駆け足に気がかりな記事は、その42を迎えた。

まずは、現在のコメ不足についてである。

 

Yahooニュース

 

 

 

「なんで米不足なんて起きてるの?」都会と田舎で異なる在庫状況と今後どうなるかについて

 

 今回のコメ不足。物流業界の「働き方改革」規制が、物の移動を困難にさせていることは否めまい。

長時間労働となる長距離運転。その長距離運転を抑制しているのが国の規制なのである。

 ゆえに、全国に運ばれるはずの米が各地から届かないのだ。

解決策は、地産地消であろうが、都市部に人口が集中し、コメは遠距離地が供給源である。現在の地産の量ではとても間に合うまい。ゆえに遠距離の米が要る。その米を運ぶ手段が規制されているのだ。

 

 だから、スーパーの棚からコメが消えるのである。たとえ今後新米が生産されたとしても、運び手がなければ、都市部は依然としてコメ不足だろう。

 ゆえに、今後米の値段は破格となろう。おそらく相当な運賃を要求されて、仕方なく物流業界が動く構図が見えるのである。

すると、コメの値段は格段に上がる。インフレ傾向となろう。

 物流業界はバブルやもしれんが、大事故が発生して規制当局の監査が入れば一巻の終わりである。

 諸刃の剣を抱えた物流業界の値段(運賃)交渉である。走っても地獄、走らなくても地獄(人手不足に苛(さいな)まれる)。

この国は沈み続ける。公明党創価学会とともに沈み続けるしかないのだ。

 

 

スポーツ報知

 

 

【森永卓郎の本音】狡猾な自民と財務省の危機管理

 

 そこで、この日本政治支配層の目論見が現在進行中なのである。

一体誰に言われて、立憲民主党代表選に出馬しようとするのかが、問題である。

蓮舫氏も政治を牛耳る誰かにもてあそばされてしまったわけだが、今回も枝野議員、野田議員がもてあそばれていることがわかろう。立憲民主党も変わらないことを見せつけるための印象操作である。

 気づけ。この国は政治の支配層に完全に牛耳られている。

立憲民主党は、泉党首続投でよいのだ。若手の一大勢力党首が日本を変えてゆくのである。野党派の元国家官僚の古賀氏も若手に期待しているではないか。といっても最近は自民党の支配層にだいぶ心を揺さぶられているようだが。

 その自民支配層がこの国の政治を牛耳っているのである。だから、もてあそばれていると申し上げるのだ。

 

 だからこの記事を見よ、立憲民主党を百戦錬磨の玄人を党首として何も変わらないことを印象として残し、自民党は若手を党総裁として変わろうとしていることを見せつけようとしているではないか。

 この国は、間違いなく日本の政治を牛耳る支配層の存在がある。

言の葉は巧みであり、蓮舫氏もまんまと乗せられたのである。今後、枝野氏、野田氏も乗せられっぱなしである。

これで自民党は安泰だろう。それはよい。公明党創価学会さえ切り離せば、この国はまだ希望の光が見えてくるのだから。

 

因みに、記事にあるキシリア高市は確かに危険である。鷹派と云えばその通りであり、極右、右派とともに第三次大戦へと誘う可能性を否定できまい。

 ただ、戦争本能のない女性の立場が戦争の抑止力になる可能性はある。しかしながら、重要な局面では、鷹派の男が判断を下すだろう。

 ゆえに、戦争を知らん自民党の若年層は危険なのだ。間違いなく米軍(米現政権か)に付き従うように、図られてしまう。

 だからこそ、戦争を知る賢老が必要なのだ。

 若手起用は諸刃の剣だ。アメリカ合衆国でさえO大統領によって世界の軍事的不安定は齎されてしまっているのだ。

 

キシリア

ジオン公国軍突撃機動軍司令で階級は少将。デギンの長女。身長は173cm。
ギレンとは政治的に、ドズルとは軍事的に対立している。座乗艦はグワジン級戦艦グワジンあるいはグワリブ(『THE ORIGIN』では紫色のチベ級戦艦パープル・ウィドウ)。初期設定にあってはギレン以上の政治的手腕を持ち、サイド6の中立化政策も彼女の画策したものとされる。常に顔の下半分を覆うマスクを着けているが、その理由は戦場での肌荒れを防ぐためだとも、戦場の臭いを嫌悪しているからだとも言われている。

出典:Wikipedia

 

「あらゆることは仏法よりこと起こること」

 

富士大石寺の扉を閉めるプロジェクト

 

