晴れる屋まゆこです






ある日突然、親が倒れたことで
しばらくブログをお休みしていましたが、
(なのにアクセス数が上がってるありがたさ)
究極の状態での心の動き、
その間の人間模様、
その間の出来事を私なりに記録
しておこうと思います。


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〜「母親が、末期がん????」
突然暗黒のセカイへ〜



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心を穏やかにしたい。
勝手に人を嫌いになり、
勝手に自分を責める、
幼少の時からどうしても捉えることが出来なかった、この自分の心を穏やかにしたい!



この思いがやっと叶ったのは、
40も半ばになった頃。
そう、この心穏やかな日々を、
ずっとずっと願っていた。



そんな幸せな日常の中でも、
親の老化について、
なんとかせねばの日が来ることは、
心の片隅には思っていた。




携帯を切り、
放心状態で懇親会場に着いた私は
(今すぐ埼玉に帰ったとしても、
今日中には長野に帰れない、、)
とりあえず懇親会に出て早く帰ろう。。




そう思い、
すでに心屋の認定講師たちでいっぱいの
京都の川床に入った。




いつも仲良くしてくれる滋賀の講師のちもが、
こっちこっち!と。
そこに座ってみたものの、
頭の中は完全に混乱している。




(お母さんが?がん?
しかも末期?どうして?
どうして?どうして?どうして?)




考えているんじゃなくて、
どうして?しか思い浮かばない。



そして、
そんな私の状態と対比するかのような
華やかな懇親会場。



ダメだ。。
完全に混乱してる。
でもせめて、乾杯の後でも、。。



ようやく乾杯する頃には
ちもから「どうしたの?」と。
その言葉で、
「実は、母が緊急入院で」と。





「帰りなよ!!!!!」


テーブルのみんなが心配そうに
一斉言ってくれて、
ハッとした。
そうだ、無理だ。もう全然無理!
一刻も早く帰ろう。




そこからは、
ぢんさんや、一緒に帰るはずだった数人の耳元で事情を説明するも、同じテーブルの人たちも聞いていて、すごく心配してくれて。



もうそこからはダッシュでタクシーに乗り、
夫と弟たちに次々と連絡した。




涙声だが落ち着いて伝えようと思ったのは、
弟たちの衝撃を少しでも和らげたいと思ったから。久しぶりに電話する関西の弟にも、
なんでこんな報告をしなくちゃいけないんだ。



人に言ったら軽くなるどころか、
弟たちにも悲しみが伝わることで、
胸が押し潰されそうだった。
なんで、なんで、なんで。
悲しい苦しい怖い。。




そのまま京都駅から新幹線に飛び乗った。




最悪だ、
いや、
最悪だとか、地獄だとか、
そんな言葉じゃ軽い感じ。
ただただこの事態を、
重い重苦しい胸を感じつつ、



それなのに、
ふとこんな気持ちが上がってきた。



(あんな華やかな席で、すごくタイミング悪く出てきて、場を暗くしたんじゃないか?
どう思われただろう)と。




ビッックリした。
こんな状況で、こんな時に、
人にどう思われた?なんて、
思ったりするんだ。。
「思考」の片鱗だろうか。





すごいな、
ある意味、すごい。
1ミリでも、そんな意識が出てくるのなら、
フツーの状況だったら、
人にどう思われたか?なんて気持ち、
そりゃいっぱい出てくるはずだ。




そういう人間のサガみたいなのを
感じつつも自分を責めることは無かった。




ただ、その一見冷酷な感情に
驚いている自分がいた。
そうか、この「思考」が自分の本心だと思って人は自分を責めるんだな、、と。




悪夢なら覚めて欲しい、、
そう思いながらも
暗黒なセカイを家路に急いだ。




こんな時に、
普段やっている言っている
「目の前の問題はダミー」とか
「悪夢から目覚めるだけだよ」とか、
「大丈夫乗り越えられるさ」とか、
とか、とか、




自分の気持ちを立て直す術、
それら全てがファッションなんじゃないか?
ってぐらい、
突然現れた大きな黒い壁の前に立つと、
何ひとつ使えない気がした。




その術は、
ずっっと慢性的に気分が晴れないという時や、
ずっと心がモヤモヤしているとか、
いつもいつも同じような問題にぶち当たるとか、




そういう時に有効で、
この突然の混乱時には、
なんにも太刀打ち出来ない、と思った。




ただただ混乱している、
ただただ悲しい、怖い、怖い!!!




まさに悪夢より悪夢だった。





つづく