●国が傾くはこの昭和四十年代にある。ここに、傾きの元凶が暴かれることとなる●
『日蓮大聖人の仏法』つづき
「法主」の承認を得た池田は、鬼の首でも取ったごとく、「法主」の”権威”をふりかざし「正本堂が御遺命の戒壇に当る」旨を学会の集会で声高に叫んだ。
「いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたい。そんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。猊下(法主)が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。ですから、皆さん方は『創価学会は国立戒壇建立が目標である』といわれたら、いいきっていきなさい。とんでもない、こんどの私どもの真心で御供養した浄財によって、正本堂が建立する。それが本門戒壇堂である。これでもう決定されているのですと」(聖教新聞40年9月22日)
なんと恥しらずか―。
「国立戒壇の建立こそ、創価学会の唯一の大目的」と叫んでいたのは池田自身ではなかったのか。それを「評論家ども」のせいにしている。しかしながらこの池田発言には、国立戒壇の放棄が「評論家ども」の批判を恐れてのゆえであったこと、また正本堂のたばかりに「法主」を利用したことが、はしもなく表れている。
さらにこの年(昭和四十年)の九月、池田は細井管長に正本堂募財の訓諭を発布させる。その訓諭には「蔵の宝に執着することなく・・・・」とあった。
学会員は正本堂を御遺命の戒壇と信じたゆえに、血のにじむ供養をした。当時、全国の質屋の前には家財道具を持って並ぶ学会員の列ができ、生命保険も一斉に解約され、世間の話題になった。
この痛ましさ、欺き集めた供養の総額は三百数十億円にも達した。そしてその全額が供養奉呈式において、「法主」から池田に戻された。始めから仕組まれていたのである。
𧦅惑の大合唱
正本堂のたばかりが成功すると見た池田大作の言動は、時間とともに露骨さを増すようになった。
昭和四十一年の「立正安国論講義」では、
「本門戒壇を建立せよとの御遺命も、目前にひかえた正本堂の建立によって事実上達成される段階となった。七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙であることを確信してやまない」
四十二年の学会本部総会では
「三大秘法抄にいわく『三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋(ふ)み給うべき戒壇なり』と。(中略)
●この大梵天王・帝釈等の部分は、時の映画界に共鳴したのではなかったか(不穏の感覚である)。昭和四十年代のたばかりにより日本の衆生の心の変化を仏法上から観てみようと思う。
まず、日本を仏国にした飛鳥時代、時の聖徳太子は、戦後、壱萬円札紙幣として昭和33年(1958年)に発行され、昭和61年(1986年)に停止された。新券発行に呼応して、昭和35年(1960年)には創価学会池田大作第3代会長が立っている。
1969年(昭和44年)に名優渥美清主演『男はつらいよ』第1作目が制作されその後、大衆映画として大人気となる。松竹は大当たりであった。その後、この男はつらいよシリーズに呼応して、名優菅原文太主演『トラック野郎』シリーズ(東映)が、1975年にスタート。「男はつらいよ」と競うこととなる。
どちらもコメディタッチの映画だが、「男はつらいよ」では、「「帝釈天」で産湯につかり」という有名な詞がある。諸天善神の一つ「帝釈」が出てくるのである。そして、トラック野郎では、川崎真言の影響のためか、聖徳太子がトラックの箱の部分にでかでかとラッピングされた。まるで、法華経の行者を「中傷」しているようである。川崎は主役の居所であった。
池田大作の大謗法により、映画界が曲がってゆく。そもそもの原因は、聖徳太子が新紙幣になってしまったことが禍ではなかったか。
しかも1986年にスッと消えてゆくのである。その3年後にはバブル崩壊である。仏罰なのかと言えばその通りなのやもしれん。破廉恥『トラック野郎』にせよ、礼節を欠いた映画製作によって、一部の大衆の人気を得たにせよ、これは日本経済崩壊の伏線(破廉恥が、あるいは、爾前経の執着か)ではなかったか。
そうしてどうなったかを、我々は知っている。池田大作もまた仏法界が遣わした天魔なのやもしれんな。●
この戒壇建立を日蓮大聖人は『時を待つ可(べ)きのみ』とおおせられて滅後に託されたのであります。以来、七百年、この時機到来のきざしはなく、日蓮大聖人のご遺命はいたずらに虚妄となるところでありました。
●この時機が国立戒壇の建立ではなかった。100年先、200年先でよかったはずであろう。●
だが『仏語は虚しからず』のご予言どおり、(中略)七百年来の宿願である正本堂建立のはこびとなったのであります。(中略)世界平和の新しい根本道場である正本堂は、時とともに輝きを増し、末法万年尽未来際まで、不滅の大殿堂となることは、絶対に間違いない。(中略)
●その二十数年後に正本堂は崩壊である。「絶対に間違いない」は、間違っていたのであった。●
なお、正本堂完成により、三大秘法が、ここにいちおう成就したといえるのであり、『立正安国』の『立正』の二字が完ぺきとなったのであります」(大日蓮42年6月号)
●無論、完璧ではなかった。欺瞞の大演説である。これが創価学会員を騙し続けた創価学会三代目の姿である●
さらに同年十月に行われた正本堂発願式では、誇らしげに宣言する。
「夫れ正本堂は末法事(じ)の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又(はたまた)仏教三千余年、史上空前の偉業なり」(発誓願文)と。
天魔の入った池田大作は、もう御本仏の御眼をおそれることなく、この大欺瞞をかえって「仏教三千余年、史上空前の偉業」と讃え、これを成し遂げた自身の功績を誇ったのである。
これを承けて、学会の主要書籍にも誑惑の文字が躍った。
「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、これを事(じ)の戒壇という。それまでは大御本尊の住するところが義の戒壇である。(中略)昭和四十七年には事の戒壇たる正本堂が建立される」(折伏経典)
