「導きのままに⑤」のつづきです。
神様無視みたいなところから、左半身麻痺で弁財天様の存在を認めざるおえなくなって、
今度は、神様真っ向否定に入っていくのですが、この頃のことをあまり覚えてないので、
(「神様なんて絶対に信じない」と本気で怒っていたのですが、その時の感情が今はもう
蘇ってこないんです。)
スッポリ飛ばして次に進みます。
そんなこんなで、色々ありながら、月日が経ち2008年の10月のこと。
その当時担当していたある番組を自ら降りる決意をし、その意思を番組ディレクターに告げてから、また、新たな展開が始まりました。
(話し合いで、2008年一杯でその番組を降りることとなりました。)
その意思を告げてから、3日後と記憶していますが、朝、洗面台で歯磨きをしている時、
ふと、
「奇跡が起きる」
と直感が働きました。もちろん何のことかは分かりませんでしたが、
「でも、自分が動かないと起きないんだよな~」と寝ぼけながら思ったのを覚えています。
そして、2008年の暮れ、時々お参りに行くお寺(弁財天様の存在を教えてくださったご住職のお寺とは、また別のところです。)に大晦日も近づいているので、仏様にご挨拶…と思って
伺ったのですが、そこで、ギョッとすることを言われたのです。
そのお寺、今ではパワースポットのように大勢の人が集まるところになっているんですが、
なぜかというと、そこのご住職、仏様(お不動様)と交信?できるそうなんです。
(なぜか、そういう人と良く出会います。)
いつも、相談者の相手で忙しいご住職、なぜか、その日は、お願いをしたわけでもないのに、「来年のあなたのことを仏様に聞いてあげる」と言うのです。
「へっ」と思ったのですが、この日は、相談の予約を取らずに、日頃のご愛顧への感謝デーとして、お参りに来た方に仏様のメッセージを届けていたんです。
番組を降りて、仕事のことも不安だったのでラッキーと思いお願いしたところ、
なんと・・・
わたしの周りにいる誰かが自殺をすると言うのです。
思いつくままに、周りにいる人の名前を言うように言われたので、言われた通り言っていくと、ある人のところで「その人」と言われました。
流石に焦りました。
なぜかと言うと、その人は、心の病気を抱えていて、ちょっと前にうつ病と診断されていたからです。しかも、そのころ「死ね」ことばかりを考えていたのをわたしも知っていたのです。
そして、ご住職にどうすればいいのか伺ったところ、わたしに、あることをするように言いました。でも、どう考えても、わたしが、それをする必要性が全く感じられなかったのです。仏様が言っているからと何度も言われ、また、それ以外、助かる方法はないと言われましたが、全くピンとこなかったのです。それと同時にわたしの中には、別のことが思い浮かんでいました。
ここからの思考回路は、ハッキリ説明できないのですが、一言でいうなら、多少の根拠があるうえでの「直感」みたいなものです。
この少し前に、知り合いの知り合いから「レイキ」というエネルギーワークの話を聞いていたんですが、この時に、取り合えず、それを受ければいいんだと思ったのです。
すみません。いきなり、なぜそこ
って思いますよね。でも、そう思ったんです。
あえて言葉にするなら、レイキっていうものが、自己ヒーリングができるものと聞いていたので、まずは、自分が試してみようって思ったのかな~。ちょっと、その辺りの記憶は曖昧ですが。
で、知り合いの知り合いから教えてもらった先生は、埼玉県の方。
遠いと思いましたが、自分の心に従って、埼玉までわたし行きました。
その時の話もぶっ飛ぶことが多く、この時の経験が、その後、
『自分の心と向き合う作業』に、わたしを向かわせることになるのです。
お不動様が、「ぶれない心=不動心」に、わたしを向かわせて下さったのです。きっと。
本当に、ありがとうございます。
(この時の話は、また、別の時に綴りますね。皆さんに、もっと、直接的に参考になることが
あるかもしれません。)
