聖人知三世事(ちさんぜのこと)には
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀(きょうき)し、刀杖(とうじょう)を加へ、流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責(ひっせき)するなり」と仰せられている。
大聖人は国家の大事を思って書き著した衝撃の書、時の国主、北条時頼に奏進された『立正安国論』において、かくのごとく国土に災難のおこる原理を明かされている。
「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来り鬼来り、災起こり難起こる」と。
一国こぞって邪法に執着して日蓮大聖人の正法に背くならば、諸天善神はその国を捨てて去り、聖人も所を辞して還らない。このゆえに魔・鬼が国土に乱入し、災難がおこる―と仰せられている。
ついでこの『立正安国論』において、国中の邪法の代表として念仏宗を挙げ、その邪義を破折された上で、「早く天下の静謐(せいひつ)を思わば、須(すべから)く国中の謗法を断つべし」と国主に促されている。
この『立正安国論』は、その文末において、もし邪法に執着して正法に背き続けるならば、必ず他国によって我が国が破られることを断言されている。これが『立正安国論』の肝要であるということだ。
その結果、あの御在世における多くの日本の民が恐怖した「蒙古の襲来」があり、明治期に入っては、遂に、大日本帝国が国家神道を国教としたために、崩壊。見事に御予言が証明されてしまったのである。
諸天善神
まずは、「日天子(にってんじ)についてみてみよう。
太陽と彗星、大地震との関係についてである。
彗星と呼ばれる流れ星が地球周辺に到来することは、数百年以上前から記録に残っている。
文永元年(1264年)七月にも大彗星たるものが出現している。これは、正嘉元年(1257年)の大地震の七年目の事だった。
大聖人御在世には前後の時代に比べて彗星が多発しているが、この彗星の巨大さは前代未聞で「長さ一天にわたる」といわれ、まさに全天空を横断する長大さであった。
彗星は古来より『兵乱の凶兆』とされ、経典にも多く示されている。
彗星はどこから出現するのかといえば、最近の天文学によれば、彗星のふるさとは太陽から十兆キロメートルも離れた「オールトの雲」である。太陽はここから彗星を引き寄せたうえ、太陽熱と太陽風によって、青白い光芒を放つあの長い尾を作らせるという。これをみれば彗星はまさしく太陽の眷属である。そして太陽は仏法においては「日天子」といわれ、諸天の一つである。
彗星といえば、
約70年ごとに現れるハレー彗星。
日本の人気アニメーション作品『機動戦士ガンダム』の登場人物である「赤い彗星のシャア」を連想させよう。
ジオン公国の軍人シャア・アズナブルに至っては、『兵乱の凶兆』を見事に表していることが理解できるだろうか?
アニメ『機動戦士ガンダム』の戦争哲学はここにおいても見受けられるのである。
一般常識では彗星も地震も、「自然現象であって人間社会とは何ら関係はない」と思うだろう。しかしそう見るのは、限られた部分だけをみて全体を見ない凡夫の偏見である。
人間は大宇宙から生じたものであり、これを生ぜしめた宇宙は、人間を一細胞とする一大生命体である。ゆえに、その中にあるあらゆる存在は、相互に関連し影響し合っているのだ。
今取り上げた前代未聞の正嘉の大地震・文永の彗星について大聖人はどのように仰せられているか。『法蓮抄』をみると以下の記述がある。
「立正安国論を造りて最明寺入道(北条時頼)殿に奉る。彼(か)の状に云く詮取此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり。乃至、其の後文永の大彗星の時は又手ににぎりて之を知る」と。
諸天は何ゆえにこの大地震、大彗星を現わしたのか。
