『立正安国論』つづき

七、禁断謗法を結す

 本文
 夫(そ)れ経文顕然(けんねん)なり。私(わたくし)の詞(ことば)何(なん)ぞ加えん。凡(およ)そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり、故に阿鼻大城に堕して永く出(いず)る期(ご)無(な)けん。

 通釈
 経文はこのように顕然である。このうえ私の言葉を何で加える必要があろうか。
およそ、法華経に説かれるごとくならば、大乗経典を謗(ぼう)する者は無量の五逆罪にも勝(まさ)る大罪である。ゆえに、阿鼻大城(あびだいじょう)に堕ちて永く出る時はないであろう。

語訳
大乗経典
法華経のこと。その元意は寿量品の文底に秘沈された三大秘法である。

無量の五逆に勝れたり
・殺父(しふ)
・殺母(しも)
・殺阿羅漢(しあらかん)
・破和合僧(はわごうそう)
・出仏身血(すいぶつしんけつ)
ーの五逆を数限りなく犯した罪よりも謗法の罪は重いということ。

阿鼻大城(あびだいじょう)
無間地獄のこと。

本文
涅槃経の如くんば、設(たと)い五逆の供(く)をば許すとも謗法の施を許さず、蟻子(ぎし)を殺す者は必ず三悪道(さんあくどう)に落つ、謗法を禁(とど)むる者は不退の位に登る、所謂(いわゆる)覚徳とは是れ迦葉仏なり、有徳とは則(すなわ)ち釈迦文なり。

通釈
また涅槃経のごとくならば、たとえ五逆罪を犯した者に供養することは許しても、謗法の人に布施することは許さない。また蟻の子を殺す者は必ず三悪道に落ちるが、謗法の人を禁(とど)める者は不退の位に登る。いわゆる覚徳とは迦葉仏であり、有徳とはすなわち釈尊である。

五逆の供(く)
五逆罪を犯した者に供養すること。

謗法の施
正法を誹謗する者に布施・供養をすること。

三悪道
地獄・餓鬼・畜生をいう。

不退の位
仏道修行において、どのような誘惑や迫害があっても、退転しない境涯をいう。天台は菩薩の五十二位のうち、初住の位をもって不退としている。

本文
法華・涅槃の教義は一代五時の肝心なり、其の禁(いまし)め実に重し、誰(たれ)か帰仰(きごう)せざらんや。

通釈
これらの法華・涅槃の経教は釈尊一代五時の説法の中では肝心である。よってその禁(いまし)めは実に思い。誰が帰仰(きごう)せずにいられようか。
 

本文
而(しか)るに謗法の族(やから)・正道(しょうどう)を忘(わす)るの人、剰(あまつさ)え法然の選択(せんちゃく)に依つて弥(いよい)よ愚癡(ぐち)の盲瞽(もうこ)を増す。

通釈
しかるに、諸宗はおともと謗法であり、正道を忘れた輩であるが、そのうえに法然の選択によっていよいよ愚痴の盲目を増し、

本文
是(ここ)を以(もつ)て或は彼(か)の遺体を忍(しの)びて木絵の像に露(あらわ)し、或は其の妄説(もうせつ)を信じて莠(ゆう)言の模(かたぎ)を彫(え)り、之を海内(かいだい)に弘め、之(これ)を墎外(かくがい)に翫(もてあそ)ぶ、仰ぐ所は則ち其の家風(けふう)、施(ほどこ)す所は則ち其の門弟なり。

通釈
あるいは法然の遺体を偲んで木画(もくえ)の像にあらわしたり、あるいはその妄語を信じて悪言を版木に彫り、これを国中に弘め、すみずみにまで流している。その結果、国中が仰ぐところは浄土の宗風であり、布施するのは法然の門弟に対してだけということになった。

語訳
莠(ゆう)言の模(かたぎ)

莠(ゆう)言とは善言に似た邪悪の言葉。ここでは法然の選択を指す。「模(かたぎ)を彫(え)り」とは印刷の版木を彫ること。

海内(かいだい)

四海のうち、国内・天下のこと。

 

墎外(かくがい)
墎とは「かこみ」をいう。都城の周辺を塁壁で囲んだところから城内を墎内(かくない)、城外を墎外(かくがい)といった。ここでは都の外、田舎に至るまで法然の選択の邪義が広まったことをいう。

 

其の家風(けふう)

念仏宗の家風。すなわち法然の邪義。

 

 

本文
然(しか)る間(あいだ)或(あるい)は釈迦の手指を切りて弥陀の印相を結び、或は東方如来(とうほうにょらい)の鴈宇(がんう)を改(あらた)めて西土(さいど)教主の鵝王(がおう)を居(す)え、或は四百(しひゃく)余回(よかい)の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し、或は天台大師の講を停(とど)めて善導の講と為す、此(かく)の如き群類(ぐんるい)其れ誠に尽くし難し。

通釈
 このようなありさまであるから、あるいは釈迦の仏像ぼ手指を切って弥陀の印相に変え、あるいは東方薬師如来の堂塔を改めて西方阿弥陀の仏像を居(す)え、あるいは四百年来続けられてきた法華経書写の妙法経(みょうほうぎょう)を止(とど)めて浄土の三部経を書写するようになり、あるいは天台大師の報恩講を停止して善導講としてしまった。

語訳

釈迦の手指を切りて

善光寺の本尊も本は釈尊であったが中古より弥陀と称し、また相模の国の大盛入道は良観房の勧めによって、釈迦の指を切り弥陀の印としている。

 

印相

仏、菩薩の手や指の造像上の特定の形。この印相は仏像の種類を分類する重要な条件とされる。

 

東方薬師如来

薬師如来のこと。

 

鴈宇(がんう)

伽藍のこと。現在では仏堂をいう。

 

鵝王(がおう)

仏の異称のこと。

 

四百(しひゃく)余回(よかい)の如法経を止めて

天長十年、慈覚四十歳の時、身心疲労して眼も昏(くら)く、ために叡山の北の草庵に一時住む、たまたま感じて法華経を書写して小塔に蔵して名を如法堂という。これより法華経を書写することを如法経といい、その時以来文応に至るまで四百二十三・四年、ゆえに四百余歳という。法然これを止める。

