現代ビジネス

 

 

政治家も財務省も「財源」について勘違いしている…誰も気づかない「増税」の大問題

 
 殺された首相安倍晋三の登場以来、軍拡のための増税路線は決まっていたはずだ。国防費GDP比2%に近づける政策。タカ派安倍晋三の戦争予算が今後どのような結果をもたらすのかが問題だ。
 国債発行は打出の小槌なのかと言えば、過去の歴史を振り返ればよい。いずれ破綻することは目に見えているが、人類は過去の教訓から何一つ学ぼうとしない(高田一は極力学ぼうとしているがね)。ゆえに、キリスト教由来の資本主義に欠陥があるために1990年初頭、日本のバブルは弾けたし、リーマンショックも、今回のシリコンバレー銀行の破綻も同じように失敗を繰り返している。そして挙句の果てには戦争だ。戦争は儲かる。破滅的な好景気前夜と言えるが、増税は経済を一時的に冷え込ませる。それでも人類は忘れっぽいためにまた低迷した岸田首相の支持率が上がりだしたように上がり出すだろう。
 破滅的な好景気。軍拡路線は、軍事独裁者安倍晋三の念願の路線だ。安倍晋三に付き従った日本国民が望むべくして望んだのだ。文句は言えまい。安倍晋三に賛成の者は、増税にも賛成せにゃならんのだ。愚かし、愚かし。
 
 さて、戦争の道具の製造に金をかけて何がしたいのか?
 使えない骨董品である。それを飾って自己満足に落ちるのはよいが、武器コレクトを趣味にすることはある意味危険ではないか?
 近隣諸国がミサイル実験を繰り返したり、軍拡に励んだりしているから、それに倣えなのだろうが、愚かなことと気づかず。
 人類は同じ失敗を何度でも繰り返す。第二次世界大戦の教訓をまったく活かさず。メディア放送網を権力の欲しいままにするなどの政策が何より証明している。このアメーバブログを運営する会社も数字、アクセス操作をしている可能性が高い。言霊国家の印象操作よ。
 我々人類は、懲りない。まったく懲りずに何度でも申し上げよう。同じ失敗を繰り返すのだ。
 日本のアニメ文化的には、「機動戦士ガンダム(ファースト)」が見事にそのことを表現している。
地球連邦の最新鋭モビルスーツガンダムの持つ盾は、十字架である。
ジオン公国軍のモビルスーツ「ギャン」は西洋の戦争における甲冑をモチーフにしている。
西洋の文化由来の大戦争が、日本でも明治期以降に繰り広げられていることを忘れてはならない。
これこそが、機動戦士ガンダムの戦争の懲りなさの哲学的要素なのだろう。
 
ガンダム
ガンダム(GUNDAM)は、「ガンダムシリーズ」に登場する架空の兵器。有人操縦式の人型ロボット兵器「モビルスーツ」(MS)の一つ。初出は、1979年放送のテレビアニメ『機動戦士ガンダム』。
作中の軍事勢力の一つ「地球連邦軍」が開発した試作機の1機で、主人公「アムロ・レイ」の搭乗機。額のV字型ブレードアンテナと、人間の目を模した複眼式のセンサーカメラが特徴で、ほかのMSに比べ人間に近い形状を持つ。これらの特徴は、以降のシリーズ作品に登場する「ガンダムタイプ」の基本となった。敵対勢力である「ジオン公国軍」のMSの多くを凌駕する性能を持ち、パイロットのアムロの成長と相まって「一年戦争」で伝説的な戦果を上げる。
通常、単に「ガンダム」と呼ばれる機体は、アムロの乗る白ベースに赤・青・黄色のトリコロールの2号機(型式番号:RX-78-2)を指すが、『ガンダム』本放送終了後に展開された企画や外伝作品などで、配色や一部仕様が異なる同型機が複数開発されたと設定された。
 
ギャン
ギャン (GYAN) は、「ガンダムシリーズ」に登場する架空の兵器。有人式の人型機動兵器「モビルスーツ (MS)」のひとつ。初出は、1979年に放送されたテレビアニメ『機動戦士ガンダム』。
作中の敵側勢力であるジオン公国軍の機体。西洋の甲冑をまとった騎士のような外観が特徴で、剣と盾(武器内蔵)という白兵戦に特化した武装がほどこされている。劇中では、パイロットであるマ・クベ大佐の「わたし用に開発していただいたMS」との台詞があるが、のちに発行された書籍などではゲルググと次期主力量産機の座を争う競作機と設定された。劇場版には登場しなかった。
 
Wikipediaより
 
 
  MBS News 

 

岸田総理演説前に爆発…木村隆二容疑者宅の周辺住民に避難を要請 爆発物がある可能性 木村容疑者と総理との距離はわずか約10m
 
 現役首相襲撃事件。危機感、危機感とコメ主は言うが、そもそも危機感がないのが日本国民だ。集団自衛の法律が出来上がり(あの時こそ戦後最大の危機だった)、戦争=爆発時代に突き進んでいることも理解出来ず。このような事件が発生すること自体嘆かわしいが、これで済むとは思わない。
 戦争とは、爆発と爆発のぶつかり合いだ。そのリアルを未だ実際の第三次大戦という戦争に巻き込まれないうちに、コメ主含め全日本国民を教育せねばならぬ。戦争は悪である。ゆえに、軍拡など無意味なことで日本の財産を浪費せずに、徹底した平和を維持することに意識を向けた方がよい。 愚かにも日本の戦争の規制を緩和しながら、戦争の道具で撃たれ、死んだタカ派の安倍晋三、そして安倍の軍拡。今回の事件の発火点は、全て安倍晋三由来であろう。極めて繋がっている可能性が高い。そのことを肝に銘じて日本国民は、今後も生き抜かなければならんぞ。
 
