気がかりなの34 まずは、交通大事故のことである。

 てな

 爆音バイクは怒りをもたらしであろう。

 怒りは真剣を生む

と同時に強いストレみ出す


NHK

 た

 

埼玉 首都高3人死亡事故 た通行止め解除は15日早朝の見通

ななはてはててなに、大作
気がかりな記事その26で申し上げた通りのことが現実に起こっている。

ここからー

気がかりな記事 その26

ベストカーweb

 

トラックの高速道制限速度が2024年春に引き上げへ……果たして「あおり運転」は減るのか!? そして物流問題も解決する?(ベストカーWeb)(ヘッドライン) | 自動車情報・ニュース - carview! 警察庁が高速道路上のトラックの最高速度を現行の80km/hから20km/hほど引き上げる方向で検討している。物流業者がより効率的に荷物を配送できるように、というのが表向きの理由だが、果たしてこれで「あおり運転」は減るのだろうか?文/国沢光...(ヘッドライン)リンクcarview.yahoo.co.jp

 

 

トラックの高速道制限速度が2024年春に引き上げへ……果たして「あおり運転」は減るのか!? そして物流問題も解決する?

 

 亡国の兆し、未だ留まる処知らず

 

 この記事にある問題点を炙り出してみよう。

 道の凶器、トラックの高速道路制限速度を20km/h上げることのメリット、デメリット。

メット

 目的地に早く着く。

 トラックドライバーが煽り運転と言なくなる。

 

デメリット

 重大な交通事故の可能性。

 今までの物流業界のままでは、寝不足ドライバーのヒヤリハットが、気がついたら前方の大渋滞で止まれずに、玉き20台程度の重大事故が起こる可能性がある。トラックは、時速100キロで走っているところへ追突となれば、衝突された直前の乗用車ドライバーは即死の可能性大だ。

 

 その大変な事故が発生したあと、次に国が考えることは、トラックドライバー負担の絶対的軽減の徹底だ。これこそが物流24年問題と言われかる根幹だろう。

 言い方を変えれば、楽して稼げるようにならなければ、トラックに乗るなということだ。

 トラック物流業界は、いわゆる3K産業だ。

 キツイことが当たり前で、これとして誇りに思っている者もいるだろう。

 そのキツサから解放されなければ、トラックに乗るなというわけだが、きつくなければ楽となろう。楽して稼げなければトラックに乗れないのだ。これが物流24年問題の問題点なのだ。

 世間は、「楽して稼ぎおって、この高給取りが」と思うに違いない。日本は、第二次大戦の軍隊精神が今でも息ずくよしとし、特攻精神は、失敗すれば死(自殺、病死)あるのみ。

 その「大変だから、稼げる」という思想を根本から変える働き方改革だ。だから、「改革」なのだ。ほぼ革命に近ろ

 安倍晋三の残境を破壊せ(道の凶器トラック燃料の浪費は、資源枯渇のエネルギー戦争を早める)、人の命を奪い続ける。

 愚かな首相に付き従ってしまったことを悔いるしかある

 もう誰にも亡国日本を大勢の日本国民が止めるとなど小生は止めようとしているがね。

 

今回の記事

トラックの最高速度規制緩和 80km/h →0km/h


80km/h制限は事故防止対策

 

速度リミッター導入前の5年間 

大型トラック関連の死亡事故 326件

1998年 速度リミッター導入後5年間

大型トラック関連の死亡事故 282件

 

速度リミッター完全導入 2018年~2022年 94件

 

速度リミッターは事故防止効果抜群

 

90km/h リミッター燃費

110km/h リミッター燃費

20%以上違う

 

東京~大阪 500走行 20%違えば燃料代450料代が上がる。

(燃料を余計に買ってくれるため石油業界は大儲けできる強かな規制緩和か?)

 

カーボントラルを目指す方針からすれば逆行

20%以上CO2排出量が増える。

 

長距離は、時間制限があり、今後走れなくなる可能性があるだろう。

物流24年問題規制強化で重大事故が増えるか?

(あるいは速度の規制緩和・2024.5.15追記)

このように日本は、自らの頸を絞めるように、亡国一直線なのだよ。

 

ーここまで

 

現在、速度の規制緩和により、90㎞/hで走行できるようになっている業界車。

安倍晋三は何人もの人を殺せば、気が済むのかといった悪法を創り上げたわけである。

 

これが、悪の規制緩和の好例となり、このような規制緩和が行われるから、人々が死に追いやられるのだ。

 

日本の軍事の規制緩和によって、今後どのようなことが起こるのかを示唆してあまりあろう。

多くの日本国民の死が見えるのである。

 

既に今回の事故で3人の方々が亡くなってしまった。

しかも、今年の速度の規制緩和後、業界車による死亡事故が増えているという。

今後も続く可能性が高い。

安倍晋三のために多くの日本の民が亡くなっていくのだ。

 

支配者らは今後規制緩和を解除する動きを取る可能性があるが、支配層はときに天邪鬼となろう。

そのような風が齎されれば齎されるほど頑なになり、元に戻すことに抵抗するだろう。

その抵抗支配層が日本を亡国へと導くのである。

悪鬼は安倍晋三取り巻く支配層にある。まだまだ、悪鬼日本に乱入して、悪事を齎すのではないか?

 

 

『正安国論』

 

五段 和漢の例を挙げ念仏亡国を示す


第一章 法然に対する破折を憤る

 

 本文

 客殊(きゃくこと)に色を作(な)して曰く、我が本師釈迦文(ほんししゃかもん)、浄土の三部経を説きたまいてより以来(このかた)、曇鸞法師(どんらんほっし)は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)は涅槃(ねはん)の広業を閣(さしお)きて偏(ひとえ)に西方の弘め、善導和尚(ぜんどうわしょう)は雑行(ぞうぎょう)を抛(なげう)つて専修(せんじゅ)を立て、恵心僧都(えしんそうず)は諸経の要文(ようもん)を集めて念仏の一行(いちぎょう)を宗(しゅう)とす、弥陀を貴重すること誠(まこと)に以(もっ)て然(しか)なり。又往生の人(にん)其(そ)れ幾(いく)ばくぞや。

 

通釈

客はさらに憤怒の色を増していわく。

わが本師釈迦牟尼仏が浄土の三部経を説いてより、曇鸞法師はそれまで学んできた竜樹菩薩の中観論等の四論を捨てて一向に浄土に帰し、道綽禅師はそれまで修行していた涅槃宗の広業(こうぎょう)を閣(さしお)いてひたすら西方浄土の行を弘め、善導和尚は雑行を抛って専修念仏を立て、叡山の彗心僧都(えしんぞうず)は諸経の要文を集めて念仏の一行をあがめた。まことに、多くの名僧が弥陀を貴重したことはかくのごとくである。また念仏によって極楽に往生した人はどれほど多くの数にのぼることであろうか。

