「目の前で苦しんでいる人は可哀想な人ではない」
心屋がカウンセリングや
悩み相談で柱にしている考え方、ですが
じゃあ、
困ってる人や苦しんでいる人を
「あの人は可哀想ではない」と
助けなくていいのか?
という話です。
そんなことは、無いよね(笑)
僕だって目の前で倒れた人や
困っている人がいたら手を差し伸べるし
「やさしく」したいし、
ついしてしまう、し、ね。
じゃあ
罪悪感でひとを助ける時と
優しさでひとを助ける時の
その境目って何だろう、
と考えた時、
当然、
「可哀想だなー」と思って助ける時もあるし
それが、
罪悪感なのか、優しさ、なのか。
今日発売のこの最終巻
まあ、この人たちの
自己犠牲でも助けたい、その想い、ほんとすごいわ。
いやー
ネタバレを書きた過ぎて酷い(笑)
いやー、泣いた。
でも、きっと
罪悪感もあれば
溢れんばかりの優しさにも包まれて、
じゃ、その境目ってなんだろう?
助けないひとは
罪悪感のないひと?
助けるひとは
罪悪感の多いひと?
助けない人は冷たいひと?
助けるひとは優しいひと?
そうでもあり
そうではないかもしれない。
結局は
境目は
わか
らん(笑)
ただ、
「助けたい」
「助けなきゃ」
「私ができることはそれくらい」
といつもいつも思ってると
「助ける必要のある可哀想なひと」を
作り出してしまう。
勝手に
「このひとは可哀想」と決めつけて
自分が役に立とうとして
そうすることで
自分を保つ。
助けられる自分、
役に立つ自分でいられるから。
そういう「側面」がある。
でも
そんなの超越して
ただ、ただ
自分の持てるものを差し出す、
そんな愛に溢れた時もあるだろう。
結局は
どっちでもいいし
どっちも、あり、で
助けないと苦しい、つらい、というのも
罪悪感の場合もあるし
優しさを出せなかった悲しみもあったり。
ただ、ひとつ、言えることは
「このひとは、この状況は、可哀想、不幸」と
決めつけるのは、やめるといいね、てこと。
決めつける、と書いて
(鬼滅ける)と浮かんだ笑
他人の幸せ
他人の不幸
それを
こちらの物差しで
勝手に決めたらあかん、
あとは
好きにすりゃーええがね(ᵔᴥᵔ)
オチも答えもないよ。
航空自衛隊さんからカレンダー届いた!(驚
めっちゃめっちゃテンション上がった
ちょうど自衛隊の話をしてたところだったから余計。
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