晴れる屋まゆこです




ある日突然、親が倒れたことで
しばらくブログをお休みしていましたが、
(なのにアクセス数が上がってるありがたさ)
究極の状態での心の動き、
その間の人間模様、
その間の出来事を私なりに記録
しておこうと思います。






〜「母親が、末期がん????」
突然暗黒のセカイへ〜



あの日の前日、
たまたま長野の実家の母親に
 Telしたら、珍しく弱々しい声。


何やらお腹?背中?が痛いという。


そうでなくても気になっていた。
今年のお正月も、今年のGWも、
帰省することを断られていたから。


(きっと膝が痛くて、思うように動けない
からだろう。。)



母親は、完璧主義というか、
自分の思うように動けないとイライラする。
私たち兄弟にそれぞれ家族が出来て、
年々盆と正月が賑やかになって、



でも、年々動けなくなる両親。

「生活のペースが乱れるから」
という理由で正月帰省を断られたのが2年前。


その後は、
昨年のお盆に総勢13人で過ごしてからは、
一度も会っていなかった。



それからは時々電話で話す程度。
後で書くけど、
私はこの5年の中で「母離れ」したのだ。



けれどさすがに気になっていた。
気になっていたけど、
負けず嫌いの母に「行く」と言っても
断られるだけ。そう思っていたし、



それに、母離れ以来、
東京に住む下の弟が庭師でもあるため、
庭仕事を理由に時々実家に呼ばれていたのだ。



それでいい、
これでいい。
私は長らく親を独り占めしていたのだ。
弟達の役割をも取っていたに違いない。



両親にブチギレたあの日、
腹の中のマグマが吹き出し、
その直後は、
感謝が湧くという清々しささえあった。
そして私は何かを「断った」感覚になっていた。


けれど、
今年に入ってからも気になっていて。



でも、いつも「何」で確認していたかというと、
電話の「声」だ。
母は、いつも快活な感じで電話に出る。
その「声」にいつも安心していたのだと思う。


********


その日の弱々しい声に、
さすがにこれは、と思った私は、
弟夫妻に「日曜日に、しれーっと長野行ってみて」
と。



「なんか胃腸炎?なのかしらねぇ。
相当痛そうなのよ。なかなか医者に行かない人
だから、様子をみてきて欲しいの」と伝え、



私はそう伝えた翌日、予定通り心屋の認定講師ミーティングで京都へ。




でも、その「気になっている」感が消えなかったのか、気づけば服とバッグの色がチグハグだったり、



いつもは東京駅からなのに、
珍しく品川から新幹線に乗ったら、
まさか逆方向に乗って東京駅に着いていた。。



「なんか落ち着かないなぁ」



そう思いながらも、
心屋塾のミーティングを終えて、
その後の親睦会会場に向かうタクシーの中、



携帯が鳴った。



(長野の局番?)



「はい、、」



電話に出ると、
優しい声の女性がこう言う。
「〇〇さんの娘さんですか?
お母様が入院されまして、、、」




(あぁ、相当痛かったのか、、)



と思った矢先、



「すい臓にガンが見つかりまして。
手術が出来ないのですが、、、
こちらに来れますか?」と。




「お、弟が、明後日行く予定なんですが、、、」



「今、先生に確認したのですが、
明日!来れませんか?」




「わかりました。明日行きます」



「びっくりされましたよね。
では、明日お待ちしてますね」



ここまで聞いて電話を切ったら会場に着いていた。。



本当に「突然」だった。
自分の日常の景色、土台が
ガラガラと崩れていく感じ。
この究極な時に、
もう一人の自分が、自分を見つめていた。




つづく