天台大師の入滅会。念仏が広まると共に善導講とすりかえられた。

 

天台大師の講


本文
是(こ)れ破仏に非(あら)ずや、是れ破法に非(あら)ずや、是れ破僧(はそう)に非ずや、此の邪義は則ち選択(せんちゃく)に依(よ)るなり。

 

通釈
このような謗法の徒輩はとうてい数えきれない。これ破仏ではないか、これ破法ではないか、これ破僧ではないか。これらの邪義はすなわち法然の選択(せんちゃく)に依る。

本文
嗟呼(ああ)悲しいかな如来誠諦(にょらいじょたい)の禁言に背くこと、哀(あわれ)なるかな愚侶(ぐりょ)の麁語(そご)に随(したが)うこと。

 

通釈
まことに如来の深い覚りから出た禁言に背いているのは悲しいことであり、法然ごとき愚侶の悪言に従っているのは哀れなことである。
 

語訳

誠諦

悟りのこと。誠は真実、諦は明らかにする、究めるとの意味。すなわち仏が自ら深く究め、明らかにした真理。

本文
早く天下の静謐(せいひつ)を思わば、須(すべから)く国中(こくちゅう)の謗法を断つべし。

通釈
早く天下の泰平を願うならば、何よりもこれら国中の謗法を断つべきである。
 

語訳

静謐

平穏・泰平の意。

 

浅井先生講義

ここは第七段の結びである。

 国土の災難を止(とど)めるには、謗法の人を禁(とど)めて正道の侶を重んじなければならない。しかもその文証は上来示された法華経・涅槃経等に顕然である。しかるに日本国中は法然の選択により、逆に邪法の人に供養し、三宝を破壊している状態である。されば、もし天下の静謐(せいひつ)を願うなら、国中の謗法を早く禁断せよと、強く仰せられ禁断謗法を結び給うのである。

 

第八段 斬罪の用否を示す

第一章 大集経に違するを示し斬罪を疑う

 

本文

 客の曰く、若(も)し謗法の輩を断じ、若(も)し仏禁(ぶっきん)の違(い)を絶(ぜっ)せんには、彼(か)の経文の如く斬罪(ざんざい)に行うべきか。

 

通釈

 客のいわく。もし謗法の輩を禁断し、仏の禁(いまし)めに相違する者を絶(た)つには、かの経文(涅槃経)のように斬罪(ざんざい)にしなければならないのであろうか。

 

語訳

仏禁(ぶっきん)の違(い)

仏の禁誡に違背する者。

 

彼(か)の経文の如く

前に引かれた涅槃経等の文を指す。

 

本文若(も)し然らば殺害相い加え、罪業(ざいごう)何(いか)んが為(せ)んや。

 

通釈

もしそうであるならば、互いに殺害し合い、その殺生の罪はいったいどうなるのか。

 

語訳

殺害相い加え

双文共に殺し合い、その結果殺生の罪を作ることになるではないか、との客の論難である。

 

本文

則(すなわ)ち大集経に云く「頭(こうべ)を剃り袈裟を著(ちゃく)せば、持戒(じかい)及び毀戒(きかい)なりとも、天人彼(てんにんかれ)を供養すべし。

 

通釈

すなわち大集経には「頭を剃り袈裟を著(つ)けた者であるならば、たとえそれが持戒であり毀戒(きかい)であっても天人は彼を供養するであろう。

 

語訳

大集経に云く

大集月蔵経法滅尽品(だいしつがつぞうきょうほうめつじんぼん)の文。

 

袈裟

僧が身にまとう法衣のこと。

 

毀戒

戒律を破る者。破戎と同意。

 

天人

天界および人界の衆生。

 

本文

則(すなわ)ち為(こ)れ我(われ)を供養するなり、是(こ)れ我が子なり、若(も)し彼を撾打(かだ)すること有れば則ち為れ我が子を打つなり、若し彼を罵辱(めにく)せば則ち為れ我を毀辱(きにく)するなり」と。

 

通釈

すなわち我(釈尊)を供養することになるからである。出家は我が子である。よって彼を打つならば我が子を打つことになり、もし彼を罵(ののし)りはずかしめるならば、我をそしり辱めることになるのである」とある。

 

語訳

撾打(かだ)

撾も打も、共に打つという意。

 

罵辱(めにく)

ののしり、はずかしめること。

 

本文

料(はか)り知りぬ、善悪を論ぜず、是非を択(えら)ぶこと無く、僧侶為(そうりょた)るに於(おい)ては供養を展(の)ぶべし、何ぞ其の子を打辱(ちょうにく)して忝(かたじけな)くも其の父を悲哀(ひあい)せしめん。

 

通釈

これを以って知るべきである。善悪を論ぜず是非をえらばず、僧侶であるならば誰に対しても供養すべきである。どうして仏子(ぶっし)を打ち辱(はずかし)めて、もったいなくもその父たる仏を悲哀させてよいものであろうか。

 

本文

彼の竹杖(ちくじょう)の目連尊者(もくれんそんじゃ)を害(がい)せしや永く無間の底に沈み、提婆達多(だいばたった)の蓮華比丘尼(れんげびくに)を殺せしや久しく阿鼻の焔(ほのお)に咽(むせ)ぶ、先証(せんしょう)斯(こ)れ明(あきら)かなり、後昆最(こうこんもっと)も恐れあり。

 

通釈

かの竹杖外道は目連尊者(もくれんそんじゃ)を殺害して永く無間地獄の底に沈み、提婆達多(だいばだった)は蓮華比丘尼を殺して久しく阿鼻地獄の焔にむせんだではないか。このように先証は明らかである。後世の人々は最もこれを恐れなくてはならない。

 

語訳

彼の竹杖(ちくじょう)の目連尊者(もくれんそんじゃ)を害(がい)せし

釈尊の十大弟子の一人である目連は、法華経の会座において未来成仏の記莂(きべつ)を受けたが、後に仏法を憎むバラモンの一派・竹杖外道に囲まれ、一度は脱出したが、過去の宿業を知って自ら戻り、殺されることによって宿業を消した。日寛上人の文段には「問う、目連すでに法華に於て初住の記を得(う)、何ぞ外道の殺す所と為るや、答う、極果(ごっか)なお頭痛・背痛あり、況(いわ)んやまた初住をや。註に云く『業能(よ)く随逐(ずいちく)して聖に至るも免(まぬが)れず。但総報の悪業を断つ、別報止まざる故に業を償(つぐな)うなり』云云」と。

