仕事をするということ

 

 

昔の私は、いつ命がなくなるかわからないような体でした。
今現在、完治しているわけではないのですが、死と背中合わせじゃない。
だから、心はとてもとても平和です。


無理がたたって体調を崩すときもあるけれど、気づくスピードがマッハになりました。笑


死と背中合わせだった昔は、「私がこの世からいなくなっても、子供たちが生活に困らないように貯金しておきたい」、という思いで何度も倒れながら無茶な働き方を続けていまいした。


「仕事をする」・・・ということ。

当たり前のように、よいことだと信じ、まだ幼かった子どもたちにもそのように教えていました。
(現在、長男は20歳、次男は19歳)


当時の私は、仕事だけに限らず、一般的な常識や意見にとらわれて、子どもたちの心に寄り添うという一番大切なことを忘れてしまいがちでした。


そんな生き方を続けていた私に強烈な気づきをもらたしてくれたのは娘です。
長男と次男のときに気づくことができなかったので、3人目で大きなできごとが起きたんですね💦


娘が2歳のとき
極度の寂しさから1か月間も目をつぶったままに。
(明日から小学3年生になります) 


私は、娘が1カ月もの長い間、目を閉じたままの状態にになるまで、娘の寂しさに気づいてあげることができませんでした。

毎日の生活の中で、どれだけ子どもの心を見落とし、置き去りにしてきたか知れません。


私は、目の前にある大事な物に気づかなかったり、軽視していたり、日々の生活をただ漫然と送り、その瞬間を大切にすることを忘れがちだったわけです。


私のような経験をしてほしくない。
という思いで、今日は書かせていただいています。

 

 

純粋に近い愛情

 

 

小学校の6年間というのは、研究者の目から見ても、大きな変化が起きる興味深い時期です。

子どもは、いつかは独り立ち、自立をしないといけないですよね。
それは決して1人で生きるということではなく、他者と協力しながらも自立した個人として生きていくということです。

そのためには、自分の気持ちを相手に伝えたり、相手の気持ちを理解したり、感情をマネジメントしたりする力がまず必要です。

そういったいろいろな力を獲得していくのはもちろん幼児期から始まっていて、赤ちゃんのときのように感情のままに泣いたり怒ったりするのではなく、幼児なりに、我慢したり主張したりすることを覚えていきます。

さらに小学生になると、学校という集団のなかで、自分をおさえたり、逆に自分らしさを発揮したりといった場面が増えていくわけです。

「いい子」とは大人にとって「都合のいい子」のことです。
いい子だからかわいがるのではなく、かわいがるから本当のいい子になるのです。


この世でもっとも「純粋に近い愛情」は、親が子どもを思いやる気持ちだと思います。


加藤絢子