『立正安国論 第二章』
浅井先生講義
ここで大聖人は、国土に災難の起こる根本原因を明しておられる。
「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以って魔来り鬼来り、災起り難起る」
との御文こそそれである。
この御金言は、後段の一国治術の方法を示された
「謗法の人を禁(とど)めて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん」
の御文と対応して、共に立正安国論の中の肝要の御指南である。
ゆえに日寛上人は「世皆皆正人悉帰悪」の八字について
「今この八字は肝要なり、別して背正帰悪(はいしょうきあく)の四字肝心なり」と仰せられ、邪正については
権実
本迹
種脱
ーの相対を以って立て分け、詮ずるところ究極の「正」とは三大秘法であると結論されている。しかれば「邪」とはこの三大秘法を軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)するすべての宗教・思想であること論をまたない。
さて、災難の原因を具(つぶ)さに拝せば、三意が含まれている。すなわち
一に背正帰悪のゆえであり
二に神聖(じんしょう)去り辞するゆえであり
三には魔鬼(まき)来り乱(みだ)るるゆえである。
まず世人が正法に背き悪法に帰する。
これを見て諸天善神および仏法護持の聖人が国を去る。
よって天魔・悪鬼が国土に乱入し、
その結果、国土に災難がおこるという順序である。
まさに人々の「背正帰悪(はいしょうきあく)」こそ災難の根本原因である。
この災難興起の大原理は、縦に三世を貫き横に法界の辺をきわめた仏智(ぶっち)の御断定、大聖人の深き御確信であられる。
過去世
縦 現世
未来
横 仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天上界・人界・畜生界・餓鬼界・修羅界・地獄界
今日、部分観にとらわれた科学万能・唯物偏重の風が世間に幅をきかせているが、微々妙々なる天・地・人の関係を知らないこれら世間の小智では、及びもつかぬ大原理である。
この大宇宙は一大生命体である。仏法はこの実相を明すに当って、十界・十如是(じゅうにょぜ)・三世間(さんせけん)・三諦(さんたい)等の法門を説いているが、大宇宙は、それ自体が微妙なる体系を持った一大生命体であると共に、その中にあるすべての存在は相互に関連し合い影響しあっている。一つの変化は他に変化を与えずにはおかない。
よって、もし人の心が地獄界となれば、ただちに天界に感応し、所住の国土また地獄界の相を現ずる。これ
色心不二(しきしんふに)
依正不二(えしょうふに)
身土不二(しんどふに)
ーの原理である。ゆえに大聖人は『瑞相御書』に
「夫れ十方は依報なり、衆生は正報なり、依報は影のごとし、正報は体のごとし、身なくば影なし、正報なくば依報なし、又正報をば依報をもって此れをつくる」と。
さらに
「去る正嘉・文永の大地震・大天変(巨大彗星の現出)は、天神七代・地神五代はさておきぬ、人王九十代二千余年が間、日本国にいまだなき天変地夭なり。人の悦び多多なれば天に吉瑞をあらはし地に帝釈の動あり。人の悪心盛なれば、天に凶変地に凶夭出来(しゅったい)す。瞋恚(しんに)の大小に随いて天変の大小あり、地夭も又かくのごとし」
と仰せられている。以って人の心と、天地の感応の微妙を知るべきである。
高田講義
ここにおいて、正法には、寛容はなく、多様性はほぼ否定されることが証明される。
ゆえに、我々がその二点を求める限り、諸天善神の怒りを買い続けねばならんということである。
抽出
「邪」とはこの三大秘法を軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)するすべての宗教・思想であること論をまたない。
「邪」法が、諸天善神の怒りを買う。
唯一の慰めは、三大秘法を軽賤憎嫉(きょうせんぞうしつ)しない宗教・思想であれば許されるということだ。
じつは古代ギリシャで猛威をふるっていた「優生思想」…「スパルタ」は優生思想で滅びていた…!
現代ビジネス
【森永卓郎の本音】東京一極集中是正は政治家の暮らしから
スポーツ報知
福島県に首都を移すという突拍子もない発言が出ているようであるが、首都移転は、関東大震災の後にやってくる可能性はあろう。再復興をするにはあまりにも金がかかるからだ。
1000兆円以上もの金がかかるというのも国家を破綻させるだけの威力となろう。
しかしながら、いつ首都圏大地震が来るのかもわからず。たとえ、首都機能移転の法律が通っていたとしても、おそらく当地に巨大地震が来るようで来ないために今まで延期に次ぐ延期であったのであろう。
次の巨大地震で1923年のように再び東京を復興させようとしたときが一番怖い。
歴史が繰り返されてしまう可能性大だろう。その後の1929年の世界恐慌再来となれば、もう次の大戦争は止められん。
止められんがために、巨大地震だけは来ないように祈るしかないのだ。
だからこそ、禍を止めるためにプロジェクトは進行中である。果たして本当に多くの者が賛同するのであろうか。
できなければ、終わる。その可能性が出てきてしまっているのではないだろか。
恐れずに足らず。世界は見ている。どうなるのかは今後のことであろう。
~~気がかりな記事その29のつづきであり備忘録~
その29では、最後に以下の通りのことを申し上げた。
『立正安国論』のことである。
魔
天界にある仏法を乱す働き。人の心を誑かし、正念を失わせる。
鬼
餓鬼界にあって、災難や戦争あるいは病気を起こさせる働き。
通釈
このゆえに天魔・悪鬼が便りを得て国土に乱入し災難が起こるのである。まことにこの事は声を大にして云わなければならないことであり、また恐れなくてはならない。
●ここに「天魔・悪鬼が便りを得て」とある。誰が便りを出したのであろう。
「日本が邪法に狂っておるから、人心乱せよ」とでもその便りに書いてあるのであろうか。
天上界の誰かが、天魔・悪鬼に便りを出している。正法に背き、邪法に執着する故の諸天善神の怒りである。
現在ではそのために罰の繰り返しを永遠に続けるのかといった様相であろう。
邪法を止められんのだ。
―ここまで
そしてその29では、最初の方で、
的外れ政策についての記事を挙げ申し上げたが、以下の通りである。
日本人の出生数
1年で4万人減少
10年で出生数 40万人
