時間が経ちすぎて炭酸が抜けた炭酸水のようになってしまいましたが、
あまりにいろんな出来事がありすぎて何から書いていいものやら...
その前に、
長い間お休みしたのに、毎日ペタを頂いて恐縮しています。
ありがとうございました。
フィリッポが日本に来て、
私が彼につけたニックネームが「弾丸ボーイ」。
「何もしてくれなくていいよって言ったのは嘘かい?」と思わず言葉にしたほどの弾丸ぶり。
彼と共に弾丸生活をこなし、
彼の二倍以上生きている私の体力は彼の半分程度、
疲れという言葉では終わらせられないくらいに疲れました。
ここまで頑張る予定はなかったのですが、
体調を崩してもひとつでも多くのことを体験させ、見せ、食べさせてイタリアに帰国させよう!
と決めたのがある夜。
ある夜、何が起こったかというと「フィリッポ号泣事件」。
何の話から号泣に繋がったのかは記憶にありませんが、
彼の胸の中に詰まっていたものを全て吐き出した夜でした。
私、
年を重ねるごとに人のことを「どうのこうの」言えなくなってきています。
言えなくなってきたのは、
私がいい人になったからではなく、
「どうのこうの」言っていた時には人を知らないから言えたのだと思う。
人を深く知れば知るほど、人に関しては無口になってきました。
みーんな、何かを抱えながら生きている、
だから批判も感想文も、、苦手です。
「君は恵まれている」からとか、「親ってありがたいわね」とか、こういうセンスのない会話ができない。
仮に恵まれていても、仮に親ってありがたいものであっても、
子供たちが求めていることがほんとにシンプルなものである、ということを知ったのも最近です。
彼が弾丸ボーイになったのも、
シェフを目指すようになったのも、
全て答えが出た日本滞在でした。
その人がそうなったというのには必ず理由があると思いますが、
フィリッポ、そうだったのか...
考えさせられることが多くて、
フィリッポのことはよく知ってると自負していましたが、
スタートラインに戻して彼を知ろうとも思いました。
二週間ちょっと前に、
彼は最初の予定とは全く違うレストランで働くことになり、
旅立っていきました。
彼が求めてもそこにはなかったものを自力で得るための第一歩の旅立ちだと思います。
彼、得られなかったことは過去の出来事、
得られるように未来を見つめている、
とてもイタリア人らしい。
ぼちぼちとフィリッポ日本滞在記を書くつもりではいるのですが、
あまり自信はありません。
感慨深いことって、
消化吸収に時間がかかり、
すぐには言葉にできないです。
私の周辺は「旅立ちの秋」ブーム。
我が家にも旅立ちの秋を迎える人間がいて、
準備やらなんやらで、、
気忙しい毎日を送っています。
(イタリアの旅立ち...には時間があまり与えられない)
またブログの更新が滞ると思いますがご了承ください。