テレビ新潟
【特集】裏金問題で高まる政治不信 元日の地震による影響 与野党は「休戦状態」 《新潟》
問題は、本年元日の大地震が先難であり、凶兆であるということである。
自民党裏金問題は、解散総選挙に至るだけのスキャンダルではある。しかし、果たして総選挙になったところで、自民党以外に多くの国民が票を入れるとも思えん。
以前、巨大地震は、政権与党に自民党が存在しないときに発生すると申し上げたが訂正しよう。1995年1月の阪神淡路大震災。時の首相は社会党の村山氏ではあったが自社さ連立の政権であったのだ。
自民党が政権与党に存在していたとしても巨大地震は発生していた。今回も自民党岸田政権で巨大地震が発生していることを鑑みれば、政権与党に自民党があろうがなかろうが巨大地震は発生するということである。
問題は、2011年の巨大地震だが、国民は多額、巨額の復興費(原発廃炉費用含む)に頭を悩ませなければならず、そのことに反感を買っている可能性があろう。ゆえに旧「民主党」では、票が入りづらい状況だ。
いずれにせよ、自民党裏金問題は、現在の自公政権の終わりの始まりにしたい支配層の思惑である。
なぜそうせねばならんのかが問題である。推察としては、「戦乱」と「バブル崩壊?」が近いからではないかと思われる。
またぞろ与野党連立で、国難を切り抜けようとする支配層の出来レース権謀である。
小生はそう見ているがいかがか。
自民党だけの責任にはしたくないはずなのだ。だから、まずは、自民党の票を減らして野党に花を持たせ、与野党連立を企てていく。まるで、1990年代初頭のバブル崩壊後の政治の流れ(そうして、自民党政権が崩壊後、自社さ連立政権となった)だが、同じような目論見が行われようとしている可能性が高い。歴史は繰り返すのである。
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最近思うに、小生は餓鬼道に入りしこと大聖人の如しとなっているような気がしている。
大聖人御在世の折、あの大法難中の大法難、竜の口の法難(死刑執行)の大現証の起こったあと、国家権力(鎌倉幕府)は、大聖人を厚木の依智(えち)(現在の下依知)にある館に預ける。この館の主は、佐渡の守護代であり、本間六郎左衛門という。
(既に、この時、大聖人、佐渡流罪が決定していたのではないかと思われる。)
竜の口の大現証(月の如く光りたる物の出現により、死刑を免れる)により、竜の口に居た数百人の兵士は度肝を抜かされ、慌てふためき、逃げ惑っていた。
その兵士たちの心にはすでにあの途轍もない前代未聞の大現証により、敵意は全く消え失せ、尊敬の念が湧いていた。
大聖人は彼等の労をねぎらい、酒を取り寄せふるまわれた。
このあと兵士たちは悉く大聖人に帰依し奉るのであるが、国家権力者は、約一か月ほど、本間六郎左衛門邸に滞留させている。その間、佐渡へ流罪するか、しないかの評議を重ねていったのであろうが、結果、佐渡流罪となった。
おそらくは、その一か月の間、代わる代わる酒を振舞われ、山ほどの食糧が本間邸に運び込まれたのではないか。
まさに、餓鬼道を経ていた可能性があるのだ(そのように振舞ったは悦びのあまりの本間殿であろうとは思うが)。
文永八年十月十日(1272年)大聖人は、依智を発ち、同二十八日に佐渡に到着。御供申し上げた弟子の数名は途中で帰され、佐渡への御供は二十六歳の日興上人ただ御一人であった。
大聖人に住居として充てられたのは、死人の捨て場所である塚原という山野に建つ、一間四面の廃屋「三昧堂(さんまいどう)」であった。とうてい人の住めるところではない。ここがどれほど凄まじいところであったか。