 

語訳

客殊に色を作して

 日寛上人云く「すでに法然の名を出して正しく悪比丘という。故に客憤怒して色を増す。故に『殊に』というなり」と。

 

釈迦文

釈迦仏のこと。釈迦牟尼の音を「文」の字に写した。

 

四論

竜樹菩薩の「中観論」「十二門論」「大智度論」、および提婆菩薩と世親菩薩の「百論」を四論という。

 

涅槃の広業

道綽は、始め涅槃宗によって修行したが、のちに浄土宗に移って涅槃宗を捨てた。浄土三部経が念仏の一行を重んずるのに対し、涅槃経は広く聖行・天行・梵行・病行・嬰児行の五行を明かすゆえに広業という。あるいはまた浄土三部経は四巻の小冊であるのに対し、涅槃経は四十巻の大部であるゆえに広業という。

 

彗心僧都(えしんそうず)

比叡山の第十八大座主・慈慧(じえ)大師の弟子で権少僧都・慧信源信(九四ニ~一〇一七年)のことで日本の念仏の元祖と云われている。すなわち「往生要集」三巻を作り、念仏の一行を宗としたが、後に「一乗要決」を作って非を懺悔し、法華経こそ一乗真実の理なることを明らかにした。

 

●念仏の元祖でありながら、法華経こそ一乗の真実の理を明らかにするとは。末法突入の西暦1000年代、1050年前後より末法となれば、あと三十有余年前に覚(さと)られたということになろう。●

 

 

本文

就中(なかんずく)法然聖人(ほうねんしょうにん)は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻(ろくじっかん)に渉(わた)り、並びに八宗を究め、具(つぶさ)に大意(たいい)を得たり。

 

通釈

なかんずく法然聖人は幼少から比叡山に上り、十七歳にしてすでに天台宗の奥義たる天台・妙楽の六十巻を読破し、さらに八宗を究めて具(つぶ)さにその大意を得られた。

 

六十巻

天台大師の「法華玄義(ほっけげんぎ)」「法華文句(ほっけもんぐ)」「摩訶止観(まかしかん)」

の各十巻合わせて三十巻と、妙楽大師の「法華玄義釈籤(しゃくせん)」「法華文句記」「摩訶止観輔行伝弘決(ふぎょうでんぐけつ)」の各十巻合わせて三十巻。総じて六十巻をいう。

 

八宗

華厳

三論

法相(ほっそう)

具舎

成実(じょうじつ)

真言

天台

ーの八宗

 

本文

其の外一切の経論七遍反覆(きょうろんしちへんはんぷく)し、章疏(しょうじょ)伝記究め看(み)ざることなく、智は日月に斉(ひと)しく、徳は先師に越えたり。

 

通釈

そのほかの一切の経論を七回もくり返えし読み、さらに経論を解釈した章疏(しょうじょ)や伝記等はすべて見きわめ、まさにその智慧は日月にひとしく、徳は念仏の三師に越えている。

 

語訳

徳は先師に越えたり

ここでいう先師とは中国浄土宗の祖、曇鸞・道綽・善導等、また日本の慈心・叡空等をさす。

 

 

本文

然りと雖も猶(なお)出離(しゅつり)の趣(おもむき)に迷いて涅槃の旨を弁(わきま)えず、故(ゆえ)に遍(あまね)く覿(み)、悉く鑑み、深く思い、遠く慮(おもんばか)り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修(しゅ)す。

 

通釈

しかしそれでもなお、これらは難行で末代相応の行ではないから真の悟りを得るには至らず、よって更に広く経論を尋ね見、深く思い、遠くおもんぱかり、ついに諸経を抛ってもっぱら念仏の一行を立てた。

 

語訳

出離(しゅつり)の趣(おもむき)

出離とは成仏のこと。趣とは向かう所、帰着する義で、出離の道という意。日寛上人の文段には「一切経を反復し八宗の章疏(しょうじょ)を究むと雖も、皆これ難行にして末代相応の行に非ず。愚推僻解(ぐすいびゃくげ)するが故に『猶(なお)迷う』等というなり」とある。

 

遍(あまね)く覿(み)、悉く鑑み

日寛上人云く「何れが末代相応の行ならんと数(しばしば)これを尋ぬる処に、幸(さいわい)に善導の疏(じょ)及び往生要集を得て、乃(すなわ)ち深く思い遠く慮(おもんぱか)り、遂に諸経を抛(なげう)って専ら念仏を修するなり」と。

 

●法華経に辿り着くことを恐れたのか。今だけ主義に通ずるところのように思われる。現在は末法の世ゆえ、法華経(実大乗)の時代突入である。爾前経を抛つて法華経に帰さねば、人類が滅ぶほどの時代に到達している。これで法華経に帰さねば先が見える。おそらくは日本国の滅亡である(大日本帝国滅亡のように)。ゆえに、地涌の菩薩、大折伏を日本国内において敢行しているのではなかったか。小生もか。皮肉にも邪の抛ちと正の抛ちがあるようだ。●

 

本文

其の上一夢(いちむ)の霊応(れいおう)を蒙り、四裔(しえい)の親疎(しんそ)に弘む。

 

通釈

その上、あるとき夢に善導を見ていよいよ確信を深め、それより国中の人々に念仏を弘めたのである。

 

語訳

一夢(いちむ)の霊応(れいおう)を蒙り

法然が夢に金色の善導を見て、念仏弘通の確信を得たといわれているが、これは邪義を正当化せんとする誑惑である。日寛上人の文段には「然公が疑慮猶(ぎりょなお)未だ散せず、夢王の告(つげ)を待つなり。註及び啓蒙に伝記を引くが如く、半金色の善導を感ずるなり。今謂(いわ)く、直ちに仏説を検(かんが)うべし、何ぞ夢土の告を待たんや」とある。

 

四裔(しえい)の親疎(しんそ)

四裔(しえい)とは四方の遠き果てまでの意。国中の親しい者にも、疎遠な者にも、念仏が広まったことをいう。

 

●まるで安倍晋三政治のことであろう。念仏を安倍晋三政治に言い換えると判りやすい。あのカリスマ独裁者安倍晋三と法然は重なるところがある。無論安倍晋三は、靖国のA級戦犯の亡霊憑りつく亡国の悪神ともいえるが。●

 

 

本文

故に或は勢至(せいし)の化身と号し、或(あるい)は善導の再誕と仰ぐ。然れば即ち十方の貴賤頭(こうべ)を低(た)れ、一朝の男女歩(なんにょあゆみ)を運ぶ。

 

通釈

ゆえに人々は法然聖人を勢至(せいし)菩薩の化身といい、あるいは善導の再誕と仰いだ。されば十方の貴賤は頭をたれ、国中の男女は歩を運び崇仰するにいたった。

 