さらに
「日蓮大聖人は本門の題目流布と、本門の本尊を建立され、本門事(じ)の戒壇の建立は日興上人をはじめ後世の弟子檀那にたくされた。(中略)時来って日蓮大聖人大御本尊建立以来六百九十三年目にして、宗門においては第六十六世日達上人、創価学会においては第三代池田大作会長の時代に、本門の戒壇建立が実現せんとしている」(仏教哲学大辞典)
「正本堂の建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌(そうみょう)を具えた戒壇で建てられる。これこそ化儀の広宣流布実現であり、世界にいまだ曽てない大殿堂である」(同前)と。
細井管長も、初めは御遺命に背く恐れからか曖昧な表現が多かったが、次第にその発言が大胆になる。
「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」(大白蓮華二〇一号)と。
ここにいう「王仏冥合」とは、池田を「王」とし細井管長を「仏」とする、まやかしの王仏冥合である。●これを「おままごと」というのではなかったか●
正本堂が偽戒壇であるから「王仏冥合」も「広宣流布」もすべてがごまかしとなる。
まことに白を黒といい、東を西といい、天を地というほどの見えすいたたばかりである。
だが、宗門の最高権威たる「法主」と、最高権力者の池田大作が心を合わせて断言するところであれば、無智の八百万信徒はこれを信じ、無道心の一千僧侶また先を争ってこの悪義になびいた。
報恩抄には
「例せば国の長(おさ)とある人、東を西といい、天を地といい出しぬれば、万民はかくのごとく心うべし。後にいやしき者出来(しゅったい)して、汝等が西は東、汝等が天は地なりといわば、用(もち)うることなき上、我が長(おさ)の心に叶わんがために今の人を罵(の)り打ちなんどすべし」と。
当時の宗門の姿は、まさにこの御文を彷彿させるものであった。
つづく
●は小生
格言
なぜか、「喜び浮かれると魔が近づく」
NHK
圏央道でパトカーが大型トラックに追突され炎上 けが人なし
映画『トラック野郎』が出たところで、やはり、働き方改革の規制緩和は非常に危ういものであるということがわかった。
80キロ制限速度を90キロまで規制緩和した理由は、目的地に早く着きたいが為である。時間制限がある以上、そうなることは目に見えていた。
しかしながら、速度の規制緩和は、大事故を連発させる危うさがある。そうして、このところ大型トラックの大事故が立て続いているわけだが、これは、働き方改革のなれの果てであろう。
時間制限があって長距離トラックは便数を減らさざるを得ない。すると長距離間の輸送力は極端に落ち込まざるを得ないだろう。
すると、どこかの運送会社はとてつもない無理を強いられる。破格の運賃を提示されれば、行かないわけにはゆくまい。
そうして、無理難題がトラックドライバーに降りかかり、今回の事故につながった可能性は否定できまい。
寝不足、集中力不足、休日もろくに取れずのトラックドライバー、本末転倒であるが、これが現場の実情である。
米不足も、このようなことから運び手がなく、品薄状態ではなかったか。あっても破格の米価である。これは運賃を上乗せされている可能性もあるだろう。
安倍晋三の働き方改革は日本をめちゃくちゃにしている。これも仏法違背の創価学会公明党の存在による。
天魔、池田大作、安倍晋三、そして創価学会公明党。とてつもない暴挙の政治運営が、日本経済に大ダメージを与え続けている。
どうすればよいかは、答えが出つつある。まずは、政権与党から創価学会を追放せねばならん。
それができなければ、日本はおそらく他国侵逼の災難、兵乱にまで発展してゆく可能性がある。
小生の描く仏法画は、御在世のみならず、そのことをも物語っているやもしれんぞ。
警告
乗用車は、大型トラックには近づくな。たとえ心優しいトラックドライバーだとしても集中力の欠く、寝不足ドライバーやもしれんぞ。
大型トラックの前に、割り込みなどすれば、事故に巻き込まれる可能性大だ。
乗用車は、大型トラックには近づくな。命を失っても知らんぞ。
「あらゆることは仏法よりこと起こること」
富士大石寺の扉を閉めるプロジェクト
仏法画 正法 第一章 「諸天逆切~瞋りの怨嫉~」
日本の正法が世界を救うことを信じて、仏法画を描き続けます。
『日蓮大聖人の仏法』つづき
昭和四十二年の正本堂発願式に参列した宗門高僧たちの諛言(ゆげん)を並べてみよう。
阿部信雄・教学部長(第六七世・日顕管長)
「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生より、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」
大村寿顕・宗会議員(教学部長)
「この大御本尊御安置の本門戒壇堂の建立をば『富士山に本門寺の戒壇を建立せられるべきなり、時を待つべきのみ』云々と、滅後の末弟に御遺命せられたのであります。その御遺命通りに、末法の今、機熟して、『本門寺の戒壇』たる正本堂が、御法主上人猊下の大慈悲と、法華講総講頭・池田大作先生の世界平和実現への一念が、がっちりと組み合わさって、ここに新時代への力強い楔(くさび)が打ち込まれたのであります」
佐藤慈英・宗会議長
「この正本堂建立こそは、三大秘法抄に示されたところの『事の戒法』の実現であり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼陀羅をもって本堂の正本尊となすべきなり』と御遺命遊ばされた大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇堂となるので御座居ます」
椎名法英・宗会議員
「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ』との宗祖日蓮大聖人の御遺命が、いま正に実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」
菅野慈雲・宗会議員
「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、日興上人より代々の御法主上人の御祈念せられて来た重大なる念願であります」と。
