おはようございます
毎週金曜日は私の過去のお話をしています。
1回目の記事はこちら↓
今日は授乳で苦労したことをお伝えしたいと思います。
一人目を妊娠中に、8ヶ月くらいの赤ちゃんを子育て中のお友だちと会いました。
彼女が言うには「誰でも母乳は出る」というのです。
彼女が看護師という職業だったこともあり、私はそれを信じていました。
それから2ヶ月くらいして、私は出産しました。
初めての出産
しかしそれは思っている出産とは違いました。
緊急帝王切開になり、赤ちゃんとは私の顔を見ることもなく別の大きな病院へ入院となってしまったのです。
そのため、私はすぐに授乳することができませんでした。
退院したときのために3時間おきに搾乳をはじめました。
実際に子育てが始まったらもっと大変なことも知らず、3時間おきの搾乳に大変さを感じていました。。
もちろん、赤ちゃんにそのまま飲ませてあげることができない悲しさや悔しさのようなものもあって、物理的な大変さだけではありません。
それでも、子育てについて何の知識もなかった私には、子どもの退院後にさらなる悲劇とも言える現実が待っていました。
泣きやまないわが子
やっと退院となった日、赤ちゃんは一日中泣いていました。
病院で母子同室で過ごす時間もなかったので、まったくの初めての子育て。
どうしていいかわかりません。
赤ちゃんの方も、1ヶ月以上も哺乳瓶で育ってきたので、とつぜんオッパイから飲めと言われてもできるはずもなく、泣くばかり。
入院中、搾乳の量も他のママさんと比べると少なかったのですが、看護師さんからは
「オッパイをあげるようになれば出るようになる」
と励まされていました。
ただ、赤ちゃんが飲めないことには母乳の量も増えていきません。
妊娠中の友だちの言葉を思い出します。
「誰でも母乳は出る」
「だから母乳で育てるべき」
こんなはずじゃなかった。。。
母乳で育てられない自分を惨めに思いました。
そんなときに母から「オッパイマッサージ」の存在を知らされます。
インターネットで調べると、運よく桶谷式母乳外来が実家のすぐそばにありました。
すぐに電話して、その日のうちに行きました。
そこで衝撃的なことを言われます。
「このままじゃ、また入院することになるよ」
私は母乳は出るようになると信じていたので、ミルクはあげていなかったのです。
赤ちゃんの体重は退院時よりも、かなり減っていました。
それからミルクと母乳の混合の生活が始まります。
ミルクをあげれば赤ちゃんは満足して泣きやみました。
私の葛藤
しかし、それはそれで葛藤があったのです。
やはり母乳で育てたい。
友だちの言葉がいつも頭の片隅にあります。
「母乳は誰でも出るから、母乳で育てるべき」
毎日とにかく必死でした。
なるべくミルクの量は減らして母乳をひたすらあげつづける。
乳首がなんども切れました。
母乳外来に通いながら「完母(完全な母乳のみの育児)」を目指していました。
結局、ミルクがいらなくなったのは離乳食が始まって10ヶ月くらいのときだったと思います。
それまで毎日
「母乳だけで育てたい」
「ミルクをあげたくない」
という呪縛にかかったような生活。
私も辛かったのですが、子どもも本当によくがんばってくれたと思います。
今はそんなことも忘れるくらいご飯をよく食べて元気に過ごしていますが、当時を振り返るともっと誰かに相談できていたらと感じます。
一つの情報を鵜呑みにするのは危険だし、思い込みはさらに危険。
今はたくさんの情報が飛びかっているので、何を信じていいか迷うことも多いかもしれません。
気軽に安心して相談できる人がいると安心ですよね。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
今日も素敵な一日をお過ごしください!