語訳

勢至(せいし)の化身

念仏の信徒たちは、法然を阿弥陀の脇士(きょうじ)である勢至(せいし)菩薩の化身であると称した。

 

本文

爾(しか)しより来(このか)た春秋推(お)し移り、星霜(せいそう)相(あ)い積(つも)れり。而(しか)るに忝(かたじけ)なくも釈尊の教(おしえ)を疎(おろそ)かにして、恣(ほしいまま)に弥陀の文を譏(そし)る。

 

通釈

それより以来長い年月が経った。しかるに貴方はもったいなくも釈尊の説かれた念仏の教えをおろそかにし、ほしいままに弥陀をそしっている。

 

語訳

春秋推(お)し移り、星霜(せいそう)相(あ)い積(つも)れり

春秋・星霜ともに年々が還り行くとの意である。

 

本文

何ぞ近年の災(わざわい)を以(もっ)て聖代の時に課(おお)せ、強(あなが)ちに先師を毀(そし)り更に聖人を罵(ののし)るや。

 

通釈

どうして近年の災難を以って、数十年前の聖代の法然聖人にその原因があると罪をきせ、強いて念仏の始祖達をそしり、さらに法然聖人を罵(ののし)るのか。

 

語訳

聖代の時

法然が念仏を弘めた後鳥羽院の時代をさす。

 

強(あなが)ちに先師を毀(そし)り更に聖人を罵(ののし)るや

先師とは曇鸞・道綽・善導の念仏の三師、聖人とは法然をさす。

 

●あながち靖国のA級戦犯(先師)を誹り、更に安倍晋三(聖人)を罵るや。とも言い換えることが出来、判りやすい例となろう●

 

本文

毛を吹いて疵(きず)を求め、皮(かわ)を剪(き)りて血を出(いだ)す。昔より今に至るまで此(か)くの如き悪言未(あくげんいま)だ見ず、惶(おそ)るべく、慎(つつし)むげし。

 

 

通釈

 人をそしれば自分も傷つこう、毛を吹いて疵(きず)を求め、皮を切って血を出すとはこのことである。昔より今にいたるまで、このような悪言は未だ見たことがない。聖人をののしる罪まことに恐るべく、慎むべきである。

 

語訳

毛を吹いて疵(きず)を求め、皮(かわ)を剪(き)りて血を出(いだ)す。

無理にこじつけて他人をそしることは、かえって自分の過失をあらわすことになるということ。

 

 

本文

罪業至(ざいごういた)つて重(おも)し、科條(かじょう)争(いか)でか遁(のが)れん。対座猶(たいざなお)以て恐れ有り、杖を携(たずさ)えて則(すなわ)ち帰らんと欲す。

 

通釈

その罪業はいたって重く、罪科はどうして脱(のが)れることができようか。対座するだけでもなお与同罪の恐れがある。さっそく杖をたずさえて帰ろうと思う。

 

語訳

科條(かじょう)争(いか)でか遁(のが)れん

罪過をのがれることはできないであろう。

 

浅井先生講義

 前段は法然の謗法たるゆえを選択(せんちゃく)の文証により明かされたが、この第五段は道理と、現証すなわち中国・日本における亡国の先例を挙げ、客の執着を断破される所である。

 

 客は”法難の根源たる悪比丘とは法然なり”と主人にはっきり名指しされたから、憤怒の色を増したのである。そして法然がいかに智徳にすぐれた聖人であるかを縷々(るる)と述べ、当時の災難が数十年も前の法然に原因があるなどとは、とんでもないいいがかりであると、憤りをぶつけるのである。

 

●大聖人驚愕の御悟りであろう●

 

 客が法然を称える言葉の中に、当時の民衆がどれほど法然を仰いでいたか、また法然がどのようなことを云って大衆をたぶらかしていたかが表れている。

 

 法然は、”自分は幼少より叡山に上り一切経を反復し、八宗を究め尽し、なお迷った上に思索し、ついに念仏に到達した”などともったいつけ、また、”夢で善導のお告げがあった”などとでたらめをいい、人々に勢至(せいし)の化身、善導の再誕などと巧みに思わせたのである。

 

 このような手口は、仏法を曲げ名利を求める魔僧に共通のものであるが、法然の悟りなるものがいかにごまかしで一片の確信もないものであるかは、次の実例で明らかである。

 

 

 当時日本仏教界の権威であった比叡山では、法然の法華経誹謗があまりに甚しいので、たびたびその謗法を糺弾(きゅうだん)したが、法然はさぞ信念を述べるかと思いきや、そのたびに右に左に遁辞(とんじ)を構え、あきれたことに選択であれほど諸仏・諸経を遮閉閣抛(しゃへいかくほう)といいながら、たちまち教義を変更し、「無智不善の輩のしわざ」と信徒に責任を転嫁し、自らは偽わりの起請文(きしょうもん)を提出し、当座の難をのがれていたのである。

 

●このあたりは、安倍晋三の集団自衛の法律を通した国会での発言や森友加計疑獄の右に左に遁辞するのと似ていよう。生き仏の法然。生き仏(?)の安倍晋三。挙句の果てには信徒に責任転嫁などは、公設秘書あるいは国家官僚かどこぞやの地方官僚に責任転嫁と言い換えることができるのではないか●

 

その起請文の一つ、元久元年十一月に叡山にさし出したものの一節を挙げれば次のようである。

「弥陀の本願には唯徐五逆誹謗正法(ゆいじょごぎゃくひぼうしょうぼう)とあるが、念仏の者が正法をそしって弘めたり、虚誕(きょたん)(でたらめ)を用いて披露するならば、尤も糾弾され炳誡(へいかい)(処罰)を受けて然るべきである。これは自分の望むところ願うところでもある。これらの子細は先年お尋ねのあった時に起請文を差しあげ、その後少しの心変りもしていないから重ねて申し上げる必要はないが、その後叡山からたびたび厳しい誡めがあるので、誓状もまた再三に及ぶのである。もし今までの誓いが一事一言虚言(そらごと)であったなら、毎日七万べんの念仏もむなしく、三途に堕ちて現当に重苦を受けるであろう」(以上取意)と。

 

 よほど叡山の責めが恐ろしかったと見え、まことに殊勝な誓状を書いたものである。それでいながら、彼は蔭ではしきりと叡山の悪口を云っていたのである。彼が弟子に送った手紙には「叡山の座主の止観の法門などは、一口に雀のさえずりに過ぎない」とある。まことにあきれるほどの卑劣な振舞いである。

 

 かかる魔僧と、御本仏日蓮大聖人とを比し奉るは、そのこと自体恐れ多いが、佐渡雪中における大聖人の開目抄の仰せを拝せよ。

 

