私は母になりたかった
~野田聖子 愛するわが子との411日~
(フジテレビ系金曜プレステージ)
1年2ヶ月にわたり密着取材したフジテレビ情報制作センターの岡康治プロデューサーは「子供の授かり方についてはさまざまな論議があります。野田さんには、卵子提供という方法しか残されていませんでした。これもまた、一つの現実です。野田さんが取材に協力してくれたのは、“子を望む母の想いを少しでも感じてもらえたら、不妊という事実にもがき苦しんでいる女性たちに何かのヒントになれば、一人の女性として記録に残したい”との思いでした」と、背景を語る。
野田氏は、40歳の時に自然妊娠が不可能な体であることが判明。14回の不妊治療を繰り返すも、残念ながら出産にまでは至らなかった。流産という悲しい出来事も経験。そして、彼女は“卵子提供”という道を選択する。2010年初春、卵子提供が法律で認められている米国・ネバダ州で、夫・文信氏の精子とアメリカ人の卵子による受精卵が野田氏の子宮に戻され、念願の妊娠をした。
しかし、その時から母と子の闘いが始まった。母体は「切迫流産」の危険性と「羊水過多」による身体的な苦痛に見舞われた。一方、お腹の中の子どもはエコー検査で「臍帯ヘルニア」と「心臓疾患」の可能性の指摘を受けたのだった。2011年1月6日、野田家に待望の男児、真輝くんが誕生するも、すぐに臍帯ヘルニアの手術を受けることに。同時に「食道閉鎖症」の所見がみられ、食道に対する緊急手術も行われた。さらに、出産から2週間後の野田氏も子宮を摘出する手術を受け、2度と子供を産むことができなくなってしまう。
2011年5月中旬、真輝くんは心臓(極型ファロー四徴症)の手術を受ける。かなり危険が伴うものだったが、自らの生命力でこの困難を乗り越えた。その後、順調に回復しつつあった真輝くんだったが、10月17日の朝、突然の3分間の呼吸停止。幸いなことに、命に別状はなかったものの、右手、右足の麻痺、脳梗塞の所見などの試練が襲い、11月には医師から気管切開の提案を受けることとなる。真輝くんの可愛らしい声と引き換えに行われるこの手術を、夫婦は承諾した。二人で何日も悩み続けた末の苦渋の決断だった。
年が明け、2012年1月6日。真輝くんは1歳の誕生日を迎えた。生まれた瞬間から過酷な運命と闘いながら、懸命に生きる息子。隣で手を握り、見守り、励ますことしかできない親の苦悩。ある夫婦の覚悟と選択、親と子の闘いの1年の、ありのままの記録を通して、家族とは、親子の絆とは、そして、生きる力とは何かを問いかける。
野田氏は、40歳の時に自然妊娠が不可能な体であることが判明。14回の不妊治療を繰り返すも、残念ながら出産にまでは至らなかった。流産という悲しい出来事も経験。そして、彼女は“卵子提供”という道を選択する。2010年初春、卵子提供が法律で認められている米国・ネバダ州で、夫・文信氏の精子とアメリカ人の卵子による受精卵が野田氏の子宮に戻され、念願の妊娠をした。
しかし、その時から母と子の闘いが始まった。母体は「切迫流産」の危険性と「羊水過多」による身体的な苦痛に見舞われた。一方、お腹の中の子どもはエコー検査で「臍帯ヘルニア」と「心臓疾患」の可能性の指摘を受けたのだった。2011年1月6日、野田家に待望の男児、真輝くんが誕生するも、すぐに臍帯ヘルニアの手術を受けることに。同時に「食道閉鎖症」の所見がみられ、食道に対する緊急手術も行われた。さらに、出産から2週間後の野田氏も子宮を摘出する手術を受け、2度と子供を産むことができなくなってしまう。
2011年5月中旬、真輝くんは心臓(極型ファロー四徴症)の手術を受ける。かなり危険が伴うものだったが、自らの生命力でこの困難を乗り越えた。その後、順調に回復しつつあった真輝くんだったが、10月17日の朝、突然の3分間の呼吸停止。幸いなことに、命に別状はなかったものの、右手、右足の麻痺、脳梗塞の所見などの試練が襲い、11月には医師から気管切開の提案を受けることとなる。真輝くんの可愛らしい声と引き換えに行われるこの手術を、夫婦は承諾した。二人で何日も悩み続けた末の苦渋の決断だった。
年が明け、2012年1月6日。真輝くんは1歳の誕生日を迎えた。生まれた瞬間から過酷な運命と闘いながら、懸命に生きる息子。隣で手を握り、見守り、励ますことしかできない親の苦悩。ある夫婦の覚悟と選択、親と子の闘いの1年の、ありのままの記録を通して、家族とは、親子の絆とは、そして、生きる力とは何かを問いかける。
以上ネットより
野田聖子さんの母親の思いと
真輝君の生命力と無垢な笑顔などなど
2時間の番組にひきつけられて観ました。
卵子提供を受けてまで・・という反対意見や
複数の障がいを持っていることがわかっているのに
産むのは親のエゴなど
強烈な意見の数々をネットで読みました。
確かに生まれた瞬間から 過酷な治療が待ち受けている
真輝君の闘病生活は壮絶です。
でも、本当に可愛い笑顔を見せてくれます。
仕事をしながら、母親として愛情を注ぎ
時には切ない涙も流しながら 濃厚な育児をされている
野田聖子さんの子どもして生まれてこれた 真輝君は
しあわせでもあると感じました。
健康で生まれてきても 病気をしたり
障がいを負うことはあります。
身体が健康でも 心に苦しみを抱えて生きる子どももいます。
野田さんが 10年にわたる不妊治療の先に
養子縁組は今の法律では出来なかった現実と
卵子提供と言う道があったこと
その自然な流れの中で 生まれてきた真輝君は
やはり「授かりもの」だと感じます。
授かった大切な命が 生きていくために 治療が必要だから
親も子どもも頑張っている。
その姿をテレビ等で観た わたしを含めた大勢の人が
心の奥の愛情を刺激され 生きていく元気をもらえる
とても良いドキュメント番組だと わたしは感じました。
観てよかったです。
☆アップ予定の記事がたくさんあり
この記事は2月1日にアップの予定だったのですが
わたしと同じ病の変形性股関節症をコントロールしながら
前向きに生活されている ブログ友のnaokoさんの記事に
共感して アップを2月1日まで待てない気持ちになりました。
naokoさんの記事です↓
この記事をアップしたときに「こんな記事もあります」が
いくつも出てきました。
全部読ませて頂いて この方の記事にも共感しました。↓