 この暗殺未遂事件は、あの軍事独裁者アドルフ・ヒットラーの存在した時代を彷彿させるものである。あの当時と現在の空気に違いこそあれ(現在の方が空気が軽い)、当時のドイツを振り返るとこのような感じであったことが窺えるのである。
 アドルフ・ヒトラー暗殺。これは、絶対に成し遂げねばならなかった連合国側の期待であっただろう。
 ユダヤ人大虐殺、破滅的な第二次世界大戦。ドイツ国民は、カリスマ軍事独裁者アドルフ・ヒトラーにあらゆることで付き従った。その当時に、暗殺劇を繰り広げた人々には正義があった。まさに、悪の枢軸との戦いに命を燃やしていたはずである。そして今も、アドルフ・ヒトラーという軍事独裁者は、全世界で否定され、世界に国際連合が成立した今、二度と世界大戦を繰り返さんように、法整備が進んでいった。
 だが現在において、日本に軍事独裁者が現れた。その名を安倍晋三という。今もそのカリスマ性から持て囃されていることは疑いがない。今回の某大学教授の発言によって「大炎上」したことが何より証明している。
 ドイツ国民は、アドルフ・ヒトラーに導かれて国家は破滅した。
 日本国民は、安倍晋三という軍事独裁者によって、国家全体が破滅に導かれてしまった。
 人一人の命が大事だということもこの「大炎上」によって証明したが、安倍晋三が導いた道は、国家全体を死(財政破綻含む)に導くということに全国民が気づくべきであろう。
 このまま安倍晋三という軍事独裁者を持て囃すならば、この国は間違いなく軍事に導かれて破滅する。
 「大政翼賛会」体制も時間の問題だろう。
 第三次世界大戦という前代未聞の大戦争は、刻々と近づいているのではなかろうか。
 
 
 
雑言
 愚かにもそんなに占いにこころを支配されたいなら「六曜」は365日全部大安にすればよいのだ。
 
六曜有効分析(検証)
 果たして本当に大安は吉日なのか?
大安に結婚式を挙げた新郎新婦。
その後の離婚の確率。
大安に挙げた夫婦は、離婚しない。
どれくらいの確率なのか。
 
あるいは、大安日に関わらず交通事故が発生。
仏滅など凶日と比べて多いのか少ないのか。
 
宝くじを大安日に購入して、本当に大安購入のくじの当たる確率は高いのか?
 
心理、社会科学研究分野
『「六曜」占術における妥当性実証研究』
 
そろそろ時代の要請として検証が必要であろう。
迷信が国をあらぬ方向へ誘(いざな)う可能性を捨てきれん。戦争時代に突入した昨今、日本(ニッポン)イデオロギーを持ち込めば破滅することにもなりかねんのだ。
 
六曜占いはあらゆる事象において関係がない気がするが如何か?
情報科学技術の発達した現代であれば、科学的な分析が可能なはずだ。
 
 
 JBpress

これが証拠メールだ、地震本部の警告を骨抜きするよう圧力かけた内閣府の罪

 
 原発核爆発問題。2011年3月11日に発生した東日本大震災は、福島第一原子力発電所の原子炉を核爆発させるだけの威力のある津波を発生させたわけだが、時の政権は「民主党」であった(そして、当事者である首相は、地元では人気がありながら、全国民的には、3.11に遭遇したNHKの朝ドラ『てっぱん』ヒロインが完全に乾されたように乾されてしまった)。
 しかしながら、以前から申し上げているように、対策を怠ったのは「自民党」時代である。
 しかも安倍晋三が第一次政権を担当したとき、「全電源喪失はありえない」と発言しており、このことからあらゆるF1事故の真の原因は、この安倍晋三政権以前の原子力政策の在り方にある。
 この記事にある通りだろう。
 
 そうにもかかわらず、いまだに多くの国民は「民主党」を許さず。支持率は低迷し、自民党一強が続いている。しかも岸田首相の支持率は現在50%にまで回復する勢いである。
 これが、支配層の都合の良い情報操作なのであり、多くの国民は未だに真実を知らされず自民党に票を入れるありさまである。
 そうして戦争時代へと突き進む自民党政権は、果たして第三次世界大戦まで往ってしまうのか。導かれてしまうのか。
優秀な国家官僚の存在する日本だが、この原子力政策だけは、悪魔の国家権力者によって、日本を亡ぼそうとしている勢いである。悪魔=安倍晋三。
 しかしながら、悪魔が撃ち殺されたことにより、なんとなく戦争の気配が遠のいている気はする。
果たして、このまま過激な戦争時代に突入するか、安倍晋三という悪魔が政界に存在しなかった時代の善良な自民党政権へと立ち返って、戦争を未然に回避するのか。
 まさに今、問われているのやもしれん。もし、そのことが自民党内で失敗すれば、日本は地獄へ堕ちる。間違いなく自民党が全国民を戦争という無間地獄へと突き落としてしまうであろう(まさにジークジオン(自恩)である。自(民)恩公(明)国のことは、機動戦士ガンダムファーストのブログを参照のこと)。
 まがりなりにも岸田首相はあの吉田茂元首相の流れを汲み、池田元首相亡き後に結成された自民党宏池会の会長だ(池田といっても仏法を捻じ曲げた公明党池田大作(日本を地獄に導いた)ではない。苗字関連を思想的に求めるのも人類の悪い癖やもしれんな)。
 宏池会は、ハト派組織会なのであり、戦争を回避できる力はいまだにあるのではなかろうか。
タカ派は、戦争をしたがるからタカ派なのであり、
ハト派は、平和を愛するからハト派なのだ。
 