「上は板間あはず、四壁はあばらに、雪ふりつもりて消ゆる事なし。かゝる所に敷皮(しきがわ)打ちしき蓑うちきて、夜をあかし日をくらす。夜は雪・雹(あられ)・雷電(いなずま)ひまなし、昼は日の光もさゝせ給わず、心細かるべきすまゐ(い)なり」(下種本仏成道御書)と。
屋根も壁もすき間だらけ、凍るような寒風は吹きぬけ、床には雪がふりつもるという有様、ほとんど屋外と変わらない。
当時の日本は寒冷期であったから、佐渡の冬は零下二十度、三十度まで下ったと思われる。その中で、寒を防ぐは茅で編んだ蓑一枚、食糧もない、そのうえ命を狙われている。
「衣(きぬ)薄く、食ともし。乃至、現身に餓鬼道を経、寒地獄に堕ちぬ」(法蓮抄)と。
このような寒地獄、凡夫なら三日と命はもたないであろう。
この部分である。「現身に餓鬼道を経」ということ。小生も現在何かに憑りつかれたように貪り食うことをしているではないか。まさに餓鬼道に堕ちているのである。
子供は、成長のために、貪り食うように食物を山ほど食べる餓鬼である。その大将をガキ大将というのではなかったか。
ある種のストレスなのかわからぬが、腹が減り、余計にものを、時も、恥も、外聞も、空気も読まずに関係なく食うのである。まさに餓鬼道の所業であろう。
大聖人の御振舞を現世で地でゆくとすれば、次は、寒地獄ではないか・・・と思うのである。
さて、地獄が出てまいったところで、十界論を申し上げよう。
この大宇宙は大きく分ければ有情と非情で構成されている。有情とは、人間や動物など心・感情・意識を持つ生物のことで、広く衆生という。非情とは、草木・国土など心の働きを持たないものをいう。しかし委細に観察すれば、草木・国土等の非情にも色(しき)(物質)・心(しん)(精神活動)の二法が具(そな)わっている。
十界とは、この宇宙に存在するすべての有情を、その境界にしたがって、十種に分類したものである。
そして非情世界はこの有情の所依(しょえ)となる国土であるから、宇宙法界は広漠といっても、すべてはこの十界に収まる。
十界の名を挙げれば、
地獄
餓鬼
畜生
修羅
人間
天上
声聞
縁覚
菩薩
仏界
ーである。
仏界
菩薩
縁覚
声聞
天上
人間
修羅
畜生
餓鬼
地獄
としても同じことである。
まず大宇宙における十界を説明する。
地獄界はこの閻浮提(全世界)の地下
一千由旬にある等活地獄から
二万由旬にある無間地獄までの
八大地獄等で、
殺人・五逆罪・謗法などの悪行を犯した者がこの界に生ずる。
餓鬼は『正法念経』に三十六種が明かされている。
畜生は魚・鳥・獣(けだもの)などの動物
修羅は身長八万四千由旬 四大海の水も膝にすぎずといわれる。
人間界 我々人類
天上界
帝釈天王
大梵天王
日天子
月天子
四王天
二乗(声聞・縁覚)は舎利弗・目連等
菩薩は本化・迹化のごとし。
仏界は一往、釈迦・多宝のごとくである。
人間界に具わる十界
十界論で重要なことは、我々人間界にまた十界が具(そな)わり、御本尊を信ずることにより、所具の仏界が湧現(ゆげん)して成仏させて頂けるということである。
人間界のなかに、地獄界があり、また、畜生界があり、仏界が現れるということ。
大聖人御自らが、「寒地獄に堕ちぬ」(法蓮抄)と仰せられているところからも云えることであろう。
47News
自民裏金、終わらない不正と制度改正の「いたちごっこ」 自浄能力に疑問符、政治不信払拭の解決策とは?
「歴史は繰り返す」
格言とも謂えるこの歴史的事象が何度も繰り返されるわけだが、過去の歴史が繰り返されれば未来が見えるのである。ゆえに、「予言者」が「予言者」たる理由は、過去を調べ、精査した結果、未来がわかるということなのだ。
何が云いたいのかと言えば、この政治とカネ問題は「いずれ再び必ず起るだろう」ということが確実に云えるということだ。これを予言という。予言を軽んじる御仁は理解できたかね?
