★まずは自分から満たされよう | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

「まずば自分が満たされよう」
「まずは自分が幸せになろう」
 
と発信していると
 
 
 
「そんな利己的な」とか
「もっと他人に愛を」とか
 
言われることもあります。
 
 
 
 
 
「自分を満たすのは
 人を助けるためなのだとしたら
 理解できます!」
 
 
 
 
とか。
 
 
 
 
へ??
 
なんでそんなに
 
「ひとに」にこだわるんだろう?
 
 
 
利己的がダメだということは
 
もっと他人にやさしくしなさい、
もっと人を助けなさい、
 
ということなのでしょうが、
 
 
 
 
それは
 
「自分が、したい」
「自分が、そうせざるを得ない気持ちになる」
「自分が、それでいい人になれる」
「自分が、ほっとけない」
 
という、
「自分が」なんですよね。
 
 
 
それってつまり
 
「まずは、自分が満たされたい」
「まずは、自分が幸せになりたい」
 
なんですよね。
 
「まず」じゃなかったとしても
 
結局は
「自分が気持ちいい、安心できる、幸せな気持ちになる」
 
だもの。
 
 
 
 
 
それって
 
「自分のことばかり考えることはいけないこと」
 
 
という
 
「誰かの教え」による「ジャッジ」に
恐怖で縛られているのです。
 
 
 
それを
早く自覚したほうがいいのかなと思う。
 
 
 
「人を助ける」ことが
「自分を満たす手段」だと
 
気付いたほうがいいですよ。
 
 
 
 
だって
それが「幸せ」なんですから。
 
 
 
 
 
「愛情」と
「罪悪感」を
勘違いしたらいかん。
 
 
 
だから、あんまり
「ひとのためひとのため」という人は
 
僕には逆に偽善者、
罪悪感と恐怖に包まれた
ウソツキに見えるのです。
 
 
 
 
「あなたのために」
というお節介にもつながります。
 
 
 
 
 
 
 
自分を満たしていたら
いつの間にか人助けになっていた。
 
 
人を助けていたら
いつの間にか自分が満たされていた。
 
 
 
情けは
ひとのためならず。
 
 
 
自分のために生きること
自分を満たすこと
自分を優先することに
 
 
罪悪感を持ってる場合じゃないのです。
 
 
 
 
そんなものは持たなくていいのです。
 
それは
罪じゃないのです。
 
 
そんな罪悪感を
持つ方が罪だと思うのです。
 
 
 
自分を満たすことが
最大の人助けなのかもしれないのに。
 
 
 
「あの人を助けたい」なんて
実はチョーーー上から目線なのだから。
 
 
 
 
 
 
で、
それを
わかっててやればいいのです。
 
それを
やさしさ、というのです。
 
 
 
うちの奥さんが野良猫に話しかけると、必ず野良猫は返事する。