20年で出生数 0~マイナス
西暦2045年頃に、純血の日本人は一人も産まれなくなる。
これが国内の謗法の恐ろしさか。
皆、覚悟されたし。
但し、それでも支配層以下は、笑っていようとするのだろうがね。今までのように。
おそらく価値観をかなり変えてゆくのではないか。
ーと申し上げた。
現在ではそのために罰の繰り返しを永遠に続けるのかといった様相であろう。
邪法を止められんのだ。
邪法を止められんということは、
鎌倉幕府滅亡は止められん
大日本帝国滅亡は止められんかった。
つまり、日本国は、邪法を止められんゆえに亡びは止められんということである。
謗法の恐ろしさを知っていながら、結局は、諸天善神の怒り収まらず。
徐々に純粋の日本人は一人もいなくなり、日本の価値観は2045年以降に変わっていく。
無論、「進化」によって、高齢出産でも安全に子を産む技術が発達する可能性はある。
そうなるかどうかにしても邪法強ければ、どのような子が最初の内に産まれてくるかわからん。
日本は、とにかく純粋の日本人は、世界をリードしている。
あのスターバックスコーヒーにしても日本の喫茶店の雰囲気を模して、全世界に冠たるコーヒー店を出店させていった。
スターバックスコーヒーの3つのブランディング
一、美味しいコーヒーを提供。
ゆっくりとコーヒーを点てる日本の喫茶店のやり方を取り入れた。
一、誰でも平等になれる。
身分に関係なく誰でも同じコーヒーが提供される。
一、非日常のくつろげる空間を演出。家庭と仕事の日常生活から脱せる。
スターバックスは日本の喫茶店の良さを取り入れていったのだそうだ。
日本に齎されたコーヒーは江戸時代初頭であり、人々に受け入れられたのが明治時代。
そのあと、日本ならではの喫茶店が至る所に出店されていったのだろう。
その日本の喫茶店の雰囲気を取り入れたのが1970年代に初出店したスターバックスコーヒー(旧名称あり)であったそうだ。
つまり、日本は世界をリードするだけの何かを持っているということであるが、トヨタの自動車技術も世界を誇り、電気自動車を普及させれば、おそらく世界一に輝けたはずであっただろう。
しかしながら、謗法が邪魔をしたのか、トヨタは、電気自動車の普及に失敗。テスラや中国にその座を奪われている。「座」があったにもかかわらず、乗り遅れ、「座」そのものが無くなっているのやもしれん。
今後その「座」を手に入れるかどうかは、謗法を拒否する強い心があるかどうかであろう。
このままでは、謗法国中に蔓延して、諸天善神の怒り収まらず。
おそらく、2045年に純血の日本人が一人も産まれなくなり、アメリカ合衆国のように人種の坩堝(るつぼ)になる可能性が高い(過去にNHKで放映されたあるドラマでも日本で働く人々がほとんど外国人という未来を揶揄した作品が登場していた。制作者も日本の将来を危機感をもってドラマ作品を作っていたのではないか。しかも10年以上前のことである)。
それでもいいという「風」を支配層は齎すであろう。戦国武将織田信長が血で血を洗う戦国の世を止められなかったように、どうすることもできないと自暴自棄になったうえでの判断である。
日本は無くなる。本当にそれで世界がよいのかどうかである。これだけ機械文明が発達して、進化し、良いもの(と思える)を創り出してきて世界ではあるが、日本がリードしていたとなれば、純日本人消失の損失はいかばかりか、日本人の血が少しでも入っていれば、日本人の能力、手の器用さなどが遺伝的に受け継がれていくのであろうか。
しかし、現段階での日本の世の中を見渡してみると、多くの働く国民の給与はそれほど上がらず少子化は継続(しかも日本人の良さである頑張る意欲をそぐと思われる働き方改革(革命)が進行中)、政治はガタガタであり、巨大地震は至る所で発生し、原発は核爆発を起こし、新型コロナウイルスが蔓延して人々を苦しめている。しかも、GDP競争は、経済大国2位より中国に抜かれ、3位。遂にはドイツに抜かれ4位となってしまった。これはマイナス要素だが、プラス要素は、何だろう。日本の株式がバブルを迎えているが如くに高まっていて投資家を有頂天にさせていることか、満たされた平和が永続していることへの喜びか。お気に入りの車に乗って喜ぶ民は平和そうである。
天上界の境界に居られるは過去世の因果である。過去に徳を積んだ者が現世に喜びを齎している。しかし、安倍晋三の登場などによって戦争に流されれば天上界の果報は一気に消え失せて地獄界の様相を現世が呈することが理解できずにいるのも世人間(せにんかん)の実相であろう。そうして人々は時代に流され、謗法に流されて破滅(の寸前)まで迎えていくのではなかろうか。
考えたくはないことではあるが、このブログは常に警告を発する場(物言いの場)である。
そうならんように注意し、世の中を監視(監視社会ではない、為政者を多くの国民が監視するのである)し、よりよき未来にすべきなのだ。
だから、原発、石油、石炭発電等(エネルギー戦争を早める)に固執し、未来を潰すか、
太陽光、風力発電等(エネルギー戦争が遠のく)の普及拡大によって良き未来に導かれるか、
国民はこの二択を迫られていると申し上げているのである。
これは、国民の生活の根底にあることであるために、最重要課題の回答を出す必要がある。
未来を潰すか、未来を戦争のない世の中に進化させるかは御仁なのだ。
無論、「新尼抄」の御予言を持つ正法からすれば、その二択は、いずれも正法を選択する一択となる。
前者を選択すれば、エネルギー戦争は第三次世界大戦であり、これが早まれば、国立戒壇建立は近い。広宣流布となるからだ。後者を選択すれば、先延ばしとなる。小生のプロジェクトは、扉を閉めることにより第三次世界大戦を先延ばしにしようというプロジェクトであるが、開扉が禍をもたらしている可能性があるからだ。
閉めたところで禍は止まらないと思う御仁もいるだろう。その止まらないと思う気持ちが戦乱を早める可能性がある。諸天善神の怒りが人々の心に共鳴するからだ。
それでも扉を閉める試みだけは、する必要があると思っている。やらないよりはやって結果を見てみよう。
まずは3年扉を閉めて、世界がどのように変わってゆくのかを見てみるのだ。正仏法は、一択である。二択のうちどちらを選択しても将来的には正仏法を選ばざるを得なくなる。正法は一択なのである。
『立正安国論』
第二段 災難興起について経証を示す
第一章 災難興起の経文の証拠を問う
本文