 

提婆達多(だいばたった)の蓮華比丘尼(れんげびくに)を殺せし

提婆は調達(ちょうたつ)ともいい、出生の時諸天すでに彼が成長の後、三逆罪を犯すを知り、心に熱悩を感じたので天熱(てんねつ)と名づけられたという。我慢怨嫉の念強く、釈尊に敵対して和合僧を破り、釈尊を殺さんとして足の指より血を出し、のち蓮華比丘尼に面詰されて怒り、蓮華比丘尼を殺して殺阿羅漢(しあらかん)の罪を犯した。この時、大地が割れて生きながら無間地獄に堕ちたといわれている。この提婆も法華経では天王如来の記莂を受けている。

 

後昆

後世の人

 

 

本文

謗法を誡(いまし)むるに似て既(すで)に禁言(きんげん)を破る、此の事信(ことしん)じ難(がた)し、如何(いかん)が意(こころ)得(え)んや。

 

通釈

されば謗法の人を斬罪のことは信じ難い、どのように心得たらよいであろうか。

 

浅井先生講義

 第八段の問答は、涅槃経に説かれる”命根を断つ”ということが、どのような精神なのか、また末法今日における謗法禁断の在り方を、具体的に御指南された段である。

 客は上来の涅槃経の断命についての文意を誤解し、僧侶を斬罪にすることが大集経の禁(いまし)めに背くのではないかと、斬罪についての疑問を主人に尋ねたのである。

 

日テレNEWS

 

内閣支持“最低”更新23% 求心力低下 ポスト岸田は? NNN世論調査

 

 自民党機関誌、国民向けの政権広報誌「読売新聞」。その読売も必死の印象操作で、政権与党自民党維持を試みようとしている(公明党が与党にある限り、国家は急速に沈まざるを得ないのではあるが)。

 果たして多くの国民は、どのような国政選挙結果を齎すのか、大いに関心がある。どこまで衆愚となってしまったのかを観る必要がある。既に東京都知事選挙は、衆愚どころか、権力者側、支配層側につく候補者の多数乱立となっている。

多様性バブルとでも呼ぼうか(支配層の集票割り戦略。よくやる。そこまでするか)。

 東京の支配層は焦っている。50人超えの知事選候補者など前代未聞だろう。

 しかも、メンズセクハラとも疑われるようなポスターが貼り出されたといって話題になっている。

 どこまでも墜ち続ける日本。本当に沈みゆくしかないことを見事に証明しているといえよう。

 

『鬼滅の刃』どこまでも、この国を揶揄した大人気アニメーション作品。

『無限列車編』にて現れたラストボスは、まさに、東京の支配層(安倍晋三とそのシンパ)を模している。

原作者(ら)は鋭い眼力、通力、世相を見る目をもって、この作品を作り続けたようだ。

今回の都知事選で表出した支配層の思惑と謀略。これを謀(たばか)りともいう。

選挙は深淵なる印象操作によって決まる。選挙支配層は、メディアを通して、巧みな選挙戦略。一部の支配層に日本の選挙は牛耳られている。まるで現在のロシアのように。そして、『鬼滅の刃 無限列車編』は、見事にその支配層を「悪鬼」としてあぶり出したのだ。その名は「魘夢(えんむ)」というのであった。

 

 

『立正安国論』つづき

第二章 末法適時の禁断謗法とは布施を止むるにあるを示す

 

本文

 主人の曰く、客明(きゃくあきら)かに経文を見て猶斯(なおこ)の言(ことば)を成す、心の及(およ)ばざるか、理(り)の通ぜざるか。

 

通釈

主人のいわく。

客は明らかに涅槃経を見ていながら、なおこのような質問をするとは、心が及ばないのか、理が通じないのか。

 

語訳

客明(きゃくあきら)かに経文を見て

上来の涅槃経等の文をさす。

 

本文

全く仏子(ぶっし)を禁(いまし)むるには非(あら)ず、唯偏(ただひとえ)に謗法を悪(にく)むなり。

 

通釈

涅槃経において止施断命を説いているのは、全く仏子を禁(いまし)めているのではない。ただひとえに謗法を悪(にく)むのである。

 

語訳

全く仏子(ぶっし)を禁(いまし)むるには非(あら)ず

日寛上人の文段には「これ大集経を会(え)するなり。謂(いわ)く、涅槃経の止施断命は全く仏子を禁むるには非せずして、ただ謗法を悪(にく)むなり。若し大集経の『持戒・毀戒』はともに仏子に約す、これ謗法の人に約すに非ず、故に今の遺文に非ざるなり」と。

 

本文

夫(そ)れ釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖(いえど)も、能仁(のうにん)の以後の経説(きょうせつ)は則(すなわ)ち其の施(せ)を止(とど)む。

 

通釈

そもそも釈迦以前の仏教においては謗法者の罪を斬ったが、釈迦以後の教説においては謗法者への布施を止めることが説かれている。

 

語訳

釈迦の以前の仏教

涅槃経の仙予国王、有徳王等の例をさす。これらは釈迦がインドに出現する以前の因位(いんい)の修行の時代ゆえに、「釈迦以前」という。

 

能仁(のうにん)

釈尊のこと。能忍とも書く。”能く難を忍ぶ”の意で、仏が誹謗、迫害を忍んで一切衆生を救わんとする大慈悲に名づける。善無畏三蔵抄に「釈迦如来の御名をば能忍と名けて、此の土に入り給うに、一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給う故なり」と。

 

其の施(せ)

謗法者に布施をすること。

 

本文

然れば則ち四海万邦一切の四衆(しかいばんぽういっさいのししゅう)、其の悪に施(ほどこ)さずして皆此の善(ぜん)に帰せば、何(いか)なる難(なん)か並び起り、何(いか)なる災(わざわい)か競(きそ)い来(きた)らん。

 

通釈

されば、四海万邦(しかいばんぽう)の一切衆生がことごとく謗法の悪に布施せず、みな正法の善に帰するならば、いかなる難が並びおこり、いかなる災が競い来るであろうか。

 

