こんにちは
埼玉 心屋流カウンセラー
晴れる屋まゆこです
2018年6月のある日突然、親がガンで余命を言い渡され、誰にでも訪れる「死」とリアルに向き会わざるを得なくなり、
「究極の状態」での心の動き、
その間の人間模様、
その間の出来事の記録です。
時間が有限だと知った時、
本当に困った時、
人の心は、
現実をどう受け止めて、
どう考えて、
どう動いていくか。
心屋で知って身につけたあり方もたくさん役立っています。
大切なあなたに、
読んでいただけたら幸いです。
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今度は父の介護について真剣に取り組むことになった。そこで、「出来ない」と言わないと「どうなるか?」を痛いほど感じた。
義妹の本音によって私に希望が差し込み決断し、
母の抗がん剤治療方針が決まり、
私が思う「延命治療」というのと「現実」とのギャップを義妹が埋めてくれた。
手術できない病に対して、
確かに延命ではあるけど、副作用は少ないし、何より「延命してる間に楽しい時間がもっと過ごせたらいいんじゃない??」と、私の「延命=悪」という思い込みを払拭してくれたのだ。
いつでも人には「思い込み」というのがあって、
それと現実とのギャップがあると、それが「悩み」になる。
突然の衝撃、あるいは長年の慢性的なものによって思考が「動かなく」なっている時、人に揺さぶり動かしてもらうことの重要さをしみじみ感じた。
そうしてホッとしたのもつかの間、
今度は、父の介護の問題にぶち当たる。
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今回のこと、
人生の番狂わせ、とも思った。
父は、8年前に病気を患ってからずっと母に介護されていて、何とか寝起きは出来るけれど、食事作れない、洗濯出来ない、という母が居なければ生活がままならない、という状況で。
家族の誰もが思っていただろう。
父の方が母よりも先が短いだろう、と。
けれど母が余命宣告、、、
まさか、と思った。
私は埼玉在住、下の弟は東京、上の弟は兵庫。
両親は長野で近くに親戚もいない。。
これ、この状況どうするの???
一気にまた「困った」。
まずは、病院のソーシャルワーカーさんに介護保険サービスのことをザックリ聞いた。
でもその時は、ある意味希望が見えていて、介護保健を使えばデイサービスやいろんなサービスが使えますよ〜〜という話に、
(もしかしたら、母に介護されてた時より刺激があっていいかも)とすら、思っていた。
その後、実家に「包括支援センター」の方が来て、「介護保険サービス」について説明をしてくれたのだけれど、
「現実」を知ってまた気分は落ちる。
その日一日で、気分のジェットコースター感がすごい。すご過ぎる。
父は、認知こそあまり無いものの、「食事が作れない」状況で、やっとのことで歩く時も息が上がり、もし転んだとしてもすぐ起き上がれない。
けれど、「この程度」だといわゆる食事を作ってくれるヘルパーさんを毎日頼めるわけじゃないどころか、
しかるべき施設に入ることもできないという。
「なんで?????????」
こんなに困っているのに、
こんなに出来ない人がいるのに、
えええ???介護サービス使えないの???
どうして???どうして???
完全にパニックになった。
包括支援センターの相談員さんが鬼に見える。
優しい顔して冷たい人に見える。
だって、だって、こんなに困ってるんだよ?
私たちが居なければ明日にでも困る父なんだよ??
その後、その「現実」を知る一枚のアンケートが父の前に。「出来ない」と言わないと、どうなるか。
それを見た時に、私はある行動を取った。
つづく。