選ばれるために
喜ばれるために
昔は頑張ってきた。
仕事も
プライベートも。
お客さんのために
誰かのために
会社のために
選ばれるために
嫌われないために
離れていかないように。
そんな
「媚びた気持ち」で
生きていた。
働いてた。
そんな
「選ばれない自分だから」
「選ばれる自分になるために」
がんばっていた。
そのためには、
無理をして
犠牲を強いて
楽しくないことも
言ってられない。
そんな
自分の都合を言えば
嫌われる
見離される
選んでもらえない
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「お客さんのことを考えなさい」
「お客さんの立場に立って」
という言葉も
このように
「恐怖」から来る
「媚び」と「犠牲」から発すると
「恐怖を伴う結果」になる、
つまり
いちど受け入れられてしまうと
「もう、やめられない」
そう、
「がんばって手にしたもの」は
「がんばるのをやめると失う」から
「がんばり続ける」しか
選択肢はなくなる。
そんな「自己犠牲」のもとに
手に入れる幸せは
ただの、「苦しい幸せ」だった。
自分の「幸せ」が
「相手が喜ぶかどうか」
という基準においてしまうと
ただただ苦しくなるだけです。
そんなものは
ニセモノの幸せ。
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「お客さんのことを考える」
というのは
「第二の目を持つ」ということ。
そして
「第三の目」つまり
「俯瞰の目」を持つということ。
そして、その目を持ったうえで
「自分がやりたいことだけをやり続ける」
「自分のことだけを考える」
ということが
「自分の」幸せになり、
結果として
「相手の」幸せになるのです。
自己犠牲の上に成り立つ
相手の幸せは、ニセモノなんじゃないかなぁ。
本当の意味で
お客さんの目線に立つのなら
「無料」「奉仕」しか
なくなってしまうじゃないか。
それも、しきらない、
ちょこっと自分の利益も欲しい、
そんな中途半端な気持ちが
「苦しみの商売」
「広がらない商売」
「ばりぼての商売」
「労働」を
作り出すのです。
お金は
労働の対価
という考え方から
早く抜け出さない限り
一生死ぬほど働くしかないのです。
周囲に罪悪感を振りまくのです。
「もっとがんばれ」
「お客さんのために頑張れ」
なんていうことが
通用する時代はもう終わったのです。
そんな
自分を下にする仕事は
してはいけないのです。
対等の関係の
取引なのですから。
お客さんと一緒に
「いーね」
「たのしーね」と
喜べばいいのです。
そこに
お金を「いただく」のではない
「循環」が始まるのです。
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仕事がうまく行かない時は
「おめー、ホントは自分の価値を下げて提供しておるじゃろ」と
ホントの自分からのサインをもらっているときなのです。
その媚びた気持ちは
結局、
「親に認めて欲しかった」
という根っこだったりする
そんな単純な話。
長旅から帰ってきたよ、久しぶりのポルちゃん
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