人は叱られることによってエゴを切り離す | EQWELチャイルドアカデミー京都六地蔵/京都伏見教室

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京都市伏見区、宇治市六地蔵で「心の子育て」を掲げて幼児教室を開いて25年目になります。以前の記事から人間学をテーマにしたものを抜粋して投稿いたします。皆様の人生や子育てのお役に立てば幸いです。本田望結ちゃん・紗来ちゃんは当教室の卒業生です。

先日、小学生のクラスで激しく叱りました。普段は、ほとんど叱らないので生徒の目は涙で潤んでいました。実は、以前叱った時に、授業を受けるときの内的な姿勢(心構え)についていくつか約束をしていました。一度注意して、本人との間で「今後は改める」と約束をした後は、こちらも本人の自主性を尊重して彼らを見守ることにしています。約束を守れず姿勢が崩れてきても、私は忍耐し、ただただ彼らを抱きかかえ、自分のやるべきことを手を抜かずにやります。ある期間、彼らが責任を果たしてくれることをひたすら待ち、誠を尽くします。彼らには彼らの責任があって、こちらは干渉できないのです。

 

私自身完全でなく、ある意味エゴの塊ですから、私自身に、限界を超えてひたすら誠を尽くした土台がなければ、彼らの魂に響きません。私の中で十分忍耐し、誠を尽くした基準が満ちた時、初めて容赦なく、命がけで叱ります。時には相手の魂が吹っ飛ぶくらい叱ることもあります。その後、長い説教が始まります。ですから彼らの心にかなり響きます。

 

ほとんどの子が涙を流し、自分の心の中からエゴを切り落とすことができます。そして、その時にしか語れないことをひたすら語ります。

 

それは…

「あなた方は、たくさん叱られなければなりません。叱られることによって、自分のエゴに気付き、切り落とすことが出来るのです。エゴがある分、その分だけ叱られてみて、魂を磨いていくのです。そして忘れてはならないことは、あなたには叱られるだけの器がある、ということです。」

 

時に叱られることによって、人の器は広がっていきます。相手の無限の可能性と、心の深いところにある「良心」の絶対性(絶対善)を信じてあげられるからこそ、命がけで叱れるのだと思います。エゴによって拘束されている「良心」を解放してあげなければなりません。

(岡本康裕)