語訳

其の悪に施(ほどこ)さずして皆此の善(ぜん)に帰せば

日寛上人の文段に「『悪』は即ちこれ謗法なり、『善』は即ちこれ正法なり。まさに知るべし、『其の悪に施さず』とはこれ破邪なり。『皆此の善に帰せば』とはこれ立正なり。『難なく災なし』とは豈(あ)に安国に非ずや。また復(また)善悪相対・権・迹・本等忘失すべからず」と。

 

 AERA.dot

 

 

 

大企業の利権を守るためにEV化で後れを取った日本の代償 中国に全て奪われ「産業国家」が没落する日 古賀茂明
 

 

 日本は沈む。産業界も衰退だ。この記事に明らかである。

 このように、没落する日本。

何が問題なのか、よくよく考える必要がある。

原因は分かっているはずなのだ。

 

要点

日本復活の世界EV市場参入。

落とし穴

日本のEV化を阻む要因

・航続距離が不安

中国では、航続距離1000㎞のEVも出てきた。

 

・充電に時間がかかる

中国では、日本で1時間「急速充電器」(200kw程度)を遥かに上回る高出力の「超急速充電器」が普及し始めた。

10分で600㎞分の充電可能。

 

・充電インフラがない

中国ではすでに公共充電器が300万台設置。

超急速充電ステーションの数だけでガソリンスタンドの数を超えた地域がある。

 

・電力不足(化石燃料の浪費につながる)

再エネ普及を事実上妨害してきた日本に特有の問題。

中国、太陽光発電51%、風力発電60%を占める。

化石燃料に頼れば、エネルギー安全保障上マイナスだという大きな視点も含めて、シャカリキになって再エネを導入している。

 

その気になれば100%グリーン電力によるEV化も日本では今後できるはずだ●が、今は政治が乱れに乱れ、困難を極めている。●

 

・電池産業で敗北

2017年まで日本は第1位。3割のシェアを持っていた。

2024年現在、中国2社で5割のシェア

 

・モーターの状況

ニデック(旧日本電産)は、日本でEVが普及しないため中国に進出する羽目になり、価格競争激化のため、皮肉にも欧州へと拠点を移すことになっている。

 

・車両の軽量化が航続距離を延ばす。そのため中国では新たな合金開発が進む。

金属産業の高度化。

 

ギガキャスト技術

ダイカストマシン・メーカー中国企業がイタリアメーカーを買収。

 

中国のハイブリット(PHV)は価格が220万円からで航続距離は2100㎞。

 

BYDは23年に143万台だったPHV販売を24年は3割程度拡大するペースで販売している。

日本を完全に凌駕する。

 

・空飛ぶ車開発

 

●は小生。

―ここまで。

 

日本はこのままでは沈む。低所得では、とても高価なEVを買うことなどできん。

ゆえに、国益100均戦略はデフレを招き、そのために、日本は低所得でよしとして自らの頸を絞めざるを得んのだよ。

 

100均戦略:100円で優れた物が買えると錯覚するわけだが、それにより低所得のままでよいという国中に蔓延する深層思想だ。

これがデフレを継続させていることは言を俟たない。

高所得でなければ、EVは高嶺の花なのだ。

 

そこで、終末論を掲げて、機械文明はもう終わりとするのが日本の衆生の悪い癖がある。

日本は終わっても世界は終わらんぞ。

問題は、そうしてどうすることもできないことへの刹那感情が、今後、最も危険な思想となるのだよ。

よりよき未来を構築するにはどうすればよいのか(無論、破滅的な戦争のない)。

 

国家戦略としてどうするか。

これが「政治の力で変えてゆく」しかあるまい、という事象なのである。

 

EV=電気自動車

 

 

MBSニュース

 

維新は『政策活動費を廃止』へ 来年度をめどにすべて収支報告書に計上して領収書を公開する方針

 

その政治が乱れに乱れいていることを象徴する記事に出会った。維新の会は政策活動費を廃止するという。自民党のあらゆる癒着活動を否定した内容となっているためかなりのインパクトがある。

 

 これ以上日本を沈ませないようにするにはどうしたらよいのか。沈むには自民党と公明党の力が要る。

まずは、徹底的に沈ませて、その先の希望を見出した方がよいのであろうか。

このまま沈み続けて希望が見出せるのであろうか。

どう考えても、善き未来が見えん。やはり自民党と公明党は国を沈ませるために存在しているようである。特に謗法著しい公明党。

 どうしたらよいのか、公明党を切り離して自民党政権を復活させて沈みゆく日本を浮上させるか、あるいは、政権交代を果して、現在の維新含む野党勢力が政権与党として活動してゆくのか。

 野党大連立による、大連立与党となって、政治運営をするのである。

おそらくその方が、沈みゆく日本を止めることができるのではなかろうか。

東京の伏魔殿。政権交代は、政治を牛耳る支配層の機嫌を損ねるであろうから、よほどの印象操作権謀術策に翻弄されることを見破る力が必要ではあろうがね。

 政権が危機的であると巨大地震が発生するようである。

今回の能登大地震も政治の乱れからきている可能性もあろう。10年以上前には、東日本大震災が発生し、日本を震撼させている。あの謗法団体「霊友会」を票田にもつ故石原慎太郎元都知事もあの地震と原発の爆発は濁悪日本への「罰」であると認識していた。

 このように、日本は今も「罰」が当たり続けている。謗法の罰であるから改心せよと申し上げたところで聞く耳持たずであろう。ゆえに、若者は結婚をしたがらず、子も持ちたがらず。没落の日本をただ刹那的に生き延びているのみである。

 まさにゆでガエル状態であろう。ぬるま湯につかり続けてどうなるかは想像がつくというものである。

 

 維新の会を見直した。今後は、一大連立与党政権を全く新しい組み合わせで構築して、沈みゆく日本を止めていただきたい。

これは、自民党と公明党にはできん仕事である。癒着が強すぎて身動きが取れんのだ。

  

 

よろず~

 

 