客の曰く、天下の災・国中の難、余独り嘆くのみに非ず、衆皆悲しめり。今蘭室に入つて初めて芳詞を承(うけたまわ)るに、神証去り辞し災難並び起るとは何(いず)れの経に出でたるや、其の証拠を聞かん。
通釈
客のいわく。
天下の災・国中の難については自分独りが嘆いているのではない、民衆すべてが悲しんでいる。いま貴方のところに来て初めてその御見解を承ったが、いったい、善神・証人が国を捨て去るゆえに災難が並びおこるとは、何の経文に出ているのか、その証拠をお聞かせ願いたい。
語訳
蘭室
高徳の人の居室の意。香りの高い蘭のある室にいると、その香りが身に染まるように、高徳の人と共にいるといつのまにかその徳に感化を受けるというたとえから出た語。ここでは大聖人にお値いしてとの意。
芳詞(ほうし)
芳(かんば)しい詞、すなわち立派なお話の意。
神聖(じんしょう)
善神と聖人。
第二章 災難興起の経文の証拠を挙ぐ
一、金光明経を挙ぐ
本文
主人の曰く、其の文繁多(はんた)にして其の証弘博(しょうぐはく)なり。
通釈
主人のいわく
一切経の中にその文証は数えきれないほど多くある。
語訳
繁多
非常にたくさんあるという意
其の証弘博(しょうぐはく)なり
その文証は一切経中のいたるところにあるとの意
一切経
金光明経
大集経(だいしっきょう)
仁王経
薬師経
本文
金光明経に云く「其の国土に於て、此の経有りと雖も未だ嘗(かつ)て流布せしめず、捨離の心を生じて聴聞せん事を楽(ねが)わず、亦(また)供養し尊重し賛歎(さんたん)せず、四部の衆・持経の人を見て亦復(またま)た尊重し乃至供養すること能(あた)わず、遂に我等及び余の眷族無量の諸天をして、此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ、甘露の味わいに背き、正法の流(ながれ)を失い、威光及以(およ)び勢力(せいりき)有ること無からしむ。
通釈
まず金光明経(こんこうみょうきょう)にいわく。
四大天王が釈尊に申し上げていうには「その国土(日本国)において、たとえ此の経(本門の本尊)があっても、国王がそれを流布せしめず、また自ら受持しないだけでなく、捨離の心を起こして聞こうともせず、また身に供養することも、意(こころ)に尊重することも、口に讃歎(さんたん)することもせず、文底受持の行者(ぎょうじゃ)(日蓮大聖人および弟子檀那)を見ても尊重も供養もしない。このため、ついに我ら(四天王)および無量の諸天をして甚深(じんじん)の妙法(三大秘法の妙法)を聞かしめず、ゆえに諸天は甘露の味わい(三大秘法の食味)に飢え、正法の流れ(三大秘法の水流)に渇し、威光および勢力(せりき)がなくなってしまう。
語訳
此の経
附文の辺では金光明経、元意は三大秘法の随一・本門戒壇の大御本尊のこと。
捨離の心を生じて
正しい仏法を捨てて離れる意。この文は国王が捨離の心を生じたと解釈すべきである。
四部の衆
比丘・比丘尼(びくに)・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)の四衆のこと。比丘とは僧、比丘尼とは尼僧、優婆塞とは男の信者、優婆夷とは女の信者。
持経の人
正法を信じ持つ人。元意はそ、総じては大聖人の弟子檀那。別しては日蓮大聖人の御事である。
我等
帝釈天王を中心として世界の東西南北を守る四天王のこと。
甚深の妙法
一往は金光明経をさすが、再往は末法下種の三大秘法のこと。
甘露の味わいに背き
諸天善神が正法の食味に飢えること。三大秘法の題目を唱える者がないので、その食味に飢えていることをいう。
正法の流(ながれ)を失い
諸天が唯一の正法である三大秘法の水流を得ず、渇すること。
威光及以(およ)び勢力(せいりき)有ること無からしむ
諸天善神の生命力が衰え、国土及び民衆を守護する力を失なうこと。
●「供養」については、「日蓮大聖人および弟子檀那)を見ても尊重も供養もしない」ゆえに、諸天の威光と勢力(せりき)がなくなってしまうということ。
逆に言えば、尊重、供養をすることにより、諸天の威光と勢力がまた活発になるということでもあると思える。
ゆえに、日本はまだ平和の裡(うち)にあるのではないかと思うがいかがか。●
浅井先生講義
この諸天の威光勢力を増すのは三大秘法の法味以外にない。ゆえに日寛上人は
「学者まさに知るべし、日本国中皆すでに毒薬邪法の飲食(おんじき)なり、諸天何んぞこれを受けんや、ただ我が文底深秘(もんていじんぴ)の大法のみ無上の甘露正法なり、もしこれを供養せざれば諸天の威光如何(いか)ん、すべからくこの意を了(りょう)すべし、あえて懈(おこ)たることなかれ」と御指南されている。早朝勤行における天拝(てんぱい)の意はまさにここにある。
●諸天の威光勢力を保つために日本国唯一の正法団体は日夜供養等に励んでいるのだ●
本文
悪趣を増長し人天を損減(そんげん)し、生死の河に堕ちて涅槃の路に乖(そむ)かん。
通釈
その結果、国には四悪道(地獄・餓鬼・畜生・修羅)が増長し、人界・天界の楽しみは損減し、六道生死(ろくどうしょうし)の苦に堕ちて、四聖(ししょう)の道に背いてしまうのである。
語訳
悪趣
地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪道のこと。
人天(にんでん)を損減し
人界・天界の果報を損ない減ずること
生死(しょうじ)の河
地獄界から天界までの輪廻の生活
涅槃の路
仏界に至る道
本文
世尊、我等四王並びに諸(もろもろ)の眷属及び夜叉等、斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護(おうご)の心無けん、
通釈
世尊よ、我ら四天王ならびに諸(もろもろ)の眷属および夜叉等は、かくの如きこと、すなわち、”国王が三大秘法を流布せしめない”等の謗法を見て、その国土を捨てて擁護(おうご)する心がなくなってしまう。
本文
但だ我等のみ是の王を捨棄(しゃき)するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん。
通釈
ただ我ら四天王が捨て去るだけでなく、必ず無量の国土を守護する諸天善神も皆ことごとく捨て去るであろう。
本文
既に捨離し巳(おわ)りなば、其の国当(まさ)に種種の災禍有りて国位を喪失すべし。
通釈
すでに諸天善神が捨離しおわるならば、その国には種々の災禍が起こり、まさに国位を喪失するであろう。
語訳
国位を喪失
国主の地位を失なうこと。