 
冨士大石寺顕正会、重要講義
仏は主
神は所従
ーの意味を理解せよ。
 日本は、末法の世に全人類をお救いくださる御本仏の現る妙国である。
 その御名を「南無妙法蓮華経」仏と申し上げる。法華経の文底に秘沈された三大秘法を信じて末法の世に広めねば日本はおろか世界が滅ぶ。
 かつて破滅的な戦闘を繰り広げた大日本帝国は、国家神道隆盛であり、神の国が、世界に君臨することで民を救うと本気で信じた。そうしてこれに批判する者は、悉く投獄。獄中死に陥る者あとを絶たず。
 あの創価学会初代会長である牧口常三郎氏は、その憂き目により獄中死を遂げている。
 あの破滅的な第二次世界大戦。日本はどうなったか。どのような結末を辿ったのか。
 1945年(昭和20年)に敗戦となり、日本は国防を米国に委ねる地球上まれにみる国防放棄の平和国家となった。
日本のタカ派にとっては屈辱であろう。戦争ができない国家となってしまったのである。
 大日本帝国軍部の亡霊にとっても屈辱中の屈辱で、今でも靖国神社に集いては、その亡霊がタカ派の人間に憑りつき、国防、軍拡、戦勝国への恨みを晴らさんと躍起になっているのである。
 そのような怨嫉を持つ一部の人々をよそ眼に、国民は先進的な経済大国を実現した日本に、慣れ、親しみ、戦争とはまったく無縁の平和を享受している。
 そして、たとえ戦勝国の要請によって軍拡を唱えようとも、まったく無視しているか、思考停止状態を維持していたいのか、日ごろの日常的忙しさにかまけて、刹那的に我が暮らしに甘んじているというのが世相、実相であり、人々の考え方であろう。
 マイナス思考でいたくはないのだ。特に成功者にとってマイナス思考は「富」を失うことを知っているため、考えたくても考えられない。ゆえに、いつでも否定語を話さず、心地よい言葉を味方につけ、莫大な富を享受しているわけである。
 しかしながら、それでも、「戦争」の気配は、少しずつだが迫っている。
 それは、日本の民の神社参拝によって自ら戦争をおびき寄せているのである。
 アメリカ合衆国に初の黒人大統領が立った。その名を「バラク・オバマ」大統領という。彼は安倍晋三に「首相として靖国神社に参拝するな」と警告を発し、安倍はこれを無視。遂に、アメリカ合衆国の怒りを買い、日本は破滅的な軍拡をせざるを得なくなった。
 そしてそれ以降日本は靖国神社参拝に国会議員(首相)が公式参拝することができなくなった。
もし、参拝すれば、日本は第二次世界大戦で大日本帝国が滅んだように滅ぶ。100%間違いない。
 アメリカ合衆国の守護なくして日本は存立が不可能だからだ。
 そして、神々の怒り(神社参拝)は、その日本を亡ぼす勢いとなるであろう。
なぜなら、諸天善神は、仏法を守護する役割があり、正法を守って自らが守られているのである。
 ゆえに善神である天照大神も正八幡も正法をお守り申し上げて、自ら未来永劫の仏果を得ているのである。
仏は主、神は所従である。これをはき違えれば、日本は滅亡である。
その由縁を理解するために、今回の御講演がある。ぜひ、ご覧いただきたいものである。
令和5年4月度総幹部会御講演 2023/4/26 淺井昭衞会長
 