「詮ずるところは天も捨て給え、諸難にもあえ、身命を期せん。・・・・・本と願を立つ。日本国の位をゆづらむ、法華経を捨てて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難風の前の塵(ちり)なるべし」と。

 

さらに佐渡よりお帰りになって鎌倉殿中において平左衛門に対しては

「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも、心をば随えられたてまつるべからず、念仏の無間獄・禅の天魔の所衣(そい)なること疑いなし、殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり」(撰時抄)と。

 

 骨まで凍る佐渡の厳冬を、三たび越されての大帰還である。もし再び平左衛門が怒れば佐渡へ戻されるであろう。その時は今度こそ身命が危うくなる。しかるに、いささかもへつらわず、恐れず、法のため、国のため、一切衆生のために直諌し給うたのである。

 

 かかる大聖人の獅子王のごとき御気魄、盤石のごとき御確信を拝してのち、ひるがえって法然の卑劣極まる所行を見た時、御本仏と魔僧とはいえ、あまりの懸隔(けんかく)に、思わず長大息せざるを得ない。

 

 第二章 法然の謗法を道理と現証を以て示す

一、道理を示す

 

 本文

 主人咲(え)み止(とど)めて曰く、辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習い、臭(くさ)きを溷厠(こんし)に忘る。善言(ぜんごん)を聞きて悪言を思い、謗者(ぼうしゃ)を指して聖人と謂(い)い、正師を疑つて悪侶に擬す。其の迷い誠に深く、其の罪浅からず。事の起りを聞け、委(くわ)しく其の趣(おもむき)を談ぜん。

 

●笑う主人が笑みを止めて言う。蓼の葉のような辛いものを食べ続けたり、厠のような臭い所にいると、いつのまにか辛いことも臭いことも感じ無くなろう。善い言葉を聞いて悪い言葉を思い、謗法の者を指して聖人と言い、正師を疑って悪侶に帰る。其の迷いはまことに深いものがあり、其の罪は深い。まあ、事の起こりを聞きなさい。詳しくその理由を述べるであろう。●

 

通釈

主人は莞爾と笑をたたえて、憤り帰らんとする客を止めていわく。

 辛い蓼の葉を食べている虫はその辛さを知らず、臭い便所に住む虫にはその臭さがわからない。これと同じように、汝は長年邪法に染ってきたから邪を邪と思わず、かえって善言を聞いて悪言と思い、謗法者を指して聖人といい、正師を疑って悪侶のように思っている。その迷いはまことに深く、その罪は浅くない。

 まず事の起こりを聞きなさい。委(くわ)しくその趣(おもむ)きを申し聞かせよう。

 

語訳

辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習い

蓼の葉は辛味が強いが、蓼の葉をいつも食べている虫は辛いことを感じないということ。

 

臭(くさ)きを溷厠(こんし)に忘る

溷厠とは便所のこと。便所に長くいると臭いことを感じなくなる。蓼葉・溷厠のたとえは、ともに邪法に久しく染まっているうちに、邪法の悪を感じなくなることをいう。すなわち法然の門人等を指す。

 

事の起りを聞け

なぜ法然が念仏の悪侶であるか、その根拠を聞きなさいとの意。

 

本文

釈尊説法の内、一代五時の間に先後を立てて権実を弁す。而(しか)るに曇鸞・道綽・善導既に権に就いて実を忘れ、先に依って後を捨(す)つ、未だ仏教の淵底(えんでい)を探(さぐ)らざる者なり。

 

●釈尊の説法の内、一代五時の間には、実大乗と権大乗の後先があることを申し上げよう。しかるに曇鸞・道綽・善導は既に権大乗を受け入れて実大乗を忘れ、先に頼って後を捨ててしまった。この者たちは、未だ仏教の淵底を探求しない者たちである。●

 

通釈

 そもそも釈尊の説法は、その一代五時について先後が立てられ、権実がきちんと分別されている。しかるに曇鸞・道綽・善導は権経に執着して実経を忘れ、先に説かれた四十余年の爾前経にこだわって後八年に説かれた法華経を捨ててしまった。これ未だ仏教の淵底(えんでい)を知らないものである。

 

語訳

先後を立てて権実を弁す

 一代五時の説法のうち華厳・阿含・方等・般若は先判であり権経である。法華経は後判であり実経である。

 

而(しか)るに曇鸞・道綽・善導

日寛上人は「浄土の三師すでに仏説に背き先判の権経に依って後判の実経を捨つ、故に破して『未だ仏教の淵底(えんでい)を探らず』というなり」とある。「仏教の淵底」とは、権実の立て分けだけでなく、本迹・種脱相対の三重秘伝の立て分けを知ることをいう。

 

本文

 就中(なかんずく)法然其の流(ながれ)を酌(く)むと雖(いえど)も其の源を知らず。所以(ゆえん)は何(いか)ん。

 

通釈

なかんずく法然は、曇鸞・道綽・善導の流れを汲んでいるが、源たるこの三師がすでに濁っているのを知らない。

 

語訳

其の流(ながれ)を酌(く)むと雖(いえど)も其の源を知らず

日寛上人の文段には「法然三師(曇鸞・道綽・善導)の流を酌むと雖も、其の源の濁れるを知らず、ゆえに三師の釈に准思(じゅんし)して『捨』等の四字を加うるなり。故に知りぬ、濁りに濁りを添え、非に非を重ねるなり。浄円房抄に云く粗(ほぼ)これあり。然りと雖も、法然の如き放言の事はこれなし』と云云。今はこの文の意なり。註に云く『綽・導すでにその源を濁す、然公何ぞ流清きことを得んや』と云云。この一言至れり尽くせるなり」とある。

 

本文

大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩及び諸(もろもろ)の世天(せてん)等を以て、捨閉閣抛(しゃへいかくほう)の字を置いて一切衆生の心を薄(おか)す。

 

通釈

ゆえに濁りに濁りを添えるように三師の釈に準思(じゅんし)して、大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻ならびに一切の諸仏・菩薩およびもろもろの世天等に対し、捨てよ、閉じよ、閣(さしお)け、抛(なげう)てといって、一切衆生をたぶらかしてしまった。

 

本文

是れ偏(ひと)えに私曲(しごく)の詞(ことば)を展(の)べて全(まった)く仏教の説を見ず。妄語の至り悪口(あっく)の科(とが)、言うても比(たぐ)い無く責めても余り有り。

 

通釈

これ全く自分勝手な曲説であって、少しも仏説に依らないものである。その妄語の甚しさ、悪口の罪科は、比べるもののないほど重く、いくら責めても責めたりないものである。

 

語訳

私曲(しごく)の詞(ことば)

我見による邪説。

 

妄語の至り

妄語とは虚言(きょげん)のこと。仏法上の妄語は人をして無間地獄へ堕さしめる。ゆえに妄語の至りである。

 