どうしたら、このような諂(へつら)い、見えすいた嘘、大聖人に背き奉る誑(おう)言が吐けるのか。
所詮、これらの僧侶たちには信心がないのだ。池田にへつらって我が身を長養することしか考えてないのだ。
まさしく「法師の皮を着たる畜生」「法師と云う名字をぬすめる盗人(ぬすっと)」(松野抄)とのお叱りが、そのまま当る禿人どもである。
●確かに宗だけを見ているから、このようなことになるのだ。国教になる日蓮大聖人の仏法である。ただ、宗門だけを見て、その枠の中で何かが決められようとするから、大聖人に背くことになるのである。
あの当時も未だ「時を待つべきのみ」であっただろう。日本の仏国実現には、まだまだ時間がかかるのである。この文言の証明として、正本堂建立の二十数年後に、正本堂は崩壊している。この時が、「事の戒壇」ではなかったことを見せつけられてしまったのであり、池田の偽りは、現在も学会員の中に深く入り込み、策謀の学会員の心が見え隠れしているのではなかったか。それが政治に働きかけるから、日本が傾いて行くのである。●
かくて正系門家から「国立戒壇」の御遺命は消滅し「正本堂」を讃える悪声のみがこだました。第六天の魔王はものの見事に、正系門家から御本仏の御遺命・七百年来の宿願を奪い去ったのである。
第十章 御遺命守護の戦い
昭和四十五年ー。正本堂の工事はすでに始まり、その完成が二年後に迫っていた。
池田大作はこの落成式において、細井日達管長に「広宣流布は達成」「御遺命の戒壇ここに成就」と宣言させることにしていた。
●昭和45年は西暦1970年のことであり、その2年後は、昭和47年、西暦1972年のことである。その1年ないし2年して、石油ショックの嵐(1973~1974年)が日本を襲い、日本は戦後初めてGDPマイナスを記録した。これが、仏法違背への諸天の怒りなのかと謂えばその通りであろう。その後、日本は、現在まで傾き続けるのである。●
もし、「法主」が公式にこれを内外に宣言すれば、このとき御本仏の御遺命は完全に破壊される。国立戒壇の建立は大聖人の究極の大願であられれば、この御遺命の破壊はまさに、流罪・死罪を忍び給うた大聖人の一代三十年の御化導を水泡に帰せしめるものである。
しかるに宗門・学会は、いま恐れげもなくこれを押し進めている。この無道心をご覧あそばせば、大聖人はいかに御憤り、御悲しみあそばすであろうかー。
このとき、大聖人の厳たる御命令が私の耳朶(じだ)を打った。
「法を壊(やぶ)る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨(あだ)なり」(竜泉寺申状)
「もし正法尽きんと欲すること有らん時、まさに是(か)くの如く受持し擁護(おうご)すべし」(立正安国論)
「むしろ身命を喪(うしな)うとも、教(きょう)を匿(かく)さざれ」(撰時抄)
「獅子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし」(佐渡御書)
また日興上人は
「時の貫首(かんず)たりと雖(いえど)も仏法に相違して己義を構えば、之(これ)を用うべからざる事」と。
もし「法主」の権威を憚(はばか)り、学会の強大を恐れてこの大悪を黙過したら、これこそ「大聖人様に対し奉る最大の不忠」「大聖人様に申しわけない」ーただこの一念で、私は御遺命守護の御奉公に立ち上がった。
●これこそが大聖人の御心であろう。ゆえに、偽りの正本堂は将来的に崩壊するのである●
これにより、必死の諌暁は二十八年に及んだ。そして、凡夫の思慮を絶することが起きた。時は平成十年、偽戒壇・正本堂は轟音とともに打ち砕かれ、地上よりその姿を消し去ってしまったのである。すべては大聖人の御威徳による。
以下、その経緯の大要を述べる。
一、第一次諌暁
「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」
昭和四十五年三月、私は護法の一念を四万二千余字に込め、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」と題する一書を認(したた)め、猊座を守るべき宗務院役僧と、御遺命破壊の元凶・池田大作以下の学会首脳、あわせて十二人送附した。
この書の内容は、正本堂が事の戒壇でないこと、御遺命の戒壇とは国立戒壇であることを論証し、さらに大聖人を蔑(あな)ずる大慢心の文言を挙げて破し、最後に宗務当局に対し、猊座の尊厳を守るため速かに池田の誑惑を摧(くだ)くべし―と訴えたものである。
当時、顕正会は「妙信講」と称し、日蓮正宗法華講(宗門信徒の総称)の中の一講中という立場で、講員は八千人に過ぎなかった。
対する池田は、日蓮正宗全信徒を統率する大権を細井管長から委ねられた法華講講頭。そして八百万学会員を率い公明党を手足とし、そのうえ誰人も背けぬ「法主」を擁(よう)し、その勢威は凄まじいものがあった。
これに八千の小講中が立ち向うは、竹槍で戦車に向い、小舟が戦艦に当るにも似ていた。
●まさに戦国時代、数百の兵を挙げて、数万の今川勢に立ち向かった尾張の領主織田信長の桶狭間の戦いである。あまり好い喩(たとえ)とはゆかぬだろうがね。●
恐らく歯牙(しが)にもかけず、直ちに宗門追放かとも思われた。
だが、この諫暁書は驕(おご)る池田大作と細井管長の肺腑を抉(えぐ)り衝撃を与えた。それは八百万対八千でもなければ、「法主」対信徒でもなかった。「仏法と申すは道理なり、道理と申すは主に勝つ物なり」(四条抄)の仰せのままであった。
恐らく細井管長は、この諫暁書の背後に、犯しがたき御本仏日蓮大聖人・日興上人の御威徳を感じたものと思われる。
細井日達管長と対面
送達の翌々日、宗務院の早瀬日慈総監から「直ちに本山に来るように」との一報があった。この反応の早さこそ、衝撃の強さを物語っている。
四月三日、私は父(当時妙信講講頭)とともに、総本山の宗務院に出頭した。定めて宗務役僧から直ちに”宗門追放”が云い渡されると思っていたところ、案に相違して、「猊下が対面所でお目通り下さる」と伝えられた。
やがて対面所に出座された細井管長は、右手に「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」をかざしつつ、照れくさそうな笑みを浮べ、開口一番
「よく書けてますね。私にもこうは書けませんよ。この本は宗開両祖の仰せのまま、宗門七百年の伝統のままです。一分の誤りもありません」