 今日の総幹部会も素晴らしいですね。はじめの体験発表から全部で11人。私は一人ひとりの登壇を聞いておりまして、その信心の情熱と熱気、本当に大感動いたしました。
 今の日本にこれほど清らかで情熱的な集会が…会合が…どこにあろうかと思います。 そしてこの総幹部会の情熱が広宣流布の輪を回していくのです。どうか全顕正会員にこの総幹部会のビデオを見せて欲しいのです。そしてみんなで一丸となっていよいよ広宣流布を力強く進めて行きたいと念願をしております。  
 さて広宣流布の決戦場たる20年代に突入して、日本の濁乱といい、世界の動乱といい、そのテンポ、まことに早くなって来ましたね。その中本年初陣の2・3・4月法戦は23000の誓願を立てて、前進を開始いたしましたが、先程発表のごとく31328名。この大折伏がついに成し遂げられました。誓願比136%、まことに凄い折伏ですね。先ほども発表の時に、この3万を超える大折伏できた。それを発表されたあとの大拍手。まるで広宣流布が出来たみたい。(笑)
 顕正会の情熱というのは、私は大変なものだと思っています。これが地涌の菩薩の大集団ですね。ただ大聖人様に応え奉らんとの一念で、燃えるような全顕正会員の弘通の赤誠を思えば、私はただただ有難さが込み上げて参ります。 
 今、顕正会には“遥拝勤行と広告文で広宣流布は必ず成る!”この確信が滾っておりますが、この遥拝勤行と広告文こそまさしく広布前夜の自行と化他ですね。まさしく時に適った唯一の信行であります。このことよくよく心腑に染めて欲しい。大事なことなので改めてこのことを簡略に述べてまいります。 
 いいですか。昭和39年池田大作は、政治野心を懐いて公明党を結成し、衆議院進出を宣言した。これを見て共産党をはじめとして評論家・マスコミは一斉に池田がそれまで政治進出の理由としていた国立戒壇を取り上げて”国立戒壇は憲法違反である”という批判を執拗に展開いたしました。 
 池田はこの批判を恐れたのですね。忽ち国立戒壇を否定し、俄に大石寺境内に建てた偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇と偽って、この謀りを宗門に公式決定とするように求めた。 
 宗門は池田大作に諂って、直ちに日蓮正宗・責任役員会を二度に渡って開催し、池田が求めるままに国立戒壇の否定と、正本堂が御遺命の戒壇に当たる旨を決定し議決した。 ここに日蓮大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇建立は正系門家から消滅したのであります。正系門家のこの重大な師敵対を御覧あそばせば大聖人様はいかが思し召されるか。 
 大聖人様は滝泉寺申状に『法を壊る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨なり』と仰せであります。 
 また日興上人は『時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事』と御遺誡下されております。 もし法主の権威を憚り、学会の強大を恐れて、この御遺命破壊の大悪を黙過したらば、”大聖人様に対し奉る最大の不忠になる” と私はただこの一念で御遺命守護の御奉公に立ち上がりました。これを見て池田大作は宗門を動かし、顕正会に解散処分を下さしめんとした。解散処分が下れば本山登山は禁止される。御本尊下附もなされない。顕正会の命脈を保つことは到底不可能となる。だが国立戒壇の御遺命を捨てて参詣して大聖人様はお喜び下さるか。かえってお叱りを受けるに違いないです。 それは内房尼御前という人がいますね。この人の故事を見ればよーくわかるのです。この尼御前は老齢の身、年老いてはるばると身延にまします大聖人の御もとを訪れたのです。だが大聖人様は御目通りを許されなかったのです。それはなぜか。そのわけを大聖人様は尼御前の縁者である「三沢小次郎殿への御書」に次のごとくお示し下されております。『内房の御事は御年寄らせ給いて御んわたりありし痛わしくをもひまいらせ候いしかども、氏神へ参りてあるついでと候しかば見参に入るならば、定めて罪深かるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり、所従のついでに主君への見参は世間にもまづ仏を先とすべし、かたがたの御失ありしかば見参せず候。乃至、尼御前は親の如くの御齡なり、御なげきいたわしく候いしかども此の義を知らせまいらせんためなり』と仰せになっておられるのですね。 
 この意味ですが、内房のことは年もとっている。わざわざ身延まで来てくれて、痛わしく思うけれど、氏神に参詣したその帰りにこの身延に寄ったということを聞いたので、もし目通りをするならばかえって罪を作ることになると。 
 それ故は氏神の神は所従、すなわち家来ではないか。法華経は主君である。家来のついでに主君ゆえに参るということは世間でもそういう道理は通らないと。そのうえ尼となった以上は、仏をまず先とする。仏法を先とすべきである。かたがたの失(とが)があるゆえに目通りをしなかったのである。そして尼御前は親のごとくの御齡である。その嘆きを思えば痛わしく思うけれども、この義を知らせ参らせんがために目通りをしなかったのである。
 その道理を『三沢抄』にお示しになって、三沢殿からつぶつぶとこのことをよくわからせて欲しいという仰せですね。まことに条理を尽くして仏法の筋道をお教え下された。尼御前もこれでよくよくわかったに違いない。まさに大慈悲の御嚮導(ごきょうどう)であられる。この仰せを拝せば大聖人様の御心に背いての参詣はかえってお叱りを被るのですね。今、御遺命に背いて登山すればかえって不敬となって罪をつくるのであります。
 もう一つ言います。大聖人様の御心に背いてお題目を唱えても全く功徳がないということ。このことは松野殿御返事に明らかですね。入信早々の松野殿はお手紙を大聖人様に差し上げた。その中にこういう質問をしているのです。『此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱え申し候なり。但し聖人の唱えさせ給う題目の功徳と、我等が唱え申す題目の功徳と、何程の多少候べきやと』私は入信以来退転なく、十如是(方便品)、自我偈を読み奉り、(初心であるから長経は抜いて宜しいという御指導が恐らく日興上人からあったと思われる)その仰せの通りやって参りました。そして題目を方便品と自我偈とお題目を唱えておりますが、今思うことは大聖人様のお唱えになるお題目の功徳と、何も知らない我等が唱え申す題目の功徳と違いがありますか。こういう質問をした。これに対し大聖人様は『更に勝劣あるべからず候。その故は愚者の持ちたる金も智者の持ちたる金も、愚者の燃せる火も智者の燃せる火も、其の差別なきなり』とこういうことを仰せになっておられる。そのうえで、大聖人様は『但しこの経の心に背きて唱えば、その差別有るべきなり』と仰せになっておられる。智者が唱えても、愚者が唱えても、お題目の功徳は全く変わらない。ただし、此の経に背いて唱えても功徳はない。 
