているように思えた。
白服のポケットが不自然なくらいに大きくて、それがまた可愛く見えた。
個人的に、中村さんの着ていた白服が可愛くって好み。
「コックの渇求」
愛についての物語じゃないかと思う。
出演はコックと不倫相手とその夫の3人のみ。
愛してるがゆえに、愛しすぎて、相手のことを食べちゃうコックオオカミ。
愛してるがゆえに、愛してるから、相手に食べられちゃう不倫相手イヌ。
愛の変形・愛の果て。満たされることのないモノを形にした物語(だと思う)
これを究極の愛と呼ぶのか、どうすれば満たされるのか。渇きはいつ収まるのか。
強く吠えて(非難して)いた夫オオカミが、最後の最後でギャンと鳴いた気がした。
「感染」
死についての物語じゃないかと思う。
個々に日本からベトナムにやってきた男女5人が採血をされ、
隔離されている個室での物語。順番に入ってくる。
1人目は、ベトナムの会社に勤める会社員。
2人目は、引きこもりだった青年。
3人目は、失恋し、やや自殺願望のある女性。
4人目と5人目は、2人で日本から脱出してきた男2人組。
隔離部屋から脱出しようと出ていこうとすると銃で発砲される。
かすっただけだけど、撃たれたのをきっかけにハイテンションになる会社員。
その勢いに圧され、自分の身の上話をしてしまう青年と女性。
4人目の声の高い背の高い男性と5人目の太っちょの舌っ足らずの男性が
日本でマーズ?サーズ?(名前が違ってたけど何だったっけかな)みたいな感染症で、
2万人が亡くなったという噂があると話してから、みんなの不安が高まる。
その感染症の症状通りの症状がみんなに出始め、不安が死への恐怖に変わってく。
自殺願望のある女性は、死にたくないと叫び。
引きこもりだった青年は、投げやりな強気な態度に出る。
みんながパニックになりながら、死に直面し、死にたくないって吠える。
この話にはオチがあって。検査はみんな異常ナシ。それぞれの日常に解放される。
死を目の前にしたら、人はどうするのだろう。
私は少し覚えがあって。病気になったとき医者に一旦仕事に戻っていいかと聞いた答えが「あなた、このままだと死ぬよ」で。急に怖くなって、死にたくないなーって思った記憶がある。だから、この物語の5人と同じだったんだなーって思いながら観てました。
死に直面すると、人は死にたくないって吠えるのだ。生きたいって願うのだ。
「椅子のあるところ」
働くということ、しあわせについての物語じゃないかと思う。
働くことが生きるすべての男の物語。
働いて働いて、娘が出来ても働いて。友が死んでも働いて。
働いて働いて、体を壊してもケガで左腕を失っても働く場所を探して。
捜してる間に妻が働きすぎて死んでしまっても働き口を探して。
働いて働いて、娘が出ていっても、働いて働いていこうとする。
誰がオオカミで、誰がイヌなんだろうか。
家族がしあわせになるためにって思って働いても
誰もしあわせになんかならなくて。しあわせってなんだろう。
働くってなんだろう。家族ってなんだろうっていろいろ思った。
せつなくて抜け道がなくて、どうしようもない、哀しい物語だった。
少し父を想った。体を壊しても年老いた今でも仕事したいってつぶやく、
そんな父を、東京の小さな舞台のあるところで、想った。
「小田島かずゆきと後輩1」
「小田島かずゆきと後輩2」
「小田島かずゆきと小田島たち」
小田島かずゆきシリーズ三部作は、全体の流れや雰囲気、動きは、
とてもコミカルなんだけど、他のどの物語より実は、シリアスで
現実的で、シビアな物語だったんじゃないかと思う。
小田島かずゆきは、エグザイルにいつか入ると夢見ながら、
街角でティッシュ配りを10年もつづけている妻がいる男性。
後輩1は、宇宙人的に話がなかなか通じない若いバイト君。
ティッシュひとつ配るのを教えるだけの話なのに、
あれだけ動いて、突っ込んで、モヤモヤっとした感情をドバっと残してく。
後輩2は、一見物わかりの良さそうな感じのバイト君なのだけれど。
リスペクト・仲間などの言葉を連発し、最後はまんまと人のいい
小田島から金を巻き上げてしまう、なんともいえない人物。
小田島たちは、小田島という名字の人達だけを仲間とみなす団体
「小田島を働かせる会」のメンバーたち。
いつの間にか、離婚し、末期がんを患ってしまっている小田島かずゆき。
その入院部屋に小田島たちが勧誘に訪れるお話。
トイレに行きたい小田島かずゆきの前に立ちはだかる善人っぽい小田島たち。
尿意の限界が来た小田島かずゆきは、何人もの小田島をなぎ倒して
(長いスローモーション)(しかもBGMが愛燦燦)
ついにトイレの扉をひらく。扉の前でガッツポーズ!・・・で公演終了。
なんていったらいいのか。
そんな人いるいる!が何人もいて。
人を巻き込んでいく強気なオオカミも。
人に巻き込まれていく弱そうなイヌも。
弱そうなイヌ、小田島かずゆきに似てる私は。
オオカミばかりが悪いわけじゃないことを知ってるし。
イヌも踏んばらなくてはダメだよってことも知ってる。
トイレまでの道のりは、すごくふざけてるけど、笑。とても重要で。
あれくらいイヌも、ときにはオオカミばりのつよさで色んな事を
勝ち取っていかないといけないってことを、教えてくれてる気がした。
扉がひらいて、光が差したとき、なんかすごく救われた気がしたし元気もらった。
ざっと。感想はこんな感じ。
役者さんについて、また後日書き残せればと思っています。