思いもかけぬ言葉を下された。
しかし、次いで
「この中に引用の先師の『御宝蔵説法』とは、日応上人のものですね。あれには省略されている部分があるのです。これがその原本です。大事なものだから人には見せられないが、この中に『戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇』とあるのです。だから、正本堂は事の戒壇といえるのです」と。
非礼僭越とは思ったが、ことは御遺命にかかわる重大事である。私は敢えて
「お見せ頂けますか」と願い出た。
「大事なものだから全部は見せられないが・・・・」
と云いつつ、細井管長は両手で前後の文を隠してその部分だけを見せ、読み上げられた。
「『大御本尊いま眼前に当山に在(ましま)す事なれば、此の処(ところ)即(すなわ)ち是(こ)れ本門事の戒壇、真の霊山(りょうぜん)・事(じ)の寂光土(じゃっこうど)』とあるでしょう。だから戒壇の大御本尊まします所は、御宝蔵であれ、奉安殿であれ、また正本堂であれ、事の戒壇といっていいのです」
いかにも訝(いぶか)しい。私(●大聖人の化身●)はお伺いした。
「本宗では従来、広布の暁に事相に建てられる御遺命の戒壇を『事の戒壇』といい、それ以前の大御本尊まします御宝蔵あるいは奉安殿を『義の戒壇』と言ってきたのではないでしょうか」
細井管長の面(おもて)にみるみる怒気がみなぎった。
「あんた、二座の観念文には何とある。『事の一念三千』とあるでしょう。戒壇の御本尊は事の御本尊です。だから、その御本尊まします所は事の戒壇なのです」
「お言葉ですが、『事の一念三千』の『事』とは、文上脱益・理の一念三千に対して文底下種の一念三千を『事』とされたのであって、法体上の立て分けかと思われます。いま戒壇における『事』と『義』とは次元が異なるように思われますが・・・・」
「いや、ここに書かれているように、大御本尊まします所は、いつでも、どこでも事の戒壇なのです」
怒気を含む強い調子で、これだけは譲れないというように、同じ言葉を何度も繰り返された。
しかし従来の定義を変えて「正本堂を事の戒壇」としたら、御遺命の戒壇はどうなるのか。問題の核心はここにある。私は詰めてお伺いした。
「では正本堂は、三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命された戒壇なのでしょうか」
細井管長はあきらかに困惑の色を表わし、しばし沈黙された。やがて意を決したように
「広宣流布の時の事の戒壇は、国立ですよ」
重ねて念を押させて頂いた。
「では、正本堂は御遺命の戒壇ではないのですね」
「正本堂は最終の戒壇ではありません。広布の時は国立戒壇で、天母山(あんもやま)に建てられるのです」
「天母山」とは天生原(あもうがはら)のことである。ついに細井管長は本心を吐露されたのである。
しかしこの本心を宗門で知る者はない。全信徒は「正本堂は御遺命の戒壇」という謀(たばか)りを信じている。そこで言上した。
「猊下の御本意を伺い、こんな有難いことはございません。しかし学会員も法華講員も、まだ正本堂を御遺命の戒壇と思いこんでおります。これはいかがしたら・・・・」
猊下は言われた。
「いや、私から、間違わぬよう、よく伝えておきます」
思いもかけぬ明言であった。そして最後には
「諫(いさ)めてくれたのは妙信講だけです。浅井さんの信心に、私は負けました」
とまで、率直な言葉を吐かれた。
-細井管長のこの日の対面目的は、まさに懐柔(かいじゅう)と、己義(こぎ)の「事の戒壇」を承伏させることにあったのであろう。しかし説得のつもりが、かえって正しい道理の前に本心を吐露せざる得なくなり、その公表まで約束されたのであった。
虫払会(むしばらいえ)御書講で正論
三日後の四月六日、総本山の年中二大法要の一つである御虫払会(おむしばらいえ)がおこなわれた。
●なぜ虫が現れるのかである。「御開扉」イベントが原因か。
ここに、日蓮正宗の御霊宝(ごれいほう)虫払(むしばらい)大法会(だいほうえ)を
引用しよう。
御霊宝虫払大法会
毎年4月6日・7日の両日、総本山でおこなわれる御霊宝虫払大法会は、秋の御大会(ごたいえ)とともに日蓮正宗の2大法要の1つです。宗祖日蓮大聖人の時代から700年にわたる長い間、本宗に伝えられてきたたくさんの重要な宝物を後世に永く伝えていくため、年に一度湿気を払い、害虫を除くなど保存に必要な手入れをし、あわせて多くの参詣者に披露して信行倍増に資する大事な儀式です。
大聖人がご入滅されたのち、本弟子6人のうち、日昭・日朗などの5人は、「大聖人が仮名文字で書かれた手紙は、御供養の返礼として愚痴の者を導くためのものであり、これを残しておくことは、大聖人の恥を後世に残すようなものだ」と言って、すき返したり、焼いてしまいました。これは、「大聖人は末法の一切衆生を救う仏様である。したがって大聖人のおおせられたお言葉、書きのこされた文字は仏様のご金言であり、尊いお経である」という大事なことを、血脈相承のない五老達にはよくわからなかったためといえます。
正嫡である第2祖日興上人は、その心得違いをさとすかたわら、つとめてあちこちに散在していた御書を集めて、重要な御書の目録を作り解説を書き残されました。また、みずから筆をとって御書を書き写すなど、大聖人の尊い教えがなくなってしまうことを防がれたのです。
こうした日興上人のご精神を受け継いで、代々の歴代上人がこれらの重宝を身をもって守り伝えてきたのです。
ーここまで
「年に一度害虫を除くなど保存に必要な手入れを」とある。
なぜ、虫が寄るのかである。
小生は、幼少の頃、まだ十にもならん時、虫を収集すること、いわゆる「昆虫採集」として、その採集した昆虫を研究していた。
論文こそ書いてはおらぬが、身をもって昆虫とは何かをただ水槽に昆虫を入れて、昆虫図鑑を片手に飼育し、眺めていた。
アメリカ合衆国、ハリウッド映画に、名優ブレンダン・フレイザー主演『ハムナプトラ~失われた砂漠の都~』がある。
エジプトの三千年の呪いがストーリーのこの映画。そこには大量の人食い虫が出てくるのである。
娯楽映画のためストーリー性はともかく、この人間を喰う虫がでてくることに関心を持たざるを得ない。