仏法画 正法 第一章 「諸天逆切~瞋りの怨嫉~」

日本の正法が世界を救うことを信じて、仏法画を描き続けます。

 

 

『日蓮大聖人の仏法』つづき

 

 されば本門戒壇の建立こそ御本仏日蓮大聖人の唯一の御遺命である。もしこれを忘れれば仏弟子ではなく、もしこれに背く者あれば魔の眷属である。

 

 仏法と国家

 

 大聖人の一代の御化導を拝見するに、立宗以来、母が赤子(せきし)の口に乳を入れんとはげむ大慈悲●幼子は宝だ●を以て人々に「南無妙法蓮華経と唱えよ」と勧め給うと共に、立正安国論をはじめ十一通申状・一昨日御書・四十九院申状・竜泉寺申状・園城寺申状等と、一時の休みもなく、一代を貫き身命を賭して国主への諌暁をあそばされている。

 このように大聖人の御化導が、個人への信仰の勧めにとどまらず、国主に対し国家次元での三大秘法受持を迫られているのは何ゆえであろうか。

 それは、個人の幸福が国家と共にある。すなわち国家の興亡盛衰が全国民の幸・不幸に深く関っているからに他ならない。

 ゆえに立正安国論には

「国を失い家を滅せば何(いず)れの所にか世を遁(のが)れん。汝須(すべから)く一身の安堵を思わば、先(ま)ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈るべきものか」と。

 もし他国の侵略によって国が亡び、内戦によって家を失ったならば、いずれのところにか生きのびる所があろう、よって我が身の安全を思うならばまず国家の安泰を願うべきである―と示されている。

 

 同じく安国論に

「国に衰微なく土に破壊(はえ)無くんば、身は是れ安全にして心は是れ禅定(ぜんじょう)ならん」と。

 

国家・国土の安泰・静謐があってこそ、初めて個人の身の安全・心の安定がもたらされる―と仰せられる。

さらに蒙古使御書には

「一切の大事の中に、国の亡びるが第一の大事にて候なり」と。

 

国家の滅亡はすべての国民に想像を絶する悲惨をもたらす。ゆえにこれを「第一の大事」と仰せられる。まさに国家は、国民一人ひとりを細胞とする社会的な有機体、一つの生命体である。ゆえに国が亡べば、構成員たる国民一同にその悲惨がおよぶのである。

 

 今日、ことさら国家の存在を軽視あるいは無視しようとする風潮がある。これは敗戦による自虐史観から生じたものであるが、国家の本質を見誤ってはならない。

 

 ●「敗戦による自虐史観」。確かに第二次世界大戦によって日本は敗れ去り、新生日本となった。その国家理念にある平和主義は、過去の国家を否定することから始まっている。連綿と続く国家が、ほんのわずかな期間の衝撃的なイベントにより、失われてしまったのである。ゆえに、現在の日本国家を国家観として見なければならず、そこに生きる我々が日本を形作っているのである。国家から切り離してみることは到底出来ん。以下の通りである。●

 

 およそ人間は国家を離れては生存し得ない。山中において一人で生活することはできない。集団生活をし、社会を作り、相互扶助することによって始めて生存することができる。

 

「一切衆生は互いに相助くる恩重し」(十法界明因果抄)と。これが「一切衆生の恩」である。

 そして、社会を作り集団生活をするには、集団内の秩序を持(たも)ち外敵から集団を防衛しなくてはならぬ。この機能を果たすのが公権力すなわち統治権力である。ここに国家が成立する。

 

 政治学では国家の成立要素として領土・人民・主権の三つを挙げるが、この主権を仏法では「王法」という。大事なことは、この王法の在り方によって、国家の命運が決するということである。

 

 もし王法が修羅界(●現在のロシアのように●)であれば、内には人民を虐(しいた)げ外には他国を侵略する国となる。もし王法が衰微すれば(●現在の日本のように●)、国内は秩序を失って内乱を誘発し外からは他国の侵略を招く。

 

 ここに大聖人は、王法は仏法に冥(みょう)ぜよ、とお教え下さるのである。

 もし王法が仏界化すれば、国家権力は慈悲の働きとなり、内には国民を守って幸福をもたらし、外には他国をも利益する。このとき諸天はその国を守護するゆえに、国土には三災七難が消滅し、国は真の安泰を得る。これが仏国である。

 

 では、どうしたらこの仏国が実現するのか。ここに本門戒壇建立の重大意義がある。

 

●は小生 

つづく

 

 

President Online

 

 

 

このままでは「令和の米騒動」が繰り返される…コメ不足を放置して利権を守る「農水省とJA農協」の大問題
 

 

