2018年6月のある日突然、親がガンで余命を言い渡され、誰にでも訪れる「死」とリアルに向き会わざるを得なくなり、「究極の状態」での心の動き、その間の人間模様、その間の出来事の記録です。




時間が有限だと知った時、
本当に困った時、
人の心は、
現実をどう受け止めて、
どう考えて、
どう動いていくか。




心屋で知って身につけたあり方もたくさん役立っています。



大切なあなたに、
読んでいただけたら幸いです。


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「出来ない」と言わないと、どうなるか。
↓↓

救いの手が、差し伸べられない、フツーに。本当は大変だろうからとか「察して」くれることもなく。




それを見た時に、ある行動を取った。
↓↓

「人にどう思われるか?」なんて気にしてるヒマが無く、出来ることは全部やる。





つまりはこうだった。
母の入院で緊急で介護が必要になった父に、
包括支援センターの担当員がとあるアンケートを読み上げ父がそれに答えた。




担当員「ご自分で入浴は出来ますか?」
「おトイレには行けますか?」
「ベッドから起き上がる事は出来ますか?」
と、生活の基本的な行動について次々と聞かれるも、父は「出来ます」と、即座に答える。




そう、、、本当は、介助が必要なくらいスムーズには「出来ない」ことがあったとしても、結果的に「出来る」と言うならば、それは「出来る」なのだ。




隣で聞いていた私と義妹は苦笑いしつつ、特に口を挟むことなくそのアンケートは終わった。まさかその「出来ます」が本当に反映されるとは知らず。




ところが、、





その後の父の(暫定の)判定が、




「事業対象者」だった!!!???




一人じゃ明らかに暮らしていけそうもない父が、
どーーーして???




と言うのも、介護保健サービスを使うにあたり、
事業対象者
要支援1
要支援2
要介護1〜5までと、対象者の「要介護度」によって介護保健で使えるサービスが「かなり違ってくる」こともあり、





「事業対象者」は、使えるサービスもあるけど、
週一のデイサービスとかヘルパーとか、その程度。他は全額自己負担になるという。。





(おいおいおい、、
病院のケースワーカーの話と違う、違い過ぎる。)「事業対象者」だと、例えば入所できる施設もすごく限られてしまう。





そうか、介護手続きにおいて、どれだけ現状を伝えられるか?どれだけプライドを捨てられるか?
どれだけ頼る人を見つけ頼れるか?が大切なんだ!と知ったからには、





兄弟や義妹とも散々話し合ったり、頼れる人がいれば「すぐに」聞いてみた。
中でも、実家地元の知り合いの議員さんにも朝から数件連絡してたら父が驚いてたけど、




それくらい急ピッチで進めないと、本当に困る事態になっていた。




この地域が「介護に関わる職員の人手不足で、、、」というのを聞いて遠慮してる場合じゃなく、





「困ってる!困ってる!情報を下さい!」



を、ひたすら繰り返す日々。




それは、親のためでもあり、自分のためでもあった。なぜなら自分にも家庭があり、そちらの日常がある。一刻も早くその日常を取り戻したい。親も自分たちも納得いくところに落ち着くためだった。




と、いろんな情報を集めつつ介護保健サービスの申請から2週間後に「認定調査」、そこから要介護の認定まで約1ヶ月もかかった。
(判定後、両親共に要介護2になりました)





でもそれは、
「お人好し」なんてやってらんない、
「頑張ることなく人に助けを求める」、
困ることはあっても「悩んでる時間は無い」っていうセカイだった。






そんなこんなで介護手続きと母の治療がらみで必死になってるところに、次は「夫に理解されない?」問題が。




※ 今後は、少しずつ通常ブログに戻していきますネ。長々とお読みいただいたあなたへ。
心からありがとうございます!