謗法充満の日本国に於て、この虫払会(え)はどのような意味を持っているのかである。大量の虫が出る。その書かれた秘蔵厳護の経文を誰かに見せたのではなかったか。
先ほどの正宗の引用文のなかには、「あわせて多くの参詣者に披露して」が何よりそのことを証明している。絶対に見せてはならん経文を見てしまったのではなかったか。
虫は、人間と同じ色心の二法が具わる大宇宙に通ずる生物であり、あらゆることに関係性をもって地球上に存在している。
小生の身の回りに最近起こった現象として、「ゴキブリ」の室内侵入がある。当然、駆除するわけだが、なぜ、「ゴキブリ」が現れたのかである。部屋の一部が汚れているのだ。ゆえに、ゴキブリが寄ってくるのである。そのことをゴキブリが小生に知らせたわけだが、このようにゴキブリでさえ、何かを悟らせるのである。
その後、侵入したベッドの下の埃を取り除いたりしたわけだが、これが今生、この世の不思議である。
「虫の知らせ」というが、虫が知らせることも実際にあるということだ。
蚊が血を好んで人に近づくというのもあるが、小生は、鼻炎症のためよく蚊が寄ってくる。鼻の毛細血管が破れているらしく、呼吸をすれば、血液成分を含む鼻息となろう。それが蚊を近づけるとみたのである。
研究の余地があるだろう。●
席上、満山大衆を前にして細井管長は次のように述べた。
「王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並びに御教書があって、霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから、私は未来の大理想として信じ奉る」と。
建築中の正本堂を眼前にして、三大秘法抄に御遺命の戒壇を「未来の大理想として信じ奉る」と明言されたのである。これ明らかに正本堂の誑惑を否定するものであった。
「事の戒壇」の定義変更
さて、総本山の対面所で細井管長が私に示された「日応上人の御宝蔵説法の原本」と称する文書について、少し触れておく。
後日、諸天の計らいともいうべき不思議な経路で、その全文を入手することができた。それは第五十六世日応上人の「原本」ではなく、第六十世日開上人の御宝蔵説法本であった。細井管長が引用した前後の文を拝見すれば、文意は明白であった。
「御遺状の如く、事の広宣流布の時、勅宣・御教書を賜わり、本門戒壇建立の勝地は当国富士山なる事疑いなし。又其の戒壇堂に安置し奉る大御本尊、今眼前に当山に在(ましま)す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇・真の霊山・事の寂光土にして・・・・・・」とある。
すなわち日開上人は、広布の暁に国立戒壇が建立されることを大前提として、その事の戒壇に安置し奉る戒壇の大御本尊いまここにましますゆえに、たとえ未だ事の戒壇は建てられていなくとも、「此の処即ち是れ本門事の戒壇」と仰せられているのだ。すなわち”義理において事の戒壇”の意、これを本宗では「義理の戒壇」あるいは「義の戒壇」と称してきたのである。
ゆえに日寛上人は
「義理の戒壇とは、本門の本尊所住(しょじゅう)の処(ところ)、即(すなわ)ちこれ義理・事の戒壇に当るなり。乃至、故に当山(大石寺)は本門戒壇の霊地なり」(法華取要抄文段)と仰せられ、広布以前の戒壇の大御本尊まします大石寺を「義の戒壇」とされている。
さらに
「未だ時至らざる故に直(ただ)ちに事の戒壇これ無しといえども、すでに本門戒壇の御本尊まします上は、其の住処は即戒壇なり」(寿量品談義)
とも仰せられている。「其の住処は即戒壇なり」とは、義において戒壇ということ、これを「義の戒壇」というのである。
しかるに細井管長は、日開上人が前文に示されている国立戒壇建立の大前提を故意にかくして、正本堂を直ちに「事の戒壇」といわれた。これは明らかにたばかりである。「事の戒壇」は「御宝蔵であれ奉安殿であれ正本堂であれ・・・・」ではなく、一つしかないのだ。
ゆえに近世の大学匠といわれた第五十九世日享上人は
「唯一の国立戒壇、すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、そのことは将来に属する」(富士日興上人詳伝)と。
さらに、「この戒壇について、事相にあらわるる戒壇堂と、義理の上で戒壇とも思えるの二つがある。事相の堂は将来一天広布の時に、勅命で富士山下に建ち、上(かみ)は皇帝より下(しも)は万民にいたるまで受戒すべき所であるが、それまでは、本山の戒壇本尊安置の宝蔵がまずその義に当るのである。末寺の道場も信徒も仏間も、軽くは各々その義をもっていると云える」(正宗綱要)と。
また第六五世日淳上人は
「御文(三大秘法抄・一期弘法付嘱書)に、王法と仏法と冥合して国主が此の法を御用いの時は此の戒壇が建立せられる、それを事の戒法と申すと仰せられるのでありますから、その時の戒壇を事の戒壇と申し上げるのであります。従って、それ以前は御本尊のましますところは義理の上の戒壇と申し上げるべきであります。仍(よ)って此のところを義の戒壇と申し上げるのであります」(日蓮大聖人の教義)と。
いや細井管長自身、登座直後の説法では
「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は、広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮 昭和36年5月号)
と言っているではないか。しかるにいま定義を勝手に変更して「戒壇の大御本尊ましますゆえに正本堂は事の戒壇」という。これは自語相違であり己義である。
なぜこのようなたばかりをしたのかといえば、正本堂を「御遺命の事の戒壇」と云い続けてきた学会・宗門の欺瞞を隠すための目眩(めくらまし)にほかならない。
●そうして日本は正本堂建立後、傾いて行くわけであるが●
しかし、今、詰められて本心を吐露せざるを得なくなり、それが御虫払会における正論となったのである。
だがー、これより以降、細井管長は態度を二転三転させる。私(浅井昭衞先生は大聖人の化身であられる)と会えば貫首としての本心を取り戻し、池田と会えば魔の手先となるという変節を、最後の最後まで繰り返したのであった。
●そうして細井管長は、将来的に急死を遂げてしまうのである。これが仏罰の恐ろしさか●
池田の巻き返し
つづく
●は小生
産経新聞
