病理結果と今後の治療
18日に病院へ行き
病理の結果と
今後の治療についてを話す
時間が近づくと
やっぱりドキドキした
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/324.gif)
結果は
リンパ節転移の数→0/4
血管やリンパ管への浸潤→軽度
組織学的異型度→グレード2
(1~3で数値が高い程再発しやすい)
HER2スコア→0
癌細胞の増殖因子発原の強さ
ホルモン治療の適応→適応
医師との相談の結果
来年の娘の退院後から
放射線を開始して
その後ホルモン治療をする事になった
まずは娘から元気になった貰いましょう
![にひひ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif)
それから私
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/323.gif)
両親②
痛みは我慢するもの
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
それは母を見ていたからかもしれない
母はリュウマチになり父に痛みを告げる
そんな母に父は
「そんなに痛いなら自分で病院を見付けて通え
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
と言ったらしい
だからなのか母は
リュウマチの痛みはあまり言う事が無かった
そして子供にも
痛い
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
そんな中
兄は特別になる
遊んでいてドブの溝に頭を打ち気を失う
子供だった私と友人は
イケナイとは知らずに兄を起こす
夕飯を食べ終え入浴する
すると
兄は突然嘔吐しだした
両親は私の話を聞き
急いで近所の病院へ
そこでは無理だという事になり
設備の整った総合病院へ
そこで両親は
医師に最悪の場合の書類にサインさせられる
(昼に頭を打ったから手遅れでも病院に責任は無い)
でも兄は無事に問題なく帰宅する
しかし両親にしてみたら
失ったかもしれない息子
それから兄の具合が悪くなると
両親は往診を頼む様になる
そんな兄を見て
何故自分だけ一人で病院へ行くのか不思議だった
![しょぼん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/322.gif)
すっかりご無沙汰でした
色々ありなかなかブログを書く事が出来ませんでした
これまでの事を
お向かいの奥さんが亡くなりました
病院へ行った時には色々転移していて
手術は無理で抗がん剤での治療だったそうです
「絶対に生きて帰って来るから誰にも言わないで」
そう言っていたそうです
![しょぼん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/331.gif)
ほんの少しの間ですが
奥さんの癌との戦いを見ていた私は
奥さんに最期のお別れをして来ました
寝てる奥さんの前に
お孫さんとの笑顔の写真があり
涙が止まりませんでした
![しょぼん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/331.gif)
「本当に本当に頑張っていました
痛みをこらえて頑張っていました」
そう言葉にするのが精一杯でした
今は痛みから解放され
家族の側で笑っている
そう思いたいです
私の傷口は
先週の水曜日にやっとテープがとれました
テープ・防水シートがなくなると
痛みも少し取れた気がします
皮膚を無理に動かなくしている
それも痛みのする事なのかとびっくりしました
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/324.gif)
色んな事の一番は
やはり両親の事の様な気がします
ブログに書く為に頭で整理している間でも
両親からの言葉で傷付き
理解されない苛立ちがあります
何故?どうして?
そう思ってしまいます
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
両親の事は好きです
だからこそ
今まで心の中にしまっていた
両親の事を書きたくなったのかもしれません
今私の心にあるのは
悲しみなのか
怒りなのか
諦めなのか
それを知りたいのかもしれない
![しょぼん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/322.gif)