 『此の経の心に背いて』ということは、今 末法においては御本仏日蓮大聖人様の御心に、背いて唱えても功徳はないということですね。
 この仰せを拝すれば今、学会も宗門も御遺命に背いたままお題目を唱えている。だから功徳はない。かえって罰を受けるのであります。 
 今日のごとく、正系門家が御遺命に背き師敵対に陥っている時には、直接 距離を乗り越えて戒壇の大御本尊様を拝み奉る遥拝勤行こそ、まさに時に適った信行なのであります。信心に距離は関係ないですね。 
 大聖人様は千里も離れた佐渡で恋慕渇仰の健気な信心に立つ千日尼御前に対し次のごとく仰せ下されております。『譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾(しゅゆ)に影浮かび雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ』ということです。月の譬えで以て、月は地球から四万由旬、大変な遠い距離が離れているけれども、池があれば直ちにそこに影を映すではないかと。これは恋慕渇仰して題目を唱え奉れば、凡夫の我々の心に大聖人様が直ちに宿って下さるということの譬えであります。
 そして『雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞こゆ』昔、中国の雷門という所に優秀な鼓が置いてあったのです。その鼓は打てば直ちに千万里遠くまで聞こえた。この譬えは愚痴の智恵のない一念信解の我々でも、お題目を唱えればそのお題目は直ちに大聖人様に通ずるということの譬えであります。恋慕渇仰の信心さえあれば、どれほど離れていても直ちに戒壇の大御本尊様、日蓮大聖人様に通ずるということであります。 
 更に仰せ下さる。『御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。乃至、御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ』と。御面を見るとか見ないではない。心こそ大切なのである。恋慕渇仰の信心さえあれば直ちに通ずるのであると仰せであります。何と有難い仰せでありましょうか。 この仰せを胸に、顕正会は12000のとき死罪に等しき解散処分を受けるとも、それを乗り越え、ついに今300万の仏弟子の大集団に成らんとしているのであります。大聖人様の御守護なくして、どうしてこの不思議がありましょうか。 
 やがて、この恋慕渇仰の遥拝勤行は必ず日本国に満ち満ちる。そして一国の総意により国家意志の表明たる『勅宣並びに御教書』を申し下され、御遺命のままの本門戒壇、すなわち国立戒壇が建立される。そしてその金剛宝座に、ついに本門戒壇の大御本尊様がお出ましあそばすのであります。すべては大聖人様の絶大威徳によってこの大事が成るのであります。 次に「広告文」について簡略に申します。この広告文は日蓮大聖人の大恩徳を未だ知らぬ全日本人の目を開かせる「開目のメス」であります。『道理・証文よりは現証にはすぎず』大聖人のこの仰せのごとく現証ほどわかりやすものはありません。ゆえに大聖人様の大恩徳を示すのにここに三つの現証を挙げたのであります。 
 その第一が『臨終の相に善悪がある』ということですね。 世間の人々はこの事実を知らない。もし知ったら人生観は一変しますよ。臨終に成仏の相を現ずるには、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉る以外にはない。全人類に戒壇の大御本尊を授与して下さった日蓮大聖人こそ、まさに大慈大悲の御本仏であられます。
 第二の現証は『立正安国論の予言的中』ですね。 立正安国論には正しい仏法に背き続けるならば、必ず他国侵逼・自界叛逆の二難が起こることが予言されている。この御予言は蒙古襲来の14年前のことですね。未だ全く萌しもない時に、大聖人様はこの御予言を立正安国論であそばしたわけであります。 撰時抄には『三世を知るを聖人という』という仰せがあります。大聖人様は御本仏であられるから未萌(みぼう)を知り給うた。未だ萌しもないその時に将来のことを知り給うた。そして日本国の一切衆生を死後の無間地獄から救うために諸天に申し付けて蒙古を襲来せしめこの大罰を以て人々を改悔せしめ入阿鼻獄からお救い下されたのであります。まさに立正安国論の予言的中こそ諸天に申し付ける絶大威徳の御本仏たることの証明であるとともに一切衆生を無間地獄の大苦からお救い下さった大慈大悲なのであります。 
 第三の現証は『国家権力も御頸切れず』です。 この大法難は国家権力による絶体絶命の死罪でありました。だが、太刀取りが御頸を刎ねんとしたその刹那、思議を絶することが起きた。これは人々の言い伝えなどではない。大聖人御自身が、その御筆を以て次のごとく記し留め給うておられるのであります。『江ノ島のかたより、月のごとく光りたる物鞠のやうにて、辰巳のかたより戌亥のかたへ光りわたる。十二日の夜のあけぐれ、人の面もみへざりしが、物のひかり月夜のやうにて人々の面もみな見ゆ。太刀取り目くらみ倒れ臥し、兵共おぢ怖れ興さめて一町計りはせのき、或いは馬よりをりてかしこまり、或いは馬の上にてうずくまれるもあり』と。 
 まさに国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を刎ねること能わず、その絶大威徳の前にひれ伏してしまったのですね。このような思議を絶する荘厳・崇高・威厳に満ちた光景が人類史上のどこにあったか。この大現証こそ日蓮大聖人が立宗以来の不惜身命の御修行ここに成就して名字凡夫の御身の当体がそのまま久遠元初の自受用身となって成道を遂げ給うたその御尊容であられる。 凡夫には、日蓮大聖人が三世十方の諸仏の根源の仏様、すなわち久遠元初の自受用身であられることは想像だにできない。ゆえに大聖人様は目に灼きつく強烈な現証を以て「全人類を救う本仏とはかくなるものぞ」ということを一切衆生に見せしめ給うたのであります。 以上三つの現証を以て大聖人様の絶大威徳と大慈大悲を拝し奉ったのであります。 顕正会の思いはただ一つ早く全日本人に日蓮大聖人の大恩徳を知らしめたい。ただその忠誠心だけでこの広告文は作られたのであります。
 