12歳の少年が見た昭和48年「僕たちに未来はない。ノストラダムスが予言したのだから」 プレイバック「昭和100年」
今回の記事は、人類滅亡の内容である。ノストラダムスの大予言は世界的に有名だが、1999年人類は亡ばなかった。日本国内にもノストラダムスの予言を恐れて、東京を脱出し東北のある地に移住した方を知るが(その後、日本海に面した海岸で遺体が発見された)、あの当時は強迫観念のようなものに憑りつかれた者にそのような行動が表れたようである。
1999年人類は滅亡しなかった。東京に巨大地震も発生しなかった。何故であろうか。そして、今回の南海トラフ巨大地震も「1週間は警戒せよ」であったが、起きなかった。巨大地震・・・。宇宙法界、諸天善神は、我々を、我々の行動を常に見つめている。さすがに日本の首都に巨大地震が起これば、日本は終わる。終わることが理解できているために、先延ばしになっている可能性が高い。これが仏法界上のものの見方であろう。
人々の心は、宇宙法界に共鳴し、火山が爆発したり、大地震が発生したり、まずは七色の虹、彗星などをもって警告する。疫病、飢饉も人々への警告である。日本は富士山の守護する妙国である。一乗に帰せねば国が亡ぶと申し上げるは、日蓮大聖人であられる。御在世の大地震、飢饉、疫病、そして内乱、遂には他国侵逼の災難は次々に国内に発生した。これは御本仏を迫害、謗った日本人民への罰であるわけだが、現在においても謗り、師敵対(創価学会)によって、遂に東日本大震災が発生、日本は原子力発電所の原子炉が核爆発を起こし、その罰は天地を貫いた。このように、日本人の思う心、考える心が諸天善神に共鳴するのである。
ゆえに、正法団体は、日頃の遥拝勤行によって、成仏を願う。現当二世に成仏を願うため、いつでも幸せの境界に立てている。
不幸の巨大地震も当然に起らないのである。巨大地震が不幸を齎すわけで、正法の勤行が幸せを齎すのにもかかわらず真逆のことは諸天善神にはできんのだ。
ゆえに正法を唱える者によって、日本は守られている。辛うじて守られているといったところであろう。しかしそれを上回る謗法が激しければその力も空しである。新型コロナウイルス世界蔓延も上回った結果であろう。
NHKは、今回「狼」、「嘘」キャンペーンを張ったようだが、このように、人の心に共鳴して禍が起こるのである。正法を誹謗中傷、謗法を繰り返せば、大罰が当たるのである。
そうして、今回の自民党総裁選にタカ派の石破氏が立ったことも、それを如実に顕わしている。地球の裏側ではキリスト戦争が猛威を振るっている。そのうちアジアに飛び火すれば、日本も戦禍に巻き込まれるといったところであろう。そこに石破氏の登場がある。諸天は常に見計らっているのではなかったか。
これは想像の域(御在世は現証として想像ではなく現実であったが)だが、爾前経を唱え続ける「寺」によって(仏法画正法第一章「邪宗」の律、念仏、真言、禅等)、諸天善神の怒りは心頭に達し、地震が発生するということは十分にあり得ることだ。
現在の科学技術ならば、それを証明することも可能ではないか。
どこぞやの「寺」が、爾前経の経文を唱えているときに、巨大地震が発生したということを証明するのである。
科学者ならばできよう。
末法濁悪の世となって1000年が過ぎ去ろうとしている。日本国に住まう我々は、正法に帰さねばならん。そうして、禍を未然に防ぐのである。
小生は、それが困難であると見た故に、扉を閉めようと思っている。秘蔵厳護の扉を閉めて、禍を遠ざけようと思っている。
既に、正法団体も戒壇の大御本尊様を直接の内覧はできずになっている。創価学会も戒壇の大御本尊様にお目通りすることは叶わなくなっている。そう、これこそが大聖人、諸天善神の働きである。そうして、現在、「御開扉」は、法華行員のみに許されている。しかも登山人数は年々減り続けている。これでよいのである。
扉の中を覗き込めば世界に禍を齎す。諸天善神の力用は凄まじい。何としても扉を閉めねばならん。小生はそのために画を描くのみである。
将来的な予言を申し上げよう。申し上げてそうならないならば結構なことではないか。結構天邪鬼なのやもしれんしな。
・来年早々の株価大暴落、バブル崩壊。1989年の二の舞の可能性を警告しておこう。起こらなければ結構なこと。
・巨大地震の発生。首都圏に巨大地震が発生する。そう申し上げれば、先延ばしになるとするならば結構なことではないか。
・日本人は亡びる。こればかりは、避けられそうにない。年々出生数が4万人減るのである。10年で40万人減り、20年で80万人減る。現在の年間出生数は、80万人を切った。目に見えているのである。
移民を受け入れて、混血の日本国民を増やすしかなくなっているのではなかったか。純血の日本人は、あと20年で消滅である。これが諸天善神の怒りの計らいなのかと云えば、その通りなのやもしれんな。
いずれにせよ、諸天善神の怒りを鎮めよう。そうして、ある意味での「日本沈没」を防ぐのである。
それには、公明党を政権の座から遠ざけよう。まずはそこからだろう。
間違いなく日本を沈める黒幕なのだ。
『日蓮大聖人の仏法』つづき
池田の巻き返し
細井管長の御虫払会における本心吐露は、池田の目には裏切りと映る。これまで「法主」の承認のもとに正本堂建設を進めてきた彼にすれば、今になってのこの裏切りは許しがたい。彼は巻き返しの機を覗った。
当時、彼は学会の出版妨害事件に端を発する国会喚問に怯えていた。
●公明党など立ち上げるから、怯えることになるのだ。妙信講、浅井先生に相談して、事態解決を進めればよかったのだ。●
四月八日、共産党・谷口善太郎代議士から衆議院議長に宛てた「質問主意書」が提出された。
その趣旨は、学会が主張していた「国立戒壇」は憲法違反であり、かつ宗教団体が違憲の国立戒壇の実現を目的として政治活動を行うとすれば、その活動も憲法違反ではないかーというものであった。
●共産党に言われなくても創価学会員を除く全国民は、「公明党」という存在が憲法違反であるということを認めてよいのである。そうすれば禍がある程度は止められように。公明党が解散するからだ。●
政府はさっそく学会に「国立戒壇」についての照会をした。
池田はすでに数年前に、学会の立場では「国立戒壇」を否定していた。しかしこの回答を政府に提出するに当っては、どうしてもその裏付けとして、宗門に国立戒壇否定の公式決定を発表させる必要があった。ここに池田は猛烈な圧力を宗門に加えた。