「予、不肖の身なれども、法華経を弘通する行者を王臣人民之を怨(あだ)む間、法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神いかりをなして身をふるひ、天神身より光を出だして此の国をおどす。いかに諫(いさ)むれども用ひざれば、結句(けっく)は人の身に入って自界叛逆せしめ、他国より責むべし」と。
諸天善神の怒りの理由が垣間見られたであろうか。法華経の肝心たる「南無妙法蓮華経」を弘める大聖人を、国主・人民怨(あだ)み迫害するゆえに、二千余年前、法華経の会座において釈尊に「末法の御本仏を守護し奉る」と誓った諸天善神は怒りをなし、まず大地震・大彗星をもってその国を威(おど)す。だがなおも迫害を続けるならば、ついに諸天は人の身に入って自界叛逆せしめ、さらに他国よりこの国を責めしむると仰せられている。
その諸天善神。御本仏の御化導を助け奉るにおいて、まことに重要な存在である。もし仏法を浅薄に理解して諸天善神の存在を軽視するならば、御聖意を如実に拝することはとうていできない。
諸天善神の取り計らいこそ、日本の命運がかかっていると言えるだろう。
まず、諸天とは、その名を挙げれば大梵天王・帝釈天王・日天・月天・四王天などで、本来、宇宙に具わっている仏法守護の生命活動である。
これを十界の上から論ずれば、まさしく天上界の衆生である。仏法は宇宙法界の衆生をそれぞれの境界にしたがって十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩・仏)に分類しているが、諸天はこの天上界に属する。
仏法を守護する功徳により、天上界の果報を得ている。
この部分は最重要であろう。
そして、善神とは、天照太神・八幡大菩薩等をいう。「神」といっても、キリスト教における天地創造の「ゴッド」とは全く異なる。ゴッドは架空の存在であるが、仏法上の善神は実在である。
すなわち天照太神は皇室の祖先で日本国最初の国主。八幡大菩薩は第十六代・応神天皇のことである。このように、実在する有徳の国主の崩御せられたるを、生けるがごとく崇めたのが仏法上の神である。
「神と申すは、又国々の国主等の崩御し給へるを、生身(しょうしん)のごとくあがめ給う。此れ又国王・国人のための父母なり、主君なり、師匠なり。片時も背かば国安穏(あんのん)なるべからず」(神国王御書)と。
天照太神・八幡大菩薩を父母、主君、師匠としてこれに片時でも背けば、国の安穏は破られるとの仰せである。
では、これら善神がなぜ仏法に関わりをもっているのかといえば、日本は仏法有縁(うえん)の国であり、とりわけ下種本仏が出現される世界唯一の国である。この御本仏を守護するために、あらかじめ日本国の国主として出現したのが天照太神・八幡大菩薩なのであると。
ゆえに、大聖人の著わした「日眼女抄」では、
「天照太神・八幡大菩薩も、其の本地は教主釈尊なり」と。
また「産湯相承事(うぶゆそうじょうのこと)」には
「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神の、我が国に天下り始めし国は出雲なり。出雲に日の御崎と云う所あり、天照太神始めて天下り給う故に日の御崎と申すなり」と。
この仰せのごとく、天照太神・八幡大菩薩は共に釈尊の垂迹であり、久遠元初下種の南無妙法蓮華経を守護するため、日本国に出現されたのである。
これら善神の力用も、つきつめれば諸天と異なるところはない。よって諸天と同じく「宇宙に具わる仏法守護の働き」と理解すればよい。
では、諸天はなぜ末法出現の日蓮大聖人を守護し奉るのかといえば、理由は二つある。
一には、南無妙法蓮華経こそ諸天自身が成仏を得ることのできた大法である。その大法を日蓮大聖人が末法に弘通される。どうしてこの大恩を報じないことがあろうか。
二には、法華経会座における釈尊との誓いを果たすためである。