シュワちゃん 気候変動対策を呼び掛け 「必要なことは何でもする」 10年以上にわたり環境保護活動に注力


アメリカ合衆国共和党の元州知事であり、ハリウッドスターの気候変動対策の呼び掛け。

我々が未来を救うのである。ただし、自民党と公明党では、破滅的な戦争に靡かれてしまう可能性があるため、政権交代が必要である。合衆国からも働きかけていただきたいところであろう。 どのみち、合衆国の御意見番にお伺いを立てねばならんのだから。

 

現在の民主党大統領には、影があることを以前この物言いで申し上げた。西側諸国の戦争が止められんことも理由があってのことと申し上げた。

 現在、戦争は止まるところ知らず、エスカレーションしていることが分かろう。小生が以前から申し上げている通りである。

現在の大統領に戦争を止める力はない。ゆえに、戦争を止める大統領が世界に必要である。

 できなければ、日本が軍拡を進めてゆく中でどこかの段階で、人類が滅ぶ。それを止めるのも、止められんのもアメリカ合衆国の力に依る。

 世界情勢はかなり騒がしくなっている。これ以上、戦乱の火種の拡大は防がなければならんだろう。

 

『立正安国論』つづき

第九段 現当の大難を予言し立正安国を勧む

第一章 信を生じ謗法への施を断つを誓う

 

 本文

客則(きゃくすなわ)ち席(せき)を避け襟(えり)を刷(つくろ)いて曰く、仏教斯(こ)れ区(まちまち)にして旨趣(ししゅ)窮(きわ)め難く、不審多端にして理非(りひ)明らかならず。

 

通釈

客は席を避け、襟(えり)を正し、師弟の礼をとっていった。

仏教は多くの宗派に分かれ、その教義はなかなか究わめがたく、わからないことが多く理非は明らかではない。

 

語訳

客則(きゃくすなわ)ち席(せき)を避け襟(えり)を刷(つくろ)いて

 これまで対等に話していた客が、主人の言葉に打たれ信伏尊敬し、師弟の礼をとる様を表わす。

 

理非(りひ)明らかならず

どの宗派が正しく、どの宗派が邪であるか、という区別が明らかでないという意。

 

旨趣

物事の道理。ここでは仏教各宗派の中心となる教義の意。

 

本文

但し法然聖人の選択(せんちゃく)現在なり、諸仏・諸菩薩・諸天等を以(もっ)て捨閉閣抛(しゃへいかくほう)に載す、其の文顕然なり。

 

通釈

ただし、法然聖人の選択(せんちゃく)は現にあり、その中で諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を捨閉閣抛(しゃへいかくほう)せよといっている。その文は顕然である。

 

語訳

現在なり

現に在りということで、明らかであるとの意。

 

本文

玆(こ)れに因って聖人国を去り善神所を捨てて、天下飢渇(てんかきかつ)すと、今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す、故に妄執既(もうしゅうすで)に飜(ひるが)えり耳目数朗(じもくしばしばあきら)かなり。

 

通釈

この謗法により、聖人国を去り善神所を捨て、天下は飢渇し世間に疫病が流行するのであると、主人は今広く経文を引いて明らかに理非を示して下さった。ゆえに間違った執着はすでにひるがえり、よくわかるようになってきた。

 

語訳

妄執

盲目的な執着。

 

耳目数朗(じもくしばしばあきら)

正邪を聞き分ける耳、善悪を判断する目が、ほぼ明らかになった、との意。

 

本文

所詮国土泰平天下安穏(しょせんこくどたいへいてんかあんのん)は、一人(いちにん)より万民に至るまで好む所なり楽(ねが)う所(ところ)なり。

 

通釈

所詮、国土泰平・天下安穏は上一人より下万民に至るまで好むところであり、楽(ねが)うところである。

 

本文

早く一闡提(いっせんだい)の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海(ぶっかい)の白浪(はくろう)を収(おさ)め、法山(ほうざん)の緑林(りょくりん)を截(き)らば、世は羲農(ぎのう)の世と成り、国は唐虞(とうぐ)の国と為らん。

 

通釈

早く謗法者への布施を止め、永く正法の僧尼を供養し、仏法中の賊を断絶するならば、世は伏羲・神農の代のごとく穏やかになり、国は尭(ぎょう)・舜(しゅん)の聖代のごとく安らかになるであろう。

 

語訳

衆僧尼

ここでは正法を護持している僧や尼。

 

仏海(ぶっかい)の白浪(はくろう)

仏海とは釈尊一代仏教の広大なるさまを海にたとえたもの。白浪とは盗賊の異称。ことに水賊・海賊を白浪と呼ぶ。ここでは仏法中の賊である法然等の邪僧をさす。

 

法山(ほうざん)の緑林(りょくりん)

法山とは釈尊の一代仏教を総称して、その高く大なるさまを山にたとえた言葉。緑林とは盗賊の異称、ことに山賊をさす。前漢の末、無頼の徒が緑林山に隠れて盗賊になった故事による。前文と同じく法然等の邪僧をさす。

 

羲農(ぎのう)の世

中国古代の聖人伏羲・神農の世を併称して羲農(ぎのう)の世という。この時代は国主の徳高く平和で災害なく理想的な時代であったという。

 

唐虞の国

唐尭・虞舜の古代中国の聖主の時代をさし、共に羲農の世と同じく、善政により繁栄した世といわれている。

 

本文

然(しか)して後法水(のちほっすい)の浅深(せんじん)を斟酌(しんしゃく)し、仏家(ぶっけ)の棟梁を崇重(そうちょう)せん。

 

通釈

しかしてのち、仏法の勝劣浅深を見きわめ、仏家の棟梁を崇重したいと思う。

 

法水(のちほっすい)の浅深(せんじん)を斟酌(しんしゃく)し

仏教の浅深勝劣をよくきわめてという意。日寛上人の文段には「浅は即ち余経、深は即ち法華なり。故に秀句(しゅうく)に云く『浅は易し深は難し、六難は法華を指し、九易(くい)は余経を指す』と云云取意。『法華はこれ大海なり』云云。『本地甚深』等云々」とある。

 

仏家(ぶっけ)の棟梁

日寛上人の文段には「末法の仏家の棟梁は即ちこれ蓮祖大聖人なり。故に撰時抄に云く『去(いぬ)る文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向って云く、日蓮は日本国の棟梁なり。予を失うは日本国の柱を倒すなり』等云々」と。

