こんばんは~。
今日は、吉田脩二先生の本、『人はなぜ心を病むか』の続きを読んでいます。
その本の中から、エリート志向の強い父親のいる家庭で起こりがちな事例を採り上げながら書いていきます。
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エリート志向の強い人の中には、”いい学校を卒業して、いい仕事に就く”ということを絶対視するような価値観を持ち、そこから外れている人のことを見下している方もおられると思います。
そういった方を親に持つ子どもは、親の期待に応えることができている間はいいのですが、期待に応えることができなくなった場合に、辛い目にあうことが多いのではないかと思います。
本より事例を引用します。
『自分の期待にこたえている間は、「いい子だ、いい子だ」といっておいて、その期待にこたえられなくなると、「もう知らん」と放り出してしまう。
「勝手にしたらいいわ」と切り捨ててしまう。
その結果、この子は家族の中でハグレ鳥になってしまった。』
(『人はなぜ心を病むか』吉田脩二先生 著より引用)
これはかわいそうですね。
大きな期待をかけて散々持ち上げておいて、子どもが期待に応えられなくなると切り捨てる。
この父親は、自分の価値観に強い執着を持っているようですが、子どもへの”無条件の愛情”は、どのくらい持っているのでしょうか。
疑問ですね。
もしかしたら、この父親も、自分の親に同じような育てられ方をしてきたのかもしれません。
いずれにしても、私には本当に大切なことを見失っているように思えます。
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そして、父親によってエリート志向を植えつけられた子どもは、父親に切捨てられた後も、その縛りに影響され続けることになるようです。
それについて書かれているところを引用します。
『一方、学校ではどうだったかというと学校でもこの子はハグレ鳥だったのです。
こういう家庭で育てられると、妙なもので、父に対して、「なんや、あんな生き方!」と反発しているくせに、小さいころからどうしようもなく身についてしまったプライドみたいなものがある。
たとえば、よそからの貰いものがたくさんあるとか、道を歩いても近所の人が深ぶかと頭を下げてくれるとか、そうした”いい家”の妙なプライドが邪魔して、どうしても仲間のなかにうまくとけこめない。
その結果、学校でもしじゅう違和感に悩むようになってしまった。』
(『人はなぜ心を病むか』吉田脩二先生 著より引用)
この事例では、子どもは、家庭でも学校でもハグレ鳥になってしまいました。
自分のことを受け入れてくれる場所を失った子どもは、それ以外のところに自分の居場所を求めます。
そのときに見つけた居場所によって、それ以降の生き方が大きく変わってくるのではないでしょうか。
場合によっては非行に走るきっかけにもなってしまうと思います。
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それでは、この事例の父親はどのように子どもと関わっていけばよかったのでしょうか?
『希望どおりの高校へ行けなかったときも、お父さんがもし、「それでいいやないか、それなりでいいよ」とサポートしてくれていたら、この子は家族からハグレなくてよかった。
「べつに勉強なんかそんなにできなくても、人としていい子はいっぱいいるだろう。たまには、家にお友達を連れておいで」
そういうふうに、ゆったりと受けとめてくれていれば、学校からだってこの子はハグレずにすんだと思うのです。』
(『人はなぜ心を病むか』吉田脩二先生 著より引用)
確かに親としては、たとえエリート志向が強くなくても、「子どもの将来のためにも、いい学校に入って欲しい」という気持ちが湧いてくるのは自然なことかもしれません。
その場合でも、一方的に価値観を押し付けたりせずに、子どもの気持ちもしっかり聴いてあげると同時に、たとえ子どもが期待に応えてくれなくても切り捨てたりせずに、変わらぬ愛情でゆったり受けとめてあげて欲しいと思います。
どの子どもも、ありのままで光る部分、必ず持っていますよね。
今日も、ありがとうございます!
皆さまの明日が、喜びに満ちた一日となりますように!
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