まず、一についていえば、法華経の序品を拝見するに、梵天・帝釈・日月・四天等の諸天は、もろもろの菩薩等とともにその会座に連なり、前四十余年には未だ聞いたことのない甚深の法を聴聞した。しかし法華経の迹門においては未だ成仏叶わなかった。そして本門寿量品にいたって、初めてその文底に秘沈された久遠元初の下種の南無妙法蓮華経を覚知し、「妙覚の位」という真実の仏果を得ることができたのである。この自身成仏の大法が日蓮大聖人によっていま末法に弘められる。どうしてその大恩を報ぜぬことがあろうか。
ゆえに法華経・安楽行品には
「諸天は昼夜に、常に法の為の故に、而(しか)も之を衛護す」と説かれている。
二については、釈尊が日蓮大聖人の末法弘通を予言証明するために、法華経神力品において上行菩薩に寿量品文底の大法を付属したことは前に述べた。さらに釈尊は次の嘱累品(ぞくるいほん)において、もろもろの諸天に対し「末法の法華経の行者」を守護すべきを命じている。
この仏勅に対し諸天は
「世尊の勅(みことのり)の如く、当(まさ)に具(つぶ)さに奉行すべし」
との誓言を、三たび繰り返し誓いを立てている。つたなき者は約束を忘れ、高貴な人は約束を違えずという。梵天、帝釈、日月、四天等の果報いみじき諸天が、どうしてこの堅き誓いを忘れることがあろうか。
人間なら寿命も短いゆえに、釈尊在世の人が末法まで生き長らえるということはない。しかし寿命長き諸天にとっては、二千二百年などはわずかの日数でしかない。
たとえば、
四王天の一昼夜
人間の五十年
人間の二千二百年
四王天の四十四日
わずか四十四日で、どうして仏前の堅き誓いを忘れることがあろうか。
ゆえに大聖人は祈祷抄において
「人間の五十年は四王天の一日一夜なり。乃至、されば人間の二千二百余年は四王天の四十四日なり。されば日月並びに毘沙門天王は仏におくれたてまつり四十四日、いまだ二月(ふたつき)にたらず。帝釈・梵天なんどは仏におくれ奉りて一月一時にもすぎず。わずかの間に、いかでか仏前の御誓い並びに自身成仏の御経の恩をば忘れて、法華経の行者をば捨てさせ給うべき」と仰せられている。
時間・空間ともに諸天の尺度は人間とは異なるのである。
諸天の力用
日蓮大聖人を怨嫉迫害する国を、諸天がどのように罰するかを重ねて述べる。
諸天はまず大地震・大彗星・異常気象・大飢饉・大流行病などの天変地夭でこれを罰し、それでもなお迫害を止めなければ、人の心に入って内乱を起こさしめ、ついには隣国の王を動かしてその国を責めしめる。
梵天・帝釈・日月・四天等は、このように宇宙的スケールの力用を以て大聖人を守護しその御化導を助けまいらせている。これら諸天の中でも、我々の目に見えて力用を発揮しているのが、日天(太陽)と月天(月)である。
「法華経の行者をば諸天善神守護すべきよし、嘱累品(ぞくるいほん)にして誓状をたて給い、一切の守護神・諸天の中にも、我等が眼に見へて守護し給うは日・月天なり。争(いか)でか信をとらざるべき」(四条金吾殿御返事)と。
太陽や月に精神活動があるごときこの仰せは、世間の人々の理解を超えるであろう。しかし仏法は宇宙自体を一大生命体として、その中の太陽・月等もことごとく色法(物質)と心法(精神)を具えた生命体としてとらえる。
草木や国土のように精神活動がないと思われている物質世界を「非情」というが、法華経はこの非情世界にも色心(しきしん)の二法が存在することを明かしている。
これを信じられない爾前経に執着する邪宗の人々が、法華経を謗り、怨(あだ)むるのやもしれん。
今でいう「そんなことあり得ない」と思う心を持つ人間が過去世で爾前経に帰依していた御仁の可能性が高いのだ。
ゆえに観心本尊抄には
「観門の難信難解とは百界千如(ひゃっかいせんにょ)・一念三千、非情の上の色心の二法・十如是(じゅうにょぜ)是なり」と。
非情世界に心法が具わっていることを認識するのは「難信難解」ではあるが、これが生命の実相・一念三千の深理である。