 

浅井先生講義

 客は主人の道理・文証・現証を示しての懇々(こんこん)たる慈喩(じゆ)に、いまや疑いも晴れ信を生じ、ついに師弟の礼をとるに至った。

 そして主人のいわれるままに謗法者への施を止めることを決意し、天下泰平を心に期するのである。

 ただし客の認識はもっぱら破邪に止まり、未だ立正の深意には至らない。ゆえに国家が安泰になったのちに「法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重(そうちょう)せん」というのである。

 いま、大聖人の御内証より「法水の浅深を斟酌」すれば、一切諸経の中で最も深い正法とは三大秘法である。ゆえに撰時抄には「最大深秘の正法」と仰せられる。また「仏家の棟梁」とは末法下種の主師親たる日蓮大聖人の御事である。ゆえに撰時抄には「日蓮は日本の棟梁なり」と仰せられる。この下種の人・法こそ、正中の正である。

 客は未だこの立正の深意を知らない。ただし「師は針のごとく弟子は糸のごとし」と。未だ深意を知らずとも、正直に謗法を捨てて主人に信伏随従すれば、自ずとその義に至るのである。

 

第二章 現当の大難を示し謗法対治を促がす

一、二難必来を予言す

 

●「謗法対治を促がす」・・・。日本の人気アニメーション作品『鬼滅の刃』、現在も続編が放送中である。その鬼滅の鬼退治。この謗法対治をもとに作られている可能性を指摘したい。

 『立正安国論』は、法華経を守護する大聖人と謗法著しい念仏との激しい罵り合いとなっている。しかもその罵り合って、互いに謗法だから地獄に堕ちよと言い聞かせている。捨ておけ、閉じよ、閣(さしおけ)、なげうての捨閉閣抛(しゃへいかくほう)は、選択を唱えた生き仏法然の主張だが、謗法の選択(せんちゃく)捨閉閣抛せよと仰せの大聖人とはまったく同じように対峙しているのである。それでも法華経を誹謗した罪は重く、勝敗でいえば、法然の選択念仏は完敗しているわけである。

 大聖人は、ここ(立正安国論)に再度述べる必要はないとの仰せでもある。

 鬼退治。この鬼は、謗法対治ともみえる。ただし、なぜか念仏を唱える岩柱(南無阿弥陀仏)によって、この物語は謗法アニメーションとなっているのである。ゆえに、日本全国、世界中に念仏が正義と誤解し、さらなる大闘諍(世界戦争)へと誘われてしまう運命にあるのではないかと疑うのである。

 皮肉にも念仏を唱えると鬼が現れる。そのことまでも踏まえたうえで『鬼滅の刃』が作られている可能性もある。剣士と念仏、戦争と念仏。密接に関わりながらこの物語は最終話まで魅せるのであろうが、それでも「念仏」の謗法を正義と勘違いさせてしまうとすれば、かなり大きな過ちとして後世に残されてしまうであろう。その謗法が、日本を潰す可能性も捨てきれんのだ。しかも、時代背景は大正時代。この後、昭和時代となり、あの一閻浮提の大闘諍(第二次世界大戦)は見事に念仏によって誘(いざな)われていったのであった、ともいえるのではなかろうか。そのことこそが『鬼滅の刃』の大正の時空と令和の時空とのパラレルワールドなのやもしれんな●

 

 本文

主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤(はまぐり)と為る、悦ばしきかな、汝蘭室(らんしつ)の友に交(まじわ)りて麻畝(まほ)の性(しょう)と成る。

 

●さあ、ここである。まずは「雀変じて蛤(はまぐり)と為る」の部分。

雀と蛤の謂われは以下の通りである。

雀蛤となる(すずめはまぐりとなる) 晩秋
【子季語】
雀大水に入り蛤となる/雀化して蛤となる
【解説】
二十四節気の一つである寒露を三つにわけたものの一つで、七十二候の一つでもある。寒い時期、人里に雀が少ないのは、海で蛤になっているためと考えられていた。

 雀が大きい海の中に入り、蛤となった。現在は末法濁悪の世である。寒い時期であり、雀が法華経の大海で蛤と化したことは悦ばしきことということではなかろうか。

 

そして、「鳩化して鷹と為り」。鳩はハト派と呼ばれるように平和の象徴として現在は捉えられている。鷹はタカ派として、戦争の象徴として捉えられている。これがいつ頃から呼ばれるようになったのかである。

 

鷹化して鳩と為る(たかかしてはととなる/たかくわしてはととなる) 仲春
【解説】
七十二候のひとつ。啓蟄の第三候。三月十六日~二十日頃。春の訪れに鷹は鳩に変身するという中国の俗信からきたもの。そのようなことはあり得ず、春の幻想的な気分をあらわしている季語といえよう。

 

 鷹と鳩の釈迦説法の由来がある。腹が減った鷹が鳩を喰わんとしたとき、鳩は王に守られた。鳩の命を救うならば、鷹の命も救えと王に迫った。王は自らの肉を削ぎ、鷹に与えて鷹の命を救った。王は、自らの肉を鷹に与え続けていたとき、鳩は、梵天となり、鷹は帝釈天となる。梵天と帝釈天は、諸天善神の一つである。王はその後、釈迦仏として生まれ変わるであろうと予言を受けたのであった。

 そこまで遡るかというくらいに鷹と鳩の由来は深い。

『立正安国論』では、「鳩化して鷹と為り」である。これが逆ならばよいが、「疑心暗鬼」を起こすには余り有ろう。

この疑心暗鬼を引き起こす力も、織り込み済みであるのであろうか。

この安国論上奏(西暦1200年代)の前後の時代は、すでに末法濁悪の世に突入している。西暦1300年代には、遂に謗法著しい鎌倉幕府は滅亡となった。その後の濁悪日本は、王の存在すら危ぶまれるほどの大戦乱時代である。遂に、西暦1467年応仁の乱が発生すると、100年以上続く戦国時代に突入である。世界は、一閻浮提の大闘諍への準備段階。日本は内乱によって、最新兵器(火縄銃と大砲の日本への流入)に磨きをかける新時代である。