 一方池田大作の大慢心はどうです。彼は己の名利を求めることしか考えない。大聖人様を全く無視している。これが天魔その身に入る者の所行なのであります。 
 見てご覧なさい。創価学会の公式サイトには「池田大作先生の足跡」こういう題で以て池田が世界の大学学術機関等から贈られた名誉称号の全てが一覧表になってリストになって広告されているのです。何とその数401です。これだけ貰ったのは世界中にない。人類にないでしょうね。 
 彼が得た名誉称号の種類というものは、それ2、3を挙げても名誉教授・名誉博士・名誉法学博士あるいは名誉哲学博士です。あまり多いので池田大作博士自身が何がなんだかわからなくなっている。(笑)  
 これらはみなお金で買ったものですよ。そうでしょう。世界中から池田大作を知らない学術機関・大学がこんなものを贈るわけがない。みんな裏から寄付をしてそのお金で以て買い集めて401であります。 
 まさにこれを”名利の餓鬼”というのです。大慢心の余り彼は全く大聖人様の大恩徳を無視しているのですね。いや無視というより自分の方が大聖人より優れているとさえ学会員には思わせているのです。罪作りですね。みな騙されている。 
 その一例を挙げます。観心本尊抄にはこういう御文があるでしょ。『当に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王(けんのう)と成って愚王を誡責(かいしゃく)し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す』重大な御文ですね。これが観心本尊抄の末文近くにある大事な御文であります。 
 この御文の意を日寛上人はこう釈しておられるんですね。『折伏には二義有り。一には法体の折伏、謂わく法華折伏、破権門理の如し。蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏、謂わく、涅槃経には正法を護持する者は五戒も受けず威儀を修せず、応(まさ)に刀剣・弓箭(きゅうせん)・鉾槊(むさく)を持すべし等云々。仙予国王等これなり。今化儀の折伏に望んで、法体の折伏を以て猶摂受と名づくるなり。或いはまた兼ねて順縁広布の時を判ずるか』とこう仰せです。これも大事な御指南ですね。 折伏には二義あり。一つには法体の折伏。それはどういうものかというと「法華折伏、破権門理」と。このごとく大聖人様が念仏・真言・禅・律等を破折してついに三大秘法を顕わし給うた。この大聖人様の御修行が法体の折伏なのだと。 
 二には「化儀の折伏。涅槃経に謂わく、正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」という経文をひいておられる。 
 それは正しい仏法を護持する者は戒律など受ける必要はない。応に刀剣・弓箭・鉾槊で武器を持てと。こういうことが涅槃経にある。このように国王たるものは武器を持って正法を護持する。正しい聖僧を護持する。これがすなわち化儀の折伏なのです。 今、化儀の折伏に望んで法体の折伏を以てなお摂受というのだと。化儀の折伏と対比して法体の折伏を摂受と名づけて本尊抄にはおられるのだ。或いはまた、兼ねて順縁広布の時に本化国主が出現して、大聖人様のこの仏法を護持するその時のことを判ぜられたのではないかと日寛上人は仰せになっておられる。 
 ですから今の日寛上人の御指南には、折伏には法体の折伏と化儀の折伏の二義がある。大聖人様は破邪・立正の御化導は法体の折伏、すなわちこれを摂受とし、武力・権力を以て謗法な国を退治するのを化儀の折伏、すなわち折伏としている。これは勝劣を論じたものではないのですね。すなわち仙予国王或いは有徳王のごとく武器を用いての実力行使、これを化儀の折伏と言った。それと対比して大聖人様の聖僧としての法体の折伏をなお摂受と名づけられたのであります。 
 いいですか。大聖人様が最大深秘の三大秘法を弘通して下さればこそ、末法の全人類は成仏が叶うのではないか。そしてこの大法を守護する国主等も大功徳を得るのではないか。 
 まさに日蓮大聖人こそ、末法ただ一人の大恩徳まします下種の御本仏であられるのであります。 
 然るに池田大作はこの観心本尊抄の御文意を捻じ曲げて、自分の方が大聖人より優れているなどと宣伝をしたのですね。どのように捻じ曲げたかというと昭和38年の大白蓮華2月号には学会教学部の助教授試験の模範答案として次のごとき一問が掲載されております。 その時の問題、設問は観心本尊抄の御文に関わるもので先程読み上げた御文ですね。問題は”地涌の四菩薩が摂受を行ずると折伏を行ずることについて論ぜよ” という設問です。その模範解答案には”大聖人は700年前に御出現になり、法体の広宣流布をなさった。この時は正法・像法二千年には勿論、未曽有の大折伏であり、それに伴う大難もあったのであるが…”とこう言って、次に、しかし法体の広宣流布は、未だ現在会長池田先生のもとに創価学会が化儀の広布に向かって、あらゆる分野で折伏・教化また選挙戦における権力と戦っていることに対すれば、摂受になるということである。こういうことを優秀答案にしたということはこれを言わせているのですね。馬鹿なことを…何と池田会長が選挙で権力と戦っていることに比べれば、大聖人の弘通は未だ摂受で劣っているなどということを、優秀答案として大白蓮華という機関紙に麗々しく載せた。これを言わせているのは池田であります。 
 その翌、昭和39年池田は学会本部総会で、始めて正本堂建立と衆議院進出を宣言したのです。前にも述べましたが、この衆議院進出を見て共産党はじめ評論家・マスコミ等が一斉批判をするようになりました。これらの批判を池田がそれまで政治進出の理由としてきた国立戒壇を取り上げて”国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する”と主張するものでありました。この批判を恐れて、池田大作はそれまで自分自身がこう言っていたのです。『国立戒壇の建立こそ悠遠六百七十有年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります』こう言い切っていたにも関わらず、その後御書には国立戒壇などという言葉はどこにもないなどということを、学生部総会で発表したり、国立戒壇を否定したうえに俄に建てた正本堂を御遺命の戒壇と偽ったのです。 
 さらに池田はこの大嘘を利用して御遺命の戒壇を建立したのは自分だなどと自讃いたしました。昭和42年10月の正本堂発願式には、発誓願文なるものを導師を務める細井日達管長の面前で麗々しく次のごとく読み上げた。『夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり』こう言ったのです。 
 池田は大聖人の御目を恐れず、偽戒壇・正本堂を仏教三千余年史上空前の偉業と讃えた。そしてそれを成し遂げたのは自分であると誇っているのです。 
 いいですか。仏教三千余年史上空前の偉業などと言ったら大聖人乗り越えちゃうじゃないですか。仏教三千余年、その中間に御出現あそばされた大聖人、末法のはじめに御出現あそばされた大聖人、全然抜きにしちゃう。自分が仏教三千余年史上空前の偉業を成し遂げた。これほどの大慢心は無いでしょう。そしてこのような大慢心、このような御遺命破壊の大悪事を、見ても眼前にしても、宗門はなお池田に諂って、その後二度に渡り日蓮正宗・責任役員会を開催して、国立戒壇の否定と正本堂が御遺命の戒壇に当たる旨を議決し、これを宗門の公式決定にしたのであります。 ここに日蓮大聖人の唯一の御遺命たる国立戒壇が正系門家から消失してしまったのであります。  
 いいですか。御遺命の本門戒壇とはいかなる「時」、いかなる「手続」を以ていかなる「場所」に建てられるべきかは、御入滅の年に認められた三大秘法抄に太陽のごとく明らかであります。これに背いたら師敵対になる。大聖人様に背き奉ることになるのです。 
 今、学会員は悪師・池田大作に騙されて、知らず知らずのうちに師敵対に陥り、罰を受けつつあること何とも不憫であります。学会員こそ三大秘法抄の御聖意をよくよく拝して欲しい。よって改めてここに簡略に説明します。 
 まず三大秘法抄の戒壇建立についてのお定めを拝します。 