妙楽(みょうらく)大師も「一草・一木・一礫(いちりゃく)・一塵・各(おのおの)仏性(ぶっしょう)、各(おのおの)一因果あり、縁了を具足す」(金錍論(こんぺいろん))と述べている。
妙楽大師とは
中国・唐の僧。 湛然[たんねん]のこと。 中国天台宗の中興の祖。 天台大師智顗(ちぎ)が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。
一礫とは
小石等のこと
一草・一木・一礫(いちりゃく)・一塵にさえ仏性があり、色心の二法があり、成仏するならばいわんや太陽・月等においてをやである。まさしく太陽・月は色心の二法を具えて常時に人心に感応しつつ、地球に強い影響をおよぼしているのである。
末法濁悪の世、人の心乱れて侵略心を起こせば、即「戦争」へと導かれる。その修羅界の心を齎すのが、諸天の怒りであろう。そうして、まずは、天変地夭によって前段階、人々に戦乱の前触れとして警告するのだ。
本年1月1日の能登巨大地震も先難の可能性が高い。政界は現在乱れに乱れ、自界叛逆難に遭遇(自民党裏金疑獄事件)している。末法濁悪の世、諸天善神の怒りによって、人心乱れていることを見事に証明しているのである。
そもそも地球上のあらゆる生物は、太陽と月の力用によって発生し、生命を維持しているのであるから、あらゆる生物にとって太陽・月の影響は根底かつ死活的である。最近の科学はこれらの事実を明かしつつある。
この太陽・月は「日天子(にってんじ)」「月天子(がってんじ)」として諸天の一つである。
ゆえに仏法に背く国土においては「日月、明を現ぜず」等の異変がおこる。日・月に異変が起これば異常気象をもたらし、大旱魃・大火・大水・大風・大飢饉等がおこる。
現在までに人類が経験して、素肌で感じる事象である。アメリカ合衆国では、近年山火事が極めて広範囲でかつ大規模に発生しており、諸天の怒りただならぬものになっている。
また彗星が太陽の力によって出現するように、大地震もインフルエンザ・ウイルスも、あるいは新型コロナウイルスでさえ、表面の発生メカニズムはともかく、その根底には日・月の力が作用しているのである。
諸天には、この日天・月天のほかに梵天・帝釈・四王天のごとく、目には見えないが日・月天以上の力用を持つ存在がある。目に見えないからといって、これら諸天の存在を否定してはならない。
実際に「在る」ということだ。
現代科学は大きくは宇宙の構造から小は素粒子にいたるまで、その実相を次々と解明してきた。しかし分かっていることはまだほんの一部で、わからないことのほうが断然多い。科学は試行錯誤をくり返しつつの進行形なのである。ゆえに現在の智識にこだわって未知の分野を否定するのは、思い上がり、かつ非科学的な態度といわねばならない。
たとえば銀河系の中心部に巨大なブラックホールが存在することがわかったのは、つい近年のことである。しかし人々が認識しようとしまいと「ブラックホール」はあったのだ。
「ブラックホール」を信じない人はいないということである。
また宇宙の質量において、暗黒物質や暗黒エネルギーの存在がわかってきたのもつい最近のことで、暗黒物質は宇宙の全質量の23%を占め、暗黒エネルギーは73%を占めるという。我々の知っていた宇宙は、わずか4%にすぎなかったのだ。4%を全宇宙と固執すれば、地動説を否定した神父らと何ら異なるところはない。まさに科学は未だ進行形であって、人間と宇宙を貫く究極の真理を求めて試行錯誤をくり返しているのである。
問題は、究極の真理が何かということと、求めて行き着いた先に何があるのか、どのような結果があるのかということである。
ここで、大聖人御在世のときの、諸天の力用を具(つぶさ)にみてゆこうではないか。
末法の世に突入 1051年~
貞応元年2月16日(1222年)大聖人御誕生(釈尊滅後2171年後)
釈尊御予言通り末法の世に、地涌の菩薩である上行菩薩が顕われる
建長5年4月28日(1253年) 聖寿32歳 立宗