 鳩が鷹になれば、戦(いくさ)の気配であろう。それほどに、日本は怒りと怒りのぶつかり合いが激しくなっていった御在世であった可能性があり、謗法念仏の先(とが)が明らかになった以上、剣の念仏の本性現れたりといったところではなかったか。ある生き仏の母はその仏が生まれた時、針を呑む夢を見たという。戦(いくさ)仏の誕生は、不吉。その邪宗の僧侶が日本を滅ぼして行き、その後御出現なさったのが上行菩薩であり、久遠元初の自受用身なのであった。●

 

通釈

主人悦んでいわく。

 中国の故事に、鳩が化して鷹となり、雀が変じて蛤となるとあるが、まことに悦ばしいことに、いま汝は正法正師の縁にふれ、麻畑の中の蓬(よもぎ)のように、まっすぐな正信の人となった。

 

語訳

鳩化して鷹と為り

 物が大きく変化することを表わす。中国古代の伝説で礼記・月令篇(がつりょうへん)にある説話。ここでは客がこれまでの謗法の執着を捨てて、主人の正しい教えに従うようになった変化をさしている。

 

●引用

『中国の古書、礼記集説に、ちゅうしゅん仲春に鷹が化して鳩となり、ちゅうしゅう仲秋に鳩が化して鷹となり、きしゅう季秋に雀が大水に入って蛤となる。ということが説かれているが、あなたが志を立て今までの生き方を改めるということは、この故事の示す通り、大なる成長の第一歩であり大変に悦ばしいことである。
 更に付け加えて言うならば、同じく中国の古書、孔子家語に志ある人と交わるということは芝が蘭の室に入ると久しくして自ずから芳しくなる。との教えのように、あなたが志ある人と交わるならば又自然に志を持つ人の人格を身につけるようになられるであろう。このことを更に例えて言うならば、麻の畑に蓬を植えると地にはう蓬が真直ぐに成長するようなものである。』「出典本門寺」●

 

麻畝(まほ)の性(しょう)と成る

麻畝(まほ)とは麻畑のこと、蓬のようにまっすぐ伸びない草でも、麻畑の中に生えるとまっすぐ伸びる。このことから邪法邪義を信じて誤った考え方に陥っていた者が、正法を持つようになることをたとえたもの。

 

 

本文

誠に其の難を顧(かえり)みて専(もっぱ)ら此の言(ことば)を信ぜば、風和(かぜやわ)らぎ浪(なみ)静かにして、不日(ふじつ)に豊年(ぶねん)ならんのみ。

 

通釈

まことに国中の災難を憂慮して、一筋に我が言葉を信ずるならば、五風十雨(ごふうじゅうう)のごとく平穏な国土となり、日を経ずして世は豊年となるであろう。

 

語訳

此の言(ことば)を信ぜば

日蓮大聖人の教えを信ずるならばとの意。すなわち邪法への布施を止め、正法に帰依すること。

 

風和(かぜやわ)らぎ浪(なみ)静かにして

日寛上人の文段には「緑林の風和ぎ、白波(はくろう)の波静かに云云。五風・十雨等云云」と。

 

不日(ふじつ)に豊年(ぶねん)ならん

「不日に」とは、日ならずして、すみやかに、との意。

 

本文

但し人の心は時に随つて移り、物の性は境(さかい)に依って改まる。

 

通釈

ただし、人の心は時にしたがって移り、物の性は環境によって変化する。

 

物の性は境(さかい)に依って改まる

物の性質は、環境によって変わるとの意。日寛上人の文段に「物は即ちこれ人なり。まさに知るべし、心性は本(もと)善悪を具す。ゆえに外境に随って善悪の念生ず、たとえば水精の日輪の縁に随って火を生じ、月輪の縁に随って水を生ずるがごとし、すでに境によって善悪改変す。ゆえに『境に依つて改まる』というなり」と。

 

本文

譬(たと)えば猶(なお)水中の月の波に動き、陣前(じんぜん)の軍(いくさ)の剣(つるぎ)に靡(なび)くがごとし。汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん。

 

通釈

たとえば水に映った月影が波にゆれ動き、戦列を整えた軍隊が敵の剣になびくようなものである。汝も今ここでは信じていても、後には必ず永く忘れるであろう。

 

語訳

陣前(じんぜん)の軍(いくさ)の剣(つるぎ)に靡(なび)く

陣地に整列している軍隊が、敵の攻撃の剣を見て動揺するさま。

 

本文

若し先ず国土を安じて現当を祈らんと欲せば、速(すみやか)に情慮(じょうりょ)を廻らし、忩(いそ)ぎ対治を加えよ。

 

通釈

もし、まず国土を安んじて今生後生の幸福を願うなら、速やかに情慮を廻らし、急いで謗法禁断を実行せよ。

 

語訳

現当を祈らん

現在と未来世の幸福を願うこと。すなわち成仏を志すことである。

 

情慮(じょうりょ)

「どのように事を運ぼうか」という思索、考え。

 

本文

所以(ゆえ)は何(いか)ん、薬師経の七難の内五難忽(たちま)ちに起り、二難猶(なお)残れり、所以(いわゆる)他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。

 

通釈

その理由は、薬師経の七難のうち、五難はたちまちに起き二難がなお残っている、それは他国侵逼と自界叛逆の難である。

 

語訳

薬師経の七難

日寛上人の文段に「

一には人衆疾疫難、

二には他国侵逼難、

三には自界叛逆の難、

四には星宿変化難

五には日月薄蝕難

六には非時風雨難

七には過時不雨難なり」と。

 

 

本文

大集経(だいしっきょう)の三災の内、二災早く顕(あらわ)れ、一災未(いっさいいま)だ起らず、所以(いわゆる)兵革の災(わざわい)なり。

 

通釈

大集経の山災のうち、二災はすでにあらわれ一災だけが残っている、すなわち兵革の災である。

 

語訳

大集経(だいしっきょう)の三災

日寛上人の文段に「

一には穀貴

二には兵革

三には疫病なり」と。

 

 

本文

金光明経(こんこうみょうきょう)の内の種種(しゅじゅ)の災禍一一(さいかいちいち)に起ると雖(いえど)も、他方の怨賊国内を侵掠(しんりゃく)する此の災未だ露(あらわ)れず、此の難未だ来らず。

 

