自分にイヤなことしたひとのこと、
ただ、許してやればいいのに
スッキリしたくて
謝れ、と言ってしまう。
「ちゃんと謝ったら許してやる」と。
交換条件を出す。
自分に酷いことしたひとに
悪い、申し訳ない、と
「思わせたくて」
「思って欲しくて」
もやもやして
いつまでも
こだわってしまう。
謝られたら、どうせ「いいよ」と許すのに
条件なしでは許せなかったり。
で、相手が
「別に許してもらわなくても構いません」と
謝ってくれなかったりしたらまたモヤモヤ。
許すには
理由が欲しい。
「悪いと思って欲しい」
「悪かった、と謝って、欲しい」
それは「善悪」
わたしが、善
あいつが、悪
善があるから、悪を作り
悪が、善を存在させる。
わたしは、善
わたしが、善
それが、常識
それが、普通
それに反するあなたは、悪。
許すには
理由が欲しい。
ほんとは、許したい。
許して「あげたい」。
で、相手から見れば
あなたが、悪
そのくらいのことで怒るあなたが、悪。
そのくらいのことを許さないあなたが、悪。
つまり
善=悪
悪=善
善は悪であり
悪は善である
ということ。
どっちも
同じなのだ。
裏と表なのだ。
で
「許したい」は
結局「許されたい」であり
結局、自分を「許したい」。
肉ばかり食べる自分も許したい(笑)
冒頭の「スッキリしたい」も
「許したい」「許されたい」「こだわるのをやめたい」
僕はどちらかと言えば
「謝り癖」がある方で
なんか
ひとに負担をかけたり
迷惑をかけたり
ミスをしたりすると
悪いなぁ、と思って
すぐ謝っちゃうほう。
だから
ひとに負担をかけたり
迷惑をかけたり
ミスをしたり
しても謝ったり
申し訳なさそうに「しない」ひとを見るとモヤモヤする(笑)
負担をかけたり
迷惑をかけたり
ミスをしたり
不利益を与えたりすると
申し訳ない、
可哀想、って思ってしまう。
相手を
可哀想なひとにしちゃう。
だから
「謝らない」っていうのは
「迷惑をかける」っていうのは
「不利益を与える」っていうのは
僕にとっては
実はなかなかなの修行で
だから
みんなにも「やろう」っていう(笑)
実際、可哀想なひともいるし
なんとも思ってないひともいるのにね。
で、僕が「謝りたい」ひとで
それは相手が可哀想、で
ということは、僕が
謝って欲しい時は
自分が可哀想なひと、になってる時で(笑)
この罪悪感ゲーム
なかなかにまとわりつくこやつらとの戯れは
まだまだ続きそうですな。
だからこそ、僕にとって
罪悪感のないひとは神なわけです。
僕もまだまだ
迷惑かける自分を許せてないみたいだ。
あースッキリしたいっ!
お、これの新刊が出るみたい!
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