 軍事独裁者安倍晋三のような破滅に導く鬼を利用するがごとくのようなことをするために裏目にでるのだ。
 
47NEWS
国民が検察を応援、正しい姿?自民党裏金問題で見えた「日本の民主主義の弱点」 ジャーナリストの神保哲生さんに聞く
 
 最後には、公明の文言が条文に踊る。
 公明党創価学会の大謗法の師敵対、日本を沈ませる勢力が政権にあり続けるから、日本の政治がひねくれて行くのだ。
 
 
 『日蓮大聖人の仏法』つづき
 具体的に言えばー
 日本一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布のときに、仏法を守護し奉る旨の国家意志の公式表明を手続として、国立戒壇を建立して「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉れば、日本は仏国となる。
 まさしく本門戒壇の建立こそ、本門戒壇の大御本尊の妙用(みょうゆう)により、日本を仏国とする唯一の秘術なのである。
 
 
 
 「また繰り返しやるね」83歳自民議員が総裁候補の “裏金返納” 方針に「理解できない」発言でネット怒り爆発
 
 「 またやる」、誰でも予言できるであろう。
 
同じ失敗を何度も繰り返すのが、自民党、そしてそこに住まう人間なのだ。
 
 
 空から〝恐怖の大王〟来たる? 伊豆で激写された「撮れてはいけない光景」に21万人戦慄
2024年8月21日
 
今回は、地球上に出現した異様な空模様のことだ。
この現象。トルコで発生した地震雲の警告。その後2023年2月6日にマグニチュード7以上の巨大地震が発生。6万人以上の犠牲者が出た。
あの空模様から2週間足らずで発生した巨大地震。異様な地震雲は、人類への警告。トルコの人々への警告であった。
 
今回の伊豆の異様な空模様も不吉である。
トルコ地震雲発生から2週間足らずで巨大地震が発生となれば、あと数日ではなかろうか(現在8月30日)。
 
警告は発しておこう。今までの経験則では、地震が来る、地震が来ると思えば、地震が遠ざかる。
地震は来ない、地震は来ないと思えば来る。
果たして、人類の未来は如何に。日本の首都あるいは日本国家に甚大な被害を齎す首都圏巨大地震。
我々地上に生きる人々は、そのアトミックボンブのような極めて破壊力のある地下に仕掛けられた時限爆弾によって常に脅かされているのだ。戦争などやっている暇はあるまい。
現在の迷走台風も異常である。何か、胸騒ぎがする。
 
草の実堂
 
 

 国を滅ぼされる前に、法華経の一乗に帰せよ。

 
これが日本仏教界(凡そ全国民の)の末法濁悪の世の生き方なのだ。
 
 
 
『日蓮大聖人の仏法』つづき
二、本門戒壇についての御教示
 
 本門戒壇についての御教示は、佐渡以後の「法華行者値難事(ほっけのぎょうじゃちなんのこと)」「法華取要抄」「報恩抄」「教行証御書」等にその名目(みょうもく)だけが挙げられているが、未だ本門戒壇の内容については全く明かされてない。
 そして御入滅の弘安五年にいたって、始めて三大秘法抄と一期弘法付嘱書に、これを明示し給うたのである。
 本門戒壇は広宣流布の時を待って建立される重大事であり、その実現には大難事が伴う。
 ゆえに富木殿御返事には
「伝教大師 御本意の円宗を日本に弘めんとし、但定(たんじょう)・慧(え)は存生(そんじょう)に之を弘め、円戒は死後に之を顕はす。事法(じほう)たる故に一重の大難之有るか」と。
 
 
つづく
●は小生
 
 
日本は「落ちるところまで落ちるしかない」のか?岸田首相交代では変わらない政治の貧困・劣化、中国・林語堂の皮肉から考える

 

 
 「落ちるところまで落ちるしかない」
これが、第二次世界大戦前の世相である。現在の状況を見ればまさに、歴史が繰り返されていることが理解できよう。
 そうなれば、破滅的な戦乱もすぐそこではないか、ということであるが、昨日のNHK大河ドラマ『光る君』を観れば、戦への人心の誘いを見事に道長を通して表現されたわけだ。
 あの当時、末法濁悪の世に移らんとする終末期。武力に訴えた者の発言力が増し、遂には血で血を洗う大戦乱へと人々を導く時節。
 そのありようを見事に表現されたわけだ。
 もうじき源平合戦が起き、濁悪の鎌倉幕府が200年足らずでやって来る。
 誰にも止められん時代の流れである。
そう、誰にも止められんのだ。
 ゆえに、わかっていても止められんこの濁世に、たとえ創価学会を亡くせと申し上げたとしても亡くせんのだ。
 それは、最終戦争への誘いであり、導きだ。謗法を止めよと申し上げたところで、このように現政権保護のためのプロパガンダが張られる。
 以下の記事の通りである。
そもそも謗法のキリシタン大名の発言なのだから、こうなって当然なのだ。
 創価学会を擁護して、諸天の怒りを何も知らずに招くのである。
 仏法の恐ろしさを知らずの所行のわけであるが、これが、大悪の極みであり、大悪来れば大善近しの御金言が実相となるのである。
 
