『出る杭は打たれる』
わたし、マイクを持つ仕事をしていてなんですが、人と足並みを揃えておかないと
痛い目に合いそうで、痛い目に合ってまでも目立つことはしたくないタイプでした
人と違うことをするとハンマーでガツンと打たれるっていう恐怖は、
学生時代からありましたね~。
それに、恐怖は恐怖を呼ぶので、ちょっとしたことで良くガツンガツンと
頭にというより、【ココロ】にきてました。
スピリチュアル系の方たちによれば、『出る杭は打たれる』という恐怖が拭えない人は、
過去生で魔女狩りにあうなど、自分を素直に表現したがために痛い目に合った悲しい体験を
しているケースが多いそうです
わたしは、前世がホントにあったかどうか最近、特に懐疑的なんですが、
それでも、何らかの理由で産まれてくるときに過去の体験として過去生というものが記憶されて
いるような気もします。(さあ、どうかな)
わたしも今まで、色んな前世を色んな方から聞かされていますが、
今は、ホントにどっちでもいいし、何でもいいやって思ってます。
そういうの聞きすぎると、惑わされてしまいますからね いや、ホントに!
意識は常に『今』にある。過去や未来にフラフラさまよっては大切なことを
見逃してしまいます
話がずれちゃいましたが 。。。
『出る杭は打たれる』って良く考えると変ですよね。
なぜかって
だって、わたしは、『杭』ではない
仮に、周りの人たちがいつもハンマーを持って監視しているような人たち
だったとしても・・・
わたしは、『杭』ではない
恐れるってことは、自分は『杭』だと言っているようなものだ~
打たれてもいい『杭』だと言っているようなものだ~
だから、周りのみんなも「打っていいんだ、ヨシ、ハンマー用意~」となっているんだ~
結局、自分がそういう現状を作ってしまっていたんですね
そっか、だったら わたしは、妖精さんたちと仲良しのお花のような存在になろう …とか、
暑い日に木陰を作る大きな木のような人になろう …とか、
そんなふうに、
自分はどうありたいのか
自由に自分で決めたらいいんだ~
だって、以前は『杭』になれていたわたしだもの、何にだってなれるはず って
今は、思っています。
自分で感じるんです、どうありたいか。自分の人生だもん
そして、気持ちよく自分を表現していくんです。気持ち良~く