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こんばんは~。
今日は、自分探しのための本~春日武彦先生の『本当は不気味で怖ろしい自分探し』を読んでいます。
この本は、タイトルからも感じられるように、おどろおどろしい心の動きの描写を含めて自分探しに駆り立てられずにはいられなくなるような内容の本です。
ショートストーリーがたくさん載っていて、著者の体験談を含めたエッセイと小説(フィクション)で構成されています。
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私がこの本を読んでいるのは、読みながら自分の心がどの部分でどう動くかを知りたいためです。
ちゃんとしたカウンセラーになるためには、自分の心の中にあるものを徹底的に見付けて、受け入れて、解放していく、あるいは上手く折り合いをつける必要があります。
例えば、カウンセラーが心に大きな問題をかかえたままだと、クライエントさんの話に感情的に引っ張られたり、自分にとって都合のいい評価・判断をしてしまったり、問題の核心から逃げるように誘導してしまったりというように、クライエントさんに寄り添ったいいカウンセリンができないばかりかクライエントさんを傷つけてしまう恐れがあります。
だから、私にとって、自分探しの作業はいくらやってもやりすぎることはありません。
ちょっと大げさかもしれませんが、どんな感情が出てきても、真っ直ぐ受け入れる覚悟でやっています。
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さて、この本で心が動かされた場面はいくつかあるのですが、その中から一つ引用します。
小説の部分からです。
主人公の女性が小学生だった頃、同級生のガリ勉タイプの芳江という女の子が、国語の時間に教科書の音読を指名された場面です。
『まことに退屈な内容で、太郎君と花子さんがハイキングに行ったら牧場があって、馬が何頭もいて感激したといった話なのであった。
その文章の中に、花子さんは馬の親子がいることに気付き、お馬の親子は仲よしこよし・・・・・・と歌い出しましたという記述があった。
そしてその箇所を読むときに芳江は、歌詞の部分を、ちゃんとメロディーをつけて歌ってみせたのである。』
(『本当は不気味で怖ろしい自分探し』春日武彦先生著(草思社/2007/P239-240)より引用)
予想外なことに、歌ってしまった芳江さん。
小学生の頃の私なら、間違いなく「なんて余計なことをしてくれたんだ!」と思ったことでしょう。
芳江さんが歌ったことを先生に褒められでもしたら、次に自分が指名されたときにも歌わなければならなくなってしまう。
確かに授業中に皆の前で平気な顔をして歌ってみせた芳江さんはすごいと思うが、それを認めるわけにはいかない。
なぜなら自分は皆の前で歌ってみせる度胸を持ち合わせていないから。
だから、次に指名されることを恐れながら、指名されないように祈りながら、ただ自信のなさや情けなさ、そして、自責の念から逃れるために、自分の中に渦巻く感情を芳江さんへの怒りへと転嫁することしかできない。
「なんて余計なことをしてくれたんだ!」
その思いが他の同級生と共感してしまうことにでもなったとしたら、怒りはやがて他の同級生と一緒に芳江さんのことをバカにするという行為にまで広がるかもしれない。
そんな上辺だけを取り繕うようなことをしながらも、自尊心はずたずたに傷つけられている。
いや、自分自身で傷つけている。
「堂々と歌ってみせた芳江さんとは違って、何て自分はちっぽけな存在なんだ」
小学生の頃の自分には、それを受け入れる器はなかったと思います。
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今なら、どう行動するだろうか?
芳江さんが話し終わったタイミングで、拍手をするかもしれません。
「すごいなぁ」という思いと、「参りました」という思いが合わさった、どこか爽快感にも似た感覚を覚えるかもしれません。
そして、自分が指名された場合は、「芳江さんほど上手に歌えないし、何だか照れくさいので、私はそのまま読み上げます」と言って歌わずに済まします。
それがありのままの私であり、何の問題も発生しないと思います。
まぁ、場の雰囲気によっては、多少の緊張はするとは思いますが。
今日の記事を読んで、あなたの心はどのように動いたでしょうか?
今日も、ありがとうございます!
皆さまが、笑顔いっぱいでありますように!
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