先日のBeトレで
「死にたいと思ったことがあるひとー」
って質問して手をあげてもらったら
まぁ!なんと!!
あれ、半分近くのひとが手をあげてたんじゃないかなー。
300人のうち、150人くらい??
深爪@新刊「立て板に泥水」発売中@fukazume_taro「中央線が止まる」は月曜日の季語
2020年02月17日 09:05
そのことを、彼女がブログに書いてくれています↓
(読まないだろうから主要部だけ抜粋)
先日の京都Beトレで
心屋仁之助さんから
「死にたいと思ったことがある人」
という質問がありました。
結構な人が手を挙げていて
もちろん私もそのうちの一人だったのですが
死にたいと思っている人は
まだまだ人にどう思われるかを気にしている
やることをやっていない人だ
というお話しがありました。
要は、まだまだ
人目を気にしている人
自分を生きていない人
誰かを生きている人
ということ…
確かにそうですよね。。。
人目を気にして
自分の本来の姿を我慢させて
どこかで遠慮しているから
生きづらくてしんどくて苦しくて
こんな人生やめたい
と思ってしまうのだから。。。
なるほどなぁ。。。。
と、思わずメモったところでした。
「死にたい」と思う人は
まだまだ人目を気にしている人
まだまだ自分を生きていない人
まだまだ誰かを生きている人
自由に生きていたら
人は死にたいなんて思わない。
だから、「自由」とは
人にどう思われてもいいと思えるかどうか
そこに行きつくんだろうな。。
>>>>全文はコチラ
★明日が来なければいいと思っていた
**********************
再び心屋です。
なんでそんなこと聞いたかというと
実は、
僕も少なからず思ったことがあったから、ですね。
ま、カウンセラーになってからは
幸いなことに、ないのかな。
なんでかって言うと
例えていうと
僕が会社員の頃は
広い海の沖合を
浮き輪もなく、陸も見えず、船もない
そんな真っ只中を
足のつかない状況で泳ぎ続けている感じがしてたからです。
泳ぐのをやめると
たちまち沈んで死んでしまう。
でも、どこまで行ってもきっと
陸地という「安心」は来なさそうで。
もういっそ
泳ぐのをやめたら楽になるのだろうか。。。いや。。。
そうもがいていた頃ですね。
「死にたい」
「死んだら楽になれるかも」
と、ポツリポツリと思っていたのは。
ま、みんなが
どんな理由で死にたい、
そう思っていたのかは知らないけれど。
どこまで行っても
「絶対的な安心」なんて手に入らないと思っていた。
で、いま、僕はだいぶ
その絶対的な安心に近いものが手に入ってて
とはいえ、そんなに完璧なものでもなくて(笑)
まだまだ不確かで。
でも、先日書いた、この記事
★自由って「人目」という「束縛」「枠」を捨てていくこと(心屋定義)
この不安と恐怖が
いま人生で最高に小さくなってて
何言われてもええわい、と
失敗してもええわい、と
いうのが最高になっているからかもしれません。
何度も言いますが
「とはいえゼロではない」ですが。
で、僕は
そういう考え方を2011年頃からし始めて
2012年から2014年までの
心屋テレビバブルの頃や、それ以降に
会社の業績も大きくなって
そしていま
その頃と同じように
講演で全国をまわったり
大量に本を出したり
Beトレを続けたり
セミナー運営をしたり、と
それさえやってれば
ふつーに安泰に暮らせると思うのです。
でも、なぜか
2015年あたりから本格的に歌を始めて
「心理学のお勉強」をしたいひとは
きっと離れていったと思うのです。
(そうとは限らないでしょうけど)
僕は
「心理学のお勉強」という武器を手にするほどに
その武器を手にした人は問題から目をそらして心を閉じたままになる、
ということに気づいていて
だからこそ「心理学のお勉強」をやめたかったんです。
これは、ときに害になる、と
そう思った。
自分を隠してしまうものに使われる。
自分より他人を分析したりジャッジするものではないのに。
だから、Beトレも講演も
「勉強してないで遊ぼう笑おう」
に変えていった。
でも、それは「お勉強」したいひとにとっては
きっとイヤなことだったと思う。
「こんなのじゃ、わたしは変われない」
「こんなのじゃ、わたしの悩みは解決しない」
「だから心屋はダメになった」
というひともいるでしょうが
僕自身は
「だから幸せになった」
とも言えるのです。
そして、
「お勉強」さえ提供していれば
心屋は、うちの会社はきっと安泰でした。
それが世間の求めているものでしょう。
でも
僕はもう、それが楽しくなかった。
楽しくないことを
役に立つからと言って
やれないカラダになってしまった。
(こんな体に誰がした)
そうして
「安定」という
「足の着くプール」「砂浜」「プールサイド」から
また、足のつかない、先の見えない未来へ
僕はひとり漕ぎ出そうとしている大ばか者なのです。
もしかしたら、また足のつかない沖に出て
サメに襲われクラゲに刺されて
また「もう死にたい」「もう疲れたよ(パトラッシュ)」
なんて思うかもしれない。
だって
泳ぎ続けないといけないのだから。
でも
僕はもう知ってしまったのです。
泳げなくなったら
泳がなくていいと言うことを。
ただ、浮かんで
流されればいい、ということを。
みんな、もう少し
不真面目になろう。
コレもちょっと読んでみて欲しい
https://curazy.com/archives/214980
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