高島易斷 離為火 初九の易占 | 心の経営コンサルタント(中小企業診断士) 日本の心(古典)研究者 白倉信司

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初九

初九。履錯然。敬之无咎。

○初九。履(ふ)むこと錯然(さくぜん)たり。之(これ)を敬(けい)すれば咎(とが)なし。

前世の初め、夜が明けようとしている時。まだ道路は暗く辺りの様子は判然としない。このような時は進むことを控えて待った方がよい。進もうとする気持ちを抑えて、六二を敬(うやま)い慎んで仕えれば、咎められるような過失は犯さない。

象曰、履錯之敬、以辟咎也。

○履(ふ)むこと錯(まじ)わるの敬は、以て咎(とが)を辟(さ)くるなり。

進もうとする気持ちを抑え、六二を敬い慎んで仕える。

咎められるような過失は犯さないのである。

(占)大体、事を起こそうとして、人に接するに場合は、その始めを慎み、その終りを全うするように計画すべきである。親しい間だとしても、失礼のないようにしなければならない。

○志が一定しないので、何をやっても長続きしないという意味がある。

(占例)ある友人がやって来て、氣運を占ってほしいと請うたので、占筮したところ、離の初爻を得たのである。

易斷は次のような判断であった。

離は火である。火の性質は、炎が上に上に登って、暗闇を照らし、寒い時には、空気を暖めて、色々な物を焼いて、生臭い物を食べられるようにするのである。

その卦の形は、一つの陰爻が二つの陽爻の間に付着している。陽は強く陰は柔らかい。一つの柔らかい物が二つの強い物に付着するときは、強い物両方に付かないわけにはいかない。その象(かたち)は牝牛(ひんぎゅう・めすうし)のように柔和で人に順う性質を有する人である。

以上を人間の身体に置き換えれば、火は人の心の中にある魂のようなものである。魂があるからこそ、人間には感覚があり、明らかなる智慧がある。すなわち、離の人間は、頭が良くて文学の才能に秀でた人である。

けれども、火は物に付着するという性質があるから、独立している人ではない。善良な友人を選んで、共に力を合わせて事業を計画すべきである。

そして、温和な心で友人に接すれば、事業を成就することができるであろう。それができない場合は、怒りが炎のように燃え上がって、それが人災を招いて宝石のように大切な物を焼き尽くしてしまうであろう。だから、いつも安静な心を保って、怒りが炎のように燃え上がらないようにすべきである。

それゆえ、卦辞・彖辞で「牝牛(ひんぎゅう)を畜(やしな)えば吉。牝牛(めうし)のように柔順の至りを尽くせば、幸を得る」と戒めている。

牝牛(ひんぎゅう・めすうま)の角(つの)は、人を傷つけない。今は初爻を得たのであるから、これから事業を始める兆しがある時である。その始めにおいて、行なうべき事を慎んで行なうべきである。人を敬い、あらゆる事を敬い、丁寧に事を行なえば、成功するであろう。

以上のことを、「履(ふ)むこと錯然(さくぜん)たり。之(これ)を敬(けい)すれば咎(とが)なし。前世の初め、夜が明けようとしている時。まだ道路は暗く辺りの様子は判然としない。このような時は進むことを控えて待った方がよい。進もうとする気持ちを抑えて、六二を敬(うやま)い慎んで仕えれば、咎められるような過失は犯さない」と言うのである。

(その後、この易占がどうだったのかは書いていない…)