このブログは、仏法画 『第一章 諸天逆切 ~瞋りの怨嫉~』を説明するものである。

大聖人御在世は、武家の世の黎明期、乱世前夜の政治体制であり、鎌倉幕府が日本国の政治運営をしていた時代である。

 

 時は、貞応(じょうおう)元年二月十六日。西暦1222年。久遠元初の自受用身となられる大聖人が安房国(あわのくに)(千葉県)長狭郡東条(ながさごおりとうじょう)の郷小湊(ごうこみなと)に御誕生となられた。

 この年は、釈尊御入滅後2171年に当たる。

 現在は令和5年であり、西暦2023年である。大聖人は801年前に御誕生になられたということになり、釈尊御入滅後からすれば、現在は2972年の時を経ていることになる。

 つまり、天照大神よりの天皇家が1940年に皇紀2600年を迎えたということであれば、現在では既に83年の時を経ており、皇紀2683年ということになる。

 皇紀2600年からさらに300年程遡って、釈尊が御入滅されているという事実を我々は目の当たりにするわけだが、そうすれば、辻褄が合うのである。

 法華経の会座において、天照大神等は誓状を立てている。今後現れるであろう法華経の行者を守護し奉るということである。

 天皇家が、釈尊の御化導時代よりも前ということはあり得ない話だ。

 

 詳しくは後程書き表そうと思うが、つまり、仏法画1番目「仏神」はそのことを顕わしている。

 

仏法画①

 

 

 神は所従であり、主は仏である。これを違えれば、国が亡ぶ。まさに第二次世界大戦国家神道隆盛の時機。大日本帝国は敗れ去り、滅んだ。神を立てたことによる、主客顚倒が国を亡ぼしてしまったのである。仏法恐るべし。日本国民は正仏法をよくよく理解せねばならんだろう。