⚫︎このブログは、2021年4月より、
心屋仁之助に代わり
オフィシャル認定講師によってお届けしています
心屋入門認定講師の ゆき乃です。
こころのことを扱ってると
「ちゃんとしなきゃ」って思ってて苦しい人によく出会います。
「ちゃんとしなきゃ」と思うことが悪いわけではない。
「ちゃんとしなきゃ」と思って、
人生上手くいってて
自分も周りも幸せで楽しければそれでいい。
でも
「ちゃんとしなきゃ」と思ってて苦しいときは
その「ちゃんと」がずれてるんじゃないのかな?
「ちゃんとしない」ほうが「ちゃんとしてる」んじゃないのかな?
と思うときがあるのです。
そんな思った時の例を2つほどご紹介します。
①共依存
心屋はわかりやすい心理学というか
実践しやすい心理学というか(私の感想です)
マスターコースに行っても
依存とは、、、
なんちゃらパーソナリティ障害とは、、、
とか習わない。
でもその人の話を聞いてると
「どうせ愛される」とか
「損してもいい」とか
心屋の言葉で説明できることはある。
で、共依存なんです、と相談を受けたときに
共依存を知らなかったのでwikiでググりました(;´Д`)
ググった記事はこちら
ここではアルコール依存症の家族について書いてあるんだけど
例えば旦那さんがアルコール依存症だとして
奥さんがどんなに頑張っても治すことができなかった場合
(専門家じゃないしね。治せなくて普通)
専門家に見てもらう、とか
施設に預ける、とか すると思うんだけど
旦那さんのお世話をすることに
自分の存在意義を見つけてしまい
それを手放せない状態。
こんな時、自分では治せないと判断したら
施設に預けるのが「ちゃんとしてる」行動
病院に行かせず、ずるずると依存症が悪化するなら「ちゃんとできてない」行動
なのかな、と。
家族で支える、というのも美談だけど
できないのなら
自分が支えることが
自分のためにも相手のためにもなっていないのなら
手放した方がいいのでは?
と、私は思うのです。
あなたの存在意義は
なにもしなくても
なにもできなくてもある。
②ダウン症の母
私の次女はダウン症でして。
まー、生まれたときどうしよ!?
と思いましたけどね(どうなるのかわからない、という意味ね)
普通よりがんばらなきゃ、と
頑張るスイッチが入りかけたんだけど
私が子育てを頑張って
次女は私がいないと生きていけない環境を作ることが
次女にとっていいことなのか?と。
親は通常先に死ぬ。
親なきあとでも、生きていける環境を作ることが
「ちゃんとしている」ことではないのかな?
私が次女のお世話を100%して
私が居なくなったら生きていけないのは
「ちゃんとしてない」のではないのかな?
なんなら
私がすることは0%で
私は毎日だらだら楽しく過ごして
周りの人に100%お世話を任せて
次女も周りも楽しく生きていけたら
そっちのほうが「ちゃんとしてる」のではないかな?
次女は人の手を借りないと生きていけないのなら
早くから人の手をかりることに慣れた方がいいのではないのか?
私も他の人に手伝ってもらうことに
慣れた方がいいのではないのか?
と思ったのですよ。
それに
親亡き後、子供が生きていく環境をつくる
というのは
次女に限ったことではない。
健常児でも
親がお世話をしすぎると
ダメになることがある。
◆◆◆
少々極端な例2つですけど
「ちゃんとしなきゃ」で苦しいときは
逆に「ちゃんとしてない」かもしれないよ
ということが伝われば(;´Д`)
心屋的には
「ちゃんとしなくてもいい」って
つぶやいてみてくださいな。
なにかこみ上げてくるものがあるなら
まずは感情を味わってあげてくださいね
▼今回の記事担当は、ゆき乃 でした。
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