●この語訳鎌倉幕府滅亡と深い関係があるとみえる。●
本文
一切の人衆皆善心無く、唯繋縛(ただけいばく)・殺害・瞋諍(しんじょう)のみ有つて互(たがい)に相い讒諂し、枉げて辜(つみ)無きに及ばん。
通釈
一切の人衆は皆善心がなくなり、ただ縛りあい、殺し合い、瞋り争うことばかりで、互いに讒言し合い、辜(つみ)のない者を無理に罪におとし入れるであろう。
語訳
繋縛(けいばく)
逮捕すること
瞋諍(しんじょう)
瞋り争うこと。
讒諂(ざんてん)
他人を讒言(ざんげん)して罪に陥れ、自分はへつらってよく思われようとすること。
枉げて辜(つみ)無きに及ばん
法を曲げて、罪のない者まで罰すること。
本文
疫病(やくびょう)流行し、彗星数(しばし)ば出て、両日並びに現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表わし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節(ぼううあくふうじせつ)に依らず、常に飢饉に遭いて苗実成(みょうじつみの)らず、
通釈
そして疫病は流行し、大火・兵乱の悪瑞たる彗星はしばしば現われ、二つの太陽が並び出たり、日月の薄蝕が不規則にあらわれたり、あるいは黒白の二虹が出て不祥の相を示し、流星は飛び、大地震は起き、井戸の中に地鳴りを生じ、時節はずれの暴雨・悪風が多く、常に飢饉が続いて苗も実も生育しなくなる。
語訳
彗星。ほうき星のこと。日寛正人の文段には「大火・兵乱の悪瑞なり」とある。
両日並び現じ
二つ以上の太陽が並んで現われる現象。一つは実物、他は幻日である。悪瑞といわれる。
薄蝕恒無く
日月の異変。「薄」とは太陽や月の光が薄くなること。「蝕」とは日蝕や月蝕のこと。「恒無く」とは日蝕・月蝕が不定期に起こること。
黒白の二虹(にこう)
七色の虹ではなく、黒や白の虹が出ること。革命や戦乱の前兆とされる。
地動き
地震や地すべり等をいう。
井の内に声を発し
地震等により、井戸の中から不気味な音を発することがある。
本文
多く他方の怨賊有りて国内を侵掠(しんりゃく)し、人民諸(もろもろ)の苦悩を受け土地として所楽の処(ところ)有ること無けん」上已。
通釈
また他国の怨賊が国内に侵掠し、人民は諸の苦悩を受け、安楽に生活できるところは国中どこにもなくなってしまうであろう。
浅井先生講義
『立正安国論』
「世尊、我等四王並びに諸の眷属及び薬叉(やしゃ)等、斯(か)くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無けん、但だ我等のみ是の王を捨棄するに非ず、必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん」
この文は、本宗に立てるところの「神天上(かみてんじょう)」という法門の出処・文証である。
大聖人は諸抄に「神天上」仰せ給うも、みなこの経文を依拠(えきょ)としている。
日興上人の「遺誡置文(ゆいかいおきもん)」には
「檀那の社参物詣を禁ずべし。いかに況んや其の器にして、一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣(もう)すべけんや、返す返すも口惜しき次第なり。是れ全く己義に非ず、経文・御抄等に任す云々」
とあるが、「経文」とはこの文を指す。
本宗では謗法の神社・仏閣への参詣を堅く禁じているが、その趣旨は全くこの金光明経の文ならびに立正安国論の御聖意による。
たとえ天照太神・八幡大菩薩を祀る神社であっても参詣しないのは、天照・八幡を軽んずるからではない、天照・八幡はすでに国を去り、替ってそこには悪鬼が乱入しているからに他ならない。ただし広宣流布の日には、天照太神・八幡大菩薩等の諸天善神はこの国に再び還住するのである。
「斯くの如き事を見て」等とは、国主が三大秘法を流布せしめず等のことを見て、諸天善神は国を捨て去るということである。
●現在世を見てみよう。全国各地で、人々は祭りの神輿を担ぎ、喜んで豊穣を祝っている。喜ぶは、TVメディアの映像が何より証明していよう。果たして、これを諸天善神が視て喜んでいるのであろうか。問題はそこである。人間界の人々は喜んでいても、天上界は喜ばぬではなかろうか。故に大地を震わし、さまざまな災厄(経済低迷、コロナ蔓延等)を国内に齎すのではなかろうか。
それが自然というならば、自然はそもそも目に見えんものゆえ、目に見えんものを見るは仏法界である。仏法界が見えるもの、それが自然災害と呼ばれる、もろもろの災難(大地震、大火、大風、大水、兵乱、疫病、飢饉)なのである。
それらが、治まり給えと鎌倉幕府は爾前経に明け暮れて邪宗の祈禱を行い、自ら(鎌倉幕府)を滅ぼしてしまったのであった。
神社には悪鬼が乱入している時代。現在日本の人気アニメーション作品「鬼滅の刃」が放映中である。そこにも念仏の悪僧が柱として出てくるわけだが、それがもとでさらなる諸天善神の怒りを買うことになるのではないかと恐れよう。鬼滅の刃は寺社の仏法上の理念を背景に描かれている。悪鬼が乱入するはまさにそのことを顕わしている。ゆえに、寺社仏閣には参詣するなとの強き誡め。人々は何も判らずに、今も、ただ喜びによって、年中行事の祭りに明け暮れるのであった。周りを見渡せば、たとえ国が破滅に導かれようともである。正法は、諸天善神の怒りを鎮めよう。そのことに気づけば、三災七難は遠のくことを信じるのだ●
その諸天善神とは如何に。
諸天とは
大梵天王
帝釈天王
大日天王
大月天王
ー等の天上界の衆生である。
大宇宙は一大生命体であり、それ自体十界を具えている。その中で
我々は人間界であり、
犬・猫等は畜生界
諸天はまさしく天界である。
諸天は正しい仏法を守護する功徳により、天上界の果報を得ているのである。
諸天の中で
三光天子(さんこうてんじ)
・大日天子(だいにってんじ)
・大月天子(だいがってんじ)
・大明星天子(だいみょうじょうてんじ)
以外は人の眼には見えないが、その働きは厳として存在している。
善神とは
日本においては天照太神・八幡大菩薩等を指す。
仏法における神とは、キリスト教の天地創造の神とは全く異なる。すなわち皇室の祖先等、実在の国主の崩御せるを、生けるがごとく崇めたものである。
ゆえに『神国王御書』には
「神と申すは又国国の国主等の崩御し給えるを生身(しょうしん)のごとくあがめ給う、此れ又国主・国人のため父母なり、主君なり、師匠なり、片時もそむかば国安穏なるべからず」
