【拡散希望】経産省前脱原発テント座り込み日誌202216(木)版

◎ 桜の木の下に埋まっているものは 16日(木)(三上治)

   いつも春一番に咲く外務省の桜が時ならぬ雪化粧で綺麗だという。僕はふと「櫻の樹の下には屍体が埋まっている」という梶井基次郎の小説のことを思い浮かべた。そうだ、そこには戦死者たちが埋まっているのだと想像できる。彼らは己の声を封じられたまま埋められている。埋めきれなかった戦死者の声は巷にあふれ、戦後の国家の暴走に歯止めをかけてきた。戦死者達の声を聞きとり、引き継ぐ同時代の戦争経験者たちに代弁されてである。国家(外務省)は機会さえあれば、戦争に出掛けて行こうと画策をしてきたのだが、それは戦死者たちの声で押しとどめられてきた。戦死者たちの声を象徴する憲法9条が盾になってというべきか。

 

 戦争経験者の少なくなっていく趨勢のなかで、戦争に対する危惧、つまりは国家の暴走を懸念する人たちの声も小さくなりがちである。昨年の衆院選挙で野党共闘が振るわなかったこともあって、実際は立憲民主党が敗北したにすぎないが、憲法改正の動きが全面化しそうだ。憲法改正、それはいろいろと理屈づけられるが、国家を戦争のできる国家にすることである。国家が主体的に戦争できることの歯止めになっている憲法9条の改正である。国家意志としての戦争ができるためには憲法9条は邪魔なのだ。憲法9条2項(交戦の禁止や戦力非保持)の直接的な改定であれ、自衛隊の憲法明記であれ、同じことだ。憲法9条に象徴される非戦という精神(人々の意識)を変えたいのであろうが、国家権力が目指すのは戦争への歯止めをなす9条を変えることだ。

 

 戦後の日本の国家(国家権力)は憲法9条でいう交戦の禁止や軍隊の非保持は国際紛争に関る規定であり、侵略対応としての戦争(自衛のための戦争)や

軍隊の保持は該当しないとして自衛隊を作ってきた。そこでは専守防衛という考えが支配的だった。憲法9条はアメリカの戦争加担(海外への軍隊の派遣)の拒否に使われてきたのだが、一方で、この専守防衛や自衛隊の存在規定では国家意志として戦争をやり得る壁をなしており、それを変えることを悲願とする動きがでてきた。安倍晋三の憲法改正の提起はその代表的なものだった。国家が国家意志としての戦争を専管事項としてなし得るという国家主義の復権がそこにはあった。戦後の自民党は憲法改正を党肯としてきたが、その内部では憲法改正が多数派であったわけではない。池田首相(宏池会)の系統(吉田茂の自由党の系譜)の政治家たちは憲法擁護であり、憲法改正の議論を封じてきた。彼らはイデオロギー(政治理念)というよりは戦争体験から戦争の否定(憲法9条の擁護)をやってきたのである。自民党の中で鳩山一郎-岸信介という民主党の系譜の政治家が憲法改正に熱心であったが、彼らは自民党内で少数だった、安倍晋三は岸信介の系譜につながる政治家であり、憲法改正に執着した。

 

 安倍の憲法改正の野望は頓挫した。岸田がある意味で後継内閣なのだが、彼は安倍の憲法改正を引き継ぐのか。岸から池田の政権交代後には池田は憲法議論を封じる形で岸政治の継承をしなかったわけだが、果たして岸田はどうか。岸田には戦争についてどういう認識をしているのか、憲法9条についてはどうなのか。これらは明瞭ではない。時代という意味では戦争経験者たちの非戦の声が大きな影響力を持つことは変ってきている。それが依然として大きな力であることは間違いないが、減衰していることも確かである。

 

 今年の参院選挙では、憲法改正の問題が浮上し、争点になると思える。僕らは憲法問題の核心をはっきりと把握し、政党のようにぶれないで、この問題に立ち向かいたい。原発問題と憲法問題が政治的争点になることが予測されるが、今年は腰を据えて向かうしかない。櫻の樹の下の屍体の声を掘り起こし、彼らの声を届けなければならない。僕らは原発での死者たちの声を平然と埋めて顧みない経産省と闘っているが、ある意味では、これは同じことである。(三上治)

-ここまで

 