 『戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃徃を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり』これが戒壇建立に関する大聖人様の大事な御指南です。この御文の中に戒壇建立の「時」についてのお定めが『王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃徃を末法濁悪の未来に移さん時』この御文ですね。 
 では『王法仏法に冥じ仏法王法に合して』とはどういうことか。一国の政治が宗教の正邪にめざめ、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法である、一切衆生成仏の唯一の正法であると認識決裁し、これを尊崇守護するこれが王仏冥合と言うのです。それは具体的にはどのような姿になるのかと言えば次の御文にこう仰せです。『王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃徃を末法濁悪の未来に移さん時』こうあります。すなわち日本国の国主たる天皇も大臣も全国民も一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、この大御本尊を守護し奉るにおいては有徳王・覚徳比丘のその故事に示されているごとくの身命をも惜しまぬ大護法心が日本国に漲った時―――これが戒壇建立の時だと大聖人様は仰せ下されております。大聖人様は末法濁悪の未来にこのような国家状況が必ず出現することをここに断言しておられるのであります。 次に戒壇建立の『手続』については「勅宣並びに御教書を申し下して」こうお定めであります。「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは当時幕府の令書、今日においては閣議決定・国会議決等がこれに当たる。まさに「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、国家意志の公式表明を戒壇建立の手続とせよいうことであります。この手続こそ、日蓮大聖人が全人類に授与し給う「本門戒壇の大御本尊」を、日本国が国家の命運を賭しても守護し奉るとの意志表明であり、このことは日本国の王臣が「守護付嘱」に応え奉った姿でもある。御遺命の本門戒壇は、このように「勅宣・御教書」すなわち国家意志の表明を建立の必要手続とするゆえに、富士大石寺門流ではこれを端的に「国立戒壇」こう呼称してきたのであります。 
 次に戒壇建立の「場所」については『霊山浄土に似たらん最勝の地』と定められております。ここには地名の特定は略されておりますが、日興上人への御付嘱状を拝し奉れば「富士山」たることは言うまでもない。
 さらに日興上人は広漠たる富士山麓の中には、南麓の昿々たる勝地「天生原」に戒壇を建立の地と定めておられます。 
 ゆえに日興上人の「大石寺大坊棟札」では『国主此の法を立てらるる時は、当国天母原に於て、三堂並びに六万坊を造営すべきものなり』と記されております。ちなみに「三堂」とは、本門戒壇堂・日蓮大聖人御影堂・天照太神との垂迹堂であります。 
 さらに日寛上人は報恩抄の文段にこう仰せですね。『事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり』と仰せであります。日寛上人が「天生原」はっきり仰せになっておられる。以上のごとく三大秘法抄の御聖文を正しく拝すれば、本門戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」は太陽のごとく明らかであります。 
 まさしく御遺命の戒壇とは「広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇」であります。 
 然るに池田大作は、己の政治野心と名利から国立戒壇を否定して偽戒壇・正本堂を建て、これを御遺命の戒壇と謀った。このような大それた御遺命破壊を大聖人様は断じて許し給わず。 
 ゆえに顕正会をして諫暁せしめ、諸天をして学会と宗門に抗争を起こさしめ、ついに正本堂を崩壊せしめ給うたのであります。 
 だが天魔その身に入る池田大作はいささかの改悔もなく、その後さらにあろうことか日蓮大聖人の出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊をも捨て奉った。 
 すなわち平成26年11月7日、創価学会 会長・原田稔は”全国総県長会議において所定の手続を経て創務会で議決された”こう前置きをした後、次のように述べた。『弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない』この大悪言は池田が原田に言わせたものであります。これぞまさに極限の大謗法であり、天魔その身に入る者でなければ吐けぬ魔言であります。 
 池田はこれを翌日の8日付けの聖教新聞に公表させ、600万学会員から戒壇の御本尊を捨てさせ奉ったのであります。 
 法華経の譬喩品にはこうある。『若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば則ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至、其の人命終して阿鼻獄に入らん』とある。「此の経」とは今、末法においては法華経の観心、文底秘沈の大法たる本門戒壇の大御本尊の御事。もしこの大御本尊を謗るならばその人命終して阿鼻獄に入らん。こう法華経に定めているのです。池田大作はまさに重罪を犯した。 
 曽谷抄には『師なりとも誤ある者をば捨つべし』たとえ師匠であっても誤りある者はその師匠を捨てなさいこう曽谷抄に仰せであります。 学会員は早くこの悪師を捨てて大聖人様の仰せのままの信心をしなければいけない。私は学会員を憎いと思ったことはただの一度もないです。ただ不憫に思っております。せっかく大聖人様に縁をした。戒壇の大御本尊を信ずる身になれた。それなのに今、悪師に誑かされて今生には功徳を失い、死後には入阿鼻獄となる。これほどの悲惨はない。私は600万学会員を救いたい。早く全学会員が正義にめざめて、共に大聖人様に忠誠を尽くし、御遺命成就に戦う同志と成らんことを心から私は念願しております。
 今、正系門家は濁乱の極にある。そうでしょう。700年来の宿願であった国立戒壇建立を打ち捨てられ、そのうえ池田大作は戒壇の大御本尊様を捨て奉った。
 一方、宗門は、学会と醜い競争に陥るや、阿部日顕は戒壇の大御本尊に敵対する身延派とも連携し、身延の邪僧共を幾度も大石寺に招いて歓待(かんたい)した。そのうえ今、恐れ多くも戒壇の大御本尊を「営利の具」金もうけの道具として御開扉料稼ぎに狂奔している。このように宗門が信心を失い、濁乱したことは700年来日興上人以来一度も無いのです。
 大聖人様は『仏法は体のごとし、世間は影のごとし、体曲れば影ななめなり』と仰せ給う。この正系門家の濁乱こそ必ず日本の亡国を招く。 
 かくて日本は今、磁石が鉄を吸うように核兵器を持つ侵略国家の中国・ロシア・北朝鮮に包囲されてしまった。やがて中国を中心とする三国の残忍極まる侵略は必ず始まる。これは諸天の自罰であればいかなる防衛努力も役には立たない。 
 ゆえに撰時抄には『設い五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値うべし』と仰せであります。強力な核兵器を用いての侵略がどれほどの悲惨をもたらすか。これ日本が大慈大悲の御本仏日蓮大聖人に背き続けて来た報いであります。 
 だが、大聖人様は大罰を用いて一時に広宣流布をあそばし、日本をお救い下さるのであります。 ゆえに上野殿御返事『ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の見計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし』と。この重大御化導をお手伝い申し上げるのは、その仏弟子の大集団は御遺命を守護したゆえに解散処分を受けるともいささかも退せず、ついに今300万に成らんとしている顕正会以外には断じてあるべくも無い。広宣流布の最終段階に大事な御奉公が叶うとは顕正会は何と有難い宿縁でありましょうか。
 さあ、4月28日には新しい広告文を出来いたします。
 いよいよ一国をゆるがす大折伏を進め、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
 
