あるがまま今を生きてみる。 -40ページ目

上杉鷹山に学ぶ2

前回の記事からの続きです。


17歳にして米沢藩の藩主になった鷹山は藩主になった日次の誓分を春日山神社に献げました。



一、文武の修練は定めに従い怠り無く励むこと



二、民の父母となるを第一のつとめとすること。



三、次の言葉を日夜忘れぬこと。

  贅沢なければ危険なし

  施して浪費するなかれ



四、言行の不一致、賞罰の不正、不実と無礼、を犯さぬように努めること。



 これを今後硬く守ると約束する。もし怠るときは、直ちに神罰を下し、家運を永代にわたり消失されんことを。


この誓文を生涯にわたりやりぬいたのが鷹山です。



 今の日本よりよっぽどひどい財政状態にあった米沢藩は財政を回復するために改革が必要でした。その改革も人に頼むのではなく、自らが始めて、民に秩序と信用を回復する必要があります。そのためには極度の倹約しかありません。



まず家計の支出を1050両から209両に切り詰めました。奥向きの女中は50人いたのを9人に減らし、自分の着物は木綿にかぎり、食事は一汁、一菜を越えないようにしました。


 藩主自らが、着物や食べ物の量まで倹約する。すごいことだと思います。


 他藩から養子に来た17歳の藩主がこのような改革をするわけですから、贅沢になれた老臣達がどれほど強硬な反対をするかは容易に想像できます。


 まさに今の政治家や官僚達のように自分達の利権を守り通そうとしたのです。


 しかし鉄の意志でやりぬく鷹山の強い心。感服します。


 このようにして、余ったお金を借金の返済に回しこのような状態を16年も続けることにより重い債務から脱することが出来たのです。


 続く・・・
 上杉鷹山に学ぶ1
 上杉鷹山に学ぶ3

上杉鷹山に学ぶ1

 選挙も近いので私が尊敬する上杉鷹山の事を書きたいと思います。


 鷹山は財政改革と景気対策をどちらも成功させた名藩主として有名です。ケネディ大統領が大統領に就任したとき尊敬する日本人は?と聞かれてウエスギヨウザンと答えたという話もあるほどです。


 鷹山は17歳で九州の高鍋藩より上杉家へ養子となってきました。上杉家は上杉謙信で有名な上杉家で秀吉以前の時代には莫大な領土を誇っていました。秀吉により国換えさせられ勢力を減らされますが、それでも100万石以上の大名でした。その後、関が原の合戦で西軍に味方したため、米沢30万石に減らされ鷹山が藩主になったときは、15万石にまでなっていました。


 それでいて、100万石以上あったときの家臣をそのまま抱え、当時の慣習やしきたりをことごとく路襲していたのです。の為、新領では藩の維持が難しく、負債は何百万両に登り、税の厳しい取立てによって住民は土地を追われて減り、貧困が全領を覆っていました。



 今の日本も借金大国と言われていますが、この現状よりも大変厳しい中若干17歳で藩主になって藩の再建を行うことになったのです。




 この鷹山から今の日本も学ぶべきことが沢山あると思います。


 続きは次回・・
 上杉鷹山に学ぶ2

 










全ては心の持ち方次第

 幸福も不幸も全ては心の持ち方次第。


 この言葉も色んな本や成功者と言われる方々が嫌と言うほど訴えてる事柄です。
 確かに、例えば非常に生活が困窮しているときに、これは何かを学ぶ為に今起きていいるんだ。乗り越えられない壁はない。今起きてることに感謝しよう。などと思えればそれにこしたことはないことは解ります。でもなかなかそう思えない。それが現実かもしれません。


 しかし、今まで一番辛かった事を思い出してみて、振り返るとそれを克服してはいないでしょうか?
 今では笑って話せるようになっていないでしょうか?
 きっと辛い事を克服してきた経験を誰しもしていることと思います。
 きっと克服できるんです。
 だったら辛い今も笑っていられるるかもしれません。