 今回の記事もそうだが、三上氏の問題提起は読み手を刺激する。小生もいつでも三上氏のこの読み物によって刺激され、筆を執ることをするのである。
そもそも日本を戦争のできる国にしようという動きは、イデオロギー的に、極右、右翼の連中によってなされているという事実を忘れてはならんだろう。
極右は、世界戦争に出て行き(その風が流れるたびに、皇室が動揺するのだ。しかも許し難きは、平成を終わらせた(強制終了)安倍晋三という戦後史上最悪の首相の登場である)、極左は、国内に自戒叛逆の内乱を齎す
(過激には革命)集団なのである。三上氏も安保闘争という国内混乱(内乱)で経験済みである。無論、あの闘争は、「当方に正義あり」と看做しての戦いだったのであろうがね。戦争行為も然りである。
 日本は、戦争のできない国である。戦後、たとえ、核戦争の危機的状況が、世界的に巻き起こったとしても、「非戦の誓い」は忘れなかった。しかしながら、今は違う。安倍晋三のような戦後生まれの首相などが登場すると、戦争がどのようなものなのか理解できない。経験がないから理解できないのである。経験しなくても理解せよと言いたいところだが、そういう人物(連中)なのである。
 ゆえに、このような人物(連中)が支配層に現れると、国民は疲弊する。したくもない世界戦争に駆り出されるのである。
 戦争をしたくはない国民にとってはいい迷惑なのである。ところが、右翼のような戦争肯定集団は、喜んで戦争へと出向いてゆく。愚かなことは判っているが、「時代の要請」と勘違いして、戦争へと突っ走ってしまうのである。
 非戦の誓いを忘れる。安倍晋三以下、シンパは、健忘症よりひどい物忘れ状態であろう。この物忘れ状態が、あらぬ方向へと国を導いてしまうのである。
 そうして成立した集団的自衛権の行使を認める軍事法制が、今後いやがおうにも日本国に利いてくるのである。あまり利いてもらいたくないものではあるが、東アジア情勢が緊迫化すれば、するほど利いてしまうのである
(この戦争法制に抵抗した野党勢力は、記憶力素晴らしく、忘れなかった。敬意を表するしかあるまい。ただし、日本共産党は、創価学会池田大作を誑かした元凶であり、そのために、仏法界があらぬ方向へと導かれたという経緯があるため、断罪すべきである。もうすこし、国家を揺るがす大法の経義を学べというしかあるまい)。
すでに、集団的自衛権の行使向けの軍事訓練(演習)は、アメリカ軍(米軍ともいう)と行われている。一体化するが如くに自衛隊が、アメリカ軍の戦争に付き合わなくてはならない事態になっていることに気づくべきである。
 あの時、トランプ大統領がアメリカ合衆国に立った時までが、非戦を貫けるチャンスであった可能性が高い。あの時に、安倍晋三如きは何らかの形で辞任していただき、宏池会の岸田首相となっていたならば、情勢はかなり変わっていた可能性が高いのだ。「安倍は辞任せよ」の風が巻き起こったあの時に、である。

そのようなこととは裏腹に、時の大統領に、金のゴルフクラブなどをプレゼントして内向けの外交パフォーマンスを繰り広げる安倍晋三。呑気に米国大統領とゴルフ三昧までしている(愚かなる見事なバク転宙返り(の様なパフォーマンス)まで、バンカー付近で見せている)。たった数年前のことである。その後、どう東アジア情勢が変わっていったのか、変化していったのかが問題である。コロナウイルス蔓延が、安倍晋三を終わらせた。ぐずぐずしているうちに、もっと早く終わらせねばならん時の軍事独裁者は首相として居残り、皮肉にもコロナウイルスという人間を大量殺りくする病原によって終わったのである(日本の病原は、安倍晋三だが、その病原をやっつけたのが、病原ウイルス、新型コロナであったのだ。あまりにも皮肉過ぎるだろう)。

 この「ぐずぐず」は、第二次世界大戦終戦間際の、大本営決定に似る。ドイツはとっくに降伏しているにもかかわらず、ぐずぐずと原爆が2発も落とされるまで終戦を先延ばしにしたのである。

 そのためにソ連は北方領土に侵攻。もう二度とあの島群は日本に戻ることはなかろう。安倍晋三失敗外交のために完全に失ったのである。
いずれにせよ、愚かな軍事独裁者であり歴史修正主義者の安倍晋三のために、日本は、いや世界が危機的状況へと向かっていったのである。

 今年は、原発問題と憲法改正の動きが全面化するという。原発問題においては、汚染水の海洋垂れ流しで、地球海洋環境は一気に悪化する可能性がある。宮崎駿監督アニメ作品の『風の谷のナウシカ』ではないが、有機体を溶かす「酸の海」ならぬ「放射能の海」に将来的になってしまうのではないかと懸念される。
 10年程前の原発原子炉核爆発は、我々に地獄を見せてくれた。将来的にも地獄を見せることになるのである。このトラウマによって、民主党系の支持率は上がらず、選挙をすれば、票が入らず、未だに国民には嫌悪の政党となっている模様なのだ(これを尾を引くという)。

 民主党が、至極まっとうな政策を策定しているにもかかわらず、国民は自らの頸を絞めるように、政権与党に票をいれる愚かさよ。
 ゆえに、原発問題を全面に掲げれば、政権与党は選挙に勝てる。勝てるゆえに、原発問題を全面に出すということなのであろう。今年の参院選も木っ端微塵にならずとも、さらなる議席を落とす民主党となる可能性がある。政権与党の権謀術数は計り知れず。 いや、既にその謀中にあるといったところであろう。
 憲法改正で、第9条を骨抜きにしようという企みがあることが判っている。戦争がしたい集団にとっては、この好機を逃すことができまい。人類の歴史は血で塗られている。戦争・戦いの血が人間に流れている以上、どうしても戦争へと人類は流されてしまうのである。特に愚かな染色体の欠けた「男」が戦争を巻き起こすのであるが、次の戦争は、人類が滅亡するほどの戦いとなろう。
 その戦争へ安倍晋三と共に出て行こうとする多くの国民であるから、愚か過ぎると再三申し上げるのである。
第三次世界大戦はあまりにも過酷である。この論議が、憲法改正(改悪)の覚悟なのだ。
 
以前にも書いたことであるが、この戦争論議に似合う句であるから再掲しよう。

 

国民を
地獄へ堕とす
自衛隊

 

日本の平和外交が失敗したとき、日本国民は、自衛隊とともに、地獄絵図を見ることになるのである。
覚悟されたし。

 

選挙民ではあるが、大衆を見る時に感ずる事

大衆を観察するは

獣(けもの)を観察するに似たり

 

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弱き者を扶けることが

強き者の義務

 

軍事独裁者安倍晋三は違う。

弱き者を扶けるどころか、死んで来いとばかりに、

戦場へと送り出す地獄の遣いである事を知る必要があるのだ。