 
 現在の濁世の極みにあって、政治家が創価学会から遠ざかろうとしているわけであるが、それを許さず。どこまでも落ちさせねば気が済まぬのであろう。ゆえにキリシタンが要るのだ。
 小生は以前、このキリシタン大名が大戦乱に日本を導くと説いたが、まさにこの記事によって見事に証明された。
 諸天の怒りは宇宙法界を貫くのである。
 それは、亡国日本の避けざる道である。創価学会とともに、地獄に堕ちる。それは、避けざるをえん日本の道なのだ。
日本が傾く根本原因が創価学会の存在なのだ。
それでも、その存在が無くせないというならば、その他の道を考えよう。日本の傾きを止める唯一の方法は、扉を閉めること。そうして諸天の怒りを鎮めよう。扉が開いたままでは、とてもキリシタンの謗法の気を減少させることはできん。宿命のように濁悪の大闘諍へと誘われるしかないのだ。
 だから、「落ちるところまで落ちるしかない」と云えるのである。
 

「あらゆることは仏法よりこと起こること」

 

富士大石寺の扉を閉めるプロジェクト

 

仏法画 正法 第一章 「諸天逆切~瞋りの怨嫉~」

日本の正法が世界を救うことを信じて、仏法画を描き続けます。

 
『日蓮大聖人の仏法』つづき
 
 伝教大師の迹門の戒壇ですら存生には成らず、滅後に建立されていることを例にして、「事法たる故に一重の大難之有るか」と仰せられている。「事法たる故」の文意について第五九世・日享(にちこう)上人は、「事法であるから、すなわち国立戒壇であるから容易な事でなかろうと、乃至、暗示せられたのである」(富士日興上人詳伝)と釈されている。
 このゆえにただ御胸中に秘められ、御入滅の年にいたって始めてこれを明かし給うたのである。以て、本門戒壇の重大さを深く思うべきである。
 
 三大秘法抄
 まず弘安五年四月八日の三大秘法抄を拝見する。
 本抄は下総(しもふさ)の有力信徒・太田金吾への賜書(ししょ)で、本門戒壇について将来、門下の中で意義が生じた場合を慮(おもんぱか)られて記(しる)しおかれたものである。ゆえに文末に
「予年来(としごろ)己心に秘すと雖(いえど)も、此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言(ざんげん)を加うべし。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存する間、貴辺に対し書き遺(のこ)し候。一見の後は秘して他見有るべからず、口外も詮なし」との仰せを拝する。
 
 この三大秘法抄には、本門戒壇についての「時」と「手続」と「場所」が、次のごとく明示されている。
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合(がっ)して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持(たも)ちて有徳王(うとくおう)・覚徳比丘(かくとくびく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下(くだ)して、霊山浄土(れいぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可(べ)き者か。時を待つべきのみ。事(じ)の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋(ふ)み給うべき戒壇なり」と。
 
 
つづく
●は小生
 
 二度にわたる日本軍の朝鮮出兵は“老害”豊臣秀吉による誇大妄想的な行動だったのか?
 
 この記事のキーワード
朝鮮出兵
イエズス会宣教師
1587年 九州征伐
キリシタン大名
1592-93年 文禄の役
1597-98年 慶長の役
伴天連追放令
伴天連禁止令
 
