【優しき子】「意地悪な子」と言われて | 自分で癒やすこと 〜モドルミチ〜

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人とつながるため
自分で癒やしていく。
生きづらさ、苦しみ、不安、焦燥感、罪悪感と一緒に。




こんにちは

さとみです付けまつげむらさき音符
 
 
ただいま
幼少期を振り返り中です。

 
 
最近、気づいたことがあります。
 
 
えっと
私ってもしかして
・・・優しい??
 
 
ずっと一点の曇りもなく
信じていましたから。
「私は意地悪」
「私は思いやりがない」
「私は冷たい」
 
 
パフェ今日はこんなお話パフェ
◇意地悪と言われた幼き日
◇全部お母さんに見せつけていたんだよ
◇こんな優しい子つかまえて!ひどいよ!
 

 

意地悪と言われた幼き日

 
 
「そんな意地悪しないの」
「意地悪だねぇ」
「どうしてそんなこと言うの!」
と母から言われたことは
2度や3度ではないと思います。
 
 
私は
10才で弟が生まれるまで
一人っ子でした。
 
 
ただ、1才のとき
保育園で出会った
幼なじみがいました。
 
 
お互い第1子の長女。
 
 
家族ぐるみのお付き合いで
お揃いの服を着て
何かあったときには
お互いの家で預かられて
半分、姉妹感覚で育ちました。
 
 
私は1月生まれ
彼女は3月生まれ
 
 
私が「ませている」
子どもだとすれば
彼女は「おっとりした」
タイプの子どもでした。
 
 
歩き始めるのも
1才半を過ぎていたとか
おしゃべりが遅かったとか
よく話題にされていました。
 
 
だから
私が母のいる場所で
「意地悪」をしていた相手は
だいたいのところ
その幼なじみなのだと思います。
 
 
「他人だけど双子の妹分」
 
 
私にとって
彼女はそういう存在でした。
 
 
お姉さんぶりたかったり
教えてあげたかったり
守りたかったり
もちろん何の気も遣わずに
接していたり。
 
 
自分の方が年上で
自分の方が器用だ。
他の友だちより大切だ。
自分にとって特別な人だ。
 

 そんな意識がありました。
 
 
母から「意地悪」と
言われたときの状況を
はっきりと
覚えているわけではありません。
 
 
ただ、私と彼女の
関係性から考えると。
 
 
きっと
ゆっくりな彼女の手から
「私がやってあげる!」と
ものを奪い取るとか。
 
 
「私ができて彼女ができないこと」を
あえて声高に
アピールするとか。
 
 
彼女の失敗を
からかうとか。
 
 
そういう類いのことが
目に浮かびます。
 
 
なにせ
他人との境界線が
いかに大切かなんて
私はつい最近知ったのですから。
 
 
幼なじみの親しい彼女を
極めて身内に近い存在と感じ
ズケズケと
領域侵入していたことは
言うまでもありません。
 
 
そんな私の様子を見て
母は私を叱ります。
 
 
「意地悪を言わないの!!」
 
 
当時の私には
彼女を痛い目に
合わせてやろうとか
大嫌いだとか
そんな気持ちは微塵もありません。
 
 
だって
大好きなのですから。
大切で
特別なのですから。
 
 
だから
ただ、ただ、
自然に出てきた
振る舞いでした。
 
 
確かに、それによって
彼女を傷つけたことも
あったかもしれません。
 
 
だけど、素の振る舞いで
母親に「意地悪」と
言われること
とっても悲しいこと
だったはずです。
 


 
あんたは意地悪



私は意地悪
 
 



なんの悪気もない言動が
人を傷つける。
 
 
そうか…
そうなのか…
私は
気を付けなければ
人に意地悪を働いてしまう
ダメな子なんだ。
 
 
4才だか
5才だか
 
 
その頃には
「私は出来損ない」
「大事なものが欠けている」
「心が冷たい」
「意地悪をしないように気を付けなければ」
 
 
そんな評価を
はっっっきりと
自らに突き付けていたのだと
思います。
 


全部お母さんに見せつけていたんだよ

 
 
そもそも
私が誰かに対して
働いていた「意地悪」
 
 
自慢して相手を下げたり
でしゃばったり
からかったり。
 
 
なんのために
していたんでしょう?
 
 
相手を傷つけるためではないのです。
だって
傷つけたと知れば
自分を責めるのですから。
 
 
その動機は
2つあると思います。
 
 
・もっと私を好きになってほしい
・私は「できる」と認めてもらいたい
 
 
承認と愛情
求めていたのだと思います。
 
 
誰に??
 