と仰せである。
ちなみに云えば、天照太神は皇室の先祖、また八幡大菩薩とは十六代応神天皇のことで、法華経の行者と正直の国王を百代にわたって守ることを誓っている。
それでは、これら日本の神がなにゆえ仏法と関わりを持つかといえば、実に天照太神・八幡大菩薩は釈尊の垂迹なのである。日本は仏法有縁(うえん)の国、なかんずく三大秘法有縁の妙国である。よって三大秘法を守護すべく、あらかじめ日本の王法(国主)として釈尊が垂迹し出現したのが神なのである。
ゆえに「日眼女抄」には
「天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり」と仰せられ、また産湯相承事(うぶゆそうじょうのこと)には
「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神の、我国に天下り始めし国は出雲なり、出雲に日の御崎と云う所あり、天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり」
と仰せられている。
このことがしっかり肚(はら)に入れば、日興上人が国立戒壇建立の時は王城(皇居)も富士に立てるべしとして
「なかんずく仏法と王法と本源躰一(ほんげんたいいつ)なり、居所随って相離(あいはな)るべからざるか、----------------尤(もっと)も本門寺と王城と一所となるべき由(よし)、且(かつ)は往古(おうこ)の佳例(かれい)なり、且(かつ)は日蓮大聖人の本願の所なり」(富士一跡門徒存知事)
日本本有(ほんぬ)の王法と下種仏法の一大事因縁、王仏冥合の究極の深意は、まさにここに存するのである。
●関東に巨大地震が発生して、東京首都移転となれば、富士に皇居が現れることになる可能性がある。これが国立戒壇の建立と同時期となるわけだが、その理由が上述の通りであるのだ●
諸天善神の力用は、今まで具に見てきた通りだが、大聖人竜の口の大法難の後日談として、本間邸の現証がある。
諸天善神の存在を一般世人はなかなか理解できないであろう。しかし現証を見てはこれを信ずべきである。
竜の口の大現証では、絶体絶命の頸の座に御坐りになられた大聖人を月のような光りものが突如としてあらわれ、ために太刀取り眼がくらみ、警護の兵士たちは皆おじけづき、腰を抜かしてしまった。
竜の口の大法難のあと、その翌日には、依知(えち)の本間六郎左衛門の邸の大庭において、月に向って大聖人が自我偈を読み、説法をされるや、明星が下り、これを見て数十人の兵士が驚いて縁より飛びおり庭にひれふすという奇瑞(きずい)があった。
これらについて大聖人は「四条金吾御消息」に次のごとく仰せられている。
「三光天子(さんこうてんじ)の中に、月天子は光物(ひかりもの)とあらはれ竜口の頸をたすけ、明星天子は四十五日已前(いぜん)に下りて日蓮に見参し給ふ、いま日天子ばかりのこり給ふ、定めて守護あるべきかとたのもしたのもし」と。
また、生きて帰る者なき佐渡に御流罪のおりも、大聖人は、諸天に命じて帰る旨を断言遊ばされていた。すなわち佐渡で入信した最蓮房に対し、次のような約束をされている。
「余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん、貴辺の御勘気疾疾(ごかんきとくとく)許(ゆり)させ給いて都へ御上り候はば、日蓮も鎌倉殿はゆるさじとの給ひ候とも、諸天に申して鎌倉に帰り、京都へ音信(おとずれ)申す可く候。又日蓮先立つてゆり候いて鎌倉へ帰り候はば、貴辺をも天に申して古京へ帰し奉る可く候」(最蓮房御返事)と。
「諸天に申して」「天に申して」とあるに注意すべきである。果せるかな、このご契約は少しも違わず、その翌々年の三月、大聖人は鎌倉にお帰りになり、またその翌年最蓮房も赦免を蒙(こうむ)ったのである。
これらはみな「諸天昼夜常為法故而衛護之(しょてんちゅうやじょういほうこにえごし)」の経文に違わず、諸天善神が常に影の身に従うごとく法華経の行者日蓮大聖人を守護申し上げた現証でなくて何であろうか。
●ここに重要な示唆がある。なるほど、大聖人は皇室(善神)に書状を奉進して、鎌倉にお戻りになられたのかということだった。「京都へ音信」とあるが、京都御所への密文によって、鎌倉殿の心を動かしたとみた。
確かに諸天善神の見計らいによって、大聖人は流罪を解かれたのである。果たしてそのことは調べようがあるまい。その書状が出てくればよいのだが、密文となればわからんだろう。いずれにせよ、諸天と天皇(善神)家の御威光で守護を受ける法華経の行者大聖人であられる。その大慈大悲の御本仏を鎌倉幕府はまず理解できず。他国侵逼、蒙古の襲来が始まりし前段階でも鎌倉幕府は真言密教の祈禱によって諸天善神の怒りを激増(憎)させていったのであった。●
諸天の守護について
共業(くごう)
別感(べっかん)
ーがある。
共業
謗法の国土に住すれば、たとえ正法を持つ者といえども、謗法者と諸共に諸天の擁護(おうご)を蒙らずに共に災を感ずる。
「開目抄」
「謗法の世をば守護神すて去り諸天まほるべからず、かるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし、還って大難に値うべし、金光明経に云く『善業を修する者は日日に衰減す』等云々、悪国・悪事これなり。具(つぶ)さには立正安国論にかんがへたるがごとし」の仰せがこれである。
●戦国時代は、戦国武将織田信長の時代、法華経法論を行うも正法を行ずるものにしるしなし、還って大難に値うべしの現証となって顕われた。善業を修する者は日日に減衰していった戦国時代。謗法の限りを尽くして業火に消えた織田信長。本能寺、法華宗の寺院で焼かれるはあまりにも皮肉であった。まったく経文の通りの現証ではなかったか。●
別感とは
「諌暁八幡抄」
「此の大菩薩は宝殿(ほうでん)をやきて天にのぼり給うとも、法華経の行者日本国に有るならば、其の所に栖(す)み給うべし。法華経の第五に云く『諸天昼夜常為法故而衛護之(しょてんちゅうやじょういほうこにえごし)』、経文の如くんば、南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等昼夜に守護すべしと見えたり」
ーの仰せのごとく、たとえ謗法の国土に住していても、大聖人のごとき不惜身命の正法の大行者あらば、諸天善神は別してこの国に来臨影響(らいりんようごう)して、守護することをいうのである。
