GW、青森に行ってきました。
お隣の県ということもあり、いつもは弾丸日帰りで目的地(だいたいホタテ)を目指して往復するのですが、今回は一泊してじっくり楽しむことができました。
同じ東北とはいえ岩手とはまた雰囲気が異なる青森県、今回はその中で三内丸山遺跡が印象に残りました。
 
ボランティアガイドさんによる約1時間のツアーに参加しました。
三内丸山遺跡は縄文時代前期から中期、今から約5900~4200年前の集落跡(パンフレットより)で、これほど大規模なものは珍しいとのことでした。
 
まずは縄文時代の長さに驚きました。
学校で教わったときは、歴史で最初に教わる土器とか埴輪とかがある時代、コメ作りが始まる弥生時代の前という程度の知識しかありませんでした。
 
旧石器時代の後の気候が温暖であった時代、繁栄と衰退はいくらか繰り返していたであろうけれども同じ場所で同じような生活が1700年余り続いていたそうです。暮らしを変える必要がなかった、ということなのでしょうか。
 
栗の木の有用さ(食材としても木材としても)を理解して栽培していたこと、35cmの倍数を物差しのようにして使いこなしていたことなど、知的な一面も意外でした。

先祖を大切にし、生活の身近な場所にお墓があり、モノにはすべて神が宿るとし、壊れたものに対してもヒスイなど当時の貴重なものを一緒に埋めるなどして大切に扱っていたと考えられているそうです。
 
 


この遺跡のシンボルのような建物。

地質の調査から、どんな太さの何の木がどのような間隔で、傾きで立っていたかまではわかるけれども、上のことはわからないので予測して復元しているのだそうです。
地中にあるものからたくさんのことがわかるようになってきたのに、地上になるとさっぱりわからない、というのが私には面白かったです。

巨大な木材を運んだり組み立てたりした方法についても、この建物がなんのために使われていたかもまだわからないものの、悪いことをする人を見張るようなものではなかったと考えられているようです。

 
 

 
訪れた人が竪穴式住居に出入りしたり、あたりを散策するさまが、そこに人が暮らしていた様子と重なりそうに感じられました。
 
先祖やモノに感謝をし、協力しあって生活していた彼らの穏やかな暮らしのDNAは、わたしたちの中にも流れているはずです。

縄文時代の人々のことをもう少し知ってみたくなる旅でした。