問題は、次の政治とカネ問題をどこの政党が起こすのか? だが、これも「予言」できるだろう。
自民党がある限り、「自民党が再び政治とカネ問題に巻き込まれる」ということだ。
確実に未来に起こる事象である。これを的を射て、確実なことだから「的確」というのではなかったか。
しかも、未来を読む(予言)ことは、どこでもあることだ。
天気予報にせよ、他に、投資の世界、どのような分野のトレードにせよ、過去を検証して未来を読むのである。このように人々は絶えず、未来を読もうと努力しているのである。
いずれにせよ、自民党への醜聞が国民の怒りを買っている。とはいえ、自民党に票を入れる多くの国民が存在することも確かであり、東京の八王子市などは、与党議員、選挙圧勝で炎上中(まわりの国民の反感を買っている)のようだが、政治とカネ問題がこのように軽んじて受け止められるがために、再び繰り返されてしまうのだよ。
ちなみに、「以前、巨大地震は、政権与党に自民党が存在しないときに発生すると申し上げたが訂正しよう。1995年1月の阪神淡路大震災。時の首相は社会党の村山氏ではあったが自社さ連立の政権であったのだ。」の部分だが、一度は下野した自民党は、1995年1月には連立与党となって政権の座についていることを申し上げておこう。今回の記事では判りづらいであろうからだ。
AERA.dot
裏金事件で支持率急落も岸田首相は意気軒昂 秋の自民党総裁選までに狙う「大逆転」シナリオ 古賀茂明
古賀先生にはつくづく頭が下がるわけだが、係争中の沖縄のコガ弁護士先生との関係がぎくしゃくしているため、印象としては悪いイメージとなってしまう心の葛藤がある。まったくのプライベートのことだがね。
日本は特に名前とイメージの印象を強く持つ民族と思われ、「アベ」などという苗字の人物がいざカリスマ的存在として現れると、「アベ」のつく人々が皆天狗となって鼻高々となるのである。
しかも、「ベ」がつく人々も「アベ」の仲間意識が強くなり、アベ友となっていくのではなかったか。
日本の言霊印象操作は、現在も未来も永遠に続く様相である。
さて、的を射た今回のニュースだが、まったくその通りと謂わざるを得んであろう。
支配層の思惑を見事に突いている、石油業界も真っ青の分析力である。
石油業界と現政権の癒着=日曜日だけガソリン価格を安く操作して、国民の批判、不満を封じ込めて政権維持を図る戦略。
今回は「タマ」と表現しているが、まさにこのようなことが日本国内で行われているのである。
「米国コンプレックスの強いバカな日本国民は嫌なことを忘れて」の部分などは、「岸田ブーム」を持ち上げる武器となろう。
おそらくは、今年いっぱいこのように政治業界は推移していく可能性が高い。
あとは、首都圏直下などの巨大地震が発生しないことを祈るばかりであろう。
国民はそれでなくても政治の裏金問題で感情が疲弊しているのである。
with news
明るい空に「ドーン!」2日連続で現れた〝火球〟話題に なぜ「火球」のニュースが増えたのか
彗星が凶兆であることは、数百年も前から理解されている。
今年は激動の時代と思えば、その凶兆が何を意味するのかがわかろうものである。
大聖人御在世の彗星は、他国侵逼の前兆であった。人心乱れて自界叛逆。人々は意識、無意識に戦乱に導かれていったのである。
『法蓮抄』
「立正安国論を造りて最明寺入道(北条時頼)殿に奉る。彼(か)の状に云く詮取此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり。乃至、其の後文永の大彗星の時は又手ににぎりて之を知る」と。
諸天は何ゆえこの大地震・大彗星を現わしたのかといえば、
『法蓮抄』
「予、不肖の身なれども、法華経を弘通する行者を王臣人民之を怨(あだ)む間、法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神いかりをなして身をふるひ、天神(てんじん)身より光を出して此の国をおどす。いかに諌むれども用ひざれば、結句は人の身に入って自界叛逆せしめ、他国より責むべし」と。