●とどのつまり、日本は、正法を不惜身命で信じ、行ずる者があるならば、諸天善神はこの国に来臨して守護するということだ。ゆえに、以前申し上げた通り、正法を唱える唯一の団体が、諸天善神を喜ばせ、日本の滅びを止(とど)めているということが云えるのである。無論、諸天善神の怒りの方が、喜びを超えれば、国土を不幸に導くのであろうがね。
謗法によって、諸天善神は此の国より去り、悪神、悪鬼乱入しようとも、正法を唱えれば、諸天善神が守護することもあるということ理解する必要があるということでもある。
ゆえに正法唯一の団体が、謗法を避け続けている限り、国土は諸天善神によって守られる。怒りが喜びを超えなければ守られるのだ。これを別感の守護というのである。●
●ここからが、1980年に公開された草刈正雄主演『復活の日』の世の中である。小生はいつかこの『復活の日』という映画を具(つぶ)さに分析して、書き顕わしていきたいと思っている。まずは、本文をご覧あれ。北条時頼殿御覧の恐怖の文言を理解することができよう。●
『立正安国論』
二、大集経を挙ぐ
本文
大集経に云く「仏法実に隠没(おんもつ)せば、鬚髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。
通釈
大集経にいわく。正しい仏法が一国社会から隠没(おんもつ)すれば、人々のひげ、かみ、爪は皆だらしなく伸び、貪瞋痴の三毒は強盛となり、世間の道徳や国法も乱れくるであろう。
語訳
大集経
方等部に属する経典。引用の文は大集月蔵経法滅尽品(がつぞうきょうほうめつじんぼん)の一節。
鬚髪爪皆長く
鬚は「ひげ」、髪は「かみ」、爪(そう)は「つめ」のことで、これらをだらしなく伸ばすことは、風俗が乱れ、礼儀が廃れることを示す。ここでは貪瞋痴の三毒強盛なるを表わす。すなわち髪の長いのは貪欲をあらわし、爪の長いのは瞋りをあらわし、鬚の長いのは愚癡をあらわす。
●群雄割拠の戦国の世を顕していそうだ。●
諸法も亦忘失せん
正法が隠没(おんもつ)すると、世間の道徳・規律などの節度も失われるとの意。
本文
当(そ)の時虚空(こくう)の中に大(おおい)なる声ありて地を震い、一切皆遍(いっさいみなあまね)く動ぜんこと猶(なお)水上輪(すいじょうりん)の如くならん、
通釈
その時、空中に大きな声があって大地震がおこり、地上のすべてのものがあたかも水車のように動転しよう。
語訳
大(おおい)なる声ありて地を震い
大地震の時には不気味な轟音が響いて大地がゆれる。
水上輪
水車のこと。ここでは大地震の時大地がゆれるさまは水車のごとくであるとの意。
本文
城壁破れ落ち下り、屋宇(おくう)悉(ことごと)く圮(やぶ)れ坼(さ)け、樹林の根(こん)・枝(し)・葉(よう)・華葉(けよう)・菓(か)・薬(やく)尽(つ)きん、唯(ただ)浄居天(じょうこてん)を除きて欲界(よくかい)一切処(いっさいしょ)の七味三精気損減(しちみさんしょうけそんげん)して余り有ること無けん、
通釈
城壁は破れ落ち、家々はみな破れさけ、また樹木の根・枝・葉・華葉(花びら)・菓の薬が失せてしまうであろう。ただ天界の浄居天を除いて、欲界の一切の七味・三精気(さんしょうけ)は損減してなくなってしまう。
語訳
樹林の根(こん)・枝(し)・葉(よう)・華葉(けよう)・菓(か)・薬(やく)尽(つ)きん
華葉(けよう)とは華中の葉すなわち花びらのことで、枝葉の葉ではない。樹林の根・枝等から薬が抽出されるが、この薬味の成分が一切の草木から失せてしまうこと。
浄居天
色界の十七天の中で最後の五天
・無煩天(むぼんてん)
・無熱天
・善見天
・善現天
・色究竟天
ーをさす。
天上界も人間界と同じく法滅の禍を受けるが、果報の高い天界の衆生が住んでいるこの浄居天だけは除かれるのである。
●あの地獄の第二次世界大戦中、富のある者は、疎開先でも浄居天の如くであった。天界の衆生は、人界においても云えるのやもしれん。まさに裕福極まり、何の苦もないのが浄居天の衆生ではなかったか。●
欲界
欲望の世界。すなわち六道の中には
地獄
餓鬼
畜生
修羅
人間
天上界の中の六欲天
・四王天
・忉利天
・夜摩天
・兜率天
・化楽天
・他化自在天
ーをさす。
七味
甘い
辛い
すっぱい
苦い
しおからい
渋い
淡(あわ)い
ーの七種の味。
日寛上人の文段には「甘・辛(しん)・酢(さく)・苦・鹹(かん)・渋(じゅう)・淡(たん)、これを七味と謂う云云」とある。
三精気(さんしょうけ)
・地精気
・衆生精気
・法精気
ーのこと
精気とは生命力。すなわち地精気とは五穀草木を繁茂させる大地の生命力
衆生精気とは社会大衆の生命力
法精気とは仏法の力
ーである。
本文
解脱(げだつ)の諸(もろもろ)の善論(ぜんろん)当の時一切尽きん、生(しょう)ずる所の華菓(けか)の味(あじわ)い希少(けしょう)にして亦(また)美(うま)からず、諸有(しょう)の井泉池一切尽(いせんちいっさいことごと)く枯渇し、土地悉く鹹鹵(かんろ)し敵裂(てきれつ)して丘澗(くけん(けんは日→月が正)と成らん、
通釈
また社会を指導するもろもろの善論も、その時には一切失われよう。生ずるところの華菓(けか)の味も美(うま)くなく、すべての井戸や泉や池はことごとく乾(かわ)き、土地はみな荒地となり、地割れがしてでこぼこになるであろう。
語訳
解脱(げだつ)の諸(もろもろ)の善論
解脱とは、煩悩の束縛から脱して安穏な境界に達すること。「解脱の諸の善論」とは、ここでは幸福になるための世間・出世間のさまざまなよい教えのこと。
希少(けしょう)にして亦(また)美(うま)からず
天変地夭の時には、花・菓・果実等はあまり熟(な)らない上に、味が悪いことをさす。
鹹鹵(かんろ)
塩分が強くて作物ができない不毛の土地のこと。
敵裂(てきれつ)
裂けて割目ができること。
丘澗(くけん(けんは日→月が正)
丘は小高い丘、澗(くけん(けんは日→月が正)は山と山とにはさまれた谷川のこと。すなわち丘澗とは大地に高下ができることを意味する。
本文
諸山皆燋燃(しょせんみなしょうねん)して天竜雨(てんりゅうあめ)を降らさず、苗稼皆枯死(みょうけみなこし)し、生ずる者皆死(か)れ尽くして余草更に生(しょう)ぜず、
通釈
諸山はみな焼けて雨は降らず、稲の苗は枯れ、生ずる植物も皆枯死(こし)し、余草も一切生じない。
●大旱魃の様相である。●
語訳
諸山皆燋燃(しょせんみなしょうねん)して