 菜根譚にもこんな言葉があります。
 幸も不幸も、全ては心の持ち方から生まれてくる。釈迦も「欲望が燃え盛れば、この世は灼熱地獄。貧欲に落ち込めば、人生は苦しみの海。心さえ清らかになれば、燃え盛る炎も涼しげな池となり、迷いから覚めさえすれば、解脱の境地に達する。」と語っている。心の持ち方を少し変えただけで、この世の中はがらりと姿を変える。くれぐれも慎重に対処したい。


 心の持ち方を変えれば、今苦しいと思っていることが、実は実り多き人生のためにとっても必要なことだと気づくかもしれません。

 
 参考 
[決定版]菜根譚/守屋 洋
¥1,680
Amazon.co.jp

楽しむ

 あなたが創造する全て創造した全てを祝福して楽しみなさい。
 一部でも否定すれば自分の一部を否定するこのになる。
 あなたの創造の一部としてどんなものが現れようとそれを自分の物として祝福し感謝しなさい。非難はしないように努めなさい。(神との対話より)
 

 創造し創造した全てを祝福し感謝する。今の現状を不幸だと考えていたらこれはとえも難しいことだと思う。
 しかし、克服できない困難はないという。
 
 
 もし自分を祝福して感謝することが出来るなら、きっと人にたしても出来るに違いない。
 そうなったなら
 人生がきっと今までと違う方向へ進みだす。

 
 参考
 神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)/ニール・ドナルド ウォルシュ
 ¥730
 Amazon.co.jp


 

自分の心に打ち勝とう

 人に勝つには優しいが自分に勝つのは難しいとされている。


 人の心は誘惑に弱く、欲望には終わりがない。怠けたい気持ち、楽したい気持ち、お金を稼ぎたい、愛されたい。そんなとき思わず自分の良心に反することをすることがある。


 菜根譚にこんな言葉があります。
 まず自分の心に打ち勝とうそうすればあらゆる煩悩を退散させることが出来る。
 まず自分の気持ちを平静にしよう。そうすればあらゆる誘惑から身を守ることが出来る。


 明代の思想家王陽明もこのように語ってます。
 山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。


 自分自身の心に打ち勝つとは優しいことではありませんが、心に平静を保ち、自分の良心に従うということが始めの第一歩かもしれません。

参考
[決定版]菜根譚/守屋 洋
¥1,680
Amazon.co.jp


 

地球に生かされている。

 今日は妻と犬と一緒に近くの山へ行きました。


 

 大きな山ではないですが、山頂まで上った時にはヘトヘトで疲れきっていましたが、頂上へ登り、大きな広い空を眺め、草木の匂いを感じ、太陽の光を体中に浴びていると、とても清々しい気持ちになり、色んな悩みや不安は一片に吹っ飛んでしまいます。


 

 地球は私たちに、水、空気、光、エネルギー、食物、惜しみなく与えてくれます。私たちはこの大自然によって生かされている。そんな気持ちが大きな自然にふれるととても実感できます。



 こんなに沢山のものを与えてくれる、この大地。この地球、宇宙に私たちは何ができるのでしょうか?このまま壊すだけでいいのでしょうか?私たち一人が出来る事は、地球から見れば小さなことかもしれません。



 しかしその一人がまた一人また一人と増えることによって惜しみなく全てを与えてくれる地球に対してきっと何かができるはずです。

 


 地球に感謝することから始めよう。

 ありがとう。



最後に求めるもの

 私達は幼い頃、乳を求め、成長すると物を求めますが最後に求めるものは『我』である。
『なんじ自信を知れ』(ソクラテスが規範にした言葉)こそ最も荘厳な天の命令であり最も深い心の奥底の要求である。


 ところが物は得やすいが我を把握することは実に難しい。これこそ自ら耐え難い不満であり心が満たされない寂しさです。


 その上に我々の心は本来の性に随って、自分と他人との垣根を取っ払って互いの生命の交流を求める。


 けれども世間は頑なに、その妨げになる。冷ややかにこれを拒む。世の人々は古臭く頑固な自分一人に囚われた狭い我に執着して、猜疑し、嫉妬し人を押しのけ陥れるといったことを常に行う。

参考
「人間」としての生き方 (PHP文庫)/安岡 正篤
¥820
Amazon.co.jp
 安岡先生が言われているように自らを知るということはとても難しい。ただ後悔のない人生を送りたいと誰しも思っていると思う。その後悔のない人生とは、全てを許し愛する。そんなことが実践できる人生ではなかろうか?