埼玉から帰っての話。。。
仏様のメッセージをキッカケに、自分がしたことの報告をしようと、さきほどのご住職のお寺を訪ねました。
そのお寺、その頃から、いつ行っても参拝者や相談者が一杯いるところだったのに、
その日はお堂に誰もいないのです。不思議に思ってちょっと待ってみたのですが、
ご住職は現れません。
わたしは、自分の行動に対し、「これで、いいですか?」と仏様に聞いてもらおうと
思っていたのに、肝心のご住職がいないのでは意味がありません。
「もしかして、自分で聞きなさい」ってこと
と思い、仏様の前に座り、線香を焚き、手を合わせて、
心の中で「これで、良かったですか?」と聞きました。
そ・し・た・ら・・・・・・・・・・
なんと・・・・・・・・
わたしの身体が後ろに傾き出したのです。
目を閉じていたので、実際、人がわたしを見ていたらどうなっていたかは分かりません。
全く、動いてなかったことも考えられます。
が、わたしの感覚では、完璧に正座の状態のまま、後ろに傾いて行くんです。
「え?」「ええ~~~」「倒れる~~~~~~」って感じでした。
で、「倒れる~」って思った瞬間、パタっと、もとの状態に返ったのです。
『何か全然分からんけど、「それで良し」って言ってくれたんかな~』
と思い、そのままお寺を出ました。
そして、まだ、続きがあるんですが、
そのまま、弱冠ぼ~っと放心状態のまま、車で家に帰っていましたが、
帰り道に弁財天様のことを教えてくれたお寺があり、本当に全くそこに立ち寄る気などなかったのに、なぜか、急ハンドルを切って、そのお寺に続く脇道に入って行ったんです。
なぜ??
と思いながらも、その道に続く先にはそのお寺があることが分かっていたので、
「訳分からん~」と思いながらも、そのお寺に行き、お祀りされている龍神様にお参りをしました。
その龍神様は、外にお祀りされているので、外でしゃがんで、目を閉じて手を合わせていると、何と、さっきと全く同じことが起きてしまったのです。
「え~~」「うそ~~~~」「倒れる~~~~~~」と
思った瞬間、また、元に戻りましたが、
さっきと違うのは、その時、ヒールの高いブーツを履いていたんですが、戻った瞬間、
爪先が地面に付く「カツン」みたいな音がして、それとほぼ同時に
「はい、歌やります。」
と心の中で言っていたのです
本当に、本当に、本当に、何のことやら分かりませんでした。
でも、龍神様と約束してしまったので、歌習ってるんですよ。
音大を出たかわいい先生に
習ってる意味は、また、分かる時に分かると思います。
その日一日の出来事は、今までにない経験だったので、その時のことを当時のスケジュール帳に書いてあります。記憶では、2月2日。でも、念のためと思い、今、確認してみたところ、
その日は、
2009年 2月2日(月)。記憶はあっていました。
2月2日。。。。
最近、「2」のぞろ目を頻繁に見ると思ったら、ここに繋がってるのかな???
つづく・・・
そうそう、ついでに書かせて下さいね。
わたしは、この後自分に起こっていることからも言えることは、
占いとか、神様のお告げとか、今、本当に流行っていますが、
人から伝えられたことは、必ず、その方のフィルターを
通っていることを忘れてはいけないと思います。
聞く耳は持てば良いと思いますが、そこから何を感じたかが重要です。
前にブログ記事に、一旦、鵜呑みにしたあと素直な自分に聞く…みたいなことを
書いたと思うのですが、言葉通りにとってアタフタしたり、高をくくったり、
憤慨したりではなく、そこに自分の感性を入れていかなければ、せっかくの
メッセージも用を成しません。
人と人の伝言ゲームと同じで、話は、少しずつ変わって伝わってくるもんだと
思います。
やはり、自分の『感性・感覚』が、これから特に重要になってくると思います。
これは、自分にももちろん言えることですし、わたしも気をつけようと思っています。
すみません。偉そうなことを言いました。。。