本文

人皆其の妄語を信じ、悉(ことごと)く彼(か)の選択(せんちゃく)を貴(たっと)ぶ。

 

通釈

しかも人は皆その妄語を信じ、ことごとくかの選択(せんちゃく)を貴んでいる。

 

本文

故に浄土の三経を崇(あが)め衆経を抛ち、極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る、誠(まこと)是れ諸仏諸経の怨敵、聖僧衆人(しょうそうしゅにん)の讎敵(しゅうてき)なり。

 

通釈

ゆえに浄土の三

部経だけを崇めて他の一切経を抛ち、弥陀の一仏だけを仰いで他の諸仏を忘れている。まことに法然こそ、諸仏・諸経の怨敵、聖僧・衆人の讎敵(しゅうてき)である。

 

語訳

讎敵(しゅうてき)

恨みを懐いている相手、かたきのこと。

 

本文

此の邪教広く八荒(はつこう)に弘まり、周(あまね)く十方に遍(へん)す。

 

通釈

この法然の邪教は広く天下に弘まり、あまねく十方に遍満してしまった。

 

語訳

八荒(はつこう)

八方のこと。すなわち全国至るところの意。

 

二、中国・日本の実例を以て念仏亡国を証す

 

本文

 抑(そもそも)近年の災(わざわい)を以て往代(おうだい)を難ずるの由(よし)、強(あなが)ちに之(これ)を恐る。聊(いささ)か先例を引いて汝が迷を悟すべし。

 

通釈

そもそも、正嘉の大地震より近日に至るまでの災難を法然の選択(せんちゃく)に因(よ)ると云ったことに対して、客は大変恐れ憤っているようであるが、少しく先例を引いて汝の迷いを醒(さま)そうと思う。

 

語訳

往代(おうだい)を難ずる

近年起こった災害の原因を、昔の法然の罪であるとすること。

 

本文

止観(しかん)の第二に史記(しき)を引いて云く「周の末に被髪袒身礼度(ひほつたんしんれいど)に依らざる者有り」。

 

通釈

天台の止観の第二に史記(しき)を引いていわく

「周の末に長髪をふりみだし裸になり、社会の礼度を全く無視する者が出た」と。

 

語訳

止観(しかん)

天台大師の摩訶止観十巻の略称。本書に一念三千の法門を説き、像法適時(ちゃくじ)の観念観法の実践修行を明かした。天台大師出世の本懐はこの書に尽きている。しかしこの止観に明かされた一念三千はなお理の法門であり、末法に出現する事の一念三千の当体である大御本尊の説明にすぎない。

 

史記(しき)

前漢の武帝の頃、司馬遷が著した歴史書。

 

周の末

周とは、西紀前十二世紀の末から前二五六年までの約八百五十年・三十七代にわたって続いた中国の古王朝。周の末とは最後という意味ではなく、周代がすでに衰えてきた時という意。

 

被髪

髪を結ばずに振り乱すこと。古代中国では最も身だしなみの悪いこととされた。

 

袒身

裸体になること。

 

 

被髪袒身礼度(ひほつたんしんれいど)に依らざる者有り礼儀を守らない者。あるいは礼儀を守ることをさげすむ者。

 

 

本文

弘決の第二に此の文を釈するに、左伝を引いて曰く「初(はじ)め平王の東遷(とうせん)するや、伊川(いせん)に髪を被(かぶろ)にする者の野(や)に於て祭るを見る。

 

通釈

妙楽は弘決の第二にこの文を釈するに当って左伝(さでん)を引用していわく

「傾きかけた周朝の平王が、外敵の侵略を避けるため都を東に遷(うつ)さんとした時、伊川(いせん)で頭髪をふり乱した者が、野で祭りごとをしているのに出会った。

 

語訳

弘決(ぐけつ)

天台大師の「摩訶止観」を妙楽が注釈した「止観輔行伝弘決(ふぎょうでんぐけつ)」の略称。

 

左伝

「春秋左氏伝」の略称。

 

平王

周朝十三代の王。犬戒(けんじゅう)に破れ都を東方の洛邑(らくゆう)に遷した。

 

伊川

伊水ともいい、のちの河南省汝州(じょしゅう)伊陽県のこと。

 

野(や)に於て祭る

野原で祭りの儀式を行なうこと。祭りは神聖な行事であるから、最も身だしなみ等を整えるべきであるのに、髪を被(かぶろ)にしていたということは、周の世を支えていた礼節が根本から腐ってしまったことを示すものである。これを以て周の滅びる前兆と判じたのである。

 

本文

識者の曰く、百年に及ばじ、其の礼先(れいま)ず亡びぬ」と。爰(ここ)に知んぬ、徴(しるし)前(さき)に顕れ災い後(のち)に至ることを。

 

通釈

これを見た識者(周の太夫・辛有)は、周の世もあと百年と持たないであろう、その先兆として先ず周の根本たる礼が亡びてしまった」と。まさに知るべし。災難の起る時は、まず徴(しるし)(先兆)が先に顕われ、その後に災いが来るのである。

 

●現在、日本の年中行事(祭り)が全国各地で行われている。裸祭りは、どこにでもありそうな見慣れた情景である。祭りは神社に繋がっているが、果たして百年と持たないことはあったのだろうか。

裸祭りが江戸時代以前から行われていたとすれば、日本はまだ滅んではおらぬ。ただ、鎌倉幕府が滅亡、大日本帝国が滅亡、江戸幕府も確かに滅亡を迎えたが、礼節からすれば、これが原因で滅んだのであろうか。

 戦後も行われている裸祭り。戦後からしてあと百年と持たないだろうと云われれば、その通りであるやもしれぬ(既に80年が経過している)。男女は結婚をしたがらず、子は産まれず。亡国まっしぐらではなかったか。

 これが悪鬼日本に乱入してその悪鬼の気に誑かされた若き男女の思想となってしまったのやもしれんな。あらゆることは仏法よりこと起こることゆえに●

 

語訳

識者の曰く

日寛上人の文段には「識者は即ちこれ周の太夫・辛有なり、兼讖差(けんしんたが)わざるなり」とある。

 

 

本文

又「阮籍逸才(げんせきいっさい)にして蓬頭散帯(ほうとうさんたい)す、後に公卿(こうけい)の子孫皆之(しそんみなこれ)に教(なら)いて、奴苟相辱(どくあいはずか)しむる者を方(まさ)に自然に達すと云い、撙節兢持(そんせつきょうじ)する者を呼んで田舎(でんしゃ)と為す、司馬氏の滅ぶる相と為す」上已。

 