また、『瑞相御書』には、
「人の悪心盛(さかん)なれば、天に凶変・地に凶夭(きょうよう)出来(しゅったい)す。瞋恚の大小に随(したが)って天変の大小あり、地夭も又かくのごとし」と。
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ここで、彗星の出現とは全く関係はないが、顕正会での「成人式」は、どのような心で臨んでいるのかが理解できる顕正新聞の内容をご覧いただこう。
成人は、従来20歳を迎えた若者を祝うものとして、日本の年中行事の一つに挙げられよう。世界には、20歳を18歳成人として、徴兵制を敷き、若者を戦地に送れるように制度を改変した歴史のある国家もある。
日本は、2022年より18歳成人の法律が出来上がったため、然りである。既に日本も戦争モードとも云える。すると「第3次世界大戦」が見えてくるのである。
これが、現政権与党の負の遺産であり、我々はどうあがこうとも戦争へと誘(いざな)われていくのだ。
『顕正新聞 令和6年(2024年)1月25日』
新成人の中に宿縁深き人材が
「顕正会で、なぜ成人式をやるのか。毎年私(浅井先生)は、世間の成人式とは、全く違った心で臨んでいる。というのは、宗門においては昔から、年に一度総本山において、小僧さんたちをもてなす儀式があるという。これは”この小僧さんの中より日目上人がお出になる”との精神から、行われると聞いている。
広宣流布・国立戒壇建立の時、日目上人が御出現になられるという云い伝えは、宗門七百年の伝統である。もし日目上人が総本山にお出になられるのなら、在家・信徒の中にも、御在世の上野殿、あるいは熱原の法華講衆、あるいは日妙殿のような方々が出ないはずはない。
すでに時は広布の前夜である。ならば”成人を迎える若い人々の中に、そのような方々が―”と私は思っている」と。
顕正会の成人式とは、若き地涌の流類が二十歳になったことを機として”いよいよこれから生涯不退の御奉公を貫かせて頂きます”と大聖人様に誓い奉る儀式ーそれがこの成人式なのであります。
―ここまで
小生は、広宣流布後、国立戒壇建立は成るが、成り方が不穏のため、どうかと思っている。「新尼抄」の御予言にせよ、どう考えても、絶対的に多くの日本国民が地獄へ堕ちるのである。単なる地獄ではない。無間地獄に堕ちるのだ。
人間界に地獄界が湧現する事象を、つい最近目の当たりにしたわけだが、あの事故はまさに、地獄の様相である。
何と老夫婦が運転した車が、大型トラック車両に挟まれ30cm程にプレスされてしまったのである。乗員は、即死であろうし、見るも無慚であったはずである。
このような悲惨、味わいたくないものだが、八大地獄のうちのいずれの地獄であったのかを見ることができる。
『顕謗法抄』等
黒縄(こくじょう)地獄
等活地獄の下にある。獄卒が罪人をとらえて熱鉄の地に押し伏せ、熱鉄の縄で身体に墨縄をうち、その線に沿って熱した鉄の斧で切り削る。あるいは山の上に鉄の縄をはり、その上を鉄山を背負って渡らせ、落ちれば身体が粉ごなになる。この苦しみは等活地獄の十倍といわれる。
衆合地獄
黒縄地獄の下にある。獄卒が罪人をかり立てて山の間に入らせる。このとき山が迫って押しつぶし、身体は砕け血が大地に河のごとくに流れる。あるいは鉄の山が罪人の上に落ちて罪人を砕いたり、あるいは鉄の臼に罪人を入れ鉄の杵(きね)でつくという。
これに近い地獄を味わったのではなかろうか。
MBSNEWS
車は押しつぶされ厚さ30センチに…大型トラックが突っ込み軽乗用車が大破 70代夫婦死亡 トラック運転手「前を見ていなかった」現行犯逮捕もその後釈放
老夫婦のいずれかの因果が、地獄を齎したのであろうか。このような地獄の不幸はなぜ生じてしまうのか。因果の実態を見ることにより、そのことを理解することができる。
