このブログは、仏法画 『正法 第一章 諸天逆切 ~瞋りの怨嫉~』を説明するものである。

大聖人御在世は、武家の世の黎明期、乱世前夜の政治体制であり、鎌倉幕府が日本国の政治運営をしていた時代である。

 

 日蓮大聖人は末法の一切衆生の主・師・親(しゅ・し・しん)であられる。

『開目抄』

「日蓮は日本国の諸人に主・師・父母なり」

 

『百六箇抄』

「今日蓮が修行は、久遠名字の振舞に芥爾(けに)計(ばか)り(少し)も違わざるなり」

 

『産湯相承事(うぶゆそうじょうのこと)』

「日蓮は天上天下の一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり」

 

『出世本懐成就御書』

「設(たと)い大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば、梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへに、罰しがたかるべしと存じ給うべし」

 

『聖人知三世事(しょうにんちさんぜのこと)』

「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀(きょうき)し、刀杖を加え、流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責するなり」

 

『王舎城事(おうしゃじょうのこと)』

「法華経の敵(かたき)となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給いて、皆人に見懲りさせ給えと申しつけて候。日蓮 法華経の行者にてあるなしは、是れにて御覧あるべし。乃至、あへてにくみては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」

 

『蒙古事(もうこのこと)』

「蒙古の事、すでに近づきて候か。我が国の亡びん事はあさましけれども、これだにも虚言(そらごと)になるならば、日本国の人々いよいよ法華経を謗じて万人無間地獄に堕つべし。彼だにも強(つよ)るならば、国は亡ぶとも謗法はうすくなりなん」

 

『滝泉寺申状』

「聖人国に在(あ)るは日本国の大喜にして、蒙古国の大憂なり」

 

『下種本仏成道御書』

「天照太神・正八幡宮も頭(こうべ)をかたぶけ手を合わせて地に伏し給うべき事なり。乃至、梵釈左右に侍(はんべ)り、日月前後を照らし給う」

「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」

 

富士山は、郡名であり、本名を「大日蓮華山」という。

日本国は富士山の有無によって日本国の有無はある。

 

臨終は人生の総決算である。

その臨終によって、未来の果が判る。

臨終の善悪は仏法の邪正による。

 大聖人は謗法が悪臨終を招くことについて、真言宗の元祖等を例として次のように仰せられている。

『教行証御書』

「一切は現証には如(し)かず。善無畏(ぜんむい三蔵)・一行(いちぎょう)が横難・横死、弘法・慈覚が死去の有様、

実(げ)に正法の行者是(か)くの如くに有るべく候や」

 

『断簡』

「法然が一類八十余人、一人も臨終よきものとてなし」

 

『下種本仏成道御書』

「眼前の現証あり。乃至、日蓮こそ、念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底に堕つべしと申したりしが、此の人々の御臨終はよく候いけるか、いかに」

 

『生死一大事血脈抄』

「所詮、臨終只今にありと解(さと)りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是(こ)の人命終(みょうじゅう)せば千仏手(せんぶつみて)を授けて、恐怖せず悪趣に堕ちざらしむ』と説かれて候」

 

『上野殿御返事』

「日蓮生れし時よりいまに、一日片時も心安き事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」

 

『諌暁八幡抄』

「今日蓮は、去(い)ぬる建長五年四月二十八日ゆおり今弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」

 

『諸法実相抄』

「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし、是れあに地涌の義に非(あら)ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的にするなるべし」

 

『如説修行抄』

 「法華折伏・破権門理(はごんもんり)の金言なれば、終に権教(ごんきょう)・権門(ごんもん)の輩を一人もなくせめをとして法王の家人(けにん)となし、天下万民・諸乗一仏乗(しょじょういちぶつじょう)と成りて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず、雨壤(あめつちくれ)を砕かず、代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払い、長生(ちょうしょう)の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕われん時を各々(おのおの)御覧ぜよ。現世安穏の証文疑い有るべからざる者なり」

 

日興上人の御遺誡

「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通(ぐづう)を致すべき事」

 

仏法の邪正を決する法論では

『教行証御書』

「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず。彼々(かれがれ)の経々と法華経と、勝劣・浅深、成仏・不成仏を判ぜん時、爾前・迹門の釈尊なりとも物の数ならず、何(いか)に況(いわ)んや其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王(だいぼんのう)の位にて、民とも下(くだ)し鬼畜なんどと下しても其の過(とが)有らんやと意得(こころえ)て宗論すべし」

 

『兄弟抄』

 「此の法門を申すには必ず魔出来(ましゅったい)すべし。魔競わずば正法と知るべからず。第五の巻に云く『行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る、乃至、随うべからず畏るべからず。之に随えば将(まさ)に人をして悪道に向かわしむ、之を畏(おそれ)れば、正法を修することを妨(さまた)ぐ』等云々。此の釈(しゃく)は日蓮が身に当るのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」

 

『兵衛志殿御返事』

「潮の干(ひ)ると満つと、

月の出づると入ると、

夏と秋と、冬と春との境には、

必ず相違する事あり。

 

凡夫の仏になる、又かくのごとし。

 

必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば、

賢者はよろこび

愚者は退くこれなり」

 

 

『授記品』

「魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん」

 

『下種本仏成道御書』

「人をよく成すものは、方人(かたうど)よりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり。乃至、日蓮が仏にならん第一の方人(かたうど)は景信、法師(ほっし)には良観(りょうかん)・道隆(どうりゅう)・道阿弥陀仏(どうあみだぶつ)、平左衛門尉(じょう)・守殿(こうどの)ましまさずんば、争(いかで)か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」

 

仏法画4番目「破邪」はその大法弘通について顕わしている。

 

仏法画④

 

破 邪

 

 

昭和54年(西暦1979年)3月10日 松竹映画作品

 

元寇押し迫る鎌倉時代、末法の御化導が遂に開始される。本作品はその時代をビジュアルに知ることのできる名(迷?)作である。