創造が具体化するには?

 自分の思いや創造思考は現実化します。その思いが強ければ同然です。

 
 しかしそんなこといってもならないもんはならない。そう思っている方も多いかもしれませんね。きっとそのならないという思いを現実化しているのかもしれませんが。上手くいかない方は次の方法を試してみてはいかがでしょうか?


 創造が具体化する前に、創造に感謝することだ。願いは当然かなえられていると真じることだ。そう信じてもいいどころか信じた方がよいのだ。それこそが悟りの確実なるしるしだ。
全てのマスターはあらかじめ事が成就すると知っていた。神との対話より。


 自分の思考が現実化することが当然だと思えば、現実化するのも当然だと思います。脳機能学者の苫米地氏はコンフォートゾーン(自分の心地良い空間)を上げることによって、スコトーマ(盲点)がはずれて、夢の達成の仕方が自然に見えるという形で説明されています。ご興味のある方は著書が沢山ありますので読んでみると面白いと思います。


 誰しも自分の欲望をかなえようと色々思い願うと思います。それは決して悪いことだとは思いません。自然の感情です。そこに、他人の幸せや、日本全体、世界、地球というところまで心を拡げると幸せの価値観がまた違った形、願いが又違ったものになるかもしれません。
 もし他人の幸せを自分の幸せと同様に感じることができればあなたは100%幸せな人生を送れることは間違いないと思いま。

参考
神との対話―宇宙をみつける自分をみつける (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)/ニール・ドナルド ウォルシュ
¥730
Amazon.co.jp




 

冷静さと情熱。

 冷静さと情熱。色んな場面で必要になってくる。


 例えば慌しく仕事をしているとき、慌しさに流されて仕事をしているとミスを犯しやすい、こんなときには深呼吸して冷静に物事を判断するようなことが求められる。逆に暇なとき、惰性で仕事をして能率が上がりにくかったりする、こんなとき燃えるような情熱で意識して取り組んでみたらどうだろう。


 菜根譚の中にこんな一文がる。
 慌しさの中にあっても、冷静にあたりを見回すだけの余裕があれば、随分とこころのイライラを解消できる。
 暇でひっそりしているときも、情熱を燃やして事にあたれば、又そこに捨てがたい魅力を見出すことが出来る。

 時には冷静に時には情熱的に。

 参考
 [決定版]菜根譚/守屋 洋
 ¥1,680
 Amazon.co.jp

ストレスが溜まっているとき

 毎日、心が無理をしていると非常にストレスが溜まります。ストレスが溜まりすぎると健康を損なう恐れが出てくることを否定する人も少ないことかと思います。

 
 しかしそのストレスの原因を取り除いてしまうのは容易な事ではありません。やはり自分の心の持ち方をかえる方が簡単ではないかと思います。


 菜根譚と言う古典の中にこんな言葉があります。
 心が澄み切っているときは、腹が減れば飯を食い、喉が渇けば水を飲むという質素な生活に甘んじていても、心身ともに健康を損なうことはない。
 心に迷いがあるときは、いくら禅を論じ偈(ゲ)を唱えた所で、単なる気晴らしにしかならない。


 心が澄み切っている状態ではそうなるのは分かるが心が澄み切った状態になるにはどうすればよいのか?
 やはり感謝の心を常に持つことだと思う。

 
 何事にも感謝の気持ちを持つと不思議と不安やストレスは消えてゆくものだ。まず身近なことから感謝することを始めてはどうだろうか?

参考
[決定版]菜根譚/守屋 洋
¥1,680
Amazon.co.jp