彗星の凶兆、ただならぬ。大多数の日本国民の地獄堕ち。これを避けるにはどうすればよいのか。
幸・不幸はなぜ生ずるのか。
人の果報はさまざまである。生まれついて恵まれた福運を持った者もいれば、一生の間、病気・貧乏・家庭不和で苦しんだり、人に軽んじられたりする者もいる。これらの幸・不幸は偶然に生ずるものではない。因なくして果はなく、果のあるところ必ず因がある。仏法はこの因果を、現世だけでなく三世にわたって説き切っている。
大聖人は『開目抄』に「心地観経」を引いて
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ」と。
ー自分が過去にどんな事をしてきたかを知りたかったら、現在受けているその果を見よ。また将来どんな果報を得るかを知りたかったら、いま為しつつある所行を見よーと。まことに因果は鎖の輪のごとくで、誰人もこの因果の理の外にあることはできない。
さらに『開目抄』には般泥洹経(はつないねはんきょう)を引いて
「善男子、過去に曾て無量の諸罪・種々の悪業を作る。是の諸(もろもろ)の罪報は、或(あるい)は軽易(きょうい)せられ、或は形状醜陋(ぎょうじょうしゅうる)、衣服(えぶく)足らず、飲食麤疎(おんじきそそ)、財を求むるに利あらず、貧賤(ひんせん)の家・邪見の家に生れ、或は王難に遭い、及び余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力(くどくりき)に由(よ)るが故なり」と。
ー善男子よ、過去世に無量の罪業・悪業を作れば、その罪の報いとして今生に、あるいは人に軽んじられ、あるいは姿かたちが醜く、着るものは足らず、食物は粗末、財を求めても損ばかりし、貧賤の家、邪見の家に生れ、あるいは権力による迫害を受けたり、その他もろもろの人間としての苦報を味うであろう。だが、その苦報を転じて現世に軽く受けるのは、これ正しい仏法を護持する功徳による―と。
一番恐るべきは、「謗法」であり、「謗法」をすることによりどのような罪報が齎されるのかということである。
謗法の罪報
では、謗法による罪報はどのようなものであろうか。『法華経譬喩品』には法華経(末法においては三大秘法)を誹謗する者の、三世にわたる因果を次のように説いている。
「若(も)し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば、則(すなわ)ち一切世間の仏種(ぶっしゅ)を断ぜん。乃至、其の人命終(みょうじゅう)して阿鼻獄に入(い)らん。一劫を具足して劫尽きなば更(また)生まれん。是(かく)の如く展転(てんでん)して無数劫(むしゅこう)に至らん。
地獄より出でては当(まさ)に畜生に堕つべし。若し狗野干(いぬやかん)としては其の形𩑔痩(かたちこつしゅ)し、黧黮疥癩(りたんけらい)にして人に触嬈(そくにょう)せられ、又復(またまた)人に悪(にく)み賤(いや)しまれん。常に飢渇(けかち)に困(くる)しんで骨肉枯竭(こつにくこかつ)せん。生きては楚毒(そどく)を受け死して瓦石(がしゃく)を被らん。仏種を断ずるが故に斯(こ)の罪報を受けん。乃至、若し人と為ることを得ては、諸根暗鈍にして、貧窮下賤(びんぐげせん)にして人に使われ、多病痟痩(たびょうしょうしゅ)にして依怙(えこ)する所無く、人に親附(しんぷ)すと雖(いえど)も人意(こころ)に在(お)かじ。若(も)し所得有らば尋(つ)いで復(また)忘失(もうしつ)せん。若し医道を修め方(ほう)に順じて病を治せば、更に他の疾(やまい)を増し、或(あるい)は復(また)死を致さん。若し自ら病有らば人の救療(くりょう)すること無く、設(たと)い良薬(ろうやく)を服すとも而(しか)も復(また)増劇(ぞうぎゃく)せん。若(も)しは他の返逆(ほんぎゃく)し抄劫(しょうこう)し竊盗(りっとう)せん。是(かく)の如き等の罪、横(よこし)まに其の殃(わざわい)に羅(かか)らん」と。