通釈

また阮籍という逸才が西晋(せいしん)にいたが、彼はいつも頭髪を乱し、帯を結ばず、およそ世間の礼儀など全く無視していた。のちに公卿の若者達がこれにならい、お互いに乱暴な言葉を使いはずかしめ合う者を”自然の境涯に達した”といって誉め、慎み深く礼儀を重んずる者を”田舎者”と呼んで軽んじた。これ司馬氏(西晋の王)の亡びる前相であった。

 

●これも今に通じるところであろう。日本の伝統文化「歌舞伎」にも長髪を振り乱して演技する者がある。長髪といえば、アメリカ合衆国のロックスターは皆長髪であり、自然の境涯に達している可能性がある。若者はそのロックスターに魅了され音楽を聞き入っているではないか。慎み深く礼儀を重んずる者は、「民謡」を好むということを想像すればこの場面の想像がつこうというものである。ある若者の「民謡好き」を田舎者と呼んで軽んじるということはないかね? 今のところアメリカ合衆国が滅ぶ先兆はここにあるが、仮に1960年代からのこととして、100年は経過しておらん。しかし100年後にどうなるかはわからん。そうなる可能性を否定することができるであろうか。●

 

語訳

阮籍(げんせき)

中国三国魏代の詩人、竹林の七賢の一人。道徳を無視し、自然虚無の学説を唱えた。

 

蓬頭散帯(ほうとうさんたい)

蓬頭とは寝乱れ髪。散帯とは帯をだらしなく締めているさま。

 

奴苟相辱(どくあいはずか)しむる者

奴も苟も賤しい者の意。礼儀を無視して、互いに乱暴な言葉を使って相はずかしめ合うこと。

 

自然に達す

人間本来のありかたに戻るの意。

 

撙節兢持(そんせつきょうじ)

互いに礼儀を以って敬い合う、慎しみ深い態度。

 

田舎(でんしゃ)と為す

”いなか者”といって卑しみあざけり笑うこと。

 

本文

又慈覚大師の入唐巡礼記(にゅうとうじゅんらいき)を案ずるに云(いわ)く「唐の武宗皇帝(ぶそうこうてい)・会昌元年勅(えしょうがんねんちょく)して章敬寺(しょうきょうじ)の鏡霜法師(きょうそうほっし)をして諸寺(しょじ)に於て弥陀念仏の教えを伝え令(し)む、寺毎(てらごと)に三日巡輪(みっかじゅんりん)すること絶えず。

 

通釈

「唐の武宗皇帝(ぶそうこうてい)は会昌元年勅命を発して、章敬寺(しょうきょうじ)の鏡霜(きょうそう)法師に弥陀念仏の教を弘めさせた。よって同法師は寺ごとに三日づつ巡輪し続けていたが、

 

語訳

入唐巡礼記(にゅうとうじゅんらいき)

慈覚が承和五年に入唐してから、同十四年筑前に帰朝するまでの十年間の日記。詳しくは「入唐求法巡礼行記」という。

 

武宗皇帝

中国・唐の第十五代の王。

 

章敬寺(しょうきょうじ)の鏡霜(きょうそう)法師

武宗の時代に長安にあった念仏寺の僧。

 

巡輪

巡り回ること。

 

本文

同二年回鶻(どうにねんかいこつこく)の軍兵等唐(ぐんびょうとうとう)の堺(さかい)を侵す、同三年河北の節度使忽(たちま)ちに乱を起す、其の後大蕃国更(のちだいばんこくま)た命を拒み、回鶻国重ねて地を奪う。

 

通釈

翌年回鶻(どうにねんかいこつこく)の軍兵が唐の国境に侵入してきた。また同三年には河北に派遣した節度使が叛乱を起こし、その後大蕃国(だいばんこく)はまた唐の命を拒み、回鶻国は再び国内を侵略した。

 

語訳

回鶻国

中国北西に位置した国で、現在の中国新疆(しんきょう)ウィグル自治国の主要部分。

 

河北の節度使

河北とは黄河の北方、後の山西省、山東省に当たる。唐朝が辺境の異民族の侵入を防ぐために大軍を配置したが、その軍管区司令官として置いたのが節度使である。

 

大蕃国(だいばんこく)

吐蕃(とばん)ともいい、チベットのこと。

 

 

本文

凡(およ)そ兵乱は秦項(しんこう)の代(よ)に同じく、災火は邑里(ゆうり)の際(あいだ)に起(おこ)る。

 

通釈

およそ、その兵乱は秦(しん)の始皇帝・楚の項羽(こうう)の時代と同じようであり、災火は村落にまで及んだ。

 

語訳

秦項(しんこう)の代(よ)

秦は始皇帝、項は楚の項羽のこと。共に戦乱の絶え間がなく、民衆は困窮の極みに陥った。

 

邑里(ゆうり)

村落、村里のこと。

 

本文

何に況(いわ)んや武宗(ぶそう)大いに仏法を破し、多く寺塔を滅す、乱を撥(おさ)むること能(あた)わずして遂に以て事有り」取意・已上。

 

通釈

まして武宗は大いに仏法を破り、多くの寺塔を破壊してきたので、その罰により乱を治めることもできず、ついに自らも重病にあい狂死をとげてしまった、と。

 

語訳

事有り

武宗が破仏法の罪により、背に疽(悪性のできもの)を病み、狂死したことをさす。

 

本文

此れを以て之を惟(おも)うに、法然は後鳥羽院の御宇建仁年中(ぎょうけんにんねんちゅう)の者なり、彼の院の御事既(おんことすで)に眼前に在り。然れば則大唐に例を残し、吾が朝(ちょう)に証(しるし)を顕(あらわ)す。

 

通釈

これを以って考え合わせるに、法然は後鳥羽院の御代・建仁年中の者であり、後鳥羽院が承久の乱に亡びたことは眼前のことである。されば念仏が亡国の悪法たることは、中国の大唐にその例を残し、日本に証拠を顕わしている。

 

語訳

彼の院の御事

後鳥羽上皇が承久の乱により北条義時に討たれ、父子三上皇島流しとなり滅びたことをさす。

 

本文

汝疑うこと莫(な)かれ、汝怪(なんじあやし)むこと莫かれ。

 

通釈

汝これを疑ってはならない。怪しんではならない。

 

本文

唯須(ただすべから)く凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ根を截(き)るべし。

 

通釈

ただすべからく法然の所立の念仏の凶を捨てて正法に帰し、災難の源であり根である選択(せんちゃく)を塞ぎ断つべきである。

 

語訳

凶を捨てて善に帰し

凶とは法然の念仏、善とは大聖人弘通の三大秘法のこと。

 

源を塞ぎ根を截(き)るべし

日寛上人の文段には「根源の二字はまた選択(せんちゃく)を指す。即ち災難の源、亡国の根本の故なり」とある。

 

浅井先生講義

 客は、主人が”正嘉の大地震以来の近年の災難は数十年前の法然にその根源がある”と云い切られたことに対し、”何たる悪言”と恐れかつ憤ったが、いまここに主人は中国・日本の先例を引き、現証を示されるのである。

