前回の記事を自分で読み返してみて、
分かりずら~い![]()
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と思ったので、リベンジで書いてみます。
昔、人は何故、産まれてくるのか?
を考えたことがありました。
その理由は分かりませんでした。
でも、わたしは、何年か前、
人が産まれてくるのは、
「幸せになるため
」だと気づいてから、その考えは今も変わっていません。
なるため・・と言うのは、正確ではないな~と思うのですが、
ややこしくなるので、ここでは、これでお願いします。
1ヶ月ぐらい前に、人の使命は
「楽しむこと」と話してくれた方がいます![]()
ちょっと前には、人の究極の使命は
「幸せであること」と教えてくれた方がいます![]()
わたしの気づきは、正しかったんだと思えて、嬉しかったです![]()
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わたしは、本気で、自分の幸せなしでは周りの人の幸せはないと思っています。
前回の記事の中で、
「自分も生かせて、人も生かせる方法」を考えることが、自分の意識を上昇させる一つの手段
と書きましたが、
*これは、以前、人から教わったことです。
少し前まで、美徳とされていた
「自分よりも、人のことを思っての行動」というのは、
これからの時代、本当の意味での智慧のある行いではない気がします。
だって、
わたしは、あなた。
あなたは、わたし。
が、ハッキリとしてくる時代ですもんね。
愛の量が100あるとして
「自分を50で愛している人」は、人のことも、その50以内で愛し、
「自分を100で愛している人」は、人のことも100以内で愛するんだと思います。
自分のこと以上に他人のことは、きっと愛せないんだと思います。
「悟り」とは、
自己の意識を上昇させること
今まで、見ていた景色をもっと高いところから見ること
本来の自分と繋がることだとすれば、
「自分も人も生かせる方法」が、「悟りに近づける方法」だと思ったのです。
よって、
仏教語である「方便」を、わたし流に解釈すると
「自分も人も生かせる方法」となったのです。
ふ~
少しは、分かりやすくなりましたでしょうか![]()
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