●なぜ、圧力を加えねばならなかったのか。それは公明党を解散させたくはなかったからである。政党交付金に目がくらんだか。自民党石原伸晃代議士は、以前、東北の巨大地震発生で難民の方々に向けて「金めでしょう」と言ってのけたが、公明党こそが、その可能性があるのではないか。日本を滅ぼす公明党。この黒幕こそが元凶であることを日本国民は心肝に染めねばならんだろう。●
「国立戒壇を永久に放棄せよ」
昭和四十五年四月十四日、池田は宗務院の早瀬日慈総監、と阿部信雄教学部長(後の日顕管長●正本堂を崩壊せしめた英雄。しかしながら御遺命は永久放棄、創価学会に倣ってしまった●)を学会本部に呼びつけた。このときの会談内容が阿部教学部長の自筆で克明に記録されている。この記録は、池田が宗門に国立戒壇放棄を強要したことを立証する、きわめて重要な文書である。
平成五年に顕正会が入手したその記録(以下、阿部メモ)によれば、その趣旨は二つ。
①宗門として公式に国立戒壇を永久放棄する宣言をすること
②宗内でただ一人国立戒壇を主張する浅井を抑えこむこと。
この二点を「法主」に要請しているのである。
以下、その一部を紹介する―。
池田「国立と云うと追いつめられる恐れがある。先手をとりたい。日淳上人にも現猊下にも国立の言あり。共産党はこれらをつみ重ねて(証拠蒐集(しゅうしゅう)の意)きている。これは違憲になる。(中略)この際はっきりしておいた方がよいと思うがどうか。(中略)もし之をお認め頂けるならば、猊下より宗門の定義として大日蓮に発表して頂きたい。そうでないと私の独創になってしまう」
●「独創」。己義を構えるということだ。大聖人は、己義を構えたものを法主は許してはならんと諫めている。●
早瀬「非常に重大な事である。充分猊下にお伝えし、申し上げる。この上で御返事をする」
池田「非常にいそぐので早く願いたい。(中略)また何等かの方法で、この件につき宗門内の統一を願いたい。今迄、猊下は、我々の言ったことを擁護して下さった。それが今度は、もう一歩脱皮せねばならぬ時になった。猊下も『時によるべし』とおっしゃっている。今ここで、永久に国立という内容にするか、しないかが、急所である。永久にしないという決定をいえば収まる。(中略)猊下よりそう云うお説法があったとして、大日蓮に発表して頂きたい」
ー池田はなんと、大聖人の一期の御遺命、そして歴代先師上人が七百年来叫び続けてこられた「国立戒壇」を、永久に放棄せよと「法主」に迫っているのである。
●諸天善神の怒りはここに心頭に達したはずである。これにより、日本は、完全に傾いて行くのである。池田の謗法が、日本を滅ぼすのだ。●
ついで池田の発言は「妙信講問題」に移る。阿部メモには
「次、浅井問題の検討となる。浅井問題の解決が焦眉(しょうび)の急という会長の発言あり」とある。
池田「浅井によく云って下さい。(中略)私と一緒に共産党と戦ってもらいたい。もしそうしてくれるのなら、私と逢ってもよい。一ぺん逢はうか。如何?」
早瀬「結構だと思う」
池田「それで、もしも(仲々難物なときは)谷口質問を見せて、宗門が解散になってもよいのかと云うことを、よく猊下より話して戴くことがよい。なお猊下が浅井にお逢いになるときは、早セ総監、アベ教学部長も御陪席申上げてもらいたい」
ー猊下が一人で逢うとまた浅井に同調してしまう、と警戒したのであろう。
池田「本山も危いのだということを、よく云って下さい。その時、もしよければ、会長を呼んでもよいと云って下さい。至急やってもらいたい。明日か、明後日ー16日一杯にやって頂きたい。猊下より浅井に『国立をとれよ(除け)』と一言云って頂けばよいと思う」
ついでに同席していた小平芳平(公明党参議院議員)が、池田発言を補足する。
「国立を主張して憲法違反と云うことになると、宗教法人法第二条違反となり、これは、法人法だい〇条により、解散させられます」
●公明党が解散するのである。これを履き違えるから日本が傾くのだ。●
池田「だから浅井に、憲法違反で潰されてよいかということを云って下さい。猊下より、民衆立は自分が(始めに)云ったんだと、むしろ云って頂きたい」
会議の最後に池田は重ねて念を押す。
「浅井の件、どうか、しっかりたのみます」
ー池田は「国立戒壇を言えば憲法違反となって宗教法人法違反で宗門が潰される」など素人だましの法律論で脅し、宗門に「国立戒壇の永久放棄」を強要したのである。
●宗門が潰されるのではなく創価学会が潰されるのだ。仏法が糺されれば、それでよいではないか。●
ところが細井管長は、この無法な池田の指示どおり、動いたのであった。
細井管長の変節
二日後の四月十六日、細井管長は東京・常泉寺に下向され、私を呼び出された。「浅井の件、どうか、しっかりたのみます」(阿部メモ)が、さっそく実行に移されたのだ。
常泉寺の一室で私を待っておられた細井管長の手には、共産党の「質問主意書」が握られていた。それを見せながら差し迫ったようすで、いきなり云われた。
「浅井さん、国立戒壇を捨てて下さい。国立戒壇というと、日蓮正宗は潰されるんです」
ついに十三日前には本心を吐露して「広布の時は国立戒壇で、天母山に建てられる」と明言されたのに、なんという変節か。
私は申し上げた。
「どうして国立戒壇をいうと宗門がつぶされるのですか。信教の自由は現憲法の保証するところではございませんか」
「共産党の動きがこわいのです」
そして細井管長は共産党の恐るべきを縷々と述べた上で、「国立戒壇を捨てよ」と、一方的に強要された。
私は申し上げた。
「学会は自ら犯した数々の社会的不正(●真の正法の仏弟子ならば、不正などせぬ。ここに、邪教に染まった池田大作が信心のない単なる金稼ぎに奔走していることを証明するのである。●)を暴かれるから共産党を恐れております。しかし、宗門が日蓮大聖人の御遺命を叫ぶのに、どうして共産党ごときを恐れる必要がありましょうか」
さらに申し上げた。
「国立戒壇の否定と正本堂の誑惑は表裏一体です。学会は内外に正本堂を御遺命の事の戒壇と大宣伝しております。この時、もし国立戒壇を云わなくなったら、正本堂の誑惑がそのまま内外にまかり通ってしまうではございませんか」
細井管長は気色(けしき)ばんだ。
「正本堂を事の戒壇とはいえますよ。このあいだ本山であなたに見せたでしょう。あの本に『此の所は即ち是れ本門事の戒壇』とあったじゃないですか。あの本は寛尊よりも、もっと古いものです」
