ローカルで育って

たまたま
進学で都会へ行った、特に望んではいなかったが、
特にビジョンはナシ
親が決める
ただ、
地元に居て、そのままの環境や関係は
できうるなら避けたい、、ボンヤリ思っていたのだが
まあ
親の言うままに
そして急に自立化
22才には
ローカル生活は断固拒否
やっとデビュー
自立の、、
普通は中学生頃だろうに、強烈な母親に逆らいもできず

遍歴あり
自分で決める事
当たり前ができ
なんとかかんとか
しのいで
親の望む
人並み?
人並みでは満足できなかっただろうが、年齢を考慮し、人並みやらにあせり
それはそれで治まる
仕事を家庭を
消極的に
できないなりに
そして約70の頃には
情報社会にあたり
急激に進化し

ハッ
このローカルは
狭い、狭すぎる
引っ越したって
そんなには変わらないけど
自宅は地方ローカルだけど
若い頃過ごした都会
中央というのか
それなりの豊かな暮らしは
今でも無理
昔
上海に行ければなぁ
て夢
何をするでもない
たぶん
今思えば
違う運命の道
あったのだろう
きっと
予知的な
違うドアが半開き
遠い昔
大陸から渡ってきた回帰か

母親だって
この町では
気の毒なような
ビジュアル、性格
私は若い頃から
そんな感じがしてた
けれども
人生は不条理て
唯一の
納得の言葉を
教わった感のある
ある不動産屋
関わりあった
ソフトな方だが
父や先祖の残した物
お陰で今あり
処分には
やっぱり千三つだった
土地の恐ろしさを知る
ついでに人も
不動産だけでなかった
世間知らず
親亡き後の辛酸
驚いたなぁホントに
人を信じすぎるお馬鹿
わたし
不定形発達症候群
やっぱり

つい、話が逸れた
そう
規格外のような母子
ローカルでは無理があった
合わせるとか
狭すぎる
やはり
出ても良かった
英語ができない
なまけもの
努力できない
そんなふうな性格だから
そりゃ
チャンスは無いでしょう
年取って
言いたい事、とか
そんな文字が
流れてくる今
まわりに合わせて
周りを意識ばかり
イヤねえ
空しさは無い?
自覚なく
合わせられず
わたし
幸いにも
不定形発達症候群
絶対

行動して今、まぁまぁなんとか
終わる。
普通いくのが大変、と父は珍しくふと述べた、、ほんと、、独り者といえ1人の兄と子供、血を分けた、といえるのはこの人達のみ、、いなければ、、天涯孤独というやつか、、叔父叔母いとこは会う事も無し、、気楽といえばそうだ、、あ、婚姻関係いたな、韓流と比喩したりしてはいるが、おとなしめの、、ローカルの良さ、、それなり、、、素朴というか、、元がいいならいいけど、、昭和中期までなら、、なんとか、まぁ、いい方かと時々思う、、不干渉は何よりですっ