肩の力を抜こう | こころの休憩室

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こころが疲れたら、ちょっと休憩していきませんか?
【うつ病を自力で克服した】ココロとカラダの整体師 渕脇 毅のブログ 

私たちは子供のころから、頑張ることは美徳であると教えられてきました。
頑張って、自分が持っていない能力を身に付けて行くことで、欲しいものが得られる。

 

受験戦争と揶揄されるような受験を何度もくぐり抜け、よりランクの高い学校に入るために必死に努力する。
社会人になっても、より出世するために、仕事以外にも自己啓発のために資格を取り、努力をする。

それが当たり前であって、そうやって努力をしなければ、幸せになれない。

 

そんな価値観をいつの間にやら植え付けられてしまっているように感じます。

でも、そんな生き方って疲れますよね。

 

必死で頑張って120%で走っていれば、いつか息切れしてしまってもおかしくありません。
日本人にうつ病が多いのは、そういう教育を受けてきたからじゃないかなあ、なんて思います。

 

小林正観という作家がいます。
私、この方大好きなんですね。

先日も、この方の著書「もう一つの幸せ論」というのを読みました。
その中には、肩の力がスッと抜ける、沢山の素敵な言葉がちりばめられていました。

 

 

人間の価値は・・・、
「そこにいるだけで喜ばれる存在になる」こと。
「そこの座っていてくれるだけでまわりの人がやすらいだり、静かな気持ちになったり、穏やかな気持ちになったり、温かい気持ちになったりする、そういう存在になる」こと。

 

幸せというものは・・・、

「今、足りないものを探して、手に入れること」ではなくて、「自分がすでにいただいているものに感謝し、自分が恵まれていることに気がつき、嬉しい、楽しい、幸せ・・、と生きていること」

 

「よき仲間」とは、
「あなたは、あなたのままでいい」
と言ってくれる人々

 

アインシュタインは、「人生の価値」について、次のように述べています
「人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」
「他人のために尽くす人生こそ、価値ある人生だ」

 

アーナンダの問いかけに、お釈迦様は答えました。
「アーナンダよ・・、よき仲間を得ることは、聖なる道の半ばではない。聖なる道のすべてである。よき仲間を得るということは、闇の中で迷ったときに、手を引いてくれる友人がいる。闇を照らしてくれる灯火になる。それをよき仲間という」

 

「同じ方向を向いて、同じ価値観で生きている仲間」「同じ話題を、同じように笑顔で話せる仲間」「お互いにありがというと言い合える仲間」を見つけることに、「幸せの本質」があります。

 

人生は、
努力するものでも、頑張るものでも、
地位や名誉を手に入れるものでもなく、
「楽しむもの」である

まだまだ、いっぱいあったのですが、この辺でやめておきます。

 

子どものときは、確かにできないことが沢山あって、社会で生きていけるようになるために、できないことをできるようにならなければいけない。そこで、これができない、あれができない、と、できないことに意識が行くようになっています。

 

でも、そういうことは自然と身についていくことであって、意識しなくてもいいのかもしれません。

 

むしろ、すでにあるものにありがたいと感謝して、それを必要としている周囲の人たちに役立ててもらうことを習慣とするほうが良いのかもしれません。

 

今の自分を役立ててもらう。
それで喜んでもらう。
喜んでくれる人を仲間とし、よき仲間に助けられ囲まれて生きる。
それが幸せというものなのだと。

 

なるほど。
肩の力が抜けました。

 

 

足りないものを追い求めると、どこまで行っても満足できません。
すでに持っているものを役立ててもらおうとすること。
それで喜んでもらおうとすること。
そういう気持ちが大切なんだなあ、と。

 

私も、もっと肩の力を抜いて、喜ばれる存在になろうと思います。