―ここまで
 
 神は所従である。これを違(たが)えれば、国が滅ぶ。
 
 今回の御講演で度々出てくる池田大作という人物は、なぜ日本に生まれてしまったのか。これを思うに、日本に「大罰」をもたらさなければならなかった理由があったからではないか。それは、時代の要請であり、全日本国民を正法に帰するために現れた気づきのための人物であったのではないか。そうして、隣国中国と国交正常化を行い、日本の富を隣国に与えて、極貧国中国を救い、挙句の果てには、なぜか、中国より核兵器の照準が向けられている。なぜ、恩を仇で返すようなことを中国がするのか。これも諸天善神の日本の民の神社参拝と池田大作の師敵対という謗法からくる怒りからであろうと推測できるのである。
 
 その「時の人」池田大作は、遂に日本に破滅的な軍拡を齎すに至った。そこにはタカ派であり軍事独裁者である亡安倍晋三(神道系)という存在が見え隠れする。
 池田大作は、未だに生きている。生きて日本を破滅に導くために存在し続けている。
笑いごとでも、冗談でもないが、池田大作の「大作」はなぜ「大作」なのか。これが「小作」ならここまで日本を傾けることはなかったであろうと思われる。「大」プロジェクトは、あの「大本教」の企てであろう。「大」を当てがって何かを気づかせようとしたのは、第二次世界大戦前と戦中の「大本教」ことである。
 池田小作なら、傲慢、慢心にもならず、驕ることもなく慈悲深い者として日本を導いていた可能性がある。
慢心がなければ、日本国憲法、政教分離上、違憲であるならば、公明党を結成するのはやめようという考えに至ることも可能であったろう。
 選挙と金(カネ)の猛者となってしまった池田大作。そしてこれは、人類の生み出したキリスト教由来の「資本主義」という体制とともに、あらゆることの悪事の方向へと導かざるを得なかった(資本主義体制はあらゆることで人を騙す。「正直者が馬鹿を見る」はこの体制そのものから言えることだろう。そしてその偽りが人々を疑心暗鬼に陥らせ、人類を破滅に導いてしまうのだ)。

⚫嘘、偽りは自らに罰を引き寄せる

⚫嘘は疑心暗鬼を生み、人々をあらぬ方向へと誘(いざな)う力がある
(安倍晋三という軍事独裁者。彼は息を吐くように嘘を言い続け(国民を欺き)、日本の民をあらぬ方向である軍拡に導いた。この事においても何より証明している。欺(あざむ)きにおいては、創価学会員をいまだに欺く池田大作も同等であろう)

 池田大作は、1970年代(あえてわかりやすいように西暦とするが)偽の正本堂を建立したとき、来賓として「キリスト教徒」を招いた。諸天善神、怒りの大謗法である。
 日本は、将来的に国立戒壇が建立される「仏国」であることを全国民は理解する必要がある。
 西洋キリスト教文化は、前代未聞の大闘諍へと資本主義の論理とともに導かれてしまう宿命がある。
 その宿命の中で、全人類をお救い下さるのが妙国日本の御本仏なのである。
そうにも関わらず、いまだに理解せず、軽んじ、謗り、あるいは無視し続けるために、諸天善神の怒りを買っているということに気づかずにいる多くの日本国民。
 そろそろ気づかねば、日本は滅亡の危機に立たされる。瀕死の国日本。
誰もそのようなことを考えたくはないだろうし、刹那的に生きて、今だけ主義で暮らすのはよいが、「肝心の仏法を理解して」でのその日暮らしとしなければ、本当に日本はどのようなことになっても知らんぞ。
 諸天善神は見えない世界から、いつでもこの現世を見ている。富士大石寺ましますの御本仏様も含めて御照覧である。
そのことを心肝に染めて、今後の危機を日本国の民は生き抜かなければならんぞ。
 
今回の石川県能登地方の巨大地震(諸天の怒り)でお亡くなりになられた方には、
心よりご冥福申し上げる次第である。

2023年5月11日
千葉県 震度5強の地震発生
仏法を曲げた濁悪日本。小生はそれに翻弄され続ける慈悲深いアメリカ合衆国を救わねばならんと思う。
未完