どう向き合っているのか
心理療法士として活動をしていると、自殺を考える子、あるいは実際に自殺未遂した子と出会います。
今回は、私が心理療法士として、自殺を考える子、あるいは実際に自殺未遂した子にどう向き合っているのかをお話しさせて頂きたいと思います。
まず、お伝えしたいのが…
「死にたい」は、決して本人の意思ではない、ということです。なので、安易な「死にたいんだね。その気持ち分かるよ」という共感は、かえって相談に来た子どもを傷つけかねません。
「死にたい」
この言葉は、まるで本人が「死」を望んでいるかのような、本人の意思による行為と思われがちですが、実際には様々な原因や背景が複雑にからんで心理的に追い込まれた結果の行動だと考えられます。
自殺によって、「終わらせること」、あるいは困難から「抜け出す」ことが、唯一の解決方法だと思い込んでしまう。
「死にたい」ではなく、「終わらせたい」、「抜け出したい」であり、自殺を考える一方で、「生きたい」という願望が同時に存在し、誰かに助けを求めているんですね。
2つの自己
上記のようなクライエントさんたちは、基本的に2つの自己を持っています。
1つは、
死ぬことで一気に今の苦痛から逃れたい、という不健康な心の自己
2つめは、
死を選ばずに苦痛を抱えながらもなんとか生きて行こうとする健康な心の自己
クライエントさんにとって、人生が苦痛であることに変わりはありませんが、健康な心の自己が現れているときには、「とてもしんどいけど、絵を描いているときは楽しい」、「ディズニーランドに行くまでは死ねない」など、多少前向きな言葉も聞けるものなんです。
しかし、健康な心の自己は一瞬にして、〝不健康な心の自己〟に塗り替えられることがあります。
・親に叱られた
・友だちとケンカした
・風邪を引いた
・テスト前
など、ほんの些細なきっかけで、一気に不健康な心の自己にとりつかれ、「死にたい」が頭の中を駆け巡るのです。
健康な心の自己が現れているときは、「生きたい」と思っているので、「死んではいけない」という言葉も届きます。
しかし、不健康な心の自己にとりつかれていたら「死んではいけない」なんて言葉は空疎に響くだけです。あまり効果はありません。
「死にたくなったら〇〇しろ」も、不健康な心の自己にコントロールを奪われているため、意識的に対応するのは難しくなります。
自殺実行のリスクを評価
自殺を考える子に対して、私が最優先に行うことは、自殺実行のリスクを評価すること。
自殺リスクの評価法の一つとして、「SAD PERSONS スケール」や「Modified PERSONS スケール」があります。どちらも精神科専門医でなくても行える方法として知られています。
これらをもとに「自殺のリスクが高い」と判断した場合は、学校のフローに応じて先生方にお伝えし、保護者にも報告することになります。
そして、「自殺のリスクが低い」と判断した場合は、自殺を考えている子の健康な心の自己に働きかける、ということをします。
「生きたい自分」と、「死にたい自分」の話をすると、多くの子どもは、「確かにそんな感じかも…」と納得してくれる印象があります。
もちろん、ピンとこない子もいますが、ピンとこない子には、「どこがしっくり来ていない感じする?」など問いかけて、その子のイメージを探り、ピンとくる言葉や例えを探していきます。
「死にたい」という気持ちをその子自身の意思ではなく、「死にたい自分に乗っ取られている状態」と理解すれば、「死にたい自分に乗っ取られたときには自分ではどうにもできないよね。家族の方や先生にも『死にたい自分がいる』ってことをお伝えしたら、死にたい自分に乗っ取られて行動してしまう〇〇さんのことを止めてもらえるし、生きたい自分が戻ってくるまで守ってもらえると思う。だから私は家族の方や先生に『死にたい気持ちがある』ってことを伝えておきたいけどどう?」と、保護者や先生方に自殺念慮があることを伝える抵抗も薄れるようにという思いでお話しをしています。
死にたい自分にとりつかれたら自分の力で追い払うのが難しいのは、本人が一番よく知っているし、それを止めるには他人の目が必要なのも分かってくれます。
もちろん、「死にたい」が生まれた原因にもよります。
家族や先生由来の「死にたい」だとしたら、伝える先や伝え方はもっともっと慎重に考えないとかえって「死にたい」を強めてしまうリスクがあります。
本人の心と身体を守るために情報を共有する…というのは支援者の鉄則。
言ってあげられる言葉
スクールカウンセラーをはじめ、周囲の人が自殺を考える子に言えることは、「死んではいけない」ではなく、「死んでほしくない」という言葉だけだと思います。
自殺まで考えるほどに追い詰められている子は、多くの場合、自分の心や身体に対する自分の権利が奪われている状態だと思います。
「家族からの暴言や暴力を受けてきた」
「友人関係で常に場の空気を読んでいる」
「いじめによる被害を受けてきた」
…背景は様々ですが、自分の人生を自由には生きられない経験を重ねてきたはずです。
そのような子に「死んではいけない」と、さらにその子を縛りつけるような言葉をかけても、それは苦痛にしかならないように思うのです。
また、「なぜ死んではいけないのか」と言い返されて、正しく答えられる人もいないように思います。
だとすれば、私たちにできることは「私はあなたに死んでほしくない」と自分の気持ちを伝えることだけなのではないでしょうか。
健康な心の自己の「生きたい」を信じて、万が一のときに、私の「死んでほしくない」をもしかしたら思い出してくれるかもしれないと願いを込めて。
愛原心理療法研究所
加藤絢子