悪業・罪業にもいろいろある。殺人・窃盗・詐欺なども悪業であるが、これら世間の悪業よりも、悪の中の大悪・罪の中の大罪は謗法、すなわち末法においては日蓮大聖人を憎み、御本尊を誹謗することである。この謗法により死して後、阿鼻獄(無間地獄)に堕ち、地獄の寿命終ってのちは畜生に生じ、また人間と生まれてはさまざまな苦悩を味うのである。
恐るべきは死後の堕獄
もし生命の永遠を知り三世の因果を知れば、人として最も恐るべきは死後の堕獄である。
ここで問題にすべきは、公明党、創価学会のわけだが、まさに、師敵対、仏法違背の大謗法を犯し奉っているという事実を全国民が知るべきであろう。
ここに、日本の傾く理由が隠されているのである。
現代ビジネス
「あなたは祖国のために戦えますか」櫻井よしこ氏の炎上発言に思い出す「元海軍主計少佐」が語った「大東亜戦争の大教訓」
さて、歴史が繰り返されているということに気づくべきなのであるが、1930年11月18日に、地涌の菩薩の集団として活動を本格化した「創価教育学会」。この団体はあの忌まわしき「創価学会」の前衛、前身であり、牧口常三郎氏が、世の危機的状況を察して立ち上げた団体であろう。
時代背景としては、
1923年 関東大震災が発生、他国侵逼への号砲が遂に鳴り響いてしまった。
経済は大混乱をきたし、日本の金融恐慌が1927年に発生。その2年後(1929年)には、アメリカ発の世界恐慌へと導かれていった。
1930年に創価教育学会が立ち上がり、日蓮を立てなければ、日本(当時は大日本帝国)は滅ぶとあの当時も叫んでいたはずである。
国立戒壇の建立以外に、日本を救う道なしの精神は、その頃から存したはずである。
そうして、大折伏が敢行されていったのであろうが、第二次世界大戦が熾烈を極め、遂には、地涌の菩薩であろうがなかろうが、国家神道に抗った人々は、投獄の身となっていった。
1931年9月18日に満州事変勃発。第二次世界大戦への口火が切られる。
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満洲事変(旧字体: 滿洲事變)は、1931年(昭和6年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍がポーツマス条約により大日本帝国に譲渡された南満洲鉄道の線路を爆破した事件 (柳条湖事件)に端を発し、関東軍による満洲(中国東北部)全土の占領を経て、1933年(昭和8年)5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)のこと。中国側の呼称は九一八事変。関東軍は約6か月で満洲全土を占領した。
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国家神道。日本は、神を立てて、第二次世界大戦を、何とその後の世界の超大国となるアメリカ合衆国を相手に戦わねばならなくなるとは誰が想像したであろう。
今回の記事にあるように、第二次世界大戦は多大なる犠牲者が出るのであるが、未だに「櫻井よしこ」のような国家神道派が幅を利かせ、日本はそのような一部のタカ派、過激派によって、戦争へと誘(いざな)われてゆくのである。
歴史は繰り返されんとしているようである。
結局は、大聖人の御遺命である「国立戒壇の建立」の大目標は、第二次世界大戦下では完全に潰えたかのように見えたが、戦後も日本国家は潰れずに、続いたことによって、続くことになった。
問題は、国立戒壇の建立の時機がいつなのかということである。あの当時も相当な危機感のもとに、国立戒壇の建立を叫んでいたはずである。「日蓮を立てなければ、国が滅ぶ」。この危機感は、現実のものとなって、1945年を迎えることとなった。何と、本土決戦、東京は焼け野原となり、広島、長崎には原爆が投下され、見るも無慚となった。
これが、仏法違背の主客顚倒、諸天善神の怒りをまともに受けた姿であったのだ。日本国内の謗法により、諸天は激怒していたのである。
