九月二十六日の言葉 東洋の学問、西洋の学問 | 心の経営コンサルタント(中小企業診断士) 日本の心(古典)研究者 白倉信司

心の経営コンサルタント(中小企業診断士) 日本の心(古典)研究者 白倉信司

心の経営コンサルタント(中小企業診断士) 日本の心(古典)研究者 白倉信司 古事記、易経、論語、大學、中庸、その他日本で古来から學ばれている古典に関する情報及び時事的な情報(偏向マスメディアでは報道されないトピックスなど)を毎日発信しております。

東洋の本当の学問をやった人、いわゆる悟道し道を修めた哲人は、骨の髄まで学問になっている。これに対して西洋の思想家・学者は、知識や教養は豊かで洗練はされていても、人物が本当に磨かれて、学問と同じように人間が出来ているという人は非常に少ない。(以上、安岡正篤一日一言から)

東洋の学問は「知行合一」、知ることは行うこと、行うことは知ることであります。従って知識がいくらあっても、それだけでは学問ではない。単なる雑識、物知りでありますから、人間として尊敬されるようなことはないわけです。それに対して西洋の学問は「論理を究める」ことですから、論理として優れていればよい、論理を打ち立てればよいわけでして、その論理とその行動とが一致しようがしまいが、一向に関係がないという知識偏重主義であります。ですから、論理は優れていても人間としてはどうしようもないような人物が生まれるわけです。その際たる例が資本論のマルクスだと安岡先生は言っておられます。マルクスというのは人間として最低であったそうで、いくら論理が優れていても、卑しい人間が打ち立てた論理にはどこかに致命的な欠陥があるわけです。「なるほど」と首肯できます。

安岡先生は「人生大則」の中で、マルクスという人間について、次のように言っておられます。

……すべて学説の前に、伝記(それも正確な)を知らねばならない。
カール・マルクスの父ハインリッヒ・マルクスは弁護士で、その愛児の教育には留意しておったが、父は彼について気になることを発見した。それは彼が学校友達というものをつくらず、友達について何の話もせず、友達に手紙を書いたこともなく、ほとんど友情を解しないということであった。(中略)
マルクスはトリエールで大学予備校を卒業してから、ボン大学に入学することに決めた。当時卒業試験を終わった学生たちは、大学に行く前に旧師を公式に訪問することが一つの礼儀になっておって、それを怠るのは師に対する侮辱とまで見られていたそうであるが、彼はついに一回も訪問しなかった。父は彼の性格の中にだんだん厭わしいものを発見して、ボンにおる彼に、「お前にはいろいろ良い性質もあるが、しかしお前は利己主義の熱に支配されているというお前に対する私の考えが残念ながらお前のやりかたによってますます深められた」いってやっている。また別の手紙の中には、「お前は自己保存に必要以上の利己主義をもっている」とも指摘している。
マルクスは長男であり、学校の成績も良かったが、次男は低能、三男は病弱であり、結核で夭折した。ほかにも五人姉妹があったので、父の家計は決して楽ではなかった。しかしマルクスはこれに対する遠慮気がねなど一向なく、ボン大学の学生時代には、一番金持の子弟でさえも、年に八〇〇ターレルは使わないのに、彼は七〇〇ターレル以上も使って父を困らせた。(中略)
彼(マルクス)は……葡萄酒が好きで、上機嫌の時は冗談も言ったそうであるが、出し抜けに、同じテーブルの誰かに、「僕は君をやっつけてやるぞ」と言う妙な癖があって、それを繰り返し繰り返し言っては愉快がった。彼の古い友人のルーゲは、「マルクスは歯をむき出して笑いながら、彼の行く手の邪魔になるものは誰でも抹殺するだろう」と評している。(中略)
またマルクスの長年の友であり、同志であり、援助者であったフライリッヒラートも、最後に彼から報いられたものは「脂ぎった俗物」「鼻持ちならぬ奴」「卑劣な無頼漢」「豚野郎」(マルクスよりエンゲルスへの手紙による)の罵倒であった。(中略)
……以上のことを知れば、たとえこういう人物がどんな天才であったとしても、心ある者は絶対にマルキストにはなれないはずである。そして人間にこういう者が出ること、こういう人間がいかにして救われるか、救われないかというようなことも、深く省察すべき問題である。