 
目の前の相手
つまり
幼なじみの彼女に向けて
という面もゼロではないと思います。
 
 
彼女にとって
特別な友達でいたかったし
私を一番好きって言ってほしかった。
 
 
でも
私のパフォーマンスは
大人に向けられていました。
 
 
大人の方を見て
ピョンピョン
ジャンプして
ブンブン手を振っていたんです。
 
 
私を見てっ!!
私を褒めてっ!!
私を好きって言ってっ!!!
 
 
それは
保育園の先生だったかも
しれない。


でも、元をたどれば
分かりきっていることですよね。
 

 
お母さんに
一番に大事にしてもらいたかった。
 
 

私のお母さんなのに
どうして私を褒めてくれないの?
私のお母さんなのに
どうしてあの子をかばうの?
私のお母さんなのに
どうして私には怒って
よその子には笑うの?
 
 
私のこと
大事じゃないの?
 
 
なんで?
私が意地悪だから?
心が欠けているから?
出来損ないだから?
 
 
だから怒るの?
お尻をたたくの?
外に出すの?
謝っても許してくれないの?
 
 
そんなことないよね?
私のことが一番好きだよね?
こっち見て!
ほら!私はこれもできる!
この子より私の方が上手だよ!
 
 
私は「しっかりしてる」って
「器用」だって
言われてるよ!
だから見てよ!褒めてよ!
 
 
周りのことだって
よく見てるんだよ!
できないことは
私が手伝ってあげるし!
いじめられてたら
守ってあげられる!
(頼まれてもいないのに)
 
 
そんな風に。
 
 
私はお母さんに向けて
エンドレスアピールを
していたのです。
 
 
確かに、
自分を満たしたいがための
私の言動で
幼なじみや
別の友達を
傷つけたかもしれない。
 
 
でも、ちょっと待って?
 
 
自分に置き換えたとき
「同い年の子どもに言われたこと」と
「親に言われたこと」と
どっちが後引いてる?
 
 
私をいじめたあの男の子の
名前、覚えてる?
 
 
私の髪の毛を引っ張った
あの女の子のこと、恨んでる?
 
 
私を仲間はずれにした
あの子たちのこと、
どれくらい引きずった?
 
 
あれ、えっと
なんの傷も残っていないや。
 
 
てことは。
ってことはですよ。
 
 
「意地悪だ」と言われ続けて
私が受けた心の傷の方が
私が働いた「意地悪」より
もしかして深刻なんじゃない?
 
 
もしかして?
なーんて。
 
 
他人の話として聞いたら
「そりゃそーだわ」
「あなたはめっちゃ傷ついたよね」
「おかーさんが、間違ってた!」
 
 
って断言しますね!
 
 
私、傷つきました。
ジワジワと。
繰り返し、繰り返し
途方に暮れるほど
傷ついたんですよね。
 


こんな優しい子つかまえて!ひどいよ!

 
 
そうして
出来上がった
屈強な思い込みが
「私は意地悪」
「私は冷たい」
「私は出来損ない」
です。
 
 
弟が生まれた頃には
もうガッチガチの
罪悪感まみれです。
 
 
もちろん
素直に可愛がってあげた
記憶があまりありません。
 
 
今でも距離感があります。
 
 
そして、
私は自分の子どもにさえ
ストレートな愛を注げずにいて。
 
 
そこから脱したくて
自分に向き合い続けています。
 
 
ようやく
ここまで来ました。
でも、まだある。
思い込み。
ブロック。
行動を阻むもの。
 
 
 
ねぇ、お母さん!
私って
本当に意地悪?
これも全部「甘えてる」?
 
 
ひどいよ!!!
私、誰のことも
傷つけようなんて
思ったことないよ!!
 
 
優しい心を持って
生まれてきたよ!!
 
 
今だって
人に優しくしたくて
優しくしたくて
優しくしたくて
 
 
優しくしたくて!!
 
 
優しさを届けたくて!!
 
 
葛藤し続けているんだよ!!!
 
 
分かれこのやろう!!!!
 
 
 
 
 
心から叫んでみました。
 
 
そうなんです。
私は、人に優しくしたいんです。
 
 
母にだって
父にだって
弟にだって
優しくしたいんです。
 
 
もちろん
こどもにも
夫にも
優しくしたいんです。
 
 
そう思うことって
優しいよね。
 
 
私は「意地悪」じゃない!
 
 
思い込みを
書き換えていこうと、
改めて思いました付けまつげ
 
 
個人的な幼き頃の話、
お読みいただき
ありがとうございましたおすましスワン
 


 

*ネガティブな落ち込みママだった私*

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