大日本帝国軍部も戦争末期になると「なぜ、このような大戦争が発生して、国家の存亡の危機が齎されてしまったのか」を思っていたようである。そのために、将校、石原莞爾氏(のちの陸軍中将)の発言が重要視され、楠木正成(くすのきまさしげ)のように戦えというお達しが軍上層部より戦地最前線になされた。
楠木正成は猛将であり、謗法の限りを尽くした鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇旗下の武将である。勝利を収めるには楠木正成の精神を見習えというわけだが、法華経の肝心を知っていた石原氏であったはずである。軍部は特攻隊を「神風」といい、これも西暦1200年代、大聖人御在世の二度の蒙古襲来の折の「神風」を採って名付けている。軍部は完全に、正仏法が何たるかの域に達していたのである。
歴史は繰り返すとすれば、1923年に発生した関東大震災は、2011年の東日本大震災の可能性もあろう。
なぜか、その後日本は、世界戦争へと誘(いざな)われてゆくのである。それは、安倍晋三という第六天の魔王憑りつく首相の出現によってであり、それを遣わしたは、仏法界の可能性があることも捨てきれん。
そうであったとしても、日本は、急速に戦争モードへと切り替わっていくのである。
集団的自衛権の行使容認の法律
特定秘密保護法
共謀罪法制
18歳成人制度
専守防衛を逸脱した敵基地攻撃型防衛システム容認
他戦争関連法諸々
(そのうち緊急事態条項、国家総動員法が成立していくのではなかったか)
―と次から次へと国民を縛る法律を現政権与党は成立させていった。
1923年の関東大震災から1931年の満州事変までわずか8年。1945年の第二次大戦の終戦までに22年。2011年東日本大震災から8年後といえば、2019年だが、そうそう正確に歴史が繰り返すこともなかろう(第三次世界大戦終戦が2033年か)。しかし、隣国に不穏な動きが出ていることも確かであり、近い将来世界戦乱になる可能性は十分にあるだろうし、現在の自衛隊内部はそう感じているのではなかろうか。
現在の顕正会の活動は、「順縁広布」を目指している。御在世の逆縁広布ではない。順縁広布となれば、衆生はすべて反発することなく「国立戒壇の建立」を望むのである。
果たして現在はそのような機運にあるだろうか。その機運がない場合はどうなのか。また、滅び去るしかないのであろうか。日本は一度、国家神道を立てて国を滅ぼしている。謗法の限りを尽くした結果である。現在はどうなのか。意識、無意識に謗法の限りを尽くしているのではなかったか。
ということは、またぞろ亡び去るしかないくらいに危機的状況がつくられていくのではなかったか。
創価の牧口常三郎氏は、第二次世界大戦下で獄中死を遂げた。第三代目会長池田大作は、謗法の限りを尽くし、日本を傾かせた。その後にあるのは、国家の滅亡であろう。その寸前までを味わった後、「国立戒壇の建立」となるのではなかったか。
我々は、その渦中にあって、脱しえぬ。どうすればよいのかは、判っている。判ってはいるが、判らぬ者が、判らぬままに、謗法を重ねるから、国が傾いて行くのである。
どうすればよいのか。答えは出ている。地獄を見たくば、謗法に与(くみ)すればよい。わざわざ、知っていて謗法をする御仁でもあるまいに。
日本は、傾く。どうあがいても、傾くしかなくなっているのである。
意識して謗法を止めにかかろう。天上界の諸天善神が常に笑っているようになるには、「法華経」の肝心を全国民が知っていることなのである。
そのことができないために、傾くしかない。であるならば、やはり、第三の道が必要だ。
その第三の道に導くがために、現在の小生がある、とみているのである。
世界戦争回避のプロジェクトとして今後世に出る仏法画『第一章 諸天逆切 ~瞋りの怨嫉~』
公開の時期が近づいているようである。
今回のブログ、「怨嫉」を感じていただけたかね?
