‡ママの 乳癌 闘病日記‡ -4ページ目

病理結果と今後の治療



18日に病院へ行き


病理の結果と


今後の治療についてを話す


時間が近づくと


やっぱりドキドキしたガーン


結果は


リンパ節転移の数→0/4


血管やリンパ管への浸潤→軽度


組織学的異型度→グレード2
(1~3で数値が高い程再発しやすい)


HER2スコア→0
癌細胞の増殖因子発原の強さ


ホルモン治療の適応→適応


医師との相談の結果


来年の娘の退院後から
放射線を開始して


その後ホルモン治療をする事になった


まずは娘から元気になった貰いましょうにひひ


それから私ニコニコ


両親②



痛みは我慢するものビックリマーク


それは母を見ていたからかもしれない


母はリュウマチになり父に痛みを告げる


そんな母に父は


「そんなに痛いなら自分で病院を見付けて通えビックリマーク


と言ったらしい


だからなのか母は


リュウマチの痛みはあまり言う事が無かった


そして子供にも


痛いビックリマークと言う事の出来ない雰囲気を作る


そんな中


兄は特別になる


遊んでいてドブの溝に頭を打ち気を失う


子供だった私と友人は


イケナイとは知らずに兄を起こす


夕飯を食べ終え入浴する


すると


兄は突然嘔吐しだした


両親は私の話を聞き


急いで近所の病院へ


そこでは無理だという事になり


設備の整った総合病院へ


そこで両親は


医師に最悪の場合の書類にサインさせられる
(昼に頭を打ったから手遅れでも病院に責任は無い)


でも兄は無事に問題なく帰宅する


しかし両親にしてみたら


失ったかもしれない息子


それから兄の具合が悪くなると


両親は往診を頼む様になる


そんな兄を見て


何故自分だけ一人で病院へ行くのか不思議だったしょぼん

すっかりご無沙汰でした



色々ありなかなかブログを書く事が出来ませんでした


これまでの事を


お向かいの奥さんが亡くなりました


病院へ行った時には色々転移していて
手術は無理で抗がん剤での治療だったそうです


「絶対に生きて帰って来るから誰にも言わないで」


そう言っていたそうですしょぼん

ほんの少しの間ですが


奥さんの癌との戦いを見ていた私は


奥さんに最期のお別れをして来ました


寝てる奥さんの前に


お孫さんとの笑顔の写真があり


涙が止まりませんでしたしょぼん


「本当に本当に頑張っていました
痛みをこらえて頑張っていました」


そう言葉にするのが精一杯でした


今は痛みから解放され


家族の側で笑っている


そう思いたいです




私の傷口は


先週の水曜日にやっとテープがとれました


テープ・防水シートがなくなると


痛みも少し取れた気がします


皮膚を無理に動かなくしている


それも痛みのする事なのかとびっくりしましたガーン




色んな事の一番は


やはり両親の事の様な気がします


ブログに書く為に頭で整理している間でも


両親からの言葉で傷付き


理解されない苛立ちがあります


何故?どうして?


そう思ってしまいますガーン


両親の事は好きです


だからこそ


今まで心の中にしまっていた


両親の事を書きたくなったのかもしれません


今私の心にあるのは


悲しみなのか


怒りなのか


諦めなのか


それを知りたいのかもしれないしょぼん