あらゆる山が異常乾燥によって山火事を起こすこと。
●現在のアメリカ合衆国内の頻発する山火事が想定できそうだ。その災害規模は東京都の面積以上である。恐るべし。●
天竜雨(てんりゅうあめ)を降らさず
天・竜共に天界の衆生で、天は天神、竜は竜神で竜王およびその部衆をいう。四天王の眷族で雨を司るとされた。
苗稼
穀物の苗のこと。
本文
土(つち)を雨(ふ)らし皆昏闇(こんなん)にして、日月明(にちがつみょう)を現ぜず、四方皆亢旱(しほうみなこうかん)し、数(しばし)ば諸(もろもろ)の悪瑞(あくずい)を現じ、十不善(じゅうふぜん)の業道(ぎょうどう)・貪瞋痴倍増して、衆生の父母(ふも)に於ける之を観ること獐鹿(しょうろく)の如くならん。
通釈
大風が土を巻き上げて降らし、空は暗くなって日月の光も消されてしまう。四方はみな日照りでからからになり、もろもろの悪瑞が現われ、十不善業、とりわけ貪・瞋・癡が倍増して、人々は自分の父母を見ること、あたかも猟師が獐鹿(しょうろく)を見るごとくで、父母を殺害するようなことも起きる。
語訳
十不善(じゅうふぜん)の業道
十種類の悪の業因のこと。すなわち
・殺生(せっしょう)
・偸盗(ちゅうとう)
・邪淫(じゃいん)
ーの身業の三悪
・妄語(嘘をつく)
・綺語(巧みに飾り立てた語)
・悪口(あっく)(人のわるくちをいう)
・両舌(りょうぜつ)(二枚舌を使う)
ーの口業の四悪と、
・貪
・瞋
・癡
ーの意業の三悪
合計十不善である。
本文
衆生及び寿命・色力(しきりき)・威楽(いらく)減じ、人天(にんでん)の楽(たのし)みを遠離(おんり)し、皆悉(みなことごと)く悪道に堕せん、
通釈
衆生の生命力は衰え、寿命も体力も威楽(いらく)も減り、人天(にんでん)の楽から遠ざかり、皆ことごとく悪道におちるであろう。
語訳
色力(しきりき)
体力のこと。
威楽減じ
生命力が衰え、はつらつさを失ない、楽しみがなくなること。
本文
是(か)くの如き不善業(ふぜんごう)の悪王悪比丘(あくおうあくびく)、我が正法を毀壊(きえ)し天人の道(どう)を損減(そんげん)し、諸天善神王の衆生を悲愍(ひみん)する者、此の濁悪の国を棄てて皆悉く余方に向わん」上已。
通釈
このような不善業の悪王・悪僧が、我が正法を破壊し、天上界・人間界の道を損減する。ために衆生を憫(あわ)れむべき諸天善神は、この濁悪の国を捨てて皆ことごとく余方(よほう)に行ってしまうのである。
濁悪
五濁悪世の略。五濁とは
・劫濁(こうじょく)
・煩悩濁
・衆生濁
・見濁
・命濁
ーである。
浅井先生講義
もろもろの災難は、不善業の悪王・悪比丘が正法(三大秘法)を毀壊(きえ)し、ために諸天善神がこの濁悪の国を棄てるがゆえであるとの御趣旨である。
●爾前経に執着する真言師が皇室に取り入って濁乱としているはいつからであろうか。そのために国の傾き急速成るが如しではないか。正法は内から破られるとなれば、創価学会第三代会長の謗法によるだろうが、どちらにも日本を傾かせるだけの力があるように思える。●
三、仁王経を挙ぐ
本文
仁王経(にんのうきょう)に云く「国土乱れん時は先ず鬼神乱る、鬼神乱るるが故に万民乱る。賊来りて国を劫(おびや)かし、百姓亡喪(もうそう)し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。
通釈
仁王経にいわく。国土が乱れんとする時には先ず鬼神が乱れる。鬼神乱れるがゆえに万民が乱れるのである。そして他国の賊は侵入して国をおびやかし、ために多くの民衆は殺され、所を追われて流浪の民となる。
語訳
仁王経
釈尊一代五時のうち般若部の結経。
鬼神乱る
餓鬼道の中の一種。日女御前御返事には「此の十羅刹女(じゅうらせつにょ)は上品(じょうほん)の鬼神として精気を食す。疫病の大鬼神なり。鬼神に二あり、一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨(あだ)を食す。悪鬼は法華経の行者を食す」とある。悪鬼は病気を起こしたり、功徳・慧命(えみょう)を奪う働きをする。
●まさに「鬼滅の刃」の如くであろう。上弦の鬼、下弦の鬼などが出てきそうではないか。●
百姓亡喪し
百姓とは一般民衆のこと。多くの大衆が殺され、また流浪の民となることをいう。
是非を生ぜん
意見が対立して争いが起こること。
本文
天地怪異(けい)し二十八宿(にじゅうはつしゅく)・星道(せいどう)・日月時を失い度を失い、多く賊起ること有らん」と。
またその時には天変地夭が起き、二十八宿や星や日月の運行が常軌を逸して、速度や高低が乱れ、国内に多くの賊が起こるであろう。
語訳
天地怪異(けい)
天変地夭のこと。
二十八宿
中国の天文説で、ほぼ黄道(こうどう)(地球から見て太陽の運行する道)沿いに定めた二十八の星宿(星座)のこと。
星道(せいどう)・日月時を失い度を失い
太陽・月・星の運行速度が乱れたり、軌道がはずれることを意味する。
賊起ること有らん
自界叛逆のこと。
●1467年以来の戦国時代も自界叛逆のことであり、内乱は百年以上にも続くのである。鬼神乱れに乱れている結果であろう。●
本文
亦(また)云く「我今五眼(ごげん)をもつて明(あきらか)に三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍(つか)えしに由(よ)つて帝王主(ていおうしゅ)と為ることを得たり。
通釈
またいわく、仏が五限を以って明らかに過去・現在・未来の三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に仕えた功徳によって帝王主(ていおうしゅ)となることができたのである。
語訳
五限
・肉眼(にくげん)
・天眼(てんげん)
・慧眼(えげん)
・法眼(ほうげん)
・仏眼(ぶつげん)
ーのこと。
・肉眼(にくげん)は普通の人間の眼
・天眼(てんげん)は天界所具の眼で遠近・昼夜・内外を問わず物事を見ることができる眼。
・慧眼(えげん)は二乗の智慧の眼。
・法眼(ほうげん)は菩薩が一切衆生を度するために、法門を照了(しょうりょう)する智慧の眼。
・仏眼(ぶつげん)は三世十方(さんぜじっぽう)の一切の事物を見通す仏の眼。
三世
過去世・現在世・未来世のこと
本文
是(ここ)を為(も)つて一切の聖人羅漢而(しか)も為に彼の国土の中に来生(らいしょう)して大利益を作(な)さん。若(も)し王の福尽きん時は一切の聖人皆為(みなため)に捨て去らん、若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」上已。