通釈

金光明経のうちの種々の災過は一つ一つ起きているが、他方の怨賊が国内を侵略するという災だけは未だあらわれない、未だ来ていない。

 

語訳

金光明経(こんこうみょうきょう)の内の種種(しゅじゅ)の災禍

日寛上人の文段に「

疫病、

彗星、

両日並び現じ、

薄蝕恒なく黒白二虹(こくびゃくにこう)

星流れ、

地動き井中に声を発し、

暴風

悪風

飢饉

他方の怨賊国内を侵掠(しんりゃく)する難

等なり」と。

 

 

本文

仁王経の七難の内六難今盛んにして一難未だ現ぜず、所以(いわゆる)四方の賊来(ぞくきた)りて国を侵すの難なり。

 

通釈

仁王経の七難のうち、六難はいま盛んであるが一難はまだ現われない、すなわち四方の賊が来て国を侵す難である。

 

語訳

仁王経の七難

日寛上人の文段に「

一には日月難

二には星宿難、

三には衆火難、

四には時節難、

五には大風難、

六には天地亢陽(こうよう)難、

七には四方の賊来る難なり」

 

 

本文

加之(しかのみならず)「国土乱れん時は先(ま)ず鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱る」と、今此の文に就いて具(つぶ)さに事の情(こころ)を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ、先難是れ明かなり、後災(こうさい)何ぞ疑わん。若し残る所の難、悪法の科(とが)に依って並び起り競い来らば、其の時何(いか)んが為せんや。

 

通釈

それだけではない、経文には「国土の乱れる時はまず鬼神が乱れる、鬼神乱れるがゆえに万民が乱れる」とある。いまこの文について、つぶさに事情を考えるに、百鬼は早くから乱れ万民は多く亡んでいる。このように、先難はすでに明らかである。されば未だあらわれぬ後災をどうして疑えようか。もし残すところの自他の二難が、悪法の科(とが)によって並び起こり、競い来たるならば、その時どうするのか。

 

語訳

先難是れ明かなり、後災(こうさい)何ぞ疑わん

日寛上人の文段に「法然の謗法に由るゆえに種々の災難いま世上に盛んなり。若し彼の謗法を退治せずんば、自他の叛逆来らんこと治定なり。故にこの輪を勘(かんが)え以てこれを奏するなり、故に重ねて四経の文を牒釈(ちょうしゃく)するなり。これこの論の肝要なり」と。

 

●「国土の乱れる時はまず鬼神が乱れる、鬼神乱れるがゆえに万民が乱れる」とある。日本の人気アニメーション作品『鬼滅の刃』はその時勢を見事に物語っている。現在の世相をみよ。まさに、悪鬼現れて、世界は戦乱相次ぎ、エスカレーションしているのではないか。まずは鬼神が乱れて万民が乱れるのである。

果たして、この「鬼滅」。謗法充満して、世界大闘諍へと向かうかどうか。念仏謗法の恐ろしさ、そのことを肝に銘じた方がよいのではないか。●

 

本文

帝王は、国家を基(もとい)として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ、而(しか)るに他方の賊来りて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや、豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん、汝須(すべから)く一身の安堵を思わば、先(ま)ずを禱(いの)るべきものか。

 

通釈

帝王は国家を基盤として天下を治め、人民は田園を領して生活を持(たも)っている。しかるに他方の賊が来てその国を侵逼し、自界叛逆してその地を掠領(りゃくりょう)するならば、どうして驚かずにいられよう、騒がずにいられよう。国を失い家がなくなれば、どこに行って生活ができようか。四表(しひょう)の静謐(せいひつ)汝もし一身の安堵を願うならば、まず一国の安泰・世界の平和を祈るべきである。

 

語訳

世上を保つ

生活を保持することをいう。

 

掠領(りゃくりょう)

土地や財産を奪い、占領すること。

 

一身の安堵

安堵とは、不安のない生活、安住することをいう。

 

四表(しひょう)の静謐(せいひつ)

四表とは東西南北四方の意。国内の安定、世界の平和をいう。

 

 

●現在の災難はどのようなものか。

仏法の眼で認識すれば以下のとおりである。

東日本大震災が発生

新型コロナウイルス世界蔓延(パンデミック)

昨年の沖縄の流星

能登大地震

鬼神乱れる(日本の人気アニメーション作品『鬼滅の刃』で鬼が全国で躍起となっている。小生も謗法に触れながら嵌っていった)

世界情勢の戦乱傾向

政変(自民党・公明党政権の混乱と終焉)(公明党(創価学会)が齎した自界叛逆の難)

これは今に始まったことではない。1970年代初頭の正本堂建立より日本は傾いて行くのである。

東京キー局のバラエティー番組に乱れが生じたのもそれが一端であろう。

1980年代には礼節がなくなり、崩壊を迎える前夜、人々は破廉恥が当たり前となり、劣化した。

 

今後は、気づけば、変わろうものである。いつ変われるかが問題なのである。

東京都知事選が近い。政治業界は果たして変われるのか? 固唾を呑み見守るしかあるまい。●

 

●は小生

 

主催 みどりの森

 

SDGs

風力発電の将来展望

地味なことを粛々と行うことが、

世の中の安寧(天下泰平)を保つことに繋がると。

 

浅井先生御講演 平成22年2月4日

『四条金吾殿御返事』建治三年 聖寿五十六歳

観音菩薩(月氏(インド))

南岳大師(漢土(中国))

聖徳太子(日本)

(大聖人700年前に現る)

 

薬王菩薩(月氏(インド))

天台大師(漢土(中国))

伝教大師(日本)

(大聖人400年前に現る)

 

そして久遠元初の自受用身

末法下種の主師親であられる

根本の御本仏:日蓮大聖人が日本に御出現

 

釈迦仏の御予言通りである。

 

浅井先生御講演 平成20年

『出世本懐成就御書』

熱原の法華講衆と頸刎ねる怒りの念仏狂信者平左衛門のこと詳細

戒壇の大御本尊が成る

 

池田大作

正本堂建立

選挙の道具とした。

戒壇の大御本尊へのこれほどの冒涜はない。

反逆である。

26年で崩壊した正本堂

 

現在、大罰の時機中。

 

広宣流布、国立戒壇は必ず成る。