正嘉元年8月23日(1257年) 正嘉の大地震 鎌倉地方を襲った大地震
文応元年7月16日(1260年)立正安国論奏進
文応元年8月(1260年) 松葉ヶ谷の草庵襲撃
弘長元年5月(1261年) 伊豆御流罪
文永元年11月11日(1264年)小松原の剣難
文永元年7月5日(1265年) 文永の大彗星
文永5年1月18日(1269年) 大蒙古より国書到来
文永5年10月11日(1269年) 公場対決申し入れ
文永8年(1272年)春~ 大旱魃
文永8年9月10日 平左衛門への直諌
文永8年9月12日 竜の口大法難(八幡大菩薩を叱責)
久遠元初の自受用身となり給う
文永8年10月10日 佐渡流罪
文永9年1月16日(1273年) 野外の大法論(佐渡にて)
文永9年2月 鎌倉・京で軍(いくさ)が起こる(自界叛逆)
文永11年4月8日(1275年)第三の国諌 大聖人鎌倉を去る
文永11年10月 大蒙古襲来(他国侵逼)
弘安2年9月(1279年)熱原の法難
弘安2年10月12日(1279年) 本門戒壇の大御本尊を建立
出世の本懐
弘安4年5月(1281年) 大蒙古襲来
弘安5年10月13日(1282年)大聖人御入滅
諸天善神と日蓮大聖人はともにある。そのことを理解する文証を紹介しよう。
主徳
主徳とは、誰人も犯せぬ絶大威徳を以て、一切衆生をお救い下さる大恩徳である。
日蓮大聖人の絶大威徳は、竜の口と蒙古襲来の大現証を見れば、誰人も理屈ぬきにわかる。
竜の口の頸の座は、まさしく国家権力による絶体絶命の死罪であった。だが、思議を絶する「月の如く光りたる物」の出現により、太刀取りは眼くらんでその場に倒れ伏し、警護の兵士たちも恐怖のあまり逃げ出し、みな砂浜に坐りこんで手を合わせてしまったのである。
『出世本懐成就御書』にいわく、
「設(たと)い大鬼神(きじん)のつける人なりとも、日蓮をば、梵釈・日月・四天等・天照太神・八幡の守護し給うゆへに、罰しがたかるべしと存じ給うべし」と。
また、蒙古襲来も、諸天に申し付けての絶大威徳を、顕わし給うたものである。
『聖人知三世事』
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀(きょうき)し、刀杖(とうじょう)を加へ、流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責(ひっせき)するなり」と仰せられている。
まさに、この章の起承転結である。
大聖人には、諸天善神の御守護があるために、絶対に破られず。
大聖人を謗る者は、諸天善神の怒りを買い、下手をすると無間地獄へと導かれてしまうのである。
つづく
以前、本ブログ『世界戦争回避に向けて』 タイトル 「第三の道 平和道」において、
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小生は、『御開扉』なるものを中止して、まずは、3年の時を見てみたいと思う。
その間に世界の情勢がどう変わるのかを見れば、閉扉の意味が理解できよう。
そのために、為すことは、以下の通りである。
現在進行中であり、そのことは、出来上がった後に書き綴ることとしよう。
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―と申し上げたことがあった。
前回の「気がかりな記事その26」ではそのプロジェクトを垣間見ることができたであろう。
以下の通りである。
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世界戦争回避のプロジェクトとして今後、世に出る仏法画『第一章 諸天逆切 ~瞋りの怨嫉~』
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あらゆることは仏法よりこと起こること
いずれ詳細にそのプロジェクトを公開することとしよう。