通釈
この功徳のゆえに、一切の聖人や羅漢がその帝王の国土に生れ来て大利益をなすのである。しかしもし王が正法に背いて福運が尽きた時には、一切の聖人は皆捨て去るであろう。もしすべての聖人が去る時には七難が必ず起るであろう。
語訳
羅漢
阿羅漢の略で、小乗経を修して得る果位。声聞の四種の聖果の最高位。
七難
仁王経、薬師経、大集経と、経によって多少その内容は異るが、仁王経の七難は、後文に説かれるように、
一に日月失度難、
二に星宿失度難(せいしゅくしつどなん)
三に諸火梵焼難(ぼんしょうなん)
四に時節返逆難(じせつほんぎゃくなん)
五に大風数起難
六に天地亢陽難(こうようなん)
七に四方賊来難
ーである。
浅井先生講義
この仁王経の「国土乱れん時は先ず鬼神乱るるが故に万民乱る」とは、災難興起の原理の中の「魔来り鬼来り、災起り難起る」の文証である。
鬼神とは六道の一たる鬼道、すなわち餓鬼界の摂属であり、鬼(き)に善鬼(ぜんき)と悪鬼(あっき)がある。悪鬼は「鬼便りを得る」「悪鬼其の身に入る」等のごとく、人の生命力を衰えさせ、正法を行ずる者を悩ませ、国土を乱す働きをする。この意味において、魔の働きと同様とみて差し支えない。
また「若し王の福尽きん時は一切の聖人皆為に捨て去らん、若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」とは「聖人所を辞して還らず」の文証である。
いま「聖人去らん時は七難必ず起らん」について深く思うに、大聖人は身命を賭して三たび御諌暁の後は、鎌倉を去って身延に入山あそばされている。そしてその年の秋、蒙古は襲来したのである。
未驚天聴御書(みきょうてんちょうごしょ)の「事三ヶ度に及ぶ今は諌暁を止むべし、後悔を至すなかれ」の仰せ、また下種本仏成道御書の
「本より期(ご)せし事なれば、三度国をいさめんにもちゐずば国をさるべしと。されば同五月十二日にかまくらをいでて此の山に入る。同十月大蒙古国よせて壱岐(いき)・対馬の二箇国を打ち取らるるのみならず、乃至、仁王経には『聖人去る時は七難必ず起る』等云々」
との仰せを思い合わせるに、この一文の元意が拝せるであろう。この経文は、大聖人を境として国に現証あらわれるの明鏡といわねばならない。
ただし大聖人は末法下種の主・師・親にてあらせられる。よって、去って、去り給わず。このゆえに日本も他国侵逼を受け、而(しこう)して亡びなかったのである。
●は小生
~~
これを記述してつくづく思うが、将来の順縁広布。寛容と多様性はなく一乗に帰することで、日本は仏国になる。
その寛容と多様性とは、一体何なのかということである。
以前、「スターバックスコーヒー」(極めて平等を愛する店)で日本の先進性を自慢したが、よく日本は寛容と多様性のある国民ということが云われている。明治維新後は、あらゆる宗教を受け入れるが如くに受け入れ、クリスマス、バレンタインデー、ハローウィーンなど西洋文化の一切が資本主義が日本に齎されたと同時に怒涛の如く移入(乱入?)してきた。
根底には資本主義商売があるのであろうが、これほど、いわゆる和洋折衷によって、様変わりしてしまったことは今までの日本文化ではなかったことではなかったか。
江戸時代以前は、「純粋の日本」であり、明治以降は、「半粋の日本」とでも謂い表そう。
将来的に世界は一つになる可能性があり、醜い争いが人類滅亡へと導くならば、これを止める勢力が必ず時代、時代で現れるはずである。
正法には、寛容性、多様性はなく、但一乗に帰せよとの仏法界の思し召し。そうしなければ日本は滅ぶという。日本を滅ぼして寛容性、多様性を世界の為に維持発展させるか、一乗に帰して、平和を齎すか(これがあの創価学会の謗法者第三代会長池田大作の苦悩であったのではなかったか)。
そのような選択を果して「今」する必要があるのであろうか。
『立正安国論』は、かなり急激なる暗黒の地球大気圏下の出来事である。そこまで地球温暖化は進行してしまっているのかというくらいの暗黒下にある。上述の『立正安国論』通りである。もうじき来そうではあるが、人々(世界)の政策如何では、もう少し後(100年後?)になる可能性がある。無論東京に巨大地震が発生した場合は、一巻の終わりであろうがね。
いずれにせよ、国民に寛容性があり多様性があるにしても、政治に寛容性、多様性があるだろうか。全体的には、多様な政党が乱立している。しかしながら個々を見てみよう。ある政党を支持すれば、他の政党は、邪党であろう。あらゆる政党に我に正義ありと認識すれば、それは、我こそが正法であるということとあまり変わりはあるまい。
ただ、正法の何たるかを知れば、世俗の政治政党とは絶対に比較してはならんがね。あまりにも一乗の正法が神聖過ぎるからだ。
民主主義という体制は、相対立した政党間が相争う構図をよしとしている。そこに寛容性はない。多様性もない。だから似ていると申し上げるのである。自民党一党時代を観れは一目瞭然であろう。
現在の自民党の支持率を見よ。寛容があれば、許してしまうであろうが、常軌を逸し、あまりにも非常識、不法性を問われて国民は許さず。悪の権化となった自民党に怒りの鉄槌を国民が振り下ろさんとしている。
これが現在の自民党であり、邪法、邪教、謗法者と同類なのである。だから、諸天善神は、謗法に染まり精神を汚している者に対し、怒りの鉄槌を下すのである。人間界は国民が自民党に怒りを感じている。
その論理ご理解いただけたであろうか。
「先進国では老人が増え、子どもは増えない」世界最高の知性が警鐘する日本の未来「今こそ日中が協力しあって人口問題に立ち向かうべき」
集英社
最後の部分。日本は、核兵器を持つべきか。
向こう10年で開発可能とアメリカが分析しているため、日本の科学技術力をもってすれば、核兵器を持つことはできてしまうであろう。
問題は、軍事独裁者が現れたときに核兵器を持つことの危険性であろう。
タカ派の安倍晋三が再び現れてみよ。国はいとも簡単に、戦時準備法制、治安維持法(共謀罪法)を通せた(次は、緊急事態条項の実現か、国家総動員法か)。何よりもその危険性を証明しているではないか。
軍事独裁者の出現によりあの時にもたらされた悪風そのものが問題なのだ。ゆえに、日本は破滅的な軍事増税に喘(あえ)がなければならんことになるわけだが、以下の記事通りなのだ。