 

 なにごとによらず、事の起こる前には必ず前兆がある。たとえば、雨の降る前には黒雲があらわれ、洪水の前には蜂・蟻が移動する。まして一国まさに亡びんとするほどの大事に、前兆のないことは有り得ない。ゆえに「徴(しるし)前(さき)に顕れ、災い後に至る」と仰せられるのである。

 

 七百年続いた周朝が亡びんとした時、やはり前兆があった。それは礼が廃(すた)れたことである。およそ礼は周の国の根本として重んじられた道徳である。「周の代の七百年は文王の礼孝による」(報恩抄)と。

かかる礼節を重んずる周において、蛮族の風俗たる、頭髪はくしけずらず、肌を露出し、しかも平気で神聖なるべき祭事を営むような者が出てきた。このような礼の乱れを見て、識者・辛有(しんゆう)が「百年に及ばじ」といったのである。

 

●現在、肌の露出甚だしく、男女問わずインターネット界隈では、破廉恥となっている。これを破廉恥と思わずに、平気でいられることこそ礼の廃れであろうが、これが好例となろう。「百年に及ばじ」はまさに現在にも通ずるものがあるのではなかろうか。しかも、意識無意識の世界で行われているわけなのだ。彼ら、彼女らはそういう感覚すらなく、露出しているように思われる。●

 

果せるかな、その後まもなく周は亡んでいる。

 

 また晋(しん)の滅亡の時も前相があった。晋は孔子の儒教を本とする国である。だがこの国において老荘(ろうそう)の虚無思想がはびこり、人々は礼節を軽んじ禽獣のようになってしまった。

 

●「禽獣」まさに、現代に繋がる気がするがいかがか●

 

 その元祖がかの有名な阮籍である。彼はつねに長髪をくしけずらず、帯はしどけ、およそ社会の礼法を全く無視した所行をしていたが、これが当時の上流子弟の間に大いに流行り、廟堂(びょうどう)においてすら礼節は地に堕ちた。これが亡国の前兆であり、まもなく晋王の司馬氏は亡んだのであった。

 以上の二つの実例は、いずれも仏法渡来以前の中国の例であるが、仏法以前においては、仁・儀・礼・智・信の五常は外道の教えで世間の浅き教えのようであるが、

開目抄に

「礼楽前(れいがくさき)に馳(は)せて真道後に啓(ひら)く」また「我れ三聖を遣わして彼の真丹(しんたん)を化す」さらに「若し深く世法を識(し)れば即ち是れ仏法なり」と仰せのごとく、実はこの五常も仏法の一分である。よって礼儀を破ることは遠くは仏法を破るに当るから、亡国の因・前兆となるのである。

 

ゆえに災難退治抄には

「疑って云く、国土に於て選択集(せんちゃくしゅう)を流布せしむるに依って災難起ると云わば、此の書なき已前は国中に於て災難無かりしや、答えて曰く、彼の時も亦(また)災難あり、云く五常を破り、仏法を失いし者之有る故に。・・・・・難じて云く、仏法已前の国に於て災難有るは何ぞ謗法の者の故ぞや。答えて曰く、仏法已前に五常を以て国を治むるは遠く仏誓を以て国を治むるなり、礼儀を破るは仏の出したまえる五戒を破るなり」と仰せられている。

 

次に念仏が亡国破法の因縁であることを、唐の武宗が国中に念仏を弘めて国を亡ぼした実例、さらに後鳥羽上皇が法然の念仏を崇めてその身を亡ぼした現証を以って示されている。

まことに、「徴(しるし)前(さき)に顕われ、災い後に到る」とは意味深重なお言葉である。前述のように、仏法以前の国においては礼儀が乱れることが亡国の前兆であり、仏法流布の国においては、仏法の乱れることが亡国の兆しとなる。

 ゆえに「此の邪教広く八荒に弘まり、周く十方に遍す」の相を以って、大聖人は近年国土の災難の先兆・根元とされ、”その根源を断て”と強く仰せられるのである。

 

 さて、ひるがえって今日の日本を見るに、放埓(ほうらつ)・奔放(ほんぽう)・無軌道(むきどう)の、あたかも畜生のような風儀は一国社会に蔓延している。これは何の先兆であろうか。

 

●小生が憂うるに、近頃は、犬猫ペットが、人間よりも貴ばれている。犬猫の墓地まで存在している有様は異様ではなかったか。無論ペットビジネス界は大儲けだろうが、これ、人間界の人間が畜生界に堕ちつつあるの先兆ではなかったか。死後は輪廻転生、人間に産まれるのではなく。犬猫に産まれ出てくるやもしれぬ。そうでなくても日本の人口は減りつつある。人間の日本人魂の争奪戦があの世で行われている可能性もあろう。

 人間に再び生れることの難しさ。人間の(日本人の)魂がなければ、その他の魂となって生まれてくる可能性を探求されたし。

いずれにせよ、現在自由奔放の世の中である。破れ衣装が流行ったり、臍の周りを露出するファッションが流行り、遂には西洋の著名なファッションコレクションでは、女体の裸像が出てくるに至っている。支配層も乱れに迎合していることを鑑みれば、この先のことが見えようものである。これも仏法が曲がる故の結果なのやもしれぬな。●

 

また、日本の運命を荷(にな)っている仏法の正系門下において、七百年来堅く守られてきた国立戒壇の御遺命が、無慚にも今まさに失われんとしている●創価学会池田大作のために●。果してこれは何の前兆であろうか。世法・仏法ともにかかる徴(しるし)を見て、日本の近き将来を心から憂えずにはいられない。

 

●富士は微動だにせず。問題は日本の民の心にある。無意識に流される多くの民が、気が付けば亡国の便りを受け取って、危機的状況を認識するに至る。あらゆることは仏法よりこと起こることゆえ、全国民がそのことに気づくまで、日本唯一の正法団体は活動を続けるしかあるまいて。その正法団体が諸天善神の怒りを抑えている可能性もあろうが、国中の謗法激しければその力及ばずといったところであろうに。●

 

第六段 勘状の奏否を明かす

 

第一章 勘状の先例なきを以て莠言を咎む

 

本文

 客聊(いささ)か和らぎて曰く、未だ淵底(えんでい)を究(きわ)めずとも数(ほぼ)其の趣(おもむき)を知る。

 

通釈

客はいささか和らいでいわく

未だ仏法の淵底(えんでい)まではわからないが、幾分主人のいわんとする趣きだけはわかってきた。

 

語訳

淵底(えんでい)

奥義・奥底

 

 

本文

但し華洛(けらく)より柳営(りゅうえい)に至るまで、釈門(しゃくもん)に枢楗(すうけん)在り、仏家(ぶっけ)に棟梁(とうりょう)在り。

 

