父の故郷で思うこと | こころのひと休み保健室

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元医療技術職で現在プロフェッショナルコーチが運営しています。

5月の連休、父の法事で長野へ行ってきました。

 

農家の三男として生まれた父は、18歳で故郷を離れて上京しました。

故郷が嫌だったからではないようで、生前、「死んだら故郷の墓に入りたい」と繰り返し言っていました。

その願いを、本家を継いだ甥(私からすると従兄弟)が叶えてくれました。

 

私にとって父は、「いい親」ではありませんでした。

家庭を顧みずに遊び歩いていた人で、父との思い出も少なく、亡くなった時もあまり悲しい気持ちになりませんでした。

そんな父を大切に考えてくれる従兄弟がありがたい反面、意外でもありました。

 

父は昭和8年生まれ。戦争中は小学生で、死ぬことを教育されたそうです。

そんな父が73歳の誕生日に、リビングウィルを書いたと見せてくれました。

自分が回復の見込みがない状態になったら積極的な医療は望まない、という宣言書です。

 

その後も何かの折にたずねると、リビングウィルに記した気持ちは変わりませんでした。

それもあって、父の最期の医療の選択を医師から迫られた時に、私たち家族は迷わずにすみました。

 

父が延命を望まないという宣言をしていても、父自身の『私の生き方連絡ノート』があったら…と思います。

『私の生き方連絡ノート』というノートを私が知った頃には、父は認知症の症状が進んで書ける状態ではありませんでした。

もっと元気なうちに、何を大切に生きてきたのか、どういう人生を歩んできたのか、聞いておけばよかったという思いが強く残ります。

 

『私の生き方連絡ノート』は、もしもの時の医療についての意思を記すことだけが目的ではありません。

来し方や大切にしていたこと、その人の物語を書き残すものでもあります。

 

父の物語が記されてあれば、対話が少なかった父の、私が知らない面を知ることができたろうにと思うのです。

 

『私の生き方連絡ノート』は書いた本人のためだけではない

周りの残されたものにとっても大切なノートとして在り続けるかもしれない

と思ったゴールデンウィークでした。