先週は夏休みということもあって、先生友達からの相談が連日ありました。
友達は話を進めるごとにどんな先生になりたいのか、何が自分の妨げになっているのか、本当の気持ちはどうだったのか。。。
だんだんと過去の経験や本心が溢れてきて涙を流す場面も。
足取り軽く
「やれる気がしてきた」
と帰っていく友達の後ろ姿を見ながら、私も晴れやかな気持ちで帰路につきました。
よかったよー
大変な時に頼ってくれることを嬉しく思いながらも、帰ったら何故かクタクタな私
心理職に転職してから友達であってもいつの間にか相談される時に以前とは違うモードになっていることに気付く
1件1件全く違う悩みにはそれぞれの傷つきがあって、物事の捉え方があって。だから、真剣に聴くことや焦点化しながら訊くことは意外に神経を使っていたのだろうなと。
以前なら聞くことがもそこそこに、勝手なアドバイスをして終わっていたように記憶しています
仕事では立場や求められることがある程度決まっていて分かりやすいけれど、友達だと関係性が違ってきます。
その辺りのバランスを勝手に考え過ぎる私は連日クタクタになったのでしょうね
我ながらマジメです
さて、今回連日の相談で気付いたこと。
ある大学の先生が
40歳からは心理学を学ぶといい
とおっしゃってた意味が1つここに見えました。
自己内省こそカウンセリングにできること。
人生の正午と言われる40歳を境に、求められることが変わってきます。
○昇進や任される仕事が質も量も変わってくる
○自分の今後のキャリアを考える時期
○育児や介護、パートナーシップなど自分のこと+αが求められる
これらは人それぞれ違うけれど、岐路が否応なくあちこちに点在している感覚
そこで共通して求められると思うのが、
自己理解
それは、出来事をどう受け止め、どう選択し、行動するかは自分次第だからです。
私が退職したのはちょうど40歳
「育休が明けてここからがパラダイスだー」
と思った数年後のことでした。
でも、
起きる出来事は必要かつ必然
今はそう思います