通釈

ただし、天子まします京都から、将軍の居る鎌倉に至るまで、仏教界には枢要な立場にある高僧が多くいる。

 

語訳

華洛(けらく)

天皇の居す京都をさす。日寛上人の文段には「華洛は帝王の所居(しょご)、即ちこれ王城なり。中国は礼儀最も華やかなる故なり。洛は即ち洛陽、周の武王の都せる処なり」とある。

 

柳営(りゅうえい)

将軍の陣営のことで、ここでは鎌倉をさす。漢の将軍・周亜父が匈奴(きょうど)を討つ時に、細柳という所に営所を設けたが、天子が巡視した折、他の陣営より規律が行き届き、優れていたので”細柳営”と名づけられた故事による。

 

釈門(しゃくもん)

仏教界のこと。

 

枢楗(すうけん)・棟梁

枢は戸の回転軸、楗はかんぬきで門の要所をいう。棟梁は家の棟と梁、ともに家の要所である。

「枢楗(すうけん)」「棟梁」ともに、仏教界における重要な位置にある高僧をさす。

 

本文

然(しか)るに未だ勘状(かんじょう)を進(まい)らせず、上奏(じょうそう)に及ばず、汝(なんじ)賤身(せんしん)を以(もっ)て輙(たやす)く莠言(ゆうげん)を吐く、其の義余り有り、其の理(り)謂(いわ)れ無し。

 

通釈

しかるに今日まで未だ”法然の謗法を断つべし”というような勘状に訴え出た者もなければ、天皇に上奏した者もない。それなのに、貴方は賤しい身分でありながら、たやすく醜悪な言葉を吐いている。その義は未だ議論の余地があり、その理はいわれがないように自分には思える。

 

語訳

勘状(かんじょう)

主君に対し、文書を以て具申するのを勘状といい、口頭で具申することを上奏という。

 

莠言

醜悪なことば。

 

其の義余り有り

余りにも云い過ぎであり、到底納得できないとの意。

 

浅井先生講義

 客は主人の道理・文証・現証を示しての懇諭(こんゆ)を聞き、反論の余地がないので、いささか和らいできた。しかしまだ心から信伏したのではないから、すきあらば反論せんとして、勘状の奏否(そうひ)を持ち出してきたのである。

 すなわち客の云わんとするところは、”もし主人のいうがごとく法然がそれほど悪いのならば、日本仏教界の権威である叡山などから、邪教禁止の訴えが必ずなされて然るべきではないか。しかるにその事がないのは、云われるほど法然は悪いのではなかろう。しかるにその地位にもない主人が、諸高僧もいわない醜悪無礼の言を吐くのは何とも怪(け)しからぬ”ということである。

 

第二章 勘状の先例にあるを示す

 

一、謗法呵責の精神を示す

 

本文

 主人の曰く、予少量為(よしょうりょうた)りと雖(いえど)も忝(かたじけな)くも大乗(だいじょう)を学す、蒼蠅驥尾(そうようきび)に附して万里を渡り、碧蘿松頭(へきらしょうとう)に懸(かか)りて千尋(せんじん)を延ぶ。

 

通釈

主人のいわく

 自分は身は賤しく器量も小さいが、かたじけなくも大乗仏教を学ぶ者である。蒼蠅驥尾(そうようきび)に附して万里を渡り、自ら立つことができないツタカズラでも、大きな松に寄れば千尋(せんじん)の高さに延びることができる。


●千尋とある。ここは日本アニメ界の無双の才人宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」の「千尋」が顕われている。

仏法に通じるところあるや。●

 

語訳

少量

器量が小さく取るに足らない人間であるとの意。客が「賤身」と云ったことを受けたことば。

 

蒼蠅驥尾(そうようきび)に附して

蒼蠅は青バエ。驥は一日千里を走るという駿馬(しゅんめ)。わずかにしか飛べない青バエも、駿馬の尾につかまっていれあば万里を行くことができるという意。

 

碧蘿松頭(へきらしょうとう)に懸(かか)り

碧蘿は緑色のつたかずらのこと。自身では立つことはできないが、高い松の木に寄って、千尋の高さにのびることができる。少量の凡夫を碧蘿にたとえ、大乗仏法を松にたとえた譬喩(ひゆ)である。

 

本文

弟子一仏(でしいちぶつ)の子と生れて諸経の王に事(つか)う、何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜(あいしゃく)を起(おこ)さざらんや。

 

通釈

これと同じように少量といえども自分は仏弟子と生れて諸経の王たる法華経に事(つか)える身である。どうして仏法が衰微するのを見て、法を惜しむ心を起こさずにいられようか。

 

語訳

諸経の王

一切経の王、すなわち法華経。究極は三大秘法の御本尊である。

 

心情の哀惜(あいしゃく)

仏法のすたれるを見て、惜しむ心を起こさずにいられないとの意。

 

 

本文

其の上涅槃経に云く「若し善比丘(ぜんびく)あつて、法を壊(やぶ)る者を見て、置いて呵責(かしゃく)し駈遣(くけん)し挙処(こしょ)せんずんば、当(まさ)に知るべし、是(こ)の人は仏法の中の怨(あだ)なり。

 

通釈

 その上、涅槃経には

「もし善比丘あって、仏法を破壊する者を見ても、そのまま見過ごして、呵責もせず、追い出しもせず、また謗者のいる一切の処(ところ)で身口意の三業にわたって折伏しなければ、その人はたとえ善比丘であっても仏法の中の怨敵である。

 

涅槃経に云く

涅槃経南本の第三長寿品の一文。

 

呵責

叱り、責めること。

 

本文

若し能(よ)く駈遣し呵責し挙処(こしょ)せば、是れ我が弟子、真の声聞なり」と。余、善比丘の身為らずと雖も、仏法中怨(ぶっぽうちゅうおん)の責(せめ)を遁(のが)れんが為に、唯大綱(ただたいこう)を撮って粗(ほぼ)一端を示す。

 

通釈

もし、能(よ)く追い出し、呵責し、挙処(こしょ)するならば、これこそ我が弟子、真の声聞である」と説かれている。

 自分は善比丘の身ではないがこの「仏法の中の怨(あだ)」の経文の責めをのがれるために、ただ大綱(たいこう)を撮(と)り、ほぼその一端を示すのである。

 

語訳

挙処

日寛上人の文段には「当(まさ)に知るべし。駈遣は身業、責はこれ意業、呵はこれ口業なり。故に知んぬ、今の文意は謗者所住の一切の処、一処をも漏(もら)さず、三業に経て折伏すべきなり」とある。

 

真の声聞

真の仏弟子との意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争は地球上、最大の環境破壊である

 

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仏法画 正法 第一章 諸天逆切~瞋りの怨嫉~


 

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