戦争は、
恨みと恨みのぶつかり合い
爆発と爆発のぶつかり合い
怒り(瞋恚)と怒り(瞋恚)のぶつかり合い
憎しみと憎しみのぶつかり合い
地獄と地獄のぶつかり合い
―である。
諸天の怒り頂点に達すればどのようなことが国家レベルで起こるかも理解できたはずである。
どうすれば、禍(第三次世界大戦)を先延ばしにできるのかを考え抜いた結論が、「御開扉」の完全閉扉である。
先ずは3年、扉を閉めて、どう変わるのかを見れば、閉扉の意味が理解できよう。
そのために、為すことは、以下の通りである。
あらゆることは仏法よりこと起こること
まもなく詳細にそのプロジェクトを公開することとしよう。
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顕正新聞 令和6年(2024年)1月25日
食は薬なり
「芙蓉茶寮の冷凍食品」
かつて浅井先生は
「顕正会員は安いコンビニ弁当を食べて御奉公に出かけている。しかし、コンビニ弁当は安いけれど食品添加物等の発がん性物質がたくさん入っている。広宣流布の前に大事な人材に何かあってはいけない」
―と芙蓉茶寮を開設のご決断をされました。
以来、芙蓉茶寮は浅井先生のお心のまま、広宣流布の輺重部隊としての誇りを胸に、日夜たゆまぬ努力を続けています。
芙蓉茶寮では、原材料は国産品およびそれに準ずるもので賄い(中国産は徹底排除)、保存料・化学調味料・遺伝子組み換え食品も最大限に排除し、醤油・塩などの調味料も吟味された最高級品を使用しています。
管理栄養士を筆頭に、和洋中はもちろん洋菓子部門に至るまで、一流店で経験を積んだスタッフが腕をふるっていますが、その創意工夫たるや驚きと感動を覚えます。
衛生管理の厳しさも含め、一切の妥協をせず、徹底的に吟味された商品を提供できるのは芙蓉茶寮しかないと自負しております。
世間は、食品業界に限らず嘘とゴマカシだらけです。利潤だけを追求する姿は枚挙に暇(いとま)がなく、それらを見るたびに浅井先生が顕正会員の健康を思い「食」にまで心を砕いて下さったご慈愛を深く嚙みしめます。
口から入る食品は、その人の健康や寿命を左右します。添加物を毎日微量でも摂り続けていけば、その弊害は後々現れます。
芙蓉茶寮には、全国津々浦々まで「作りたての美味しさ」をお届けできるオンラインショップがあります。
その鍵を握るのが、最先端の冷凍技術です。
通常、食品を冷凍すると、解凍時に旨味成分・栄養成分がドリップとなって流出してしまい、栄養・美味しさ・食感が損なわれてしまいます。
しかし急速凍結することで、細胞が壊われる時間帯を一気に通過させ細胞破壊を最小限に防ぐことができます。
急速凍結されたパン・スイーツも、解凍後には出来立ての美味しさが味わえます。特に、「解凍したてのパンは焼き立て以上に美味しい」と冷凍パンにはまる人も増えています。
これまでの「冷凍おにぎり」は、食べる前のレンジアップが基本で、自然解凍をするとボソボソする点が悩みでした。
しかし、最新鋭の凍結機を昨年に導入してからは「自然解凍」で食べられるようになりました。冷凍おにぎりとは思えないほどの美味しさです。
口に入れた瞬間に米粒がほろほろっと広がり、食感も旨味も最高です。酢飯も出来立ての味わい、揚げ物も揚げたて同様の美味しさです。
夏場は傷みに留意が必要ですが、茶寮の冷凍おにぎりは自然解凍しながら持ち歩くこともできます。
お弁当やお惣菜を家庭で冷凍すると食感や風味が落ちてしまいますが、最新の冷凍技術を用いれば、多種多様の食材を使用する茶寮弁当やお惣菜も、食品添加物や化学調味料を使わずに美味しさを保って冷凍保存することができます。
御奉公で忙しい顕正会員こそ、芙蓉茶寮の冷凍食品を上手に利用したいものです。
今後、避けて通れぬ災害時に、備蓄用として芙蓉茶寮の冷凍食品があれば、なお安心です。
「レンジアップ・湯せん・自然解凍」で食べられる「手軽さ」、そして何より、この品質でこの価格は世間では、絶対にあり得ないと断言できる「安価」を思えば、日常にも非常時にも頼もしい存在です。
詳しくは芙蓉茶寮オンラインショップをご覧ください。
輺重(しちょう)部隊