 今回は、あの戦国時代、豊臣秀吉が行った朝鮮出兵のことである。問題は、なぜ、豊臣秀吉が、侵略を旨とした修羅界に堕ちたのかということであろう。
推測してみよう。
 秀吉は、天下人織田信長の家臣である。その家臣は、いずれ、天下人として全国に名を轟かせるわけだが、その当時、信長に仕えて、信長の意のままに働いたわけである。信長の夢、途轍もなく、実行に移すことは、困難極まる天下統一、自暴自棄の天下布武。その後、武力による世界制覇を目指していた。その世界を見せたのが伴天連であったのだろう。
 信長は、自らを第六天の魔王と名乗り、甲斐の武将武田信玄に書状を送っている。甲斐は、身延の久遠寺のある日蓮大聖人ゆかりの地ではあるが、地頭が謗法に染まり、寺を放棄するしかなかった。そうして、血脈の法主様は富士大石寺へと御移りになられた。
 しかし、武田家は日蓮宗に帰依していた。大聖人御在世の大現証も存じておられたのであろう。八幡大菩薩の掛軸がそのことを如実に物語っている。しかし謗法に帰依していたために(現在でいえば、現在の法華講員、創価学会、霊友会、立正佼成会など邪教に帰依していたのと変わるまい)家庭不和、己の死も上洛途中で迎えざるを得なかったようだ。
 戦国の武田家は織田信長によって滅ぼされ、その織田信長もまた、戦国の世に謗法を重ねて自らを亡ぼさざるをえなかった。それが、公場対決の法論であろう。国主にもならんとする信長の前で仏法上の法論が行われた。しかしながら、策謀により、正法が曲げられ、この時正法は謗られた。これを諸天善神が見逃すわけもなく、その後の織田信長の所業は、天下統一に邁進するも、四十九の厄年で命を落とす。しかも地獄の業火で焼かれてしまったのである。その焼かれた場所が、因縁の法華宗の寺(本能寺)というのであるから戦慄であろう。
 人間のあらゆる所業を諸天善神は観ている。豊臣秀吉が修羅界に堕ちたのはおそらく織田信長の影響であろう。信長の怨霊は生き続けたのではなかろうか(信長は戦国の時代がなぜこれほどまでに永く続くのかという究極の課題が突き付けられて混乱してしまったのであろう)。
 伴天連を許した織田信長。そのために、諸天善神の怒りは天地を貫き、遂に身を亡ぼした織田信長。その恐ろしき力用に、人々は成す術なしである。
 伴天連禁止令を発して、海外遠征に出かける豊臣秀吉。その結果を目の当たりにして、次の時代を構築する徳川家康は何を思ったか。
 キリスト教は危険教であり、戦乱をもたらすことに確信が持てたのではなかったか。
 そうして鎖国体制を築いた日本は、天下泰平を得た。キリスト教を禁止したために諸天善神の怒りが治まり天下泰平となった。
 しかしながら、爾前経に執着する者のために、大地震、大火、大風、飢饉、疫病、大噴火等の天変地夭は相変わらずであった。 とはいっても、内乱が無くなり、世界大戦も遠ざかることに喜びを感じる江戸(時代の)市民(喩)の姿がある。
 これが、江戸期までの時代の流れであり、大聖人御在世は、元寇という他国侵逼をも招いているのであるから、仏法の力用侮ることなかれである。
 日本は正法に帰さねばならん。現在の濁悪日本は正法が曲がるために、政治経済が曲がっていき、人々は結婚をしたがらず、子どもも持ちたくないという気持ちになっている。
 これも仏法上の科(とが)であろう。キリスト教という邪教と爾前経に執着した結果である。とはいえ、現在の資本主義体制の世界では、前者を否定したところでどうすることもできん。
 世界の大戦乱に、無意識に導かれるしかないのである。
 我々はそのことを知っている。故に、少しずつでも日本発の正法を勧め、戦乱を遠ざけよう。小生は扉を閉める。あの忌まわしき扉を閉めて、禍の気を開かずの間から遠ざけよう。何としても世界の終末戦争だけは避けねばならんのだ。
 
 『日蓮大聖人の仏法』つづき
 
 まず「時」については
「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」と定められている。
 
「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とは、国家が宗教の正邪にめざめ、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法、衆生成仏の唯一の正法であると認識決裁し、これを尊崇守護することである。
 それは具体的にはどのような姿相(しそう)になるのかといえば、次文に
「王臣一同に本門の三大秘密の法を持(たも)ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とある。すなわち日本国の国主たる天皇も、大臣も、全国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、この大御本尊を守護し奉るためには、有徳王・覚徳比丘の故事に示されているごとく、身命も惜しまぬ大護法心が日本国にみなぎった時-と仰せられる。
 大聖人は末法濁悪の未来日本国に、このような国家状況が必ず現出することを、ここに断言しておられる。
 
 次に戒壇建立の「手続」については
「勅宣並びに御教書を申し下して」と定められている。「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは当時幕府の令書、今日においては閣議決定・国会議決等がこれに当ろう。まさしく「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、国家意志の公式表明を建立の手続とせよということである。
 
 
つづく
●は小生