四月三日には「日応上人の御宝蔵説法の原本」といい、ここでは「寛尊よりも古い」という。たばかりのゆえに自語相違する。
●日応(應)上人 第56世 1889年~登座 日寛上人 第26世 1718年~登座●
私は申し上げた。
「猊下の仰せられる『事の戒壇』の意味は、宗門古来の定義とは異なるように思われますが・・・・」
「法主」の権威に平伏せぬを小癪に思われたのか、猊下は顔を真っ赤にして語気を荒げた。
●浅井先生は大聖人の化身であられる。平伏するもなにもあるまいに、細井管長には判らぬのだ。●
「正本堂を事の戒壇といって何が悪い。あの本にあるように、戒壇の御本尊ましますところは、いつでも、どこでも、事の戒壇といえるんです」
なんとしてもねじ伏せようとする強引さである。私はあえて面(おもて)を犯し強く申し上げた。
「では、猊下の仰せられる『事の戒壇』とは、広宣流布の時の『事の戒壇』と同じなのですか」
猊下はいかにも苦しげに、言葉を濁らせ
「・・・・・いや、それは違う」
重ねて申し上げた。
「もし『戒壇の大御本尊まします所は、いつでもどこでも事の戒壇』と仰せになるのなら、三大秘法抄に御遺命された戒壇は建立しなくていいのですか」
「・・・・・もちろん、広宣流布の時は建てなければいけない」
「学会は、宗門古来の定義のままに『三大秘法抄に御遺命の戒壇を事の戒壇』とし、それが正本堂であると欺瞞しております。ゆえに妙信講は『正本堂は事の戒壇にあらず』と学会を責めているのです。しかるにいま猊下が事の戒壇の定義を変更され『正本堂も事の戒壇といえる』と仰せられれば、学会の誑惑が助けることになるではありませんか」
「いや、私のいう『事の戒壇』は、何も最終の戒壇の意味じゃないんだから・・・・・」
「しかしそれでは法義が混乱します。御遺命の戒壇が曖昧になり、匿(かく)れてしまいます」
猊下はいいわけのごとく
「学会だって『正本堂は三大秘法抄の戒壇だ』と、そんなにはっきり云っているわけではないでしょう」
そこで私は、学会発行の文書のいくつかを、高声に読み上げた。
「正本堂建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌(そうみょう)を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布の実現である」(仏教哲学大辞典)等々。
細井管長は次第に沈痛な表情となり、うつむきながら言われた。
「学会がそこまで云っているとは知らなかった。これから五月三日(学会本部総会)の打ち合わせで池田会長に会うことになっているので、訂正するよう、よく云っておきましょう」
学会書籍のたばかりを知らぬはずがない。それはともかく、かくて、浅井に「国立戒壇」を捨てさせる目的で対面された細井管長は、またも「学会の誑惑を改めさせる」と約束されたのであった。
「四箇条に従え」
ところがである。翌日の早朝、細井管長から直接電話があった。
「昨日、云い残したことがあるので、念のためはっきりと云っておきます。筆記して下さい。
一、日蓮正宗を国教にすることはしない。
二、国立戒壇とはいわない、民衆立である。
三、正本堂を以て最終の事の戒壇とする。
四、今日(こんにち)はすでに広宣流布である。だから事の戒壇も立つのである。
以上、これは宗門の管長としてはっきりいうのです。こうしなければ、現在の宗門はもう統率できないのですから、管長のいうことに従って下さい。そしてこの四つのことは、五月三日(学会本部総会)に私から発表しますから、それを見てて下さい」
昨日の約束はいったい何だったのかーまたも池田の圧力に屈したのであった。
●なぜ、日蓮正宗を国教にはしない。としたのか、池田の心中なのか、創価学会幹部の意向なのか。
最終戦争を第二次世界大戦とすれば、その意味がわかってくる。すでに、人々は、無間地獄に堕ち、新尼抄の御予言通りである。二度とあの悲惨な大戦を繰り返さないようにと、軍事力を持たない日本国憲法も出来上がった。これを盾とすれば、世界平和はなる。と考えてもおかしくはあるまい。
ゆえに、日蓮仏法の最終目標をあの1970年に完成して、次の大戦を永遠に来させまいとしたのではなかろうか。
それが、まったくの欺瞞であったことも分からずにである。ゆえに、創価学会、正宗に起る数々の怪事件によって、そのことが明るみになってゆくわけであるが、遂には正本堂が崩壊、最終目標とされた国立と思われた戒壇が轟音とともに崩壊したのである。無論、国立ではない。民間(民衆(これも民主主義イデオロギーの成立した政治世界において、国立は相応しくないとの見方であろう。これも諸天善神の怒りを誘引させているはずだ)、創価学会が出したカネで建てられた偽戒壇である。民衆立などは、池田の己義である。これをもってして、諸天善神の怒りは心頭に達しているはずであろう。
いずれにせよ、第二次世界大戦は、踊り場に過ぎない。現在、第三次世界大戦の入り口にある。これはAI戦争への序曲。最終戦争への入り口であろう。キリストイスラエルは、遂に全面戦争へと発展する戦乱を齎さんとしている。ハマスの次は、ヒズボラである。キリスト教とイスラム教の飽くなき戦い。これが、世界戦争へと発展する可能性はあるのか、ないのか。
現在進行形であり、歴史の1ページに刻まれるであろう。
アメリカ国内も、トランプ元大統領が2度も暗殺されかけている。軍産複合体の陰謀なのか、現在、暗殺の二文字が世界に躍る。戦争を止めたい勢力と、戦争を実行に移したい者のイデオロギー戦争ではなかったか。
2030年までにAIがASIに移行したり、AIローズが人類に多大なる影響を齎すともいわれている。
果たして、我々は、現在のキリスト教の脅威とAIの脅威にさらされている。もうどうすることもできない時代の流れなのかを含めて、我々はこの緊迫した情勢をも守ってゆくしかあるまい。タカ派の総理大臣が立ったことも時代の流れに逆らえんことを証明している可能性もある。果たして人類の未来は如何に。●
私は即座に
「この四ヶ条、断じて承伏いたしません。このようなことをもし公表なされば、将来、猊下のお徳に必ず傷つきます」
と強くお諫めした。
●確かに、「傷つく」どころか「急